文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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感染

 

 

研究室の前に位置する小さな会議室。 

 

ブラインドが下げられ外界から隔離された空間に山田、東、薄墨、綾辻、そして辻村が居た。

デスクチェアに腰掛け視線を右往左往させて萎縮する東を囲む三人。

 

研究室での衝撃的な出来事から彼等は直様彼女を連れ別室に移ったが、問題の当該者は唇を震わせ沈黙を貫くだけだった。それもそのはず、山田が鬼の形相で脅し文句を並べながら責め立てるもので彼女は恐怖に心の窓を閉ざしてしまったのだ。あまりの物言いに気の毒に思った辻村が途中何度も間に入ろうとしたが歯止めの効かない山田に一蹴されただけだった。 

 

下瞼に涙を溜め泣くのを必死に堪えている東に、見るに見かねた辻村が膝を突き視線を合わせ穏やかな声音で話しかける。 

 

「東さん。このまま黙っても解決するどころか貴方の立場が悪くなるだけです。」

「まだ私が話して..」 

 

すかさずクレームを申さんとした山田を薄墨が片手で制す。 

 

「誰も貴方が殺人を犯しただなんて言ってません。ただセキュリティ管理についての真実を聞かせて下さい。」

「…………。」 

 

暫く沈黙が落ちる。全員にとって随分と長く感じる静寂だった。 

東は唇をもごもごとさせ髪を一房握り込むと徐に口を開く。 

 

「実は…あの虹彩認証は故障してました。」 

 

だろうなと綾辻をはじめとした一同は心中で思った。

白状した東の話によると、虹彩認証の機械に不具合が起き東は直ぐに取り替えを行おうとしたが、業者の発注ミスで新しい機器に取り替えられるまでに長い時間が必要だったこと。そして取り替えられるまでの期間、東の独断で内密にシステムが一時停止していたことが明らかになった。 

 

 

「け、けど扉自体は作動はするし期間中レベル四の実験室を取り扱っているのは微生物病研究所の彼等だけだったから大丈夫だと思って..」

「大丈夫な筈がないでしょう!」

「ひっ、」 

 

とうとう怒り心頭に達した山田の怒号に薄墨は耳を塞ぎつつも東に問いかける。 

 

「その停止していた期間はどれくらいだ。」

「…二ヶ月前からです。」

「二ッ、何だって!?」

「ひぃっ!」 

 

今度は綾辻と辻村も両耳を塞いだ。

もはや山田を止める手立てはなかった。 

 

「前代未聞です!モリウイルスは生産管理の難しい極めて致死性の高いウイルス。闇市場ではたった一グラムで二千万もする…もしもテロリストの手に渡っていようものなら貴方の命一つでは償いきれませんよ!」

「或いはもう渡ってる可能性もあるな。」

「ご、ごめんなさ゛いっ…!」 

 

遂に涙腺が決壊し萎びた蜜柑のように顔を歪め何度も謝罪を繰り返す東だったが同情する者はもはやいなかった。

 

 

 

 

管理会社へ話の裏を取る為に山田が去ってから少し、狭い会議室内に東の啜り泣く声だけが響いていた。

薄墨は飲み物を買って来ると言い出ていき、気まずい空気が三人の間を流れる。 

 

「そんなに目元を擦ったら腫れちゃいますよ。」

「うぅ、ぐすっ」

「…………。」 

 

散々泣きじゃくった末に涙が涸れたのか目元をごしごしと擦り出す東に辻村が嘆声を混じらせつつも親切に話しかける。一方綾辻は二人には目もくれず事務所から持参した煙管を蒸していた。彼にとっては東などアウトオブ眼中であった。 

 

 

不意にガチャリと取手の回る音がして、次いでギィという低い音とともに扉が開かれる。三人が視線を向けると、そこには四本の瓶で両手が塞がり片脚でドアを止める薄墨がいた。 

 

「はいよ、買ってきたぞ。」 

 

そう言うと薄墨は四色の瓶を掲げる。それは、某飲料会社の新作として話題を呼んだ果実、野菜飲料だった。何処のコンビニを探しても巡り会えなかった瓶に辻村は瞳を爛々と輝かせる。 

 

「凄い、やっぱりマンモス大学だと品揃えも豊富なんですね!ありがとうございます。」

「あ、それは…」

「ぶっふぉ!」 

 

