文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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ヨコハマに墜つ 四〜七


銃声日和

 

 

喫茶うずまきは知る人ぞ知る名店だ。イタリアンバロック調の家具に大正を沸騰とさせる豪華な内装、カウンターに据えられた蓄音機からはクラシックの名曲が流れ、利用客を異空間へと誘ってくれる。

カレー、コーヒー、クッキーをはじめとした食事や軟水を用いた紅茶、珈琲など素朴ながらも拘り抜かれたメニューはどれも選び難い。レトロ漂う純喫茶は上階に拠点を構える武装探偵社や法律事務所の従業員は勿論のこと近隣住民の安息地としても重宝されている。冗長だが何故俺が喫茶うずまきについて力説しているかというと——

 

「やっぱりグァテマラ産はうずまきに限る。」

「お口に合い何より。」 

 

味わい深い一杯を堪能して(つくづく)店主の技術に感嘆を漏らすと、常連客にはマスターやオーナーと呼ばれる初老の男は人柄の良い綻びを見せた。今月の豆は世界一の美しさを誇るアティトラン湖周辺で採れた品種、火山に囲まれた肥沃な土壌で育まれたウォッシュドの優雅な花々しさと柔らかい酸味が特徴的な逸品だ。まろやかな口当たりがダークチョコで包んだアーモンドと絶妙に合う。気分は都会の洗練されたナイスミドルである。

 

「そういやあ武装探偵社が新入社員を雇ったらしいが、オーナーはもうご存知かな?」

「ええ、敦君というおっとりした青年でした。」

「十八だったか、探偵社じゃ若い方だな。」

「そうですね。賢治君が十四歳で最年少なので、彼は次に若いということになります。」

「詳しいな。」

「常連ですので。」 

 

存外探偵社も喫茶店に入り浸る程度には手が空いてるのかもしれない。かくいう俺も早くもオーナーの腕前に惚れ込んで半ば常連と化しているので同類である。敦が入社したのは三日程前だが、此処で初めて飲んだ一杯にすっかり魅惑され朝昼晩と日に三度も足を運ぶ熱狂ぶりだ。初恋が成就した暁に恋人と初めて訪った喫茶店の味が不思議と蘇ったが故の日参だが、端から見ればコーヒー狂いの所業であるのは重々承知している。勿論、忘れられない青春の味も大人になって嗜んだ酒の旨味も何方も捨て難い。又聞きだが、隣町にルパンという穴場があるらしいので近々寄ってみたい。

 

他に客の居ない店は長閑な風情に満ち足りており、キュッキュと皿を拭く音と蓄音機の奔放な滑舌が空間を牧歌的に彩っていた。初日に仕事も完遂して定住地も定めて肩の荷は降りた。早急に成すべき課題もなく徒然なるままに無為に過ごす一時がこの上なく安楽だ。

まだ熱さを保っている珈琲カップにそっと吐息をかければ、丸く小さい面積に揺蕩う水面からアティトランの香ばしさが鼻腔を通った。一口啜って中深焙煎の芳醇さを堪能すると、アーモンドを口に放り込む。相性は抜群だ。

 

「不躾ながらグレイさんはハーフの方ですか?いや、お名前が日本人らしからぬので。」

「いや、純日本人だ。この名前は愛銃に因んだモンでな。ナイフでも良かったんだが如何せん無機質な響きなので前者を選んだってだけだよ。」

「…成程。」

「その顔は信じてないな。」

「まさか。」 

 

横浜には異能という超常現象を駆使して権力と情勢の均衡を保つ三大組織があるが故にオーナーも半信半疑の様子だ。スーツの左胸を撫でればそこに収められた膨らみが淡白な感触を返した。

 

初めて戦地で名を尋ねられたとき、身元が割れるのを惧れた俺は即答すべき仮名を持ち合わせていなかった。あの血嵐吹き荒れる戦野で素直に本名を打ち明けるリスクを回避したくて、狼狽えるあまりに己が握っていた拳銃の異称を咄嗟に口にした。それがグレイの始まりだ。

