文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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凶星が歩む

 

 

堪えるような寒さ列島全域に到来していたが、横浜市営地下鉄周辺に染み渡る空気感に閑寂の二文字は含まれていなかった。

地下鉄への道中、食欲を唆る食べ物の匂いや客引きの魅力的な誘い文句に行き交う人々が並立つ屋台を覗き込む。冬の風物詩のクリスマスマーケットは今年も例に漏れず繁盛していた。

 

「来年度の手帳を見て行きませんかー?」

「いらっしゃい!期間限定の綿菓子を是非!」

「そこのお兄さん!素敵な花を一輪、気になる女性にプレゼントしませんか?」 

 

古代ローマ発祥のホットワインやスイスのラクレット、工芸品の手作りイベントから衣服に日用品の販売まで、多種多様な店屋が自慢の商品を持ち込み並び合う光景は差し詰めドイツのシュトゥットガルトだ。客と露店が広場にぎゅっと凝縮され、昼のネオンに包まれながら犇めき合う笑い声が瑰麗を極めている。休憩中のサラリーマンまでもが一度(ひとたび)は立ち止まる歓楽の場に、しかし目を呉れることなく一路に素通りする男がいた。

 

「列車の到着まで残り五分十三秒、今日も計画通りだ。」 

 

スクエア型の眼鏡に襟足だけ伸ばした木蘭色の髪と色合いをそろえたベストとスラックスは皺一つ見当たらず男の几帳面さを表している。彼は服装に一糸の乱れもなく地下鉄の改札を通り抜けると無駄に洗練された動作で裾を捲った。腕時計の分針ではなく秒針を確認して、上機嫌な音色で独言した。

ポケットから着信音が鳴る。

 

「何だ太宰、言っておくが今日という今日は貴様の邪魔だてに乗せられんぞ。」

『邪魔するだなんてとんでもない!私は国木田君にお客様がいらしたのを伝えたいだけだよ。』 

 

理想を愛し、理想を追い求め、理想に生きる、その漢の名は国木田独歩。

探偵社の次期社長として社の運営の一端を担う人物。すべきことをすべきを座右の銘にあげる理想主義者であり同格の現実主義者。そして秒単位の綿密な予定を立て寸秒たりとも狂わず遂行する完璧主義者でもあった。尤も、その完璧主義は悪戯主犯格太宰を含めた彼の同僚が理想の障碍とならなければの話であるが。善く云えば実直、悪く云えば堅物の国木田を揶揄い半分に妨害することは探偵社ではしばしばある事である。 

 

今日も今日とて数々の邪魔立てを流水の如くしなやかに受け流し順調に予定を実行していた国木田であったが、ここにきて又もや理想の瓦解の危機に直面していた。

太宰の言葉に国木田は手帳を捲るが来客の二文字は予定にない。 

 

「客人だと?」 

『ああ。国木田君の敬愛する手帳職人、カ』

「巨匠マスターカーライルが!?」 

 

近年随一な歓喜が双眸に燦爛と煌めいた。周囲から寄せられる傍迷惑な視線など気にも留めないほどに鼻息荒く雀躍する国木田の気配を電話越しに感知した太宰はほくそ笑んだ。 

 

『君が手帳を愛用してくれていることを知って態々足を運んでくれたのだよ。』

「何だと!す、直ぐに戻る。丁重におもてなしを…」

『間も無く列車がまいります。』 

——するように。

 

一文を云い切る前にアナウンスが遮った。国木田は氷室に投げ込まれた岩のように固まった。 

 

「おのれ太宰!」 

 

理想か、巨匠か。どちらを選択しても幸福かつ後悔を残す悪魔の如き所業に腹の底から湧き出た怨恨。背後に修羅を顕現する国木田に近くのベンチに掛けていた男が腰を抜かした。 

 

『扉が開きます。ご注意ください。』 

 

もはや毅然たる態度を貫く余裕などなかった。国木田は言葉にならぬ悲鳴にも似た呻き声を絞り出した。 

 

「巨匠に、俺が敬愛してると伝えてくれ!」 

 

…電車に乗り込んだ国木田は俯き加減の顔をつともたげた。第六感によるものだった。

ホームのエスカレーターの乗降場付近に三人の利用者が屯している。

 

フードを深く被った黒パーカーの男を、ポンチョを羽織った短髪の少女とモノトーンの髪型に黄色のストールを纏う少年が見上げている。家族連れにしては珍妙な顔ぶれだ。車内から会話を聞き取ることはできないが、国木田は男が旅行鞄を子供達に手渡すのを確と捉えた。嫌な予感がした。立ち所に国木田の脳内に今朝の会議での報告が想起される。谷崎が書類を手に紡いだ警察からの注意喚起が。 

——爆弾入り旅行鞄を通行人に渡す無差別爆弾魔が…

 

『扉が閉まります。』

 

