文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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ヨコハマラクーンシティ(後)

 

 

「ん…君…敦君」 

 

死夢から生き返ったようだった。自分を呼名する声に意識を引っ張り上げられてパッと開眼する。つまびらかでない視界を凝らせば間近で人形が輪郭を象っていった。

立ち所に見通しの良くなった眼に最初に飛び込んできたのは香色の外套と裡から覗ける包帯だった。まだ眠りから冷めきってない声調で名を呼び返せば太宰さんは口許を綻ばせた。 

 

「無事で良かったよ。」

「ここは…」

「地下鉄の連絡通路さ。時間がなかったから一先ずここで休むことにしたのさ。」 

 

次第に忘却の彼方へ旅立とうとしていた記憶が朧げに呼び起こされていく。…そうだ、僕は敵が狙った燃料輸送車の爆発に巻き込まれて意識を失ったんだ。慌てて体を弄ると爆風で吹き飛んだはずの片脚は繋がっていて擦り傷一つない。でも怪我を負っている様子のない太宰さんの服が徒ならぬ乾いた赤に染まっていた。気絶した僕を見つけて運んでくれたに違いない。すると弥弥状況が呑み込めてきた。何の成果も得られないまま醜態を晒しただけという現実が。 

 

「すみません、太宰さんに届けようとした人形を失くしてしまいました。」 

 

忸怩たる思いが深く項垂れさせると、人肌の熱が額に触れた。目線だけを上げれば柔和な面差しが見下ろしていた。僕が害獣として世界中の畠を荒らしたって許してくれるんじゃないか、そう思わせてくれる慈悲深さがあった。「いいや敦君、君は善く頑張った。」太宰さんは情け深く免じてくれた。

 

「譬え私が一時的に街の混乱を収められたとしても、Qが組合の拳中にある限り奴等は何度だってこの大破壊を起こせる。糅てて加えて異能特務課も活動を凍結せざるを得ない状況になった。完全にお手上げだよ。」

 

恰も盤上で絶えず移動する駒を眺めるかのように、類稀な音色で太宰さんは云った。横浜が完膚なきまでに破壊されるまでの制限時間は刻一刻と迫っていると。

窮地に瀕して、適さか白鯨での一場面が想起された。アンの部屋でルーシーが別れ際に放った何気ない言葉、それによって引き起こされた着想は僕の脳裏に刻まれちた。きっと皆からすれば問題外かもしれない。けれど如何してか僕にとってはこれが難境を乗り越える為の最善手に思えてならない。 

僕は太宰さんを正視した。態々呼び掛けずとも、探偵社きっての賢人は僕の瞳を通して閃きを看破しているようだった。

 

「昔読んだ古い本にありました。」 

 

——「昔、私は自分のした事に就いて後悔したことはなかった。しなかった事に就いてのみ、何時も後悔を感じていた。」

そこにはこうも書いてあった。 

——「頭は間違うことがあっても血は間違わない。」

 

「…僕の血と魂が示す唯一の正解に思えてならないんです。」

「それはどんな思付きだい?」

「協力者です。」 

 

彼等は探偵社がそうであるように真底からこの街を愛している。波乱巻き起こる海風と一過性の壮美な緑地、有為転変を俯瞰する天陽の下で発足し、土地と密接した情動を育んできた。内陸に齎される混沌を支配し横浜を守護してきた、今回の争いで避けては通れない宿敵とも謂える存在だ。…だけど、若しも万に一つの確率でも彼等が味方に転じたら?横浜の守護者の一角を占める存在以上に頼もしい味方は今後何処を探しても現れないだろう。 

 

「その組織の名は。」 

 

問いかけというには凡てを諒解しているような音色だった。太宰さんの双眸には憂慮も苛立もない。真澄鏡の如き接受だけが面輪を彩っていた。僕は彼の眼差しに後押しされるように言葉を紡いだ。 

 

「——ポートマフィアです。」

 

 

天高く澄み渡った空に太陽が燦々と照りつけている。まさにお天道様と称するに相応しい神々しさだ。季節は秋から冬に差し掛かっている。今朝の天気予報士は気温十五度にまで下がるから薄着を着ないように忠告し、実際街風の勢いも相俟って外套の隙間から入り込んでくる空気は冷え冷えとしていた。だが食い込むような日差しの暑さが極端に頭頂部を熱らせて、寒いのに暑いという奇妙な体感を作り出していた。

眼を焼くような眩しさに目を細める。炙られたくないならば空から目を離せば良いというのに、俺の視線は如何してもお天道様に現実逃避の術をせがんでいた。

直ぐ傍で聞くに絶えない哮けりが上がった。無視を決め込めば今度は気配までもが迫ってくるものだから仕方なしに大地へと目線を戻した。 

 

「タスケて!殺される、コロされ」

「ギャアア!グゥぉオオ!」

「横浜に戻ってきたのは間違いだったかもしれない。」 

 

切実な嘆きが転び出た。 

 