ワルサーP38、第二次世界大戦時にドイツ陸軍に多用された安全性と応用性の高い半自動拳銃。パーカーという表面処理により灰色化した見た目からグレイゴーストと称され、その画期的で優れた機構から当時の米軍に恐れられていた。初期の怪盗ルパンの愛銃としても有名だ。

それからもう一挺、ベレッタ92も重宝している。ワルサーP38の機能を踏襲した改良版みたいなもので、世界中の法執行機関や軍隊で幅広く活用されている。タフ、性能、命中精度の三拍子が揃った優れモンである。俺の扱いが拙劣な所為で何度修理屋にどやされたことか…いつ何時ジャムっても安全を確保できるように切れ味抜群のファイティングナイフも常備している。 

 

「ま、抜かずに済むのが一番だがな。」 

 

なんたって俺は一般人の枠を出ない犯罪者擬きなのだから。殺人や窃盗等第一級犯罪に分類される罪はそれなりに犯してきたがあくまで戦後の激動を生き抜く為に余儀なくされた自衛の結果であり無闇鱈に悪行を働いた覚えはない。況してや罪のない市民の尊厳を意図的に損なったことも。…思い掛け無い災難で付随的に大量の死傷者を生み出す事態になったことは屡々あるが、総て俺の悪意の成せる業ではない。

従って何度己の行いを省みたところで国際指名手配犯は分不相応でしかなかった。恐らく戦場で俺が奇跡的に斃した連中が各国政府にとって死なれては都合の悪い存在だったようだが、十五年以上も経った今になっては完全な念晴らしである。どうか過去の諍いは水に流してくれないか。  

 

「そういやオーナーは戦場には?」

「大戦ですか、懐かしいですね、私は末期の常闇島で二等兵として徴集されました。今振り返ってもあんな地獄は永遠に御免被りたいです。」

「違いねェな。俺は自分がいる場所すらも分からず四方八方駆け回ってたよ。」 

「精兵でもなければ一般兵卒なんてそんなものですよ。」

 

懐古心を刺激されたのかオーナーはあの頃の懐旧談を語ってくれた。同じ釜の飯を食った仲間との労苦体験や遥々日本から便りを送ってくれた奥方との馴れ初め、上等兵に誘われて加熱した重機関銃で煙草に火を点けて上官に叱られた思い出まで。どこぞの国家に帰属する兵士として参戦したわけではないものの、複数の軍施設に身を運ぶ機会のあった身としては新鮮さ半分物懐しさ半分で会話に興じられた。

昔話に花を咲かせているうちに二杯目の珈琲も冷めてしまった頃合、何が無しに視線を窓外に流した俺は偶さか瞠目した。 

 

「………。」 

「グレイさん?」

 

道路を挟んだ向側、行き交う通行人の只中で明らかに浮いてる連中が律儀に信号待ちをしている。秋晴れの朝方、物騒に際立つ黒服と遠方からでも見取れる胸の膨らみ、一部に至ってはギターケース並みに大きな黒鞄を何個も抱えていれば難しく長考するまでもなく正体が窺える。

悪漢どもが横行跋扈する魔都の宵闇を支配する闇の非合法組織、ポートマフィア。凡人としては是が非でも拘らいたくない要注意人物、内三人の存在を認知してしまうと超嘆息の一つでも吐き出したくなった。実力至上主義の凶悪マフィアでも上位実力者に食い込む黒蜥蜴の三人。武闘派実働部隊百人長の広津柳浪、十人長銀、同じく十人長の立原道造。揃いも揃ってポートマフィアの名の下に関東一円を悪名を馳せる猛者どもだ。

 

