文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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断罪する者たち 三十三〜三十八


触れぬが幸

 

 

鍵盤を荒々しく弾くようにキーボードを叩く音は閑かな室内によく響いた。液晶画面から放たれるブルーライトを反射する眼鏡を掛け直して、残像のような素早さでタイピングを再開する。十何年と続けてきた指先の動きは拗れのないリニアの機械運動のようだと我ながら思った。

どれほどの時間数値を打ち込むことに没頭していたのかは定かでない。昔から電子の海に没入したら現実を忘れる癖があった。

不意に頭上から影が落ちてきた。目線のみを向ければ同僚がパソコンを隔ててマグカップを差し出してくれていた。

 

「ん。」

「…ああ、ありがとう。」 

 

受け取って口に傾ければミルクの濃厚な甘ったるい香りが顔面にむわりと広がった。ミルクティだ。体の芯を温めてくれる柔らかい風味がする。じんわりとぬるまった脳に休息を促され、背もたれに身を預けると二人を見上げた。 

 

「いつにもまして落ち着きがないな、壇上。」

「当然です。遂に今日、僕達の十年に渡る集大成を発揮できるんですよ。」

「確かにそうだが俺はなんだか実感が湧かないな。お前はどうだ、馬場。」

「うーん、俺も島田と同じかな。」 

 

襟足の長さに伸びた後髪を纏めながら話を振ってきた島田に同意するように言葉を繋げば、先程変えたばかりのゴム手袋を取り替えながら壇上は納得のいかない顔で視線を彷徨わせた。 

ミルクティをもう一口含む。ホットミルクの影響か、将又疲労が蓄積していたのか段々と瞬きが重くなっていく。 

 

「今日、何徹だっけな。」 

 

倦怠感を多分に含んで呟くと二人が笑いを溢した。同情というよりは共感の調子だった。 

 

「三十分くらい寝ておけば良い。俺達は会場の準備をしとくさ。」

「遠藤さんも先に向かってますし、後は僕達に任せてください。」

「じゃ、お言葉に甘えようか。」

「俺は少し話があるから壇上は先に行っといてくれ。」

「分かりました。」 

 

島田の言葉に壇上は一つ頷くと部屋を出ていった。

静かになった室内で、時計の針が秒針を指す音だけが響く。無音に見詰め合うよりずっとマシだった。

 

「馬場、この間の話なんだが」

「それはまた今度にしよう。あと一時間足らずで会議が始まる。」

「…そうだな。邪魔して悪い、もう行くわ。しっかり寝とけよ。」 

 

そうして俺に背中を見せる島田が去っていくのを見届けると、限界を迎えた。

瞼を閉じれば吸い込まれるように暗闇の世界へと誘われた。

 

——コン、コン。 

 

「んぅ、はぁ」 

 

コンコンコン。 

 

「んん…はい…いま、いきます」 

 

ドアをしつこく叩く音に目覚めた。ずれた眼鏡を掛け直して時計を見遣ればいつの間にか予定の時間に迫っていた。下手に突っ伏して寝た所為で首が痛い。椅子から立上がり小走りに扉を開きに行く。

銀色のアタッシュケースを片手に上背のある男が廊下に佇んでいた。面識のない相手だけど誰かは察せられた。 

 

「ええと、初めましてですね。お待ちしてました。」

「無駄な挨拶は止そう。」 

 

想像していたよりも無愛想な男だと思った。俺はこの場限りの客人を中へと招き入れ、研究室の中に設置されたもう一つの部屋の扉前に立ち、機械に瞳を翳してガラス張りの扉を押した。 

 

「先に代金を渡してください。」

「いや、先ずは品を確認する。無理ならこの話は無しだ。」 

 

メールでのやり取りとは違って随分と強気な姿勢に不快感が眉に如実に表れそうになるのを抑えた。 

 

「…分かりました。」 

 

ここで押し通そうものなら俺がどうなるかなど男の膨らんだ胸元を見れば火を見るよりも明らかだった。

昂りそうになる精神を慰撫するように深呼吸をする。

分厚いガラス張りの厳重な保管庫を開くとプシューという気の抜けた音とともに冷たい霧が中から溢れ出す。慎重に手を差し入れてアルミケースを取り出すと振動を加えないようにテーブルに置いた。 

 

「有効期限は」

「三ヶ月程ですが俺が一月に一度メンテナンスすれば長持ちさせられます。」 

 

