文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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黒星の奇書

 

 

「それにしても一体何が目的なんでしょうね、グレイ。」 

 

探偵社員の殆どが昼食に出払う昼下がり、電話番に残った谷崎が何となしに呟いた疑問に和やかな空流が滞った。探偵社や特務課といった表世界の番人の間では勿論、マフィアが棲息する伏魔殿においても男の名は、恰も名前を言ってはいけないあの人と同様に禁句であった。

二人掛けソファで寛ぎ窓辺に差し込む陽光に微睡んでいた太宰は、目隠し代わりの本の下でくぐもった声を出した。 

 

「さあ、あの男の陰謀が判る者がいるとすればそれは神くらいだろうね。」 

 

あるいは万物を見通すと謂われるあの人物ならば。

先刻、国木田に悪意の鬼電を掛けた張本人とは思えぬ気怠げな姿態に谷崎はもの問いたげに首を捻った。社長室の手前のマッサージチェアで駄菓子を激選していた江戸川が面白可笑しそうに白い歯を零した。 

 

「太宰が弱ってるなんて珍しい、写真撮って社長に送っとこ。」

「え、弱ってる?」

「乱歩さん、それはちょっと勘弁してください。」 

 

谷崎は目をぱちくりとさせて太宰を改めるが、ぐうたらな男は彼と五分五分の先輩社員と軽口を叩き合っている。いつかネットで観た、自分の寝床のみならず仲間の棲家をも占領する太々しいトドさながらの遠慮知らずの五体の緩和ぶりである。

困惑から抜け出せぬ谷崎とあっさりと興冷めした江戸川を他所に太宰の脳内では先日の病院での一幕が、瞬きや呼吸といった生理現象のように回顧された。

 

——そう言うお前こそ俺に憧憬を抱いてるんじゃないのか。 

一瞬、ほんの一瞬だが男の無機質な瞳の奥に嘗ての己が反射したような気がした。最も深く昏い悪夢に彷徨っていた時代を。

甚だしく不快で忌まわしい生臭い鉄の臭い、腐敗したスカンクもかくやの薬物の匂い、病んだ娼婦のアルコールと煙草が入り混じった咽ぶような臭気…それら黒歴史の遍くが一度(ひとたび)グレイを面前にするだけで、まるで金木犀のように封印しようとしても閉じ込められぬ記憶を刺激してメランコリーが起こるのだ。いつか死の瀬戸際に救済を説き自身を光側へと導いた亡友、織田作之助に出会う以前の自分に。するとどうにも手を差し伸べる素振りをした厄災が己の苦しみを分かち合ってくれるような錯覚を抱いて堪らない気持ちになった。 

 

——お前が強く望むなら…いつでも扉は開いてる。

そうだ。その気になれば魔人だろうが天使だろうが抱擁して、庭師が花を愛でるように慈しむ。男の言動が仮初であると判っていても「私は愛されている。大切にされ、求められているのだ。」と著しく違えた陶酔をさせてしまう、それがグレイの恐ろしさであり、あの台詞に太宰は初めてグレイに対する自身の感情を理解したのだった。

 

憧憬。

使われてみたい、魔神にかくも不祥な己の自意識を奪われ只々道具として使われることは救済に値するのだろうかと。麻薬を過剰摂取した薬物依存症患者のように。

これでは内懐で自身と同じく彼に畏敬を抱く中原を嗤笑する道理がなくなってしまう、太宰は思考を打ち消すように首を振った。もうあの眼を見なければ良いのだ。あれはメデューサの魅惑の眼だ。 

精神を千々に掻き乱されることをグレイは見越していたに相違ない。こうまでしてたった一言に錯綜を強いられるとは…。 

 

「あーあーあー!」

「え、ぇえ…」 

 

矢庭に奇行に走るそれは矢張り普段と相変わらず。谷崎は訝しげに目線で江戸川の真意を問うた。 

 