信号が青になった。遅刻気味に通学路につく女学生が上機嫌に笑い合いながら、己らの傍らに居る存在がどれ程危険であるかも知らずに横断歩道を渡り始める。

彼女達に続いて広津が一歩を踏み出した。先代の首領から組織に奉じる最古参は泣く子も押し黙る示威を漂わせている。探偵社、次いでステンドグラス張りのうずまきを見透かすように見詰めると、広津は黒服に二、三言指示を下す様に俺は珈琲カップをソーサーに戻した。

 

「オーナー、奥に入ってくれ。俺が良いと云うまで決して出ないように。」

「はい?…っ!」

「そういうことだ。」 

 

物騒な代物は抜かずに済むならばそれが一番だ。だが時として邪と偽りに満ちたこの世界は平穏を享受し続けることを許さない。俺が指差す先、黒服の集団が客人とは言い難い歩武でこちらに向かっているのを見留めたオーナーは即座に表情を一変させた。 

 

「しかしグレイさんは」

「俺のことは気にすんな、あんなチンピラ程度なら屁でもない。嗚呼、それと警察にはまだ通報しないでくれ、纏めてしょっぴかれるのは御免だからな。」 

 

自身に言い聞かせるように何度も首肯したオーナーが店奥へと消えて行ったのを見届けると、俺は懐に手を伸ばす。一足先に上階から烈しい怒号と金属音が降りてきた。完全に飛び火である。頭の片隅で遺憾にも数分後には半壊してしまうであろうヴィンテージものの家具や穴だらけになったタペストリーを想像して苦々しい笑いが溢れ出た。 

 

「ま、今日も良い銃声日和だ。」 

 

瀟洒な喫茶店でそんな場違いな感想を抱いてしまうくらいには、俺もアッチの世界(、、、、、、)に順応しつつあるのかもしれない。 

からん、ベルの軽快な音色と共に招かれざる客が侵入する。

直後、空気をつん裂く破裂音が連続した。

 

 

伊勢佐木警察署、大阪の釜ヶ崎と東京の山谷に並ぶ日本三大ドヤ街が一角として知られる中区寿町を筆頭に各種遊戯施設が犇く関外の歓楽街といった犯罪多発地域を管轄する横浜市警察部隷下。県下でも歴史ある警察署の一つである。街頭犯罪からマフィア関連、風俗事案が頻発する当署においては、凡ゆる事故事件の未然防止を公告として掲げて十二課体制、関東管区機動隊を配備している。署員数も多く検挙率は悪くない。多種多様な事案を取り扱う伊勢佐木警察署だが、殊今日に限っては一風変わった事件に煩わされていた。

 

「山際は政治家の汚職事件を追っていた。」

 

署の取調室にて、映画やドラマで観られる薄暗闇をけざやかに映し出す一枚のマジックミラー。隔たれた隣室で取り調べを行う三人の男を太宰、敦は見守っていた。二人が眼差す先には刑事と巡査と江戸川が解決目前の事件を締め括ろうとしている。

事の発端は河辺に遺体となって上がった一人の女性巡査、山際。前任の安井刑事から強行犯係を引き継いだ箕浦刑事の直属の部下であり、忠勇義烈の人格者だった、為政者の汚職に纏わる物証を掴み殺害されたとみられ、兼ねてより難事件解決に助力し親善を深めていた探偵社屈指の頭脳を誇る江戸川が敦を随伴させて平常通りに赴いた次第である。余談ながら川の上流で自殺を図り事件現場で引き上げられた太宰があわや捜査を攪乱しかけたのは決して稀有などではない。

 

とまれ、江戸川の類稀なる推理劇により暴かれた実行犯は杉本という、同所轄署の巡査だった。彼はマフィアの犯行に見せ掛けて山際の胸を三発装備品で撃ち抜いたものの、杜撰な始末を看破され取調室に連行されるに至った。

 

「昔から警察官に憧れていました。」 

 

