文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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斃れし翼

 

 

往時を生きてもいないのに大正時代の正統派レトロの雰囲気を漂わせる応接間にはどうにも懐旧の情を刺激する風情があった。高い天井に取り付けられた小粋なシャンデリアが仄明るく奥行きを照らし、古硝子とベネチアンガラスを上手く繋ぎ合わせた掃き出し窓からは情緒ある日本庭園が広がっている。首脳会談さながらの斜め向かい合わせに配置された深翠のビロードソファに腰掛ける俺達は御影石でできた暖炉を眺めていた。

 

「最初から全て知っていたのなら何故俺の前に現れた?」 

 

経年による風合いが優雅な焚き火も相俟って物の哀れを感じさせる。ずっと眼差していればあの感情的な揺らめきの魔力に当てられて何処か別世界へと誘われてしまいそうで、不思議な感覚から逃げるように俺は目線を綾辻へと移した。

これまた焚火と相性の良い黄金色が俺を焦がさんばかりに見返してくる。一挙一動を見逃すまいとする眼光炯々に首を傾げたくなった。最初から知っているというのが何を指すのか全くもって判らないが、探偵事務所へと侵入しちまった理由なら一つ。 

 

「言っただろ、偶然通りがかっただけだとな。」 

 

美味いピザ屋を求めただけで随分と振り回されたものだ。双方に大きな食い違いがあると理解していればこんなに疲弊することはなかったろうに。クリスティの依頼を達成できなけりゃ本当に骨折れ損の草臥儲けになるところだった。特一級危険異能者の護衛をさせられて、種田に慰謝料を請求してやりたいくらいだ。 

素直に答えてやったのに釈然としない様子の綾辻、その真横でホバリングする蝿を凝視する。どうにも気に掛かってしょうがない。喋らなければ完璧な美丈夫が古代メソポタミアでは病気と死の象徴とされた害虫を飼っている絵面は裏切られた心地だ。これが女なら百年の恋も冷めるだろう。とはいえ、本人が蠅との友情を望んでいるのなら赤の他人たる俺が口を挟むことでもない。

 

端無くも壁掛けの振り子時計が目に留まって面食らう。規則的に進行する短針の上で長針が午後八時を指していた。既に約束の時間から三十分も過ぎている。

二人の可愛い膨れっ面が浮かんで俺は矢庭に腰を上げると煙草を暖炉へと投げ捨てた。この際ピザでもパスタでも何でも良いので一刻も早く持ち帰りできるイタリアンを探さなければ。

果たして強運なのか悪運なのか、性急な要事が浮上した時に限って難儀な壁が立ちはだかるのが俺の人生だった。 

 

「動くな!」 

 

直ちに去ろうとしたところで、突き破らん勢いで扉が乱暴に開かれた。POLICEと表記されたワッペンを胸元に貼り付けて暑苦しい武装をした集団が突入してくる。誰も彼もがMP5を自分の第三の腕のように構えて、瞬く間に見事なまでの連携で俺達を取り囲んだ。それと同時に見覚えのありすぎる人物が彼等の合間から顔を見せるものだから、俺はどっと降りかかってきた倦怠感を吐き出した。 

 

「感動の再会にしちゃあ、少しばかり早すぎるんじゃねェか?種田。」

「それは儂の台詞やろうて。」 

 

渋い色合いの袴を靡かせて面前で仁王立ちする様は何処ぞのヤクザの頭目と変わらない。種田の背後に控えるは坂口と、心覚えはないものの初対面の気がしない女が一人。翡翠葛を塗料にして塗ったような綺麗な青緑の長髪と引き締まった身体を強調させる細身のスーツ。髪色は似ても似つかないが、人形みたいに可憐な眼と意志の強そうな顔立ちには心当たりがあった。

 

「…そうか、深月の一人娘か。」

「え?」

 

辻村深月、母親の面影を微かな細部に宿した彼女こそが綾辻の監視役の捜査官だろう。時を経て再びあの女と巡り会った気がして、感慨深く見詰めていた俺を種田が妨げた。

 

