青年の名は桂正作。彼こそが二年前に高校の校舎に爆弾を設置し国木田に捕縛された此度の連続無差別爆弾事件の犯人だった。
強くあれ、逆境に折れるな…取調室で国木田が語った理想、それは平然と弱者を切り捨てる生まれながらの強者故の無責任な発言…というのが桂の主張である。望まない環境を甘んじて受け入れるしかない怯者を自己責任の一言で一蹴した国木田を彼は許すことができなかった。実際のところ、国木田は犯罪を犯した桂に対し弱者であることを逃げ口上にするなと一喝しただけだが。
つまるところ動機は逆恨みである。寧ろ国木田は弱きを助け強きを挫く任侠道に富んだ男だ。しかしルサンチマン思想(不遇を肯定できず自身より優れた強者に負の感情の矛先を向ける価値転換)に染まった卑屈な青年には、国木田の厳しくも人情味のある指導は響かなかった。
「弱い人間が望んで弱いと思うのか!」
「国木田ぁ!」
鈍い音が連続する。
鉄棒を振り翳し何度も何度も癇癪を起こした子供のように桂は国木田をタコ殴りにする。暴行を無抵抗に受け入れる国木田に後ろ手に拘束された人質は悲痛な叫びを上げた。
一頻り殴り荒んだ心を充足させた弱者は満身創痍の国木田を捨て置き自身のパソコンを注目した。
爆弾の起動予定時間まで残り三分、正常に起爆すれば死傷者が数百を超える大惨事となる。己の手の届く範囲で人を死なせた国木田は矜持を傷つけられ、彼が居場所を置く探偵社も世間からの信頼が失墜する羽目に陥る。果たしてその時彼等は国木田を見捨てるのか或いは糾弾、許容するのか。何れになろうと桂にとっては愉悦が待ち受けていた。犠牲者など死人に口なし。それもこれも爆発を享受するしかなかった弱者に対して国木田のような施せる側の人間が目配りをしなかった所為で無惨に死に果てるのだから、犠牲者が恨むべきは己ではなく国木田だ。
「確かにお前の云う通りだ。声なき弱者を切り捨てる世界などあってはならない。」
「…流石は探偵社。まだ意識を保ってられたんですね。」
「手帳の八十九頁を見てみろ。」
もうすぐそこに迫っている大惨事を想像し陰険な笑みを浮かべる桂は油断していた。
「…音響手榴弾?」
『独歩吟客』手帳に書いたものを具現化する異能。頁を消費する代わりに一度記憶したものは破壊されても復元できる、汎用性に優れた能力だ。
桂がそれを読み上げた時には異能は発動されていた。
突如として手帳から放出された閃光に視界を奪われた桂は両目を覆う。
「遠隔で具現化を…!ぐぁッ」
手帳を奪えば異能力を封じられる、その誤算が命運を分けたのだった。
形勢は忽ち逆転した。身動きの取れない桂の腕を掴み取り、内々に拘束を外した国木田は師匠直伝の投げ技を決めた——
………。
「無事か文!」
鼓膜を揺さぶる反響音が収まると、即座に手帳を奪い返し手錠を具現した国木田は桂を拘束すると痛む節々を抑え文へと駆け寄る。
「ウチはええからはよ爆弾を!」
「っくく、ククク」
突として、お縄にされた桂が密やかな薄笑いを洩らした。無防備に打ちつけたことで痛む筈の体を小刻みに震わせ、
トンネル内の気温の所為ではない薄寒さが危機を逃れたばかりの二人を襲う。只ならぬ空気感に国木田がパソコンを操作してみる。そして、絶句した。
「そうです、僕が彼女に取り付けた爆弾の起爆ボタンとトンネルに設置した爆弾の停止信号は同じ周波数で設定されている。…保険はそれだけじゃない。僕はこんな事もあろうかと助っ人を呼んでいたんだ。」
そう、強者を虐げることに執着していた男は計画が中途で頓挫せぬよう保険を掛けていた。念には念を、桂は己が国木田に圧せられる事態を想定して同業者を一人雇っていたのだ。
「くはは!大掛かりな作業になるからと人を雇った甲斐があった。」
血相を変えて懸命に文の爆弾を外そうと試みる国木田を桂は嘲る。