箕浦の詰問を受けて彼は自白しだした。

警官採用試験に三度落第し長年の希望も潰えかけたある日、とある大物議員に差し伸べられた手を取ったことで彼の内通者としての人生が幕を開けた。憧れの警察官、しかし不健全な手段で実現された夢がつつがなく継続する筈もなく彼は因果応報を身を保って体験することになる。山際が議員の贈賄の物的証拠を掴んだという一本の電話だけでは、己の経歴が崩壊する跫が迫ってきているなどとは気付くことができなかった。早朝、彼は彼女を河岸に呼び出して証拠を揉み消す為の説得を試みた。…そして勧善懲悪の徒たる山際と己との崇高の格差を突き付けられ、揉み合いの後に一体の遺体がその眸に無念を宿して川を流れることとなった。

 

「決して、決して撃つつもりはなかったんです。」 

 

朝靄立ち込める河辺で自縄自縛に陥り自決を試みた若き巡査は、自身が憧憬を注いだ輝かしい職種ばかりでなく想い人を自ずから失ったのだった。

江戸川の正鵠を射た誘導にあれよあれよという間に聴取は終幕へと向かっていく。淡々と進行する取調の円滑な有り様に敦は思わず嘆声を漏らした。

 

「凄い、本当に全部当てちゃうなんて…。乱歩さんがいればどんな難事件もあっという間に解決ですね。」

「ああ、敦君はまだ知らなかったか。」 

——彼、異能力者じゃないんだよ。 

 

寸秒あった。衝撃的な真実を事もなげに言ってのけた太宰に新入社員は顎が外れたかのように口を開く。異能力…否、非異能力者。数秒かけて太宰が放った言葉を噛み締めて。

 

「は、はぁあア!?」 

 

脳が理解に至った途端、天地を引っくり返すほどの震撼が狭小な室内に響き渡った。

 

 

『月下獣』、超次元的な虎の能力をその身に降す異能力。世間ばかりか孤児院という閉ざされた社会ですら隔絶されていた自身の異質性を究明できたのは、遮る雲のない満月が一点に輝く虚空の下、十五番倉庫で起った一夜の魔法(異能)だった。

 

恩人に促されるがまま武装探偵社に足を踏み入れ、紆余曲折あって新たな居場所を見出せたものの太宰さんや国木田さん達が平然と使える超能力なるものを僕はまだ持て余していた。取り立てて訓練を行ったとか取扱説明を施されたとかいうわけじゃないけれども、徐々に加減調整が効くようになったのは僥倖と形容するに限る。それにしても周囲に指弾され落伍者としての烙印を押されてきた原因が他でもない自分自身にあったという事実は一層疎外感を助長させるばかりだった。

厄介極まりない僕の異能に反して探偵社の皆は安易な道を歩んできたに違いないと、不適切な妬心を心の隅で燻らせてしまうくらいには、日向に踏み出せば踏み出すほど新しい世界が眩しく感じられた。乱歩さんの『超推理』だってそうだ。誰も傷つけることなく、人の痛恨に救いを施し、求めずとも周囲の賞賛を浴びる人生。陰湿な懲罰房でコンクリートの隙間から茂る雑草を貪っていたような僕とは正反対の神の寵児なのだと勝手に思い込んでいた。

 

「異能力じゃない?え、ごめんないちょっと分かりません。…唯の天才?」

「そう、単なる鬼才。私も初めは驚いたよ。」 

 

探偵社の中でも抜きん出て自由奔放、幼児返りしたような言動が目立つ乱歩さんの華麗な推理劇が実際には彼の常人の域を超えた明晰な頭脳の賜物だった。温室育ちとばかり思い違っていた二十六歳児が年齢だけではなく、皆に一目置かれている所以を理解してしまうと僕はひたすらに魂消るしかできないでいた。そんな僕の胸中を見透かして太宰さんは莞爾として笑む。

 

「これで判ったろう?探偵社の誰も彼の言動を咎めない訳が。」

「…はい。」 

 