「そこな小僧がお前に誘拐されたと聞いた時は肝を冷やしたわい。」

「誘拐とは人聞きの悪ィな、任意同行だ。」

「…任意同行?」 

 

傍迷惑な探偵が背後で不可思議そうな呟きを溢した。まさかお前、人を散々振り回しておいて自覚がないのか。 

 

「で、どうして此処が分かった?」

 

何も考えず飛んだものだから俺ですらこの邸宅が誰のモンかすら知らなかったというのに。監視対象の綾辻を追跡するにしても今日明日じゃそれなりの時間が要るだろうに。思い当たる節があるとすれば綾辻が事務所を出る直前にメモに何やら走り書きしていた程度だが…まさかこの帰着を予知していたのというのか?

横目を流せば、したり顔が大層に口端を歪めていた。

 

「探偵を名乗るだけはあるな。」

 

探偵社の江戸川然り、太宰然り、アインシュタインも目を剥くほどの驚異的な頭脳を持つ人間がこの世界には五万と存在する。コイツらが本気を出せば俺なんて動転してる間もなく牢屋に閉じ込められるのだと想像すれば、怖気が背筋を迸った。

 

「貴様のおかげで儂は寝る間もないわ。」

「老体を労れよ。一杯やるか?」

「要らん!ええ加減御縄につけ。」

「凡庸人になんて言い草を。」

 

大方うずまきでの諍いを咎めているのだろう。たかがポートマフィアの下っ端を始末したくらいで大袈裟な、大体先制したのはアイツらで俺はあくまで正当防衛として銃を抜いただけだ。それを差し引いても横浜を火の海にする気満々のドストエフスキーやフィッツジェラルド、クリスティに比べりゃ俺なんて可愛いもんだ。

 

顔を合わせれば恨み節をかましてくる種田と軽口を叩き合っていれば、「…これが本当にあのグレイ?」 と聞こえるか聞こえないかの呟きが耳に届く。視線を流せば辻村の娘っ子が当惑を滲ませて俺達を傍観していた。 

 

あの(、、)が何を指すかは知らねェがグレイってのは確かに俺の名だな。」

「ッ!」 

 

周囲の制止を無視して歩み寄ると、彼女の背後から黒い霧のようなものが具現化して人形に纏まっていく。山羊のような角に、万物を切り裂かんばかりの禍々しい鎌。それを俺は目が腐るほど見てきた。

 

「影の仔か、久しいな。」

「何故それを!」 

 

あの女が使役していた異能生命体、能力名は『きのうの影踏み』。だが俺を見留めるや否や地球ごと断ち切らんばかりに鎌を振りかぶってきたあの時は異なり、影の仔は一向に攻撃する気配がなく、まるで主の守護に徹していた。使役者の性質で異能生命体の性格も変わるのだろうか。だとしたらあの女は相当な気性の荒さだったというわけだ。

 

「嬢ちゃん、名前は?」

「深月…辻村深月です。」

「そうか」 

 

憶測は確信へと変じた。そういや長いこと彼女の顔を見ていない。異能力を譲渡して仕事を引退したのか?…いや、仕事一筋なあの女に限ってそれはない。だがこの業界で命綱ともいうべき異能を手放すとは…他人の恨みを買い過ぎでもしたのだろうか。以前死んだなんて噂を耳にしたが切っても切れない関係を一時は築き上げていた身としては到底信じられない。何れにせよ恐怖の追いかけっこがないってんなら願ったり叶ったりだが。

 

深月の忘形見を当時を懐古するようにしげしげと眺めていたので、額に付着したソースらしきものに気付いた。規範意識の高い澄ました身なりに反して、がさつそうな一面は愛嬌があって善い。実の娘が成人してからもソースやら胡麻やらを口や鼻に付けていたのが思い起こされて酷く物懐かしさに駆られる。

極自然な流れで眉間あたりに付く小さな汚れを拭ってやろうとして、俄に横から伸びてきた腕に阻まれた。

 

「へえ」 

 

