文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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コード・レッド

 

 

研究棟一階のロビーの先、普段は学生や研究者達が来客を迎え入れる為に利用する広々としたギャラリーに百五十人あまりの人々が集められていた。

 

前触れのない緊急警報による召集に疑惧、混迷、平静など反応は人様々であるが今朝からの騒動もあり定期的に行われる避難訓練ではないことを察する者も多かった。 

 

「皆さんお静かに。」 

 

壁際に置かれた台座の上に立ち山田が一声を放つと、騒々しかったギャラリーは瞬く間に静まる。 

 

「避難訓練ですよね…?」 

 

不安の色を滲ませて群衆の中の一人が問いかけるが、山田は唇をキュッと引き締め強張った顔のまま辺りをぐるりと見渡した。 

 

「大変残念ですがこれは訓練などではありません。…極めて危険な空気感染型のウイルスが拡散されました。」 

 

どよめく群集、山田は敢えて落ち着いた調子で事のあらましを説明する。 

 

 

約一時間前、アルミケースの中身が空であることに気づいた山田達は施設内にいた捜査官、警備員達を総動員して棟内を探し回った。 

 

机の下、棚の上、物置部屋や空調の中…どれだけ隅々を探そうとも一向に見つかる気配のないカプセルに一同は状況確認の為一度研究室へと引き返した。そうして彼等は見つけてしまった。研究室の机の上、アルミケースの横に蓋の開かれた緑ラベルのカプセルが置かれているのを。 

 

空気感染型モリウイルスは三分以内に半径四百メートルまで拡散する殺人細菌。人により差異はあれど一度感染すれば一時間から三日以内に発病する。解毒剤を作るための抗毒血清すら奪われデータを元に一から作ろうにも必要な化学物質も不足していた。要するに詰みだった。 

 

パンドラの箱は開かれ、疫病が降り注いだ。

棟内にいた人々は全員感染し、感染拡大防止の為棟内の感染者が死んだ後、国立感染症研究所の本部は軍警を派遣し研究棟を焼却することを決定した。完全なる敗北であった。 

 

 

「皆さんの死後、親族の方々には本部から連絡がいきます。最期の時間をそれぞれ有意義にお使いください。」 

 

山田が締めくくると一瞬の間の後、ギャラリーが慟哭で満ち溢れた。

突然として避けようのない死が迫りパニックに外へと逃げようとする者達、それを必死に食い止める警備員達。携帯を手に身内や大切な誰かへと連絡を入れる人。現実を受け入れられず力なく床に屈み込み茫然自失になる者も。 

ふた目と見られないほど痛ましい阿鼻叫喚の有様に辻村は拳を強く握った。 

 

 

亡き母親の死の真相を暴く為に入った異能特務課、自身の才能を認められ若くして特一級危険異能者の管理と監視、非常時の抹殺という重大な任務を担ってきた。

 

母親の仇ともいえる綾辻は辻村が思い描くような凍った血の死神などではなかった。頭脳明晰で冷酷無惨、けれどもふとした瞬間に優しい一面をみせる血も涙もある人間であるのを辻村は知っていた。彼と京極を追い続ける日々は常に死と隣り合わせだったがその反面やり甲斐も感じていたのだ。 

 

どう努力しようがいざそんな場面に遭遇すると現実味が湧かず受け入れざるを得ない自然の摂理、それが死である。辻村とて絶えず自身の死を意識し任務に励んできた。それ故か、こうしてウイルスに感染し確実に死に向かいつつある今も辻村は少しも畏れてなどいなかった。寧ろ、 

 

「私達、死ぬの?」

「嫌だ嫌だ俺はまだ死にたくない!どけっ!」

「お母さん…、」 

 

辻村は失意のどん底に突き落とされ恐怖に慄く人々を見渡す。

罪なき善人が悪意に晒されるのを赦し最期の時を迎えるまで待つことなど、高潔な捜査官にできるはずもなかった。

きっと犯人は疾うに解毒剤を接種しこの場から逃亡しているに違いない、辻村は奥歯を噛み締め怒りに打ち震える。

せめてーー 

 

「犯人の正体だけは暴いてやりましょう……先生?」 

 

熱の籠った口調で意気込んだ辻村はキャスケットと黄土色のジャケットを羽織るお馴染みの人物を見上げようとして、 

 

「綾辻先生?」 

 

 

自身が虚空に語りかけていたことに気づいた。

 

 

 

 

 