「何れにせよ敦君を誑かしマフィアからQを奪った男だ、何かを目論んでいるのは間違いない。」

「でもあのQをコントロール出来るんですかね、善悪の見境もない子供ですよ。」

「どうかな。ある意味あれでポートマフィアは難を逃れたかもしれないよ。」

「…どういうことですか?」

 

Qによりポートマフィアは二度大痛手を被ることとなった。太宰が最年少幹部時代に起きたマフィア構成員の集団錯乱、そして今回は組合の謀略により横浜中が狂乱に陥ることとなった。どちらの事件もマフィア側の被害は計り知れない。Qに対する処刑の大声も挙がる中、首領の森とて問題児を組織に繋ぎ留めれば不穏分子による反乱は免れなかっただろう。剰え放っておけば何をしでかすか予測がつかぬ時限爆弾のようなものなのだ。 

 

「真の闇より無闇が怖いというもの。あれでいて秩序を最良とする森さんよりも、破壊の上の淘汰を是とするグレイのような魔神がQみたいな悪鬼には必要だったのさ。」

「確かにそうかもしれませんね。」

 

僅かの間があった。 

 

「それにしてもQを味方につけたら彼に叶う相手なんていなくなっちゃいますね。」

「三人。」

「え?」

「Qを除いて、グレイには少なくとも三人の手駒がいる。」

「それ聞いたことある。」

「え?」 

 

都市伝説の出所はどこからか、裏社会では無彩三人衆と呼ばれる謎に包まれた側近が存在すると謂れている。グレイが望めば世界の何処にいようとも馳せ参じる股掌の臣。無色透明な彼等はカメレオンのように社会に溶け込み諜報活動を行っているという。名前も性別も年齢も詳細な情報は何一つ解明されていないが、彼等が一堂に介したのを目の当たりにしたにも関わらず奇跡的にも命からがら生還できた者が語ったことにより風聞は広まったとされる。

 

「二人は判ったけど最後の一人はまだ微妙。」

「流石乱歩さん。因みに誰ですか。」

「んー、言っても良いけど言ったら君たち、多分カチコミに行くからやっぱ秘密。」

「いやしませんよそんなこと。」 

 

謂うなれば百獣の王の群れに武器も持たずに全裸で猪突猛進するようなもの。一体どれ程の恐れ知らずであれば彼のグレイが選りすぐった俊秀暗殺集団を相手取ろうというのか。しかし江戸川は既にキャンディ棒を口に含んで携帯ゲームに熱中していた。こうなっては梃子でも口を割らない江戸川の性格を知悉する二人は諦めた。 

 

「その無彩三人衆っていう人達はやっぱり強いんですかね。」

「そりゃあ勿論。だってグレイが直々に選んだ部下だよ?彼等が集う時は歴史を揺るがす事変が起こると言われている。私も実際に目にしたことはないけどね。」

「そ、そんな怪物的な…」

「まあ私が知る限りでは過去に二度しか聞いたことがないからそう危惧する必要はないと思うよ。」

「今全員日本に居るけど。」

 

キャンディを味わっていた江戸川が訂正した。

 

「………。」 

 

静寂が降り落ちた。

直後、谷崎の悲鳴に青筋を立てたルーシーが苦情を申し立てに探偵社に突入した。忽ち賑やかになる社内で江戸川が含み笑いを浮かべたことに気付いた者は一人としていなかった。

 

 

地下鉄のトンネル内を二人分の陰影が揺らめきながら進んでいる。一定間隔に設置された灯具に幽かに照らされる線路を歩き続けて彼此暫くが経過していた。

 

「いつから俺の理想は狂い始めた…」 

 

——なんか白けるわー。 

漫画のような効果線が視えそうな程に瘴気を纏わせる国木田に文は己の探偵社への好感が地に堕ちてゆくのを感じた。 

 

半刻前、あわや己らを爆散させようと目論んだ卑劣な男に一矢報いようと文とQは奮起した。すかさず引き留めんとした国木田を巧みに振り払い駆け出した子供達は持ち前の素早さと小柄な体躯で人混みを縫いあっという間に線路へと飛び込んでしまった。国木田も先の爆発で集まった野次馬を掻き分けて追駆したものの双方の距離は遠ざかるばかり。