薄墨が各種の中身の説明をするよりも早く茶色の瓶を手に取った辻村は飲み物を口に含み、そして吹き出した。 

 

「それは俺がさっき自分用に中身をラムに入れ替えたやつだ。」

「刑事が仕事中にラム!?」 

 

額に青筋をたてて薄墨に詰め寄る辻村、しかし唐突に全身の毛が逆立つような悪寒を覚えブリキのように首を動かした。 

 

「辻村君。」 

 

閻魔大王も裸足で逃げ出すほどのドス黒いオーラを纏わせ一歩、また一歩と辻村に歩み寄る綾辻。その帽子からは水滴が滴り落ちていた。途端に自身が口から飲み物を吹き飛ばした人物を認識し辻村はガタガタと小刻みに震えだす。 

 

「どうやらまた調教が必要なようだな。」

「た、大変っ申し訳ありませんでしたぁ!だから、調教っ…調教だけは!」 

 

恥も外聞もなく土下座を晒し綾辻に許しを乞う様にまるで捕食寸前の子鹿のようだなと、元凶である薄墨は呑気にも思った。

 

 

今にも説教が始まりそうな雰囲気の中、東がおずおずと言葉を発する。 

 

「あの、中身を教えてもらってもいいですか。」

「ん?ああ、勿論。…黄色のがサトウキビ、茶色が元林檎で緑が野菜、んで赤が苺だ。」

「どっちが野菜でどっちが苺ですか?」 

 

差し出された三本に困ったような顔つきになる東に辻村はどうしたのかと尋ねる。

 

「私、色盲で赤と緑が分からなくて…苺アレルギーだから野菜をください。」

「はいよ。」 

 

緑色の野菜ジュースの瓶を受け取り飲み始める東に辻村も別の瓶を取り飲みだした時だった。 

 

ピロリロリン、携帯の着信音が鳴った。 

自身のポケットから振動を感じて辻村は慌てて携帯を取り出す。画面に記された発信元に指先を横にスクロールさせようとして、横から携帯を奪われる。 

 

「ああっ、ちょっと先生!」 

 

 

非難する辻村を無視して綾辻は携帯を耳に当てるとコートの裾を翻し部屋を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『全く貴方は行く先々で問題を起こしますね。綾辻先生。』

「云っておくが坂口君。怨言はこの状況を作り上げた犯人に浴びせるといい。」 

 

気怠げな台詞と欣然たる声音が重なった。受話器の向こうで坂口が盛大に溜息を溢したのを綾辻は聞き取った。 

 

「痴情のもつれ、性欲殺人、このところは意に満たない鄙俗な事件ばかりだったが…此度のは実に比興だ。」

『早く解決させて戻って下さい。先週に続き三度目の脱走、長官の堪忍袋の緒は千切れる寸前です。』

「それは辻村君に言うといい。かつてなく活きが良いぞ。」 

 

ー転職を考慮してやるほどには。

国立感染研究所で山田と睦まじく事件解決に没頭する辻村を思い浮かべ、綾辻は皮肉げに片笑んだ。綾辻の言葉に現状を悟った坂口は「辻村君...」と慨嘆した。 

 

「喜べ坂口君。この件が済めば睡眠時間が増えるぞ。」 

 

綾辻の含んだ物言いに坂口は電話越しに黙り込む。

 

『要求は。』

「どうにも国立感染症研究所が煩く推理に集中できない。俺に捜査権を寄越せ。」

『微生物病研究所には軍警が多額の助成金を拠出しています。手続きには半日ほどかかるでしょう。』

「遅いな。それでは奴らにウイルスも容疑者も奪われる。」

『最善を尽くします。…他には。』

「…言い逃れされては困るからな、念には念を入れておこう。ーーーー。」

 

 

 

 

通話を切ると長い廊下に静寂が訪れた。

廊下の突き当たりに四角く切り取られた空に映る太陽は段々と沈み始めていた。其処は事件の起きた会議室の階、上階では辻村達が情報を洗い直している頃だろうと、綾辻は目前のエレベーターを何の気無しに眺める。 

 

「行き詰まりか綾辻君。」

「黙れ京極。…犯人は判っている。」

「ほお?」 

 