一方、辻村のいるギャラリーとは正反対に位置するホールに一つの影があった。 

節電のためにトーンを下げられた照明が辺りを仄明るく照らしている。

 

出口近くのフロントの側に置かれる植木鉢をその影は覗き込んでいた。

時たま左右を確認してはごそごそと植木の土を掻き分ける。その動作は時間の経過とともに激しくなり、暫くして止まった。 

そんなとき、不意に照明が百ワットほどの明るさに上がった。 

 

「探し物は見つかったか?」 

 

背後から予期せぬ言葉を投げ掛けられた人物は愕きにたたらを踏みながら振り返る。数メートル離れた場所に朝から何度も言葉を交わした二人が立っていた。 

綾辻と薄墨であった。

 

「宝探しのコツは仮に誰かが覗いても決して気づかれない場所に置くのが鉄則だ。……そうだろう?殺人犯島田優一。」 

 

小馬鹿にしたような人の悪い笑みを浮かべそう言い放った綾辻に、島田は眉端を下げ顔を顰めると両手を胸元で交差させた。 

 

「さ、殺人犯だなんて…人聞きの悪いことを言わないでください。」

「なら今手に持ってるソレはなんだ。」  

 

すかさず放たれた薄墨の指摘に島田はハッとして試験管サイズのカプセルをポケットに閉まう。 

 

「あの、その…っ万が一の為に保管してたのを思い出して取りに来たんです、」

「下らない押し問答は無しにしよう。」 

 

綾辻は一転して真顔になると罪人を断罪するような鋭い眼差しを向けた。 

 

「馬場太郎にウイルスを注射しその他大勢を殺したのは君だ。」

「何を根拠に!」

「最初の容疑者は君達三人。当初最も有力な犯人候補はセキュリティ管理担当の東幸子だった。だが彼女が犯行するにはリスクが高すぎた。」 

 

ー色盲である彼女にはカプセルの見分けが付かない。 

 

薄墨が持ってきた四色の瓶の件で東が赤色と緑色の判別が付かない二色型の先天性色覚異常を患っている事実が発覚したことで綾辻の中で東は容疑者から外れた。 

 

「次に遠藤良介を含めた接触感染により死亡した被害者らがどうやって次々と感染したか。……簡単なことだ。」 

 

昨晩から研究棟の最上階から論文発表が行われた会議室の階までのエレベーターは故障していた。先日の夕方頃迄、何一つ問題のなかったエレベーターが突然作動しなくなったのだ。 

 

「薄墨刑事の調査の結果、エレベーターのプログラミングが改竄されていた。そして君達が利用した非常階段の扉の取手に僅かにだがウイルスの痕跡が確認された。…遠藤良介は用意周到な性格で今日も一足先に研究室から会場へ向かったと聞く。この点から勘案すると次に疑うべきは研究者達のなかで唯一手袋を嵌めていた壇上敏晴。」 

 

その言葉に然無顔だった島田が顔色を明るくさせたのを二人は見逃さなかった。 

 

「だが俺はこう思った。緑のラベル、空気感染の研究をしていた壇上に罪を被せる為ではないかと。」 

 

次いで青白くなる島田に綾辻の推理を横で聞いていた薄墨は口元に手を当て笑いを堪えた。綾辻は容赦無く仮説を立てていく。 

 

「何より壇上敏晴は不潔恐怖症だ。」 

 

壇上が何度も手袋を変えてはトイレに駆け込み手を洗い、新たな手袋に交換するのを綾辻も薄墨も見ていた。彼は運よく感染しなかったのではない、決して取手を触らないことを犯人は確信していたのだ。だから犯人は彼に罪を被せようと目論んだ。 

 

「加え、君は古くからの知り合いであった東に内密にセキュリティ問題についてを聞いていたんじゃないか?」 

 

たじろぐ島田に綾辻は冷ややかな視線を注いだ。 

 

「さぞ鼻高々だったろうな。まるで勝利の女神が微笑んだと。」 

 

そこで選手交代、薄墨が胸ポケットから一枚の紙を取り出すと水戸黄門のドラマのように島田に見えるよう掲げた。 

 

「遠藤良介の研究記録から半年分のウイルスの保管記録が消されていた。これがどういうことか解るよな。」 

 

東をはじめとした関係者全員の記録を洗った結果、丁度半年前から馬場は出所の分からない大金を月に二度、長期国債と不動産に換えていることが明らかになった。そして島田も馬場と同じく半年前から宝くじに多額の金を注ぎ込んでいたのだ。

