「管理がなってませんね。捜査官としての責任感が欠如してるのではありませんか。」
「申し訳ありませんでした。」
綾辻と薄墨による仰天のドッキリ暴露から程なくして、現場には賑やかなライトを点滅させて緊急車両が集合していた。
本部から別に派遣された国立感染症研究所の捜査官達が場の安全を確認すると、救急隊員により治療を受けた島田はパトカーに押し込められ、棟内にいた人々は改めて事情聴取にギャラリーへと集められた。
サイレンを鳴らさずに回転灯だけを光らせた警察車両を背景に、エントランスにいた辻村は駆け付けた坂口にこっぴどく叱られていた。
「軍警には長官が直接話をつけに行きました。帰ったら貴方も綾辻先生もお説教は免れないと思ってください。」
「はい…。」
元来感情が表に出ない坂口だが、今回ばかりは看過できないと気色ばんでいた。滅多に見られない怒りの様相に萎れた草花のように萎縮する辻村、側で成り行きを見守っていた坂口の護衛の青木卓一と村社八千代は無慈悲にも心の中で合掌した。
「はぁ。」
このままでは地面にめり込むのではないかと周囲が心配するほどに小さく縮こまる辻村に坂口は空気を溜め込むと長嘆息を吐き出す。
「それで、綾辻先生は何処に居るんですか。」
「先程お手洗いに行くと言ってました。」
「被疑者の情報洗い直しに警察署への確認、一度に仕事を増やしたと云うのに礼も無しですか。」
「すみません…後でちゃんと言っておきます。」
「辻村君の云うことなど聞いた試しがないのに?」
「返す言葉もございません。」
頭を下げる辻村の頭上で深いため息が吐き出された。
何となく、辻村は坂口の言葉に疑問を抱く。
「警察署への確認って何のことでしょう。」
「彼から聞いてないのですか?...昼頃の電話の際に研究棟からの通報内容を確認してほしいと言われ調べてみましたが、今日は正午以前の周辺の警察署への通報は一件もありませんでした。」
とんだ骨折り損だと怒りを再燃させる坂口に詳細を聞こうとして、突如として響いたくぐもった二発の銃声に一同は振り返る。
半開きになったパトカーから島田がだらりと上半身を垂らして地面に頭を落下させている。その光の失われた瞳孔が辻村を覗いた。
「何があった!」
「車内で拳銃を奪われてっ、もみくちゃになって気づいたら…!」
狼狽した警官が車両から顔を出す。
単なる不慮の事故だった。限りなく超自然的な大自然の摂理に基づいた因果応報の死。
「綾辻先生の異能が遅れて発動した…?」
村社が当惑げな声を漏らす。
辻村は胸中に澱のようなものが沈殿する感覚をおぼえる。
脳裏にロビーでの出来事が回想された。
『本当です!信じてくださいっ、俺は馬場を殺してない!』
『大柄の男、且つ殺しの技術を持つプロの技。平均的な男性の身長よりも小柄で手の小さい彼にはまず不可能だ。』
「.......警察署への通報はなかった。」
「辻村君?」
カチリ、カチリと歯車が噛み合っていく。
『心配するな辻村君。薄墨刑事、車体下の駆動伝達系...トランスミッションかプロペラシャフトを狙え。』
最初から答えは
「大変っ!」
全身の血の気が引くのを感じて。辻村は勢いよく地面を蹴ると坂口の制止を無視して建物の中へと駆け出した。
*
いつにもまして闇の密度が濃い夜の大海原に銀色に輝く月が浮かんでいた。満点の空一面に光を放ち月は世界を照らす。
地上では街の隅々で天と共鳴するようにイルミネーションの運河が広がっていた。まるで自らが星であると主張しているようだった。
サングラスを通してでも鮮やかに映る美しい夜景を眺めていると絹の擦れる音を耳が拾う。