京極でもあるまいに、さも不倶戴天の敵でも見るかのような鋭利な眼差しを突き刺してくる綾辻に、直感的に感じるものがあって思わず口角が吊り上がった。銃撃の最中でも自若さを保っていた綾辻が敵対心を此程にも明瞭に剥き出しにしている。恋愛でも友愛でもない。そう、譬えるならば許可もなく己の大切な宝物に触った赤の他人を咎める子供のような。

これは無粋なことをしたと、人の悪い笑みを浮かべる俺に綾辻ではなく種田が文句を飛ばした。

 

「儂の部下に手出しするな。」

「そうしておこう。」 

 

お節介も程々にしないと背後に阿修羅を背負ってる特務課長官サマが爆発しそうだ。

 

「じゃ、俺はもうお暇するとしよう。」

「逃すとお思いですか。」

「殺り合おうってのか?俺と今、この場で?」 

 

殺気なんて大層なもんは放てないが何も裏社会で逃げに徹して生き延びてきたわけじゃない。時には自然災害級の姦邪と相見える危機に迫られた時、怖気付いて尻込みしてるようじゃその隙に首と胴体がオサラバしてしまうことだってある。退避場所も回避手段もない、そんな窮地に出来ることは限られてる。即ち、羆対処法だ。

俺が命名したこの作戦は至って簡潔、羆に対するように自分を大きく見せて威嚇するのだ。恰も瞋恚という概念そのものになったかのように、目だけで射殺さんばかりの目付きと、温度差で凍結しそうなほどの莞爾とした笑顔を貼り付けて。あくまでそういった妄想に近付けるのである。

 

瞬間的にグレイゴーストを坂口に突き付けた俺に、種田が応えるように本物の殺気を膨れ上がらせた。おっかないことこの上ないが、是迄に幾多の殺気と真向かってきた俺の剛毛の生えた心臓を縮み上がらせるには僅かに及ばない。周囲で構える特殊部隊に至っては背景と化しているのだから感覚麻痺ってのは厄介なもんだ。 

 

「冗談だ、ンな顔すんな。鳥肌が立つだろうが。生憎今から用事があるんだ、此処で遊んでいる暇はない。」

「…早よ行け。」 

 

銃を懐に戻すと最初に挑発してきた筈の坂口はハッと短く吐息を漏らした。俺程度に動揺してるようじゃまだまだ未熟だな。武器を納めた俺に対して種田も怒気を萎めてくれたのでこれで万事解決だ。

最後に辻村を一瞥してから開けてくれた部隊員の間を通って出口に向かう。と、一つだけ言い残していた。

 

「ああそうだ。京極にもよろしく伝えておいてくれ。」 

 

 

去り行く男の背中が視界から完全に消えるや否や辻村は膝から崩れ落ちた。それと同時にグレイの一挙一動を見逃さぬよう身構え、警戒を張り巡らせていた影の仔も彼女の影に戻っていった。 如何なる敵も見境なく鏖殺する制御不能の異能生命体とは思えぬほどの稀有な反応に辻村は言葉を失っていた。

今頃になって震撼が冷や汗として吹き上がってくる。あの瞬間、自身に伸ばされた手を綾辻が止めていなければ自分は如何なっていたのだろうか、想像も及ばない。京極の死後幾久しく直面した死の感覚に戦慄を覚える一方で、男と対面して恐れげもなく自身を庇う為だけに挑みかかった綾辻との定かな絆を感じてしまえば、胸に迫る万感に辻村は奇天烈な心地を味わわずにはいられなかった。

 

「あ、あれがグレイ…」 

 

男はその通り名(グレイゴースト)に恥じぬ…否、それ以上の狂人であった。 

あの(、、)グレイと怖れられる危険人物については他の捜査官と同様に特務課への入職時に口酸っぱく聞かされていたものの、辻村も例に漏れず真摯に受け止めることはなかった。そればかりか不思議なことにも実際に本人を前にした際、その隙だらけの立ち居振る舞い、目にも止まらぬ速さで銃を抜いたときですら見掛けは凡庸な壮年の男でしかなかったのだ。それ故に誰もが伝説の真相が顕現された瞬間には尋常ならぬ、一種の恐慌状態に陥るのである。