「無理に外せば爆発しますよ。列車の乗客と少女、両方の命を救う停止釦はもう一人の方にあります。」
残り三分未満、果たして貴方が一キロ先まで辿り着けるのか。
圧倒的窮地、膝を突き死に怯える少女の前で虚脱感に崩れ落ちる国木田を思いの限りに蔑む未来を桂は求めていた。そのうち奸計の共犯者がこちらにやってくるのを秘して、勝利を確信した男は得も言われぬ喜びに浸っていた。
さりとて世界滅亡の危機に瀕そうが不撓不屈の精神を貫くのが探偵社である。
「文、お前は此処に居ろ。必ず助ける。」
「国木田…」
頭頂に触れる大きな手、その目差しは荒野に凛乎と咲く一輪のリンドウの如く…。
泣きそうになった少女は唇を食い縛って熱くなった目頭を強引に拭った。
「ええよ、待ってるから。絶対にコイツらギャフンと言わせたって。」
それ以上の言葉は要らなかった。
国木田は果てしなく続く暗がりへと大きな一歩を踏み出した。否、駆けようとして蹈鞴を踏むようにして踏み止まった。彼の異変に気付いた文と桂も怪訝な面持ちで前方を見据えてみる。
*
今日に至るまでに幾度となく下検分を繰り返した下りトンネルは異様に曇っているように感じられた。恰も観客に来る上演を夢想させる暗転緞帳のように。
ブブ…ピインピイン。蛍光灯が瞬きする。地下鉄に吹くはずのない木枯らしが疾風の如く吹き荒れた。一刹那のことだ。
ブォン。
不意に風が吹き止み仄灯りが消える。
長夜が辺りを押し包む。星を失くした宇宙にでもいる気分だ。真っ暗闇の彼方に暗紫の光を帯びた不気味な塊が浮遊している。
未知との遭遇だ…!バクバクと激しく波打つ心臓が玉のような汗を噴出させるが拭う余裕などなかった。己の動悸に合わせてじわりじわりと塊が迫り来る。
愈々邂逅するのかと身構えて…遂に目前まで接近したソレに風船のように緊張が萎んでいくのを感じた。塊だと思っていたそれは自身が数刻前に言葉を交わした男だった。作業員を装ったヘルメットに取り付けたヘッドライトが暗闇の所為で逆光のようになっていただけなのだと。
「な、なんだ。驚かすな、よ…」
身体が衷心から跳ね上った。
俯けた面を上げた男には眼球がなかった。どろりとした赤黒く粘着質な液体を空洞から垂れ流して、共犯者だったモノは生首をくるりと回転させる。
三十、七十五、百八十度、そして三百六十度に至った時。
彼は大きく痙攣したかと思えば、己の足許にごろりと重たい頭蓋を転がした。
「——!」
*
出し抜けに喉を潰す勢いで絶叫を上げだした桂に国木田と文は言葉を失っていた。
両の目から鼻血のように血液を流出させ、半狂乱になって喚き散らす異様な光景に、しかし国木田は思い当たる節があった。それは彼の記憶に新しい精神錯乱の異能による症状。
「やーっと辿り着いたぁ!」
桂よりは寡黙なものの血を流す瞳孔の焦点は合わず「あぁ、ゥ…ぃっヒ?」と妖怪じみた奇行を犯す男を引き連れて、ようやっとのことで舞い戻ったQは喜色満面に手を叩いた。鉄道の作業着を着ていることから悪鬼の餌食にされた者の正体は容易に察せられた。また同時に不吉な胸騒ぎが的中したことに安堵よりも冷や汗を滲ませる国木田だったが、爆発までのタイムリミットが刻一刻と迫っていることに調子を取り直した。
「おいっ、爆弾の停止釦は…!」
「ボタン?ああ、これのこと?」
小さく愛らしい手がポケットを弄ると赤いスイッチの付いた小さな箱型機器が現れる。引き攣った頬を弛ませた国木田が停止釦に腕を伸ばす。だが、Qは詰め寄る国木田から逃げるように数歩飛び退いた。
「渡してもあげても良いけど先にこの人達にトドメを刺さないと。この僕を傷つけて簡単に許されようなんて、虫がよすぎるよね。」
本来子供が滲ませるべき恐怖や怒気を欠片も出さず、酷く冷淡な眼差しが道端の吸い殻を見るように爆弾魔を睥睨した。そこはかとなく誰かに似ている雰囲気に国木田は愕然とした。この親にしてこの子あり、である。