綾辻の最後の疑問は何故、如何にして犯人が殺人を成し遂げたか。壁に寄り掛かり両の手を重ね合わせる。

 

時間的条件、外見、内面的特徴、個々の能力…トリックの実現可能な条件を満たさない人間を消していき残された人間は一人。あとは空間的条件を満たせば殺人は成立する。何かが足りない、後一つ何か手掛かりがあれば。 

 

「坂口君には期待できそうにないのう。」 

 

綾辻の胸襟を代弁するように京極が呟いた。

犯罪捜査には管轄権があり軍警絡みであれば尚更容易に獲得できるものではなかった。山田は既に研究棟を退去せんと本部と連絡を取り合っている。半日ももたずに強制的に事件に幕を下ろされるのは火を見るよりも明らかだった。綾辻には時間が足りない。 

 

「何か有力な情報を掴めたか。」 

 

いきなり横から発せられた声に綾辻は驚いて後退した。 

 

「驚かせたか、悪かったな。」 

 

綾辻の反応に薄墨はくつくつと小刻みに笑う。 

 

「エレベーターを使わなかったのか。」

「ああ、このエレベーターはどうも壊れてるらしくてな。最上階からこの階までは動かないので非常階段を使ってきた。」 

 

 

西陽が廊下を照らした。

一閃の光が行き詰まっていた綾辻の脳裏に差し込んだ。その瞳に一瞬の閃きが宿ったのを見逃さなかった薄墨は手帳を取り出す。 

 

「調べておこう。それと新たな情報が入った。」 

 

紙の上でペンをトントンと叩くと薄墨は続ける。 

 

「島田優一についてだが、元エンジニアで十数年前に同じシステムエンジニアの会社で働いていたそうだ。つまり東幸子は昔馴染みの彼の紹介で彼等のセキュリティ顧問になった。」 

 

くるりとペン回しをした薄墨の上質な革手袋がぎしりと鳴った。 

 

「もう一つ、例のモリウイルスについて…プロジェクトの研究記録の総責任者は会議室を出て直ぐに死亡した遠藤良介。つい先程彼の管理していたデータが相棒から送られてきたんだが…奇妙なことに半年分の記録が消えている。」 

 

ー随分と頓馬な連中だな。 

胡散臭い手振りに京極が滑稽とばかりに呵呵と笑った。 

 

残された課題は時間だけ。脳内で打開策を思索する綾辻に薄墨は悪巧みを目論む犯罪者のような顔つきをした。 

 

「提案があるんだが。」

「是非とも聞こうじゃないか。」

「ーーーー。」 

 

ーああ、本当に俺を飽きさせない。

 

薄墨の話を聞いていくうちに綾辻は自身の口角が吊り上がっていくのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

夕陽が山の端に隠れる頃、 

上階の研究室に事件の関係者達が一同に介していた。 

 

「お集まりいただき有難うございます。」 

 

よく通る声が反響した。

改まった佇まいで実験室の前に立つ山田は開かれた実験室へと入ると、テーブルに置かれていたアルミケースを手にして戻ってくる。

全員が囲む長方形のハイテーブルの中心にケースを置くと一人一人と視線を合わした。 

 

「実験室の汚染消毒が済んだので最後に研究所の皆さんに中身の確認をお願いします。軍警の特別捜査官さんと刑事さんは立ち会いをお願いします。」 

 

その言葉に全員が頷いたのを確認すると山田はダイヤルに手を掛ける。

 

カチ、カチリ。 

四つのダイヤルが回されると中で突起と溝が噛み合う音がした。 

 

山田はケースの両端に手を添える。

そしてゆっくりとケースを開けた、丁度その時だったーー

 

ガシャン! 

 

 

甲高い破壊音に一同は音の発信源を振り向く。部屋の戸棚の足元にガラスが粉々になり散らばっていた。 

 

「ビーカーが落ちたのでしょう。」 

 

仕切り直して山田達は再びケースに向き直る。そして、 

 

「なっ!」

「そんな馬鹿な!」

「ええっ!?」 

 

辻村を筆頭に数人が驚愕に声を漏らした。

山田は血相を変えて警備員を呼び、綾辻と薄墨は互いに顔を見合わせる。研究者達は開いた口も塞がらずただ茫然とした。 

 

 

 

彼等の視線の先、アルミケースの中には何も無かった。 

 

 

 

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