最後の最後で閻魔が罪人を断罪するかのような殺気の波動を畝らせると、辻村も坂口もグレイが無名の小悪人を演じているだけの業魔であることを悟らざるを得なかった。敏速に坂口の額に筒先を当ててみせたグレイの威圧感は是迄に敵対してきたどの凶悪犯よりも君主然としており、ともすれば重力が伸し掛かり平伏させてしまうような圧倒的な威風があったのだ。

 

冷めやらぬ興奮を抑えつけるようにふぅと息を吐き出すと、十中八九暖炉ではないだろう汗をしきりに手拭いで拭う坂口と、いつにも増して厳しい面付きで話し合う綾辻と種田を見遣る。

 

「言葉が聞こえているのか、敢えて無視しているのかは判らんが奴には京極が視えていた。」

「なっ、そんなことが有り得るのですか?」

 

語り出せば一冊の本に(したた)められそうな死闘の数々を経て憑物となった京極だが、彼の姿が視えるのは綾辻か京極が生前に彼の異能で憑物を落とした傀儡のみ。だというのに無関係の第三者が京極の姿を認識できるとは何事か…綾辻と共に挑戦してきた難事件にも引けを取らぬ謎に辻村は目眩で倒れたくなった。

 

グレイに対する綾辻の認識は凡庸であることに長けた正真正銘の不徳漢であった。非常に狡猾で邪悪で、されども姦譎な魂の在り方を決して他人に悟らせぬ紛うことなき稀代の人非人。 

ピザ屋の厨房での出し抜けの銃撃戦も、頼りになる灯し火のない真っ暗闇での撃ち合いも、数の暴力を前にグレイは盤石の強さで敵を捩じ伏せてみせた。彼に銃弾を撃ち込まれた者は例外なく急所を精確に貫かれ絶命していた。神業とでも謂うべき命中精度に綾辻は断罪すべき犯罪者であると理解していながら脱帽したものだ。

そして特筆すべきは彼の異能。詳細は不明だが瞬間移動かそれに準ずる異能であることは明々白々。敵対すれば始末に負えぬ万能の能力を保有していながら、グレイは爆弾という危機的状況に陥るまで異能者である素振りすらみせなかったのだ。その事実が尚更、山崎が異国から呼び寄せた男達——綾辻の見立てでは一人一人が異能者を制圧できる強者——を拳銃とナイフのみで凌駕してみせたグレイの意図を灰色の紗幕の向こうに遠ざけていた。

 

とうに火の消えた煙管を綾辻は握り込んだ。

まるで理解しかねる。個人で対応できる猛者でありながら態々綾辻に接触し共に地下倉庫を巡った心根も、頑なに平凡を偽る魂胆も。

唯一確信を以って謂えるのは男が裡に秘め、地獄の釜の如く煮詰めている病的悪意は、京極と同等か或いはそれ以上であるということ。

 

「彼奴も亦、儂と等しき奈落の底を這う者であるな。あれは土蜘蛛に違いない。呵っ呵っ呵っ!」 

 

新たな娯楽を見出したとばかりに心底愉快げに歯を見せる京極に、綾辻は忌々しげに睨みを利かせた。

特務課の面々を差し置いて一足先に山崎邸を後にしようとした綾辻を種田が呼び止めた。

 

「当分は軍警と連携し奴の動向を追う。綾辻君と辻村君、君らは通常通りに仕事を熟すように。」

「はいっ、承知しております!」

「それと綾辻先生、貴方には事情聴取と始末書が待っています。」 

「ふむ、始末書か」

 

さぞ煩わしげに綾辻は息を漏らす。 

 

「まずはそこで伸びてる男を逮捕するんだな。」 

 

気だるげな声音と共に指差された先を一同は辿る。暖炉の手前、火鉢に殴られた司法機関局長が貧相な顔面から流れ出る血で絨毯を染め上げて、四肢を投げ出していた。    

 

 

 

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