四桁のダイヤルを回してロックを解除する。背後から覗き込む男の質問に答えつつケースを開いて、七本の筒形のカプセルが納められているのを確かめた。 

 

「こちらが解毒剤で、こっちは…」

「説明は必要ない。」

「え」 

 

あまりに唐突だった。

ぐきりと指を鳴らすにしては野太い音が自分の裡側から聞こえたと思えば、視界は真横を向いていた。身体が微塵も動かずにその場で崩れ落ちていく。

何が起こったか理解する間もなく俺の視界は真っ暗になった。

 

 

…倒れゆく男の身体がアルミケースに掛かりガラスが弾けるのを男は黙って見下ろしていた。

やがて一切の音が消え、床に広がる液体の上に白衣を着た男が目を開いたまま息絶えたのを見届けると、男はアルミケースを一瞥もせずに靴音を響かせてその場から去った。

 

 

其処は神奈川の都市近郊部。広々とした敷地を活用した県が誇る私立大学。名門であることは勿論、都市部から私有鉄道一本、一時間で通学できる交通の便の良さもあり多くの学生が通っている。大学の敷地から車で数分の場所には学生生活を送る学生が集った都会めいた小規模な街もあり、屋上から景色を眺める為に訪れる行楽客も少なくない。

 

今は学期末試験の期間も相まって、密集した図書館や自習室を断念し廊下に座り込み勉強に勤しむ学生でいっぱいだった。

パソコンのキーボードを打ち込む音や紙の上をペンが走る音のみが旋律を奏でる独特な雰囲気に包まれた構内。その隣に併設された研究棟への長い通路を進む男女が二人。 

 

「綾辻先生、一体何処に向かってるんですか?」

「辻村君、君はキャンパスの案内図すら見ないで付いて来ていたのか。」

「この先が研究棟であることくらい知ってます!私が訊きたいのは、何故また勝手に動き回ってるのかということです!」 

 

滑り止めのワックス加工が成された浅黄の廊下を無言で進み続ける綾辻に辻村は声を荒げる。半ギレであった。

それもそのはず、特務課の厳重な監視を抜け出し始末書を二人仲良く書かされた...正確には辻村一人で二人分を仕上げている...回数は両の手では足らず、挙句脱獄王だなんて不名誉な渾名を付けられる始末。それにもかかわらず当の本人は気に留める様子もなく今日も今日とてふらりと事務所から姿を眩ませ、運よくその現場を目撃した辻村が慌てて車で後を追ったというわけである。 

 

「認知症にはまだ早いんじゃないか。言っただろう、今日は知り合いの教授の新しい論文を先読みしに来た。ゼロポイントエネルギーについての貴重な研究だ。」

「それも知ってますっ。......もうこの際脱走したのは良いです!」

「善いのか。」

「用が済んだなら帰りましょうよ!今なら始末書なしでも許してもらえるかもしれません。」

「君の頭の中は始末書しかないのか。」

「毎回長ったらしい始末書を二人分書かされる私の気持ちにもなってくれません?」

「非常に滑稽で哀れがましいな。」 

 

そうこう話している間に二人は廊下の終わりまで辿り着いていた。

 

辻村の懇願には耳を貸さずに重々しいスイングドアを開くと、新たに構える自動ドアの開閉ボタンを押し中へと入る綾辻に、辻村も泣く泣く後に続くのだった。 

 

 

研究棟は本校舎と違い幾分か天井の高い縦長の構造となっていた。本校舎が十階建てであるのに対し研究棟は理系学部の研究室や会議室を多く備えた二十四階建て。各階を見渡せる吹き抜けが二つあるが、それでも十二分に広い造りの建築物だった。 

 

研究棟に訪れた目的は単に見学気分であるがそれを告げると辻村が不満を垂らすのは分かりきっていたため、綾辻の口から理由が明かされることはなかった。一方でそんな綾辻の腹の中は露知らず、説得を諦めた辻村は話題を変える。 

 

「そう云えば聞いてください。最近坂口先輩の隈がまた一段と酷くなっているんですよ。」

「坂口君が寝不足を溜めるのはいつものことだろう。」

「それはそうなんですけど、どうも軍警から厄介な案件が舞い込んできたらしくて。」

「ほう。」 

 

ここにきて漸く、綾辻の瞳に好奇心の色が灯った。 

 