「『命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。』」
何故かそんな言葉が脳裏を過ぎった。
「『暗闇は光を理解しなかった。』」
背後に居た気配が硬い靴音を立てて近づいてくる。そして丁度俺の視界の端、右真横で止まった。
「ヨハネによる福音書第一章四ー五節。聖書を読む人となりとは思わなかった。」
「人生の必読書さ。暗澹とした世の中だからこそ心の支えとなる軸が要る。」
家族は孤立し、差別が蔓延、小道に入れば路頭に迷う人々が地べたに転がり、地球の反対側では無辜の民が紛争や戦争に巻き込まれ命を散らしている。
ふと目を凝らせば世界は暴力で溢れている。必ず陽は昇り朝が訪れるのに、闇夜のような世の中だ。
「だが、」
誰もが暗い事象を抱えて生きていかなきゃならない時代だからこそ光が尊く感じられるんだ。
「闇なくして光は輝けない。」
四角く縁取られたライトブラウンの偏光レンズの奥で金色の瞳が俺を射抜いた。どこまでも真理を探求する者の眼差しだった。
「常に光が打ち勝つ。見栄えの良い言葉だ。」
水と船がそうであるように光には暗闇が欠かせないというのに。
別に綺麗事だなんて揶揄してるわけじゃない、ただ二つの概念は同一であることを本質的に理解出来てない人間が増えた。 彼等は周りの実情に目を向けず仮初の平和を現実だと思い込み生きている...。
「さぞ不満だろうな。」
「いや、そうでもない。…唯、だから悪事はこの世から消えないってだけだ。」
今日の事件のように。
まあ平和ボケでも自分と大切な誰かさえ平穏に生きられればそれで良いんだが。アタッシュケースの取手を握り込むと俺は綾辻と向かい合った。
「島田は逮捕されたのか。」
「嗚呼。今頃パトカーの中で脱出を目論んでいることだろう。」
綾辻はそこで一度区切ると夜景を見た。
「ずっと今回の事件についてを考えていた。馬場を殺し巧みにも島田を誑かし単独の殺人犯として上手く落着させた黒幕についてを。」
「黒幕か、随分と飛躍したな。」
「島田は賢く用意周到だが詰めが甘く長年の友の首を折れるほどの度胸はない。だから奴は自慢の殺人ウイルスに頼り壇上と東に罪を被せた。」
ーでは誰が馬場を殺したのか。
氷のように冷たい空っ風が俺の肌を突き刺し、真っ直ぐに前方へと吹き抜けると砥粉色の髪を巻き上げた。
「馬場が一人きりだったのは島田と壇上が研究室を出てから発表会が始まるまでの一時間。内三十分は島田手製の睡眠薬入りミルクティで深い眠りについていた。」
その隙に馬場はウイルスを打たれ、遠藤も非常階段の扉に触れたことで数時間後に死んだ。犠牲になった会議の犠牲者達は殺しの対象を曖昧にさせ警察の捜査を撹乱させるための二次被害のようなものだった。セキュリティが粗放だったこともあり島田の目論見通り容疑者は一気に増えた。三十分もあれば誰でも馬場を殺すことができた。
「このところ特務課は、横浜の裏市場に出回る毒物兵器の対応に追われていた。」
特務課に関しては初めて聞く話だった。話の繋がりから出回ってる毒物兵器がモリウイルスを指していることは判っている。そして横浜と云えばポートマフィア。
「奴らがポートマフィアの商売に手を出した可能性も考えられるな。」
「ああ、だが連中の制裁には掟がある。馬場の死に様は奴らの手口と一致しない。」
端正な顔立ちも相まり感情を殺したその表情は脳面のように冷たくて怖しい。
「もう茶番は終わりにしないか。薄墨刑事…いや、グレイ。」
突風が二人の間を吹き荒れた。
推理は完成され、遥か八十メートル下から二発の銃声が空へと高く昇って消えた。
「なんだ気づいてたのか。」
「巫山戯ているのか。」
