文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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ブラッディ・ハロウ・イブ 二十三〜二十六


Truco o travesura

 

十月三十一日。白く炸裂したような白雲が陽に明るい陰をつくり、鴎が歓びを全身に表して飛翔する昼下がりのこと。

空間を引き裂かんばかりの銃声が海港に響いた。

 

衣擦れの音とともに大柄な図体が床に崩れ落ちるのを見届けると、引き金に添えた指を離した。フィルムノワールを敬愛するどこぞのB級映画の刑事の如く、銃口から立ち昇る硝煙に息を吹きかければ蜃気楼のように揺らいで消えていった。

使い方が下手くそなばかりに時に鈍器にも成り得る愛銃をショルダーホルスターに戻してスタイリッシュに髪を掻き上げてみせる。頭上から子供が発するような底抜けに活発な声が降ってきた。

 

「お疲れ様、今日も格好良いね!」 

 

子供だった。目線を上げれば尾根に座り込みQが拍手をしていた。 

 

「桟橋で待ってろと言っただろ。」

「だってグレイが仕事してるの見てみたかったんだもん。良いでしょ?」

「はぁ。」 

 

床に臥す障害物を踏み越えれば、軽やかに着地したQも着いてくる。外に出れば磯の匂いを含んだ微風が鼻先を撫でて血腥さから解放してくれた。

俺は見返って腕白小僧の足元を見た。

 

「血は」

「踏んでないよ、ちゃんとグレイの足跡の上歩いた!」

「なら良し。」

 

石蹴り遊びの要領で器用な片足飛びをしながら近寄ってくると、子犬の尻尾が褒めて褒めてとちぎれそうな勢いで振られるのを幻視した。頭を撫でてやればQは嬉しそうに目を細めた。やっぱ子犬だな、なんて思いながら児童にしては栄養の足りてない華奢な身体を抱き上げてやると首を締めつけんばかりに腕を回してくる。

 

海水が打ち込み半円の波を描いては砕け散る。港町の海景に相応しい巧妙な揺れが足場を心許なくさせるが抱っこをせがむ遊び下がりの子供にとっては違うらしい。敢えて船内を一周して一通り海面を揺蕩う感覚を味わわせてやってから、俺は波止場を後にした。

 

「僕にも銃握らせてよ。」

「子供にはまだ早い。」

「良いじゃんケチ。」 

 

モノトーンに揺れる頭をぐりぐりと押してやるとジャックオーランタンが可笑しげに哄笑するような悲鳴が上がった。

コンテナ船にて一仕事を終えた俺はQと共に新たな依頼人の元へ向かっている道中だった。 

 

此処数日は特に多事多端な日々が続いている。組合の残した傷跡が街の至る所に痛ましく残っている影響か、港の復興と再建に追われるポートマフィアから流れた仕事が舞い込んできて息を吐く暇もない。殆どが汚れ仕事なのでQを連れ回るのも躊躇われるのだが、長年座敷牢に封印されていたのを慮ればどうにも留守番しろとは云いづらい。そんなわけで俺はQを伴い毎日仕事に勤しんでいた。

 

幸いにも今日は二件しか依頼を入れていない。たった今コンテナ船で麻薬取引の妨害を済ませたので残りは依頼人に会うのみだった。

 

コンテナの搬入経路を出て港を離れると入り組んだ路地裏を通り抜けていく。十分も経たぬうちに一気に視界が開けた。交易の拠点として発展した趣ある都市が誇る街の大通りはいつにも増して人出が多かった。

 

「グレイ!あそこ行きたい、あの綿菓子屋さん!」

「後でな。」

「はぁーい。」 

 

交差点を渡り歩道を進んで行く。数ブロックを通り越し高層ビルの角を曲がると、本屋の手前の標識に凭れ掛かる女が居た。 

 

「待たせたか。」

「あっ、えっと…い、いいえ。大丈夫です。私も今着いたばかりですので。」 

 

彼女は俯けていた顔を上げ、俺達を視認した途端に慌ただしく両手を交差させた。頭も尻も隠しようのない標識の後ろに周って狼狽えるあたり、相も変わらず人見知りが改善されていないようだ。

 

ルイーザ・メイ・オルコット。それが今回の依頼人の名である。

元組合の作戦参謀だった彼女とは度々フィッツジェラルドと共に顔を合わせている。声を掛けただけで俺のシャツにインクをぶち撒けるほど——寧ろ狙っているのではと疑うくらいに——引っ込み思案が激しく怯懦な性格をしている。

異能力は『若草物語』。考え事をする時に時間の流れが八千分の一になる能力、但し個室であることが条件である。彼女の秀でた情報収集力と頭脳を最大活用できる非常に好相性の異能力と謂えるだろう。