ようやっとのことで線路を忍び行く人影へと追いついた彼は肝心のもう一人が居ないことに気付いた。聞くに、二人掛かりで爆弾魔を捜索するには茫洋なトンネルなので手分けして探そうというQの提案に乗ったのだそう。惜しくも国木田が追いついた頃にはQは下り線路の遥か彼方に消えてしまったという次第である。  

 

人生は自分の選択次第で変わると云うが、如何なるときも掲げる理想に誠実に生きてきた己が不幸続きであるのは何故か。否、一周回って学齢の少年少女に振り回され地下鉄のトンネルを散策することが巡り巡って最速最良で理想を成し遂げられる、自身が見逃した選択肢なのかもしれない。そう自得させずにはいられぬ程度には彼は参っていた。 

されども何分国木田は探偵社員、それも次期社長である。頓珍漢な状況下にあっても問題解決を目指して早々に諦めない剛毅な男だ。 

 

「おい、文といったな。Qとは親しい間柄か。」

「何やねん急に。アンタほんまに探偵社なん?」

「五月蝿い。社員証ならある、必要ならば社長の印が押された…」

「やっぱええわ。よぉく分かったから。」

 

冗長になりそうな気配に文は迷惑極まりないといった面相で遮った。 

 

「Qちゃんとは今朝会ったばっかやねん。駅前でぽつんって独り立っとったから声掛けたら迷子って言いおって…しゃあないからウチが面倒見たっててん。」

「そうか。」 

——先ずは少女がQ、延いてはグレイとの関係性がないことを確認できればそれで十分。

 

Qが独り街中にいたことも、このまま線路を直進することで彼が先に犯人と遭遇する可能性も、懸念を挙げ出せばキリがないが異能を持たぬ少女を捨て置き爆弾魔とQの双方を探す選択肢など国木田にはなかった。糅てて加えて組合戦の後、探偵社員は福沢からポートマフィアとグレイとの衝突を控えるよう通達されていた。グレイの支配下にある以上無益な殺生はしないという社長の言葉を信じ、Qが常民に異能を行使しないことを信じるほかない。無論、混沌の擬人化のような少年を野放しにする気も毛頭ないが優先すべきは少女の保護と爆弾魔の確保であった。

 

国木田はふと立ち止まった。

 

「アンタ絶対モテへんやろ。」

「五月蝿い後でにしろ。」 

 

出会い頭より失礼な放言を繰り返す少女を一蹴すると線路の一点をを熟視する。 

レールに隣接して設置された六つの筒とリード線で繋がれた時計、振動感知式爆弾。五十五デシベル以上の振動への反応に加えいかなる方法で解体しても妨害を察知し即爆発する高性能爆弾が蛍光灯の位置に合わせて等間隔に並べられている。軌条の上を列車が通れば車体の破損に留まらず、列車は脱線し数百を超える乗客が死傷するのは明白だ。 

 

「まさか」 

 

爆弾と手口に思い当たる節があった。憶測が正しければこの爆弾には解除用の無線装置がある筈…視線を巡らせようとした時。 

耳朶に触れた、絹の擦れるような物音に国木田は振り返る。 

 

「文?」 

 

間近に居たはずの文が幻の如く暗がりに消えた。幽霊などではない、今さっき転けかけた腕を引いた時に国木田は人の温もりに触れたのだ。

手帳でデザートイーグルを顕現すると忍足で踏み出す。一歩、また一歩と移動してトンネル内に設けられた唯一の非常口を通過したところで立止まった。否、立止まざるを得なかった。 

 

「銃を捨ててください。」 

 

線路の中心、蛍光灯に反射する眼鏡に映ったのはレールに取り付けられたものと同種の爆弾を首からぶら下げた文。屈託のない笑顔はすっかり鳴りを顰め、少女は歯をカチカチと鳴らし恐怖に震えていた。 

 