綾辻が一言付け加える。 

 

「近頃特務課…軍警はある問題に手を焼いていた。君達が将来の為に貯蓄を始めた時期に裏社会で細菌兵器が出回り出したそうだ。」

「加え馬場太郎の死因が判明した時、最も挙動が可笑しかったのはお前だった。」 

 

 

『確かにウイルスが注射され数時間後には死ぬはずでしたがそれは直接的な死因ではありません。』

『ええっ!?じ、じゃあ何で彼は死んだんですか?』 

 

 

「ウイルスに感染して死ぬはずの男が第三者の手によって殺されたと知りゃあ、動揺せざるを得ないよなァ。」 

 

駁する隙も与えられぬ完膚なきまでの追及だった。 

どう足掻いても事態を好転させられないと悟った島田がとった行動は一つ。

 

 

 

「っ!」

「綾辻先生、こんなところで一体何を..」

「犯人が逃げたぞ辻村君、早く追いたまえ。」 

 

ギャラリーへと繋がる廊下から顔を覗かせた辻村と山田。綾辻の言葉を理解するよりも早く、出口へと駆ける島田に辻村は走り出した。

その背後で山田は拳銃を取り出し照準を合わせる。 

 

「待、」 

 

薄墨の静止の言葉を最後まで聞くことなく山田は発砲した。 

 

ガッシャアアン! 

 

防弾仕様ではない大きなガラス扉が耳をつん裂くような音を立てて罅割れた。全身で体当たりを仕掛け外へと逃げ出した島田に薄墨はああと咨嗟した。 

 

辻村も負けじと後を追うが、意外にも俊足の島田は僅か数センチの追跡を躱すと駐車場へと駆けてゆく。そして一番近くに停車していたシルバーのアストンマーティン、辻村の車に駆け寄った。

がむしゃらにドアに手を掛ける島田に辻村は侮蔑の表情になる。

が、 

 

ガチャリ。 

 

辻村の予想に反して島田は平然とドアを開けると中に乗り込み車を発進させたのだった。 

 

「しまった、朝綾辻先生に追いつくのに夢中でエンジン付けっ放しにしてた…!」

「君は本当に役に立たないな。」 

 

猛スピードで去って行く車を頭を抱えて見送る辻村。散歩でもするかのようなのんびりとした足取りで後ろから追いついた綾辻の毒毒しい一言が鋭利なナイフとなり辻村の胸に突き刺さった。一方で京極は体を折り曲げ呵呵大笑し、薄墨は苦笑いを地でいく面持ちをしていた。 

しかし此処で呑気に立ち止まっている程彼等は鈍くなかった。 

 

「戻ってください!感染が拡大してしまいます!」

「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう!」 

 

建物の中から声を張り上げる山田に使えそうな車を探し解錠を試みる辻村は一刀両断に切り捨てる。差し金を窓とドアの隙間に差し込んでは取手を引くを繰り返すが上手く当たらない。 

 

「ああもうっ、」 

 

遂には拳銃を取りだしガラスに向かって撃とうとしたところで、一発のクラクションが鳴った。

二人が音の方へと顔を向けるとメタリックグレーの車がヘッドライトを照らしていた。

 

簡易的な幌がスタイリッシュなフォルムを模るオープンカー。

フェラーリ・ポルトフィーノM。 

 

「何してる、早く乗れ。」 

 

運転席に座る薄墨の掛け声に綾辻は即座に助手席に飛び乗る。辻村は開いた口が塞がらずに車体を見つめていたが即座に我に返ると後部座席に乗り込んだ。 

 

「あ、あの。つかぬことをお聞きしますがこれは薄墨さんの車で?」

「いや、路上駐車してたヤツだ。多分学生の。」

「おのれ学生、羨ましいぃ!」

「気を確かにしろ特務課のエージェント。」 

 

状況は切迫していたがどこまでも通常運転だった。 

 

 

ブォンブォンとV8ツインターボエンジンが重低音に咆哮する。

薄墨は全員が乗っているのを確認するとアクセルを強く踏み込む。辻村の思考は一瞬止まった。 

 

「え、」

「しっかり捕まっとけよ。」 

 

一気にクラッチを繋いだ。

辻村は自身の影が後ろに流れて行くのを感じた。 

 

 

誰のともいえぬ叫喚が暴風に溶けて消えていった。

 

 

 

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