「なんでも闇市で細菌兵器が出回っているのが確認されたそうです。」

「バイオテロの可能性もあるな。」

「はい。横浜が流出元であることは突き止めていて...」 

 

話を続ける辻村に耳を傾けていた時だった。 

 

非常階段の扉を開きフロアに出てきた白衣の集団に綾辻は視線を留めた。

千鳥足でよろめきながら進む複数の男女の顔色は火照り額からは汗が滲んでいる。 

 

「綾辻先生?」

「.............。」 

 

綾辻の視線を追い辻村も集団を見、様子のおかしさに怪訝そうに眉を顰める。

先頭を歩いていた若い男がふらりと足を取られながらも本校舎へと繋がるドアに近づく。綾辻は咄嗟に開閉ボタンを塞いだ。 

直後、 

 

「ゴフッ、」 

 

焦点の合わない眼で扉に倒れかかった男は口から血というには粘々しく緑がかった液体をガラスに吐瀉した。ガラスにぶち撒けられたそれを見て綾辻は声を張り上げる。 

 

「辻村君、非常ボタンを押せ!」 

 

弾かれるように辻村がボタンを押せばけたたましい警告音が棟内に鳴り響く。

機械音を立てて閉鎖される窓に扉、倒れた男に続くように数人が扉にぶつかり同じく嘔吐の後に力尽きた。 

 

衝撃的な光景を間近で目撃した学生から発せられた悲鳴が棟内に溢れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黒塗りの貨物車や赤色灯を点けた警察車両がまるでテロでも起きたかのように乱雑に入り乱れ停車している。

研究棟の入り口を真っ白なテントが覆うように塞ぎ、防護服を着込んだ集団が絶え間なく足早に出入りする。

 

日本にいればまずお目にかかることがないであろう異様な光景に騒ぎを聞きつけた学生や大学関係者達が事態を把握しようと人垣を作る。それを追い払おうと制服姿の警官がスピーカーを片手に声高に口を動かしているのを綾辻は上階の窓から俯瞰していた。 

 

「すみません、お待たせしました。」 

 

ん゛んと咳き込み発せられた声に振り返れば、胸元にNIID…国立感染症研究所の名札を付けた男が広い研究室に集まった綾辻達に集合を促した。 

 

「まずは自己紹介から始めましょう。私は国立感染症研究所の山田寿一(としかず)です。」

「俺は捜査一課の薄墨だ。」 

 

いかにも公務員らしい上下黒のスーツに身を包み縁の四角い眼鏡を掛ける山田。

瞳の見えないサングラスに恐らくカシミアだろうチェスターフィールドコートを羽織るのは薄墨。薄墨は綾辻と辻村をちらりと見やると部屋の奥、ガラス製の扉の向こうにあるもう一つの部屋へと視線を向けた。

 

 

黒と黄色の警告色で『BSL-4』の五文字の上にバイオハザードのシンボルが記されたステッカーの貼られた部屋、その中で物々しい防護服を着た捜査官達が各々写真撮影や青白いライトを部屋の隅々に照射している。

彼等の中心には瞳から光を失い全身を力なく床に投げ出す一人の男が。 

 

「亡くなったのは馬場太郎。微生物学者、三十一歳。彼等と同じ微生物病研究所の微生物研究者として普段は東京の国立総合研究所で働いている。彼等は今日の午前に開かれた学会発表の為に一ヶ月前からここの研究室を利用していたそうだ。」 

 

綾辻は部屋の隅に並ぶ男女一人一人に視線を向ける。

実験用白衣を羽織った男が二人、一人はクラシックなボストン眼鏡を掛け居心地が悪そうにネクタイを何度も結び直し、もう片方は対比的に小柄な体格に短いポニーテールの、鼻先に拳を付けたまま何やら思案している様子の男。彼等の間に置かれた椅子に座り頭を抱え込むスーツ姿の女が一人。 

 

「そこの眼鏡の方が壇上敏晴(としはる)さん、女性が東幸子(さちこ)さん、んで髪括ってるのが島田優一さんだ。壇上さんと島田さんが馬場さんの同僚で東さんはこの研究室のセキュリティ顧問。」

「何の研究を?」

「それは僕達が説明します。」 

 

辻村の問いに壇上が片手を挙げた。 

 

「僕らの研究対象はモリウイルス・シベリカム。シベリア永久凍土の三万年前の地層から発見された古代ウイルスを十年に渡り研究するプロジェクトでした。」 

 