 

決して自ら歩み寄ろうとしない彼女から突然の連絡が来た時は天変地異の前触れかと驚いたが…。聞くに人探しを頼みたいが詳細は直接会ってからが好ましいとのことでこうして俺が出向いたわけだ。 

 

「その後はどうだ。」

「えっと…その、それなりに…大丈夫です。」 

 

ずれてもいない眼鏡の位置を何度も調整し、心底居住まいが悪そうに目線を彷徨わすルイーザを見詰めてみる。綺麗な伽羅色の髪に付けられたカチューシャの両端のリボンがしょんぼりと垂れる兎の耳に重なって視えた。

…人探しのお相手の予想はついている。

 

「取り敢えず話を聞こうか…とその前に丁度良いカフェがあるんだ。其処で話そう。」

「はい。」 

 

此処から徒歩で行くには時間が掛かる——レディを長々と歩かせるわけにはいかない——ので俺は道路を走る空車を呼びつけた。

 

 

一方その頃、敦と国木田は出先からの帰路に着いていた。

 

「パーティ、行けそうにないなぁ…」

「俺は元より構わん。」 

 

年に一度きりのハロウィン。彼方此方でカラフルな装飾が成された店が立ち並び、街全体が盛り上がりを見せていた。普段よりもざわめき立つ街頭、所々行き交う若者達がマントや包帯など個性的な衣装に仮装する様を敦は羨望の眼差しで見詰めていた。

 

一週間程前に壊滅的な被害を受けた横浜だが、街の復興の為にもハロウィンイベントを例年通り遂行することとなり…此処数日の葬式もかくやの澱んだ空気も心躍る夜を間近に活気を取り戻していた。

日常とはかけ離れた面妖な景色は孤児院から解放されて間もない敦に、まるで異国に訪れたかのような新鮮な心地を与えた。それもそのはず、本を読み脳裏で描写してみる以外に外界を想像する術のなかった青年にとって、初めて目の当たりにした実在する世界があらん限りの高揚を齎してくれるのは自然な心的作用である。

 

されども国木田の情のない一言に敦はがくりと肩を落とした。  

 

その日、二人が赴いたのは特務課だった。

設立時より相互扶助の関係を築く両組織、予てより依頼の授受を行なっていた為探偵社の社員が特務課に訪う機会は少なくなかった。唐突な探偵社への依頼は、しかし福沢を含め多くの社員が各々に振り分けられた仕事に出払っていた為に珍しく非番だった二人が赴くこととなったのだ。 

 

こうして街中を出歩いているうちにも、ともすれば敦の脳内に蘇るのは特務課で出会った坂口というエージェントからの依頼内容だった。

なんでも、探偵社がかつて叩いた指名手配犯のみで構成された中小組織と異国の犯罪組織が手を組み横浜で勢力を広げつつあるというではないか。彼等を検挙するべく潜入捜査官を派遣したいところだが…現在、特務課は組合戦の後始末に猫の手も借りたいほど多忙を極めていた。そこで彼等が頼りにしたのが探偵社だった。

 

行きしなよりかは新鮮味の減じた、されども好奇心に彩られた双眼が特に賑やかな人だかりを注視する。恐らくハロウィンのオブジェではないだろう瓦礫に女子高生のグループが集っていた。魔女やナース服等を若者心を擽る衣装を身に纏い、わいわいと溢れんばかりの笑顔を湛えて写真を取り合う様は年齢の特権を謳歌している。

本来ならば今頃敦も彼女らのように仮装をしてハロウィン会場で事務員と共に準備を手伝うはずだったのだが、残念ながら秋の一大イベントを楽しむ余裕は無くなってしまった。 

 

「いくら何でも今日付けは無茶振りすぎるような…」 

 

魂消たことに、特務課は依頼の完遂期限を大幅に狭めて要請してきたのだ。

百歩譲ってハロウィンパーティへの参加がなくなったのは構わないが、任務の難易度から鑑みてあまりに無理難題ではなかろうか。慥かにそういった危険と隣り合わせの仕事は荒事に強い探偵社が最適任であるだが…。

 

商店街巡りをする約束した鏡花が目に見えて落胆する姿が浮かんだ。

——ナオミさんか賢治君に鏡花ちゃんの付き添いを頼まないと。

 

「不満を垂れるな。陽が沈む前に終わらせれば間に合うだろう。」

「そんな上手くいきますかね。」

「分からん。」

「えぇ…」 

 

本来「無理だ」と断言するところを「分からん」と暈しただけでも彼なりの配慮が感じられるが、当人の胸中など露知らず、ズバリと言い捨てられた敦はわかり易く項垂れた。

国木田とて年頃の若者の楽しみが奪われるのに心が痛まないわけではない。しかしそれ以上に彼を煩わせる頭痛の種があった。

 