「もう十分苦しんでるだろう。これ以上の成敗は誰の益にもならん。」
「んー、少なくとも僕は気分が良いかな。」
「人の命とはあまねく活動と自由の本源にあり皆平等に尊いものだ。罪人となったこの者達は正しく法の下で罪を定められ、そして裁かれる。そうしてはじめて罪人は罰を受け贖罪への道を切り開く。」
「難しくて分かんない。」
「こいつらはお前の異能ではなく法の元で裁く。良いから早く釦を寄越すんだ。」
依然として叫喚し続ける犯人らを冷眼視し、Qは破れた人形を握り込んでいる。国木田の言葉を吟味するというよりかは生殺与奪の権限を手放すのが名残惜しいといった気配だ。渋るQと諭す国木田、二人の傍らで文は事の成り行きを心許なげに見守っていた。
切迫した状況下、コンマ一秒すら惜しい国木田が懐に手を差し込む。斯くなる上はと、手帳から武器を顕現しようとした。
「ま、良いや。あんまりやり過ぎるなってグレイにこの前怒られたばっかだし。」
「ヒュッ…かハッ!」
「うわァあァア、ア!?」
思い掛けずQはあっさりと異能を解除した。
正気に返り脱力する桂達を打ち遣って、Qが差し伸べる機器に国木田は手を伸ばした。
…彼等は逆恨みの執念を舐めていた。
「くそぉ!」
「よせッ!」
自暴自棄になった桂がパソコンへと這い寄る。数センチ及ばず国木田が停止釦を押すよりも文の爆弾の起動信号が送られる方が寸秒早かった。
「国木田ぁっ!」
「文!」
国木田はQを力の限り遠くへ突き飛ばすと文を覆うように抱き締める。
転瞬、重々しい轟きとともに熱風が弾けた。
大地が丸ごと崩れ落ちてきそうな地響き、穴という穴から入り込み内臓までをも曇らせてしまいそうな土埃が充満する。
数分後、立ち所に晴れゆく煙に平衡感覚を取り戻した桂は爆散した現場を幻視して下卑た面相で嗤った。
「それが貴方の理想の終焉か…」
ところが開けた視界が映し出した現実は彼の希望とは異なっていた。一瞬ばかり幻視した黒焦げとなった欠損死体はおろか、肉塊すらトンネルには転がってなかった。
「なっ、そんな馬鹿な!」
衣類こそ無惨なまでに切り裂かれ破けているものの、国木田達は損傷一つない肉体で威風堂々と立ち構えていた。狼狽よりも口を開けて呆れ果てる桂を国木田は毅然と見下ろした。
「俺のことを調べたのならば探偵社についても調べるべきだったな。探偵社では重症は無傷と同じだ。」
「まったく、音響弾の音に駆けつけてみれば…」
高らかにヒールの靴音を鳴らして与謝野晶子が物陰から正体を現す。濡羽色の艶やかな髪が物憂げに靡いた。
『君死給勿』は如何なる外傷も治癒できる希少な治癒能力だ。但し、対象が瀕死の重症であることが条件となる。爆発直後、国木田達の元へと急行した与謝野により国木田と文、そして惜しくも爆発に巻き込まれたQは瀕死の重症を瞬く間に治癒されたのだ。
与謝野の背後から続々と現れた機動隊に桂と共犯者は連行された。理想に臨み現実を生きる男の機転の利いた大立ち回りを前に完膚なきまでの敗北を喫した桂の面貌は、どこかしら穏やかだった。
………。
一同は駆け付けた警察に現場を委任して駅前広場に移動した。
「すみません与謝野さん。ご迷惑をお掛けしました。」
「礼なんて要らないよ。にしてもとんだ厄年だねぇ。」
「まったくです。」
国木田の謝意に苦々しい微笑をしてみせた与謝野は次いで梅紫の奇麗な瞳を両隣の童子へと移した。
「なあQちゃんも異能力者やったん?どんな能力なん?」
「んーとね、頭がくるくるぱーになるやつ。」
「へぇ!やからさっきの爆弾魔達も急におかしなったんや!」
「えへへ。すごいでしょ」