モリウイルス・シベリカムは十二時間で一千倍に増殖して宿主の細胞を破壊する、バイオセーフティレベル四の最も危険性の高いウイルスの一つ。無色無臭の空気感染では僅か三分で四百メートルまで飛散する。人によって潜伏期間は一時間から三日と差異はあるが、一度発病すれば致死率九十パーセント以上の殺人細菌。研究所では空気感染と接触感染の二チームに分かれ研究に取り組んでいた。

この日はかねてよりプロジェクトに関心を示していた軍警の関係者も呼び軍事利用についての研究成果も発表する予定であったと云う。 

 

「馬場の足元に転がってるカプセル…あの緑のラベルが中身が気体で、まだアルミケースの中に入っている赤いラベルが液体に凝縮されたウイルスです。各三本ずつ、解毒用の抗毒血清は二本あります。」 

 

汚染消毒の為に厳重に封鎖された隔たりの向こうのテーブルに置かれたアルミケースを指差す壇上。 

 

「僕と…先程会議室を出て死んでしまった遠藤が緑ラベル担当、馬場と島田が赤ラベル担当です。」

「第一発見者は。」

「俺だ。」 

 

薄墨は懐から黒い手帳を取り出すとペラペラと頁を捲る。 

 

「明朝警察署に通報があり、本来は非番だったんだが一番近くにいた俺が出動した。匿名の通報で詳細も語られず取り敢えずひと回りして確認すると此処で遺体を発見した。直様応援を要請しようとした時に警報が鳴ったってわけだ。」 

 

ー武装探偵社との捜査にも携わったことがあるからこの手の事件にも少しは力添えできるかもしれない。

そう言うと薄墨は灰青がかった髪を揺らし山田を見た。山田は薄墨の視線に頷くと言葉を発する。 

 

「階下の会議室で亡くなった研究者の遠藤さんを含めた学会関係者数名は接触感染。しかしあちらの実験室で亡くなっている馬場さんは先ほどの説明から鑑みるに空気感染のようですが…セキュリティ管理についてお聞かせ願えますか。」

「あ…は、はい。」 

 

茫然自失の表情で一同の話を聞いていた東は腰を上げ実験室の前へと歩むと、回転式ガラスドアの横に設置された半球を指差す。 

 

「この階の全ての実験室には虹彩認証システムを採用しています。アメリカの国立機関が精度、速度が最も質の高いクラスと評価した最新鋭の製品で登録者以外が使用すれば即座に施錠し、各関係機関に連絡がいくようになってます。」

「つまり部外者が開くことはまず不可能だと?」

「勿論、実験室を出る際にも認証が必要です。」

「そうですか。」 

 

皺の寄った眉間に親指と人差し指を当て天を仰ぐ山田。綾辻には男の次の台詞が容易に推測できた。

山田は実験室の中で死んでいる馬場を一見し、次いで研究者の二人に視線を注いだ。 

 

「疑う余地もなく事故ですね。馬場さんは実験室の中でカプセルを落としてしまい感染、不運にも直ぐに発症し死亡したのでしょう。」

「そんなっ、」

「待ってください、階下で亡くなった方々はどう説明をつけるんですか。彼等は接触感染で亡くなったんですよ。」 

 

淡々と放たれた山田の言葉に騒然とする壇上、島田、東。事故というには不可解な結論付けに見かねた辻村が助け舟を出す。 

 

「確か遠藤さんは液体カプセルの担当でしたね…彼が誤ってウイルスに触れてしまいそれに気づかず会議室に向かい学会の方々に触れてしまった、そう考えるのが妥当です。」

「はぁっ?」 

 

 

薄墨や綾辻、その他の研究員達を他所に言い合いに発展する辻村と山田。間に入ろうとした壇上が一喝で払われたことで二人を止めようとする者は一人も居なくなった。

その傍で腕を組み呆れ返る綾辻の隣でくつくつと笑い声が発せられた。 

 

「とんだ梼昧であるな綾辻君。これでは辻村君が稀世の賢女に思えてならぬよ。」

「いつから居た。」

「くく、明朝から儂に枕を投げつけたときからずっと背後におったわい。全く、老耄を少しは敬え。」

「生憎妖怪を慕う文化はこの国にはない。」

「綾辻先生も何とか言ってください!」 

 