「銃を捨ててください。」 

 

後方から放たれた警告に国木田は大人しく銃を投げ捨てる。両手を上げれば誹りを笑窪に乗せた。

 

「それで良い。それでこそ国木田さんだ…!」 

 

何かが空気を切る音がした。刹那、頭部への強い衝撃に国木田は意識を喪った。

 

 

一方その頃、文と分かれたQは爆弾魔を探すべく地下鉄の反対方面を前進していた。 

 

「なんだか遠くまで来ちゃったな。」 

 

土竜の洞穴に迷い込んだ心地に冒険家気取りで最初こそ小鳥が踊るような足取りで進んでいたものの、変わり映えのない景色に次第に足取りが重くなった。果てしなく続く殺風景に時が止まったかのような感覚にさえ陥っていた。  

蛍光灯だけでは心許ない道のりに、段々と心細さを感じて囁いた保護者の名は虚しくも冷気に吹き飛ばされてしまった。 

 

「今頃怒ってるかな…っくしゅ」 

 

肺が凍ってしまいそうな程寒冷なトンネルに半刻以上もいたことで冷え切ってしまった体を摩る。元より白い肌は血管が通っていないような蒼白加減になっていた。 

 

この日、Qはグレイと一緒に横浜駅近辺のショッピングモールに出掛けていた。

 

目近に迫るクリスマスに向けて凡ゆる商業店が奮って催しを開いて集客するので施設内には購買意欲を掻き立てられた利用者が大勢集っていた。ショーウィンドウに陳列するバリエーション溢れる季節の商品、活気溢れる港町。座敷牢に軟禁されてきた少年が行楽客で賑わう新鮮な光景に心を躍らせたのは必然の流れ。

混雑した館内でグレイと逸れぬよう気を配る余裕などなく…メンズファッションの階層に至ってガラス越しに見かけた商品にQは保護者に声を掛けることなく足を止めた。

 

銃と剣が交差するモチーフのネクタイピン。まるでグレイをイメージして造られたかのデザインにQは瞳を輝かせて入店し——年端もいかない子供の来店に戸惑う店員を差し置き——グレイから与えられたお小遣いでネクタイピンを購入。有頂天に別の店に入ると次々と金を落としていった。 

一頻り店舗を巡り満足した彼は丁寧にラッピングされ、リボンを添えられた袋をご機嫌に抱えて暫くの後に肝心の保護者が居ないことに気付いた。

 

休日の家族連れで賑わう広い敷地をグレイを探して歩き回るが見つからないまま時間だけが過ぎてゆく。以前鏡花から迷子センターという施設についてを聞かされたこともあり、迷子のグレイをアナウンスしてもらうべきかと悩んでいたところに同じくショッピングモールを回遊していた文に声掛けられ……そして現在に至る。

 

「うわぁっ!」 

 

突然何かに足を取られてQは顔面から転けた。 

 

「痛ったぁ…もうっ、誰だよこんな場所に爆弾仕掛けたの!」 

 

己を躓かせた爆弾が地下鉄のレールに設置されている違和感には至らず元マフィア所属の少年は地団駄を踏む。砂利塗れの血の滲む膝と額を払って、俄に刺々しく掠れた声が放たれた。 

 

「あ?んでこんなとこに餓鬼がいんだよ」 

 

蛍光灯を後光に前方から近づく人影があった。

徐々に距離が縮まり逆光が収まると、Qの目の前で立ち止まった男を見上げた。紺色の作業服に蛍光ベストを身につけたトンネルの作業員の格好をしているが、闇社会で生まれ育ったQにはその者が現場の人間でないことは嗅ぎ分けられた。

 

「お兄さんが爆弾魔?」 

 

Qの問いに男は瞠目する。無言の肯定が悪鬼に合図を与えた。 

 

「じゃあ、お兄さんが僕を傷つけたんだね。」 

 

口裂け女もかくやと口端が吊り上がる。華奢な腕に抱き抱えられる人形がケタケタと歓呼した。

 

 

 

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