サングラスを外すと眉間に深く皺を刻み込んだ綾辻がクリアに映った。
「今朝大学への通報は一件もなかった。薄墨はグレイ...灰色の類義語、刑事が勤務中にラム酒、一刑事には収まらない高度な射撃技術……最初から隠す気などなかっただろう。」
確かに。
どれか一つを突き詰められても言い逃れできないだろう見え透いた三文芝居だった。コイツは最初から完全に目つきが初対面の相手を見るソレじゃなかった。
「態々現場に戻り俺の推理の補助をしたな。何故だ。」
「大した理由はない。」
犯人は現場に戻るという習性をそのまま体現してみたかったのかもしれない。つまり単なる気まぐれだ。嗚呼けど、
「島田も殺す予定だったからお前が居てくれて助かった。」
さっきの銃声はきっと綾辻の推理によって島田が事故死した音だろう。特定の条件下で罪を暴くと必ず犯人が死に陥る異能力、保有しているのが一般人であれば豚に真珠だったに違いない。もしかすると異能力が持ち主を定めているのかもしれないと思うことがある。特一級危険異能力者の高いポテンシャルを見せてもらえたのは貴重だった。
特に気に障ることをした覚えはないが、綾辻はまるで宿敵でも見るかのように凄みのある目つきで俺を見据えている。
「そう睨むな、手伝ってやっただろ。」
「鬼ごっこは俺もそれなりに楽しめたよ。辻村君は嘆いていたがな。」
「あの歳で防弾仕様のアストンマーティンとは恐れ入ったよ。」
さぞ大金を叩いて購っただろう高級車が火花を散らして宙を舞うのを見るのは心苦しかった。きっと普段からコイツに揶揄われているのだろう哀れな彼女を思えば修理代を出してやりたくもなる。
ところで俺は異能力を持っているから落下しても心配はないが、同じくパラペットに立っている綾辻は大丈夫なのだろうか。いや、別に俺が気にすることではないが…もしかしたら刺激欲求が強いのかもしれない。
綾辻は俺から視線を離さずに一歩近寄ってくる。
「馬場と島田と取引をしていたのはお前ではないな。」
「そうだ、俺はあくまで殺しの依頼を引き受けただけ。」
馬場を殺し、都合よく訪れていた綾辻によって島田は殺された。ミッションコンプリートだ。
「馬場は命知らずにもポートマフィアにウイルスを高額で売りつけようとしていた。遅かれ早かれ別の暗殺者が送り込まれただろう。」
どちらにせよ奴らは詰んでいたのだ。そう言うと俺は綾辻の上空を飛ぶアブラムシに目を移す。
白い綿をつけてふわふわと浮遊しているのが可愛らしい…なんて思えるはずない。雪虫なんていうが普通にただの虫だ。京極一号は土に還ったのだろうか。だが野暮なことは聞かない方が良いと結論づけ俺は京極二号から視線を外した。
一人で色々と思い巡らしていると綾辻が言葉を発する。
「前回の一件以来、俺はお前についての資料を読み漁った。」
「ピザ屋を隠れ蓑にした人身売買の事件か、もう懐かしいよ。」
次の日大々的にニュースに取り上げられたのを観て改めて己の運の悪さを呪ったものだ。某日本のヨハネスブルクの死神を馬鹿にできない事件遭遇率だ。
「異能大戦での超越者殺し、巨大なカルテル戦争、先月の横浜焼却の黒幕…挙げ出せば枚挙にいとまがない。」
おい待て、誰だそんな与太話を広めたのは。そんなツッコミは心の中で留めておいた。この手の話をする輩は大抵噂を信じていて、俺がどう親切に真実を伝えてやっても聞く耳を持たないからだ。
何にしてもあまりにも酷い風評被害だった。誰かが俺の名前を騙ってるんじゃないかと疑うくらいには。
しかし俺の胸裏を見抜くことなく綾辻は続ける。
「貴様ほどの大物に殺しの依頼をする人間は多くない。貴様を目の敵にしているマフィアはまずないと見て良い。」