瞬間、国木田は車輌を飛び出した。 

 

「ちょっと!」

「あ、僕の鞄!」 

 

迫る国木田に気付いた男は少年を突き飛ばすと人混みの中へと消えていく。予感が的中したこと、意想外の男の小賢しさに盛大な舌打ちをしつつも、国木田は少女の手から旅行鞄を奪い取ると大急ぎで地上へと向かった。

 

一ミリ秒も減速せずに走行中に器用に鞄を開ければ果然、筒状の時限爆弾が物騒な形状を露わにした。また舌打ちが呼吸さながらに当然に漏れた。

周囲の混乱を置き去りにして瞬く間に地上階に昇ると改札を飛び越す。君、止まりなさい!制止を掛けんとする駅員も無視して通行人を押し除けて駅を出る。そして全力投球で駅沿いを流れる川へと鞄を放り投げた。 

 

ドォッン!噴き上がる水飛沫、爆風を懸命に抑圧する水面、突然の轟音に上がる人々の悲鳴。

やがて振動が収まり、危険の有無を改めた国木田は各所に連絡を入れ始めた。なんやかんやで理想は叶わなかった。

 

………。

 

それから二時間は経過した。無賃乗車と誤解して追ってきた駅員に身分を打ち明け事情を説明し、程なくして駆けつけた警察に同様の話を仔細に伝え、現場検証と事情聴取を行った。直ぐ近辺で開催されるクリスマスマーケットの参加者らから突き刺さる。傍迷惑な目線が肌寒さと同じくらい痛かった。

供述に辻褄が合うように何度も何度も同じ話を——それこそ呆けた老婆の世間話にも負けず劣らずの頻度で——繰り返し、ようやっと捜査を委任できる状態になったときには国木田はしなびた葉物野菜のようになっていた。

 

予定が崩れたことで一日の計画が台無しになり、今すぐにでも自宅に帰って布団で不貞寝をしたい心境だったが生憎やることは無限に残されていた。

 

「この僕を騙すなんて!」

「あのスカポンタン絶対ぶっ飛ばす!」 

 

開口一番語勢を荒げて悪態をつく少年少女に国木田は拍子抜けした。善意で預かった旅行鞄が爆弾入りだったなど年端も行かぬ少年少女には酷な体験だ。依然として先の階段に蹲り拳を震わせるのもやむなしだと慰めてやろうと歩み寄った途端、バネのように跳ね起きて怒り心頭と叫び散らかす様図太い活力に国木田は脱力した。脱帽ともいう。 

 

「今すぐ見つけ出してコロしてやる…」

「ウチがトドメさしたるわ!」

「待て待て待て!」 

 

物騒な台詞とともに覇気良く行進しようとする二人の首根っこを掴む。 

 

「駄目だ。俺には仕事があるしお前達はれっきとした被害者。あとは警察に任せろ。」

「何それ、つまんな。」

「正論とか時代遅れ。」

「何だと?」 

 

これが噂に聞くクソ餓鬼とやらか。

顳顬に青筋を漲らす国木田は端から眼中にないといったふうに真の正義の味方だの空手の達人だのと子供達は騒ぎ立てる。生憎犯人には逃げられてしまったが、顔を目撃している二人ならば警察のモンタージュ写真による捜査で直ぐに居場所を割り当てられるというのに…己だけが気苦労が絶えないと嘆くのは軟弱だろうか。

国木田は長嘆息を吐くことで焦慮を沈めた。子供相手に血を昇らせるのは大人気がないではないか。無駄な労力を消費するのはこちらだというのに。何より己が敬慕する社長ならば問答無用で危機感の薄い子供達を窘め保護するに決っている。 

 

「異能力を使えばあんな愚図!」

「ぶちかましたれ!」

「駄目なものは駄目だ…待て。」 

 

聞く耳を持たない子供二人を辛抱強く教え諭そうとして国木田ははたと言葉を止める。何やら聞き捨てならない単語が聞こえた。 

 

「今なんて言った。」

「え?ぶちかましたれ。」

「違うそこのお前だ。」

「あんな愚図」

「もっと前」

「異能力を使」

「それだ。…小僧、お前名前は。」 

 

所々綿の漏れ出た薄気味悪い人形に星と丸を浮かべた眸。その容貌に身に憶えがあるのは思い過ごしではない。国木田の額を嫌な汗が伝う。 

少年はきょとりと人形のように愛らしく首を傾げると口を窄めた。 

 

「人に名前を聞くのなら自分からって習わなかったの?まあいいや。僕の名前は夢野久作。気軽にQって呼んでね探偵社のお兄さん!」

「ウチは(あや)、よろしゅう!」 

 

寸秒。 

言葉にならない絶叫がホーム内に反響した。  

クリスマス間近の横浜の街で、小さな凶星は眩ゆさに四肢が吹き飛ばされそうなくらに輝こうとしていた。 

 

 

 

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