白熱する果てのない口論に遂に煮えたぎる辻村が綾辻に援護を求める。しかし綾辻は大袈裟に掌を見せ首を横に振った。面倒臭いときのジェスチャーであった。

今にも地団駄を踏みそうな辻村に見かねた薄墨が口を挟む。 

 

「確かにそこの嬢ちゃんの指摘通り単純に事故と決めつけるには無理があるんじゃないか。アンタの言ってることは推測の域を出ない。」

「私はこういった事例を幾つも見てきました。皆総じて自己辯護に走りますが蓋を開けば結局はただのミス。今回はセキュリティ対策も万全で部屋が荒らされた形跡もなくテロの疑いも低い、ならば彼等の管理が杜撰だったと断定するほかないでしょう。」 

 

実験室を出入りできる五人のみが容疑者であると話す山田の眼差しに疑いはなかった。

一理はあるがどうも腑に落ちない、辻村は実験室を囲むガラスを叩いた。隔たりの向こうで作業を行なっていた鑑識が顔を上げる。 

 

「検視は済みましたか、一度報告して下さい。」

「はい。」       

 

消毒処置が施される部屋の中、扉に一歩近づいた鑑識官が窮屈に閉じられた防護服の特殊ファスナーを開けることなくくぐもった声を出す。 

 

「殺人です。被害者の外頸動脈から赤ラベルのカプセルの内容液と一致する穿刺痕を確認しました。」

「待って下さい、…赤って液体の方のウイルスですよね。馬場さんは緑の気体カプセルを落として死んだんじゃないんですか。」 

 

困惑げに辻村が鑑識の言葉を遮った。 

 

「どうやらラベルすら貼り間違えていたようですね。…これ程までに粗略な科学者など聞いたことがありません。お二方とも、免許剥奪は覚悟して下さい。」

「いや、そう単純な問題じゃないでしょう。」 

 

山田に異議を唱えようとした綾辻よりも先に辻村が口を開いた。 

 

「鑑識官はウイルス感染による殺人と言いました。つまりこれは何者かによって意図的に引き起こされた犯罪なんです。」

「あの…」

「事件だろうと事故だろうと我々国立感染症研究所の捜査が第一優先です。犯罪の捜査は構いませんが我々に従ってもらいます。」

「善いでしょう。先ずは被疑者の彼等に聴取を行います。」

「あ、あの。」

「捜査の主体は我々だと言ったはずです。貴方方は万が一にも被疑者が逃げないよう傍で監視をして下さい。」

「なんですって…、」

「あの!」 

 

再び火花を散らし始めた辻村と山田、もはや綾辻や薄墨、その他周囲は傍観の姿勢に入っていた。

ヒートアップしていく会話に声を上げた鑑識官、二人の凍てつくような視線を浴び縮こまる様に京極が堪えきれないとばかりに笑声を漏らした。 

 

「何ですか?今は取り込み中です。」 

 

見事に同時に被った台詞に互いを睨みつける二人であったが、埒が明かないのは判っていた為続きを促す。 

 

「こちらのご遺体ですが、死因はウイルスではありません。」

「え?でも穿刺痕があったと…」

「確かにウイルスが注射され数時間後には死ぬはずでしたがそれは直接的な死因ではありません。」

「ええっ!?じ、じゃあ何で彼は死んだんですか?」 

 

島田が面食らった表情で尋ねる。

鑑識官は一度馬場を見下ろすと一同に視線を戻した。 

 

 

「彼の死因は頸骨骨折、頸椎損傷による急性呼吸不全です。」

 

 

 

 

 

 

 

 

研究棟の閉鎖からおそよ数時間後、棟内にいた三百人余りの施設利用者から一連の死亡者との接触者を突き止めた国立感染症研究所の捜査官達は非感染者のみを建物から解放した。

件の微生物病研究所の科学者達が事前に保管していた抗毒血清から全員分の解毒剤を作るには時間を要するため棟内には未だ多くの人々が残っていた。 

 

 

昼前の喧騒さが幾分か収まった建物内、綾辻一行は変わらず上階の研究室で話し込んでいた。 

 

「いくら軍警の特別捜査官だからといってそれは許可できません。」

「何故ですか、こういった事件は我々のような捜査のプロが行った方が早期に解決できます。」

「本部からウイルスの早急な処分要請が下されています。実験室の汚染消毒が済み次第アルミケースは回収し事件は我々が捜査します。」 

 