特務課にて、去り際に坂口が国木田にのみ告げた極秘情報がある。もはや隈か先天性の痣か見分けがつかぬ翳りを強調して坂口は語った。

 

『アンゴラの麻薬カルテル?』

『はい、手段の悪辣さはポートマフィアを凌ぎます。』 

 

グアダロアカルテル、横浜をはじめアフリカや世界各国に支部を置く大元はアンゴラの巨大犯罪組織。特にアフリカ南部に於いて強大な権威を誇示する凶悪な犯罪シンジケートの一つ。非合法でありながら政界などあらゆる業界に強い影響力を持ち、裏社会で知らぬ者はいない麻薬組織と謂う。 

それが近頃日本に新たな支部を設置し事業を展開しようと目論んでいるとの噂が租界に流布していた。そこに目をつけたのが探偵社の活躍で解散したが、再び数を増やしつつあるという横浜の犯罪組織ザアパルク。互いの利害の一致により横浜に拠点を置き活況を呈しており、その犯行は日を追うごとに過激化している。先日、ポートマフィアの傘下組織が攻撃を受けたとの報告も上がっていた。 

 

麻薬カルテルについての諸術を受けた国木田は疑問を呈した。

 

『連中が一筋縄ではいかないのは理解した。だがそれは情報収集を催促する理由にならん。』 

『ええ、事態が切迫している理由は他にあります。…嘗て南アフリカでは血の抗争と呼ばれる大規模なシンジゲート抗争がありました。』 

 

当時、異能大戦を経て分断されたアフリカでは至る所で犯罪が横行する無法地帯と成り果てていた。

法はその実効性を失い弱肉強食が常、警察や政界人が涜職し犯罪者が跳梁跋扈する世界。当然斯様な無秩序状態が続けば犯罪を大々的に行う組織が結成されるわけで…最初は小規模のギャング、勢力を増してマフィアに、そして他国への影響を及ぼすほどの犯罪シンジケートへと発展していった。

アフリカ全域が無法地帯と成り果て早一年、数多く結成された犯罪組織はアフリカでの地位を確立しようと互いを牽制していた。牽制するに留まっていたのだ。

 

『それが激化したのは十余年前、とあるマフィアの貿易港が破壊されたことによって権力抗争が勃発したのです。』 

 

組織間の戦力は拮抗し消耗線が続くこと一年、夥しい尸が積み上がったが抗争は終息に向かうどころか激烈化する一方だった。渦中のなか、膠着状態に一つの組織が講和を提案したのだ。突然の出来事だったが、終わりの視えない覇権争いに鬱念としていた各組織は厭々ながらも受け入れた。その年の十月、抗争の中で最も覇権を握るに足る有力な犯罪組織が一同に介した。

 

『しかしハロウィンの夜、何者かにより各組織の補給線が壊滅的な被害を受けたのです。』 

 

それによりたった一夜にしてアフリカ、ひいてはアンゴラを支配していた強大な犯罪シンジケートが衰微した。

 

『何者かとは妙な言いぶりだな。勢力ではないのか。』 

『あまりに突拍子もない話で今でも現地では多くの噂が語られています。一つだけ確かなのは、講和の場に厄災が舞い降りたという話です。』

『待て、まさかあの男の仕業だというんじゃないだろうな?』 

 

一つの答に行き着いた国木田は声を張り上げて吃驚した。自身に対する憐憫ともとれる坂口の首肯は長く深かった。

 

『彼が関係していると断定するには早計ですが、早急な事態の収拾が望まれます。十二分に注意して下さい。』

 

「——国木田さん?」 

 

不意に耳に入り込んできた呼び掛けに国木田の意識は現実に引き戻された。目線を落としてみれば怪訝な面持ちの敦が彼の顔色を窺っている。

 

「どうしたんですか、何か問題でもありましたか。」

「何でもない。それよりも一先ず探偵社に戻るぞ、情報を吟味して奴らのアジトを絞り込む。」

「はい、頑張ります。国木田さんがいると百人力ですぐに終わる気もしますけど。」

「たわけたことを言うな。」 

 

一言諫めた国木田に説教の気配を感じた新入社員は話頭を転じようと狼狽しだす。その傍らで国木田は再び思考に耽っていた。 

——組合の次は麻薬カルテルか…どうして次から次へと厄介事が舞い込んでくるのだ。

寄せては返す漣の齎される輪郭のない魔の手を幻視して、国木田は今日一番の長嘆息を漏らした。

 

信号待ちをする二人の後方で、既に災難は降り掛かっていることに気付かぬ背中を嘲笑うように、路上に飾られた魔女の置物がケタケタと不気味に嗤っていた。

 

 

 

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