彼方此方で煌々と燃え盛る炎、地震にでも見舞われたかと見紛うほどに倒壊する建築物、何処からともなく吹捲る砂塵。極め付けは本物の戦場を彷彿とさせる血と火薬の臭い。蜿蜒(えんえん)轟き渡る砲声にも似た破壊音が死神の軍隊が街を跋扈しているかの錯覚を起こさせた。さながらボッティチェリの地獄の見取り図である。横浜は絶賛ラクーンシティと化していた。いつぞやの大戦が思い起こされるのだから甚だ笑えない。

大気の肌寒さよりも日光と軽い運動が齎す蒸し暑さに、俺は外套を脱ぎ捨てた。阿鼻叫喚の巷を独り練り歩いて、襲いくるゾンビどもを腹いせに撃ち続けた。

 

………。

 

サバイバルホラーが現実に引き起こされる二時間前、突として俺の家に鳴り響いた呼び鈴がなければありふれた休日を過ごす筈だった。

時刻は午前十一時、入居から二ヶ月あまりが経過していながら段ボールの片付いていないマンションの一室で整頓に勤しむでもなく俺はビールを片手に野球観戦をしていた。この爽快な音を空高く反響させて飛び回る白球に冷めた応援を寄越しているうちに、毎年連敗していたチームが三点を勝ち越すとこの世界の球団に縁のない俺でも身を乗り出した。球場に赴かなかったことが悔やまれるほどの白熱っぷりだった。

壁掛け時計が正午を告げる。俺は昼飯を忘れて、ナッツと熱い接戦を肴に久方ぶりに気勢を上げていた。二十歳は若返った気分でクーリングタイムに差し掛かって激戦を見守っていた時のこと。

 

不意に呼び鈴が鳴らされた。液晶から現実へと一気に引き戻された俺は舌打ち混じりに腰を上げる。寛歩をせっつくように玄関が横暴に叩かれた。

ピンポーン、ピンポンピン… 

よもやそれが悪夢の始まりだとは思うまい。どうせ近頃の堪え性がない配達員に相違ないと、苛立を拡大した歩幅に乗せて進んで偶さか廊下で立ち尽くした。

 

「俺はワルくない!ガッあ、オマエガァア!」

「あ゛あああ」

「イタイ、痛イィ余ぉオ!」 

 

施錠した筈が開けっぴろげにされた扉の内側で、後方で立ち昇る黒煙を見事な背景にしてゾンビめいた者達が犇いていたのである。俺を認識するや否や、支離滅裂な言葉を叫び散らして凶器を振り回しながら向かってきたのが開戦の狼煙となった。

 

…突如として他人の家に雪崩れ込んできたイカれた侵入者を迎撃すること小一時間が経過していた。戸外の路上でも完全に正気を失くした奴等が家に押し寄せるべく数を増やし続けていた。何処から持ってきたのやらライフルを室内でぶっ放すような破壊的なゾンビも紛れており、俺は下手に身動きができない状況に陥っていた。穏便な会話が通じるわけもなく、否応なしに空になった弾倉を込め直しては撃ち続けることの繰り返し。

 

蹴っても殴っても撃っても刺しても、起き上がりこぼしもかくやの執念はいっそ天晴れと拍手をしてやりたいところである。世界線を移動したのかと疑う程に凶手は完璧にアンデッド的存在へと成り果てていた。

もういっそのこと家を捨てちまおうかと思い始めた矢先、やけに聞き覚えのある何かを引き抜く音が耳朶に届いた。

その音の正体を理解するよりも素早く、俺は反射的に横転させた食卓を盾にして身を屈ませた。

 

瞬間、鼓膜を破るかの爆音と閃光が辺りを包んだ。 

 

……爆発の威力が収まるまでには時間を要した。

鼻腔を突いた生臭さに迫り上がってきた吐き気を堪えた。周囲に広がっているだろう光景が嫌でも想像できて、けれどもいつまで経っても俯いているわけにもいかずに面を上げる。

砂埃と家具の燃え滓が睫毛を掠めて浮遊していった。あの爆音と比べれば云百分の一にもなった静寂を埋めるかの如く粉砕された瓦礫が積み上がっていた。不幸中の幸いにも骨組みだけとなった机が身を挺して俺を守ってくれたようだ。俺は立上がって辺りを見渡した。

 

「クソったれが、何なんだよ一体」 

 

悪態をつかずにはいられなかった。僅かばかり面影の残る家跡に、周辺の家々を巻き込んで半径百十数メートルに渡って巨大な穴が出来ていた。燃え殻が舞い上がり、余燼が燻っている。そこらじゅうに瞥見では人間と判別がつかぬ肉塊がスパッタリングさながらにへばり付いていた。

大方物置に保管していた手榴弾をゾンビが見つけたに違いない。一発でも十分な威力だが連鎖が生じて大爆発に繋がったのだろう。 

 

全壊したマンションを出た頃には先の爆発でやられていた聴覚が戻ってきていた。街中で特別警報がけたたましく緊急事態を訴えていた。変災だ、フィッツジェラルドが用意したとびきりのバイオハザードだ。