視線を流せば、マジックミラーの向こうで杉本巡査が顔を覆って肩を震わせている。無理もないだろう、悪を断罪する為に腰に提げた規律と公権力の象徴が偏に自分の過ちで穢してしまったのだから。法の執行者として組織の無謬性を誇示したい警察署にとっても今回の事件は痛手に違いない。何せ凶器が支給された銃なのだから、きっと不祥事を狙う記者が嬉々として何処からか嗅ぎつけてくるかもしれない。…銃といったらそういえば、

 

「太宰さん。」

「なんだい、敦君?」

 

銃という単語に不意に、乱歩さんと出張任務に出向く直前の探偵社での一悶着が想起される。 

 

「すみません、太宰さんに社長から言伝を預かってました。」

「社長から?」

「はい、太宰さんは居なかったので知らないと思いますが…」 

 

今朝、武装探偵社はポートマフィアによる襲撃を受けた。 

 

発端は遡及すること一日前。社員が爆弾魔を演じて人質立て篭もり事件を偽装するという世のブラック企業も真っ青な入社試験を見事に突破した僕は、晴れて探偵社員として任務に赴くこととなった。

依頼人は樋口一葉と名乗る若い女性で、学生でありながらも正社員として籍を置く谷崎潤一郎さんと妹のナオミさんと一緒に任務先へと向かったのだが、実は依頼自体がとんでもない虚構だったのだ。彼女の正体はポートマフィアの構成員、芥川龍之介の直属の部下で人虎である僕を生捕りにする為に巧妙な口弁で袋小路に誘い込み、僕らはまんまと罠に嵌められた。即戦力でないながらも最も戦力成り得た谷崎さんが身体を張って戦ってくれたものの、三人揃って女医の与謝野さんの異能力で集中治療を受けることとなった。最終的に太宰さんが間に合わなければ今頃谷崎さんとナオミさんは路地裏で果てたまま二度と陽を拝むことなく、僕は何処かへと売り払われていただろう。

けれども一度捕縛を断念したにも関わらずポートマフィアの連中は往生際悪くも黒蜥蜴という次なる凶手を仕向けてきた。狙うならば僕一人だけをという懇願も虚しく、奴らは卑怯にも凶悪な実働部隊を直接探偵社に嗾けてきたのだ。周章に足を縺れさせながら駆け付けた僕だったけれども…当初想定していた最悪に反して、探偵社はいとも容易く襲撃者を返り討ちにした。

 

一万歩譲ってここまでは辛うじて容認できる——いや、谷崎さんとナオミさんに深傷を負わせたことだけは許せない——、問題は黒蜥蜴が同ビル一階に店を構える喫茶店をも急襲したことだった。うずまきのオーナーは戦う術を持たない初老の男性、況してや只の民間人だ。実直に生きて地域社会に貢献してきた守られるべき市井人に血と硝煙に塗れた手を振りかぶった、国木田さんが締め上げた一人がそう告白した時の僕たちの心胆を寒からしめる思いはきっと言葉では伝わらないだろう。

突撃銃を携えたマフィア相手にオーナーが太刀打ちできるはずもなく、構成員の話に血の気を引かせて階下へと駆け出した僕らだったが…如何いうわけか飛び込んだ先に広がっていた有様は予想していた悪夢ではなかった。

カウンターの奥から絶句を表明して呆然と店内を見詰めるオーナー、眉間の一点を綺麗に撃ち抜かれて床を血色に変色させる構成員。 

 

「反撃者は二次被害に配慮したようで家具には一切の損傷がなく、一部ステンドグラスだけが被弾してました。」

「随分と限定的だね。」

「はい、それも恐らくマフィアの撃った流れ弾の所為かと。国木田さんは銃創と血痕の具合から、犯人は暇つぶしに嬲るように態と反撃の余地を与えたうえで命を絶ったと考えてるみたいです。…それで、社長がいらしたら血相を変えて特務課を呼べと。」 

 

銃器に疎い僕には判らなかったけれど、洗練された殺害方法と貫通してひしゃげた弾丸