愚鈍で石部金吉な国家公務員と強い正義感の裏腹に間抜けが目立つ探偵助手、これぞ目くそ鼻くそだと部屋の隅のソファに腰掛ける綾辻は内心呟いた。

そも、彼女は完全に管轄外の異能特務課のエージェントであり自身の監視を担う重大任務の最中であることなど忘れているのではなかろうか。無言の息を溢しそうになり綾辻は空気を吸い込んだ。

 

あの要領の悪そうな小さな頭では滝のように次から次へと雪崩れ込む事件の情報に大事なことがすっぽ抜ける事もあるだろう。一度見聞きしただけで全てを記憶する自身とは脳の造りが違うのだ。

そんな胸中を一度でも口に出そうものなら地獄耳がすかさず拾い取り雛鳥のように五月蝿く喚くだろう様を想像して綾辻はやはり口を閉ざしたのだった。 

 

 

「苦労人の顔立ちだな。」 

 

ふと左隣から声が掛かる。

顔を向ければ薄墨が口に煙草を咥えながら紙箱を差し出していた。綾辻が視線で断ると気に障る素振りもなく薄墨は自身の煙草に点火した。 

 

「非感染者なのに帰らないのか。」

「乗りかかった船だ、最後まで付き合うさ。…そういうお前はどうなんだ。」 

 

タールやニコチンの、腐った柿のような匂いが鼻を擽った。

 

「これでも探偵なんでね。一度手を付けた事件を放り投げたりはしない。」

「ご立派なこった。」 

 

綾辻は目線を元に戻すと段々と幼稚化する口争いを繰り広げる二人を他所に三人の重要参考人を観察する。

 

東は蒼い顔で気もそぞろに指遊びをし、島田は顎を摩りながら半径五百センチほどを往来、壇上は焦ったように新品のゴム手袋を取り替えている。

山田は研究員達のミスだと断定しているが綾辻の脳内では過失の線が限りなく低かった。推理を始める綾辻の傍で京極が感嘆の吐息を洩らす。 

 

「ふむ、やはりそうか。」

「どうした。」

「ん?なんだ。」

「……いや、何でもない。」 

 

何か引っ掛かりを覚える綾辻、薄墨はその様子に何を思ったのか腰を上げると尚も声を荒げる二人に歩み寄った。 

 

「お二人さん。ちょっと良いか。」

「何ですか!」 

 

完全なるとばっちりに薄墨は大袈裟に両手を挙げつつも言葉を続ける。 

 

「山田さんには申し訳ないがやっぱり腑に落ちなくてな。」 

 

最初の被害者である馬場は発表会が始まる一時間ほど前にウイルスを打たれた。しかし犯人はそれだけに留まらず首を折り殺害。 

 

「馬場さんが死んだのが発表会の五分前。」 

 

一方容疑のかけられている島田と壇上は二人で会議室に向かい発表会の最終準備を遠藤と共に行った。それを見ていた職員もいる。そしてどういうからくりか遠藤もウイルスに感染し彼と握手なりで接触した参加者が死亡。 

 

「この場合容疑者はやはりプロジェクトに携わった島田さんと壇上さん、そしてセキュリティを管理していた東さんが挙げられるが…彼等には馬場さんが死亡した時間帯にアリバイがある。ラベルだって誰かが故意に変えた可能性もある(・・・・・・・・・・・・・・・)。過失で片付けるには辻褄が合わないんだよ。」

「ですから、それは……」 

 

順を追った薄墨の実況見分に山田は段々と口籠る。それに辻村はそれ見たことかとしたり顔を浮かべた。 

 

「ああ、そうか。」 

 

三人のやり取りを聞きながら一連の出来事を振り返っていた綾辻は、蟠りが胸に落ちたのを感じて一言零した。

 

 

ソファから離れ徐に実験室の前へと歩く綾辻に室内にいた全員が注目する。

一同の視線にはお構いなしにガラス扉の前まで行くと、綾辻は虹彩認証の機械に自身の瞳を翳した。 

 

頭上の壁に埋め込まれた小型画面が数字と英語の羅列を並べる。

数秒して、『Access granted.』と流暢な英語が流れた。 

 

「っ!」 

 

百八十度回転し開いた扉に、実験室で作業をしていた捜査官が急いで扉を閉じた。

静まり返る一同を振り返ると綾辻は愉しげに口を歪めたのだった。 

 

 

「どうやら容疑者が増えたようだな。」

 

 

 




モリウイルス・シベリカムは実際には人への感染性はありません。
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