手榴弾なんて生温い、鳴り止まぬ筒音と絶叫が悲劇の規模を克明に証明していた。俺はこれでもかと顰めっ面をつくって、グレイゴーストを装填した。この際ベレッタの弾の浪費も惜しまない所存だった。

 

「グァアアあ!」

「…休日の野球観戦を台無しにされた恨みは深いぞ。」

 

嬉々として雄叫びを上げたゾンビどもが一目散に駆け出した。己が獲物であるという自覚は微塵もない間抜けな駆け足だ。俺は積み重なる原型の留めぬ骨身を掻き分けて路上のど真ん中に仁王立ちすると、迫り来るゾンビに向かって二梃を構えた。

 

………。

 

奇襲はおろか自宅を襲撃され、剰え有意義な時間を潰された意趣返しにゾンビを駆逐し続けること彼此数時間。餓鬼の頃に遊んだビーストバスターズにも負けず劣らずの活劇を演じて街に繰り出したは良いものの、無尽蔵に湧き出るアンデッドの大群に好い加減嫌気が差してきた。

 

ゴォオオ!酷い濁声が耳を脅かして見向きもせずに引鉄を引く。…引こうとして、スライドストップが弾切れを知らせた。舌打ちを堪えて足元からナイフホルダーに手を伸ばす。全速力のわりにイマイチな突撃をかましてくる男のゾンビの下手くそな引っ掻き攻撃を避けてから、間断なく喉元を掻っ切った。ソイツはジェンガよりも華麗に転倒して夥しい血溜まりの中で長いこと藻がいていた。

予備の弾倉がなくなったので一時的に避難せざるを得なくなった。それに無性に一服もしたかった。見渡して程良い高層ビルを発見すると、更なる追撃が襲いくる前に俺は急ぎ駆け込んだ。

 

屋上から横浜を一望すれば大混乱を収めるべく総出で奔走するポートマフィアと特務課の顔ぶれが散見された。灰色に染まる街並みは荒廃という表現が良く似合っている。いつかの大戦で一時的に棲家とした廃墟群に引けを取らぬ悲愴な様相を呈していた。

 

「フィッツジェラルドの奴、まさか本当に緊急プランを行使しやがるとは。これだからアメリカンは…」 

 

いくら異世界の横浜とはいえ、地元がこうも壊滅的に踏み荒らされて良い気分はしない。俺の中ではとっくに当分のホテル代の請求書の宛先はフランシス邸に定まっていた。新しい物件を探すのも面倒だしこの際ホテル暮らしに変えるのも有りかもしれない。  

 

パラペットの上で紫煙を燻らせながら地上を見下ろしていると、思いがけず見覚えのありすぎる軍服が目に留まった。

 

「何してんだアイツら。」

 

こんな大事に軍警から駆り出されたのだろうに、呑気にも赤ん坊をあやして巫山戯る様に呆れ返る。俺からの白眼視に勘付いた二人はこちらを見上げると、周囲の状況に似つかわしくないほど陽気に手を振った。ビルへと上がろうと一歩を踏み出す二人を目線で制して仕事に集中するように合図を返せば、二人はあたら休憩の好機を逃したとばかりの面相でゾンビ退治を再開した。

彼等の奮闘に釣られるように、三分の一まで吸った煙草を名残惜しく放り投げる。時折風に煽られながら吸い殻は猥雑な地上へと消えていった。そろそろ地上に戻るとするか。

 

二梃とも荒い使い方をした所為でガンスミスの手入れが必要になっちまったが、幸いまだ刃こぼれしてないタクティカルナイフがあった。慣れた手つきで回転させて、観客もいない屋上で降りるべきかと孤独に逡巡しているうちに、不図何か軽いものがコンクリートの床と触れ合う音がした。

目線を落としてみる。一週間程前に見たばかりの不気味な人形がチャッキーにも敵わない形相で嗤い掛けてきた。背筋が凍りそうだった。爺いを愕かせたことが余程悦に入ったのか、ケタケタと嗤うソイツを乱暴に掴み上げると余計に口角が愉悦を描きやがった。全力投球したくなる衝動を堪えて上空を見上げてみる。遥か彼方で雲に紛れて巨大な白鯨が浮かんでいるだけだった。 

 

横浜を恐慌に陥れた元凶が空から降ってくるだなんて誰が想像できただろうか。一市民としては幾何も無いうちに事態を収拾してほしいところであった。然らば善意の市民が人形を届け出るのは当然の義務なわけだが。

 

「仕方ない、渡しに行くか。」 

 

溜息を吐き、携帯を取り出そうとして新たな足音が背後で聞こえた。見返らずとも先程の二人が差し詰め職務を放り出して登ってきたことは察せられた。俺は振り向き様に笑い掛けた。

 

「丁度良かった。お前らに調べてほしいことがあるんだ…探偵社の動向をな。」

 

 

 

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