小学生の少年少女が海藻のように上半身を揺らしながら上機嫌に会話をする様は側からは心和む情景として捉えられるだろう。だが妙に聞き馴染みのある名前に矢張り与謝野も国木田と同様の反応を示した。眉間に横皺を寄せて物言いたげな目線を送られた国木田は思わず顔を逸らす。
「ねぇ国木田。聞き捨てならない言葉が聞こえたんだけど。まさかこの子がQって言うんじゃないだろうね。」
「残念ながらそのまさかだな。」
言い逃れできなくなった国木田が観念する前に別の声が割り込んできた。愕き入った二人が頭を振れば、外套の外衣嚢に両手を突っ込んだ壮年の男が数歩離れた位置で国木田達を正視していた。未だその素性を解明しきれていない面相の与謝野に反して既に面識のあった国木田は顔面を蒼白にさせた。
「グレイ!」
「ようやく見つけたぞ、悪戯猫。」
「むぅ、今回はグレイが迷子になったんじゃん。」
「誰が迷子だって?」
「うわあっ、やめてよ髪がぼさぼさになる!」
グレイを視界に捉えた途端、歓びを顔に漲らせて悪戯猫——果たして猫などと可愛げのある動物に譬えられるのか甚だ疑念が残るが——は駆け出した。Qの口から放たれた名に遂に与謝野も体を強張らせた。無意識に手帳を手にしようとする国木田を差し置いて悪鬼と魔神は親子さながらの会話に興じている。
暫し我が子の頭に拳を押し付けていたグレイだったが、数台のパトカーがパトランプを点滅させて駅前を包囲するように列をなしているのを確認すると今度は額を小突いた。
「今度は何をやらかした。」
「だーかーらー僕じゃないって。ね、国木田!?」
——国木田さんな。
もはやそんな瑣末な訂正をする余裕などなかった。しかしQの呼びかけに懐疑的な眼差しをグレイから受けると国木田はQのずたぼろになった衣服のことも含め、己の無実を証明する為の説明を迫られた。
程なくして、事のあらましを理解したグレイは「…そうか。どうやら今回ばかりは俺の誤解だったようだな。」とそう一言零した。
「褒めてよグレイ。僕一人も殺さなかったよ。」
「おー、偉い偉い。」
「へへっ。」
正確には殺しかけたが、国木田の決死の説伏により実行犯達は命拾いをしたのであるが態々指摘する者はいなかった。
「っくしゅ」
暖房の効かない真冬の地下鉄の線路を一時間以上も彷徨えば丈夫な子供とて健康を損なうというもの。くしゃみをしたQにグレイは自身のジャケットを脱ぐとQに渡した。下から現れたホルスターと物騒な得物に探偵社二名は見て見ぬふりをした。
「じゃあ帰るとするか。悪かったな、Qが面倒を掛けた。」
「いや」
辛うじて絞り出された声は普段の国木田とは似ても似つかぬ消え入りそうな音調だった。それもそのはず、数週間前の麻薬カルテルと横浜の犯罪組織ザアパルクの鏖殺事件を実際に目の当たりにすれば一見無害なサラリーマンと相対して油断などできよう筈もない。
「またねー、文!」
「あ、うん!もう迷子になりなや!」
Qを伴ったグレイがクリスマスマーケットの人混みに紛れると、国木田と与謝野を薄氷の上に立つかの如く張り詰めさせていた緊張の糸は解れた。一気に肩の力を抜いた二人に、桂達に対するそれとはまるで異なる態度を不可解な面持ちで観察していた文は疑問を言語化した。
「なあ国木田。あの男と知り合いなん?」
文にしてみればQの迎えに現れた保護者に金縛りにあったかのように硬直した二人は妙ちきりんでしかなかった。一瞬二人の上司かと疑ってもみたが、異質な緊迫感から推察するにグレイと呼ばれた男は恐らく警察関係者、それも重鎮だろうと思われた。しかしその予測がまったくの検討外れであることを彼女が知るのはまだまだ先であった。
「…国木田、さんな。」
冷たい秋風が慰め程度に三人の間を通り抜けていった。
話の順序が反対で何回か消したり戻したりしてるのに気づいた方がいればすみません。以上、二章分纏めての投稿でした。
次回まで暫くお待ちください。