うん、コイツも順調に思い違いを加速させてるな。もういい、そのまま勝手に誤解してろ。
「ならば横浜に潜む外部勢力とも考えられるが、ウイルスを扱える貴重な人材を殺すとは考えにくい。…ならば逆だ。」
「……………。」
段々と自身の表情が失われていくのを感じた。綾辻は俺のそんな俺の変化にニヤリと唇を弓なりにする。
「裏社会で危険なウイルスが出回っているのをいち早く察知し、それを看過できない存在。防衛と称し細菌兵器の開発に投資するような機関は一つ。それ即ち..」
「そこまでにしておけ。」
綾辻の口がある仮名を形作ろうとして、俺はその先を邪魔するように口を挟んだ。
「深入りは禁物、それ以上の詮索は命取りになるぞ。」
あくまで注意喚起だったが探究心が旺盛な探偵はそうは捉えなかったらしい。
自身の推測が正しいと確信めいて笑みを深める綾辻にある意味予想通りの反応だと俺は息を吐き込んだ。白息が湯気のように立ち籠めた。
探偵という職業に碌な奴はいない。どいつもこいつも好奇心のままに真実を探究し命知らずな言動を取っては見ているこっちに冷や汗を掻かせるものだ。ちょうど俺の目の前で得意げな顔しているコイツのようにな。
「忠告しといてやる。お前が無鉄砲に事件に首を突っ込み深みに嵌っていくほど、お前の大事なもんが傷つくことになるぞ。例えば新米捜査官の嬢ちゃん……ある日無惨な死体と成り果て海に浮かんでいたなんて、洒落にならないだろう?」
「それは脅しか。」
「忠告だと言ったはずだ。近頃は檻を食い破り棲家を探しに地上を這い回る凶暴な鼠もいる。」
他にも聖人の皮を被った悪魔等々…悪徳な奴らが蔓延っている。気を抜けばあっさりと寝首を掻かれ死んでしまうような混沌期に時代は突入しているのだ。進むことも退くこともできない、俺のような平凡人には厳しすぎる世界だった。
「被食者にならないよう、精々気を付けることだ。」
そう締めくくると気まずい沈黙がその場を支配した。
耳元でひゅるりと風が唸る。
屋上にいるからか身を切るような寒さに凍え死にそうになる。対して綾辻はこの寒気を感じていないのか身震い一つせず空中を睨みつけていた。何やら思考に耽っているようだ。
それにしても素晴らしい推理ショーだった。
人並み優れた見識、臨機応変な判断力、身体的な運動能力、どれをとっても横に並ぶ者がいないほどに秀でていた。勿論江戸川乱歩は例外だが。まさに不世出の天才、正直傍においておきたいと願うほどに気に入ってしまった。
「ところで、お前さえ良ければ俺の元に来ないか。実に素晴らしい推理だったよ。」
ついでに事件の感知能力も高いときた。これは天気予報のように事件予報をしてもらうしかないだろう。綾辻さえいれば凡庸な俺でもきっとこの世界を生き抜けるはずだ。
「特務課に閉じ込めておくには惜しい人材だ。そいつも一緒に連れて来れば善い。」
京極二号を指差しながらそう言うと、急すぎる勧誘に綾辻は驚いたといわんばかりに目を瞠った。
「そこで才能を腐らせるよりも俺の元でその真価を発揮しろ。お前が望むものは可能な限り揃えてやる。」
「…………。」
じっと黙り込み動かない綾辻、いつまで経っても返事を返さないことに痺れを切らした俺は懐から銃を取り出し向けてみる。決して脅すためではない、反応を見るためだ。少し動かせば額に触れるほどの距離で敢えて引き金に指を掛ける。
俺を真っ直ぐに見据えていた綾辻は何故か瞼を塞いだ。
…え?殺されると思ってる?
しかし閉じた瞳からは彼が何を考えているのか読み取ることはできない。
そんな時だった。
乱暴に扉が開かれたかと思いきや、青緑色が視界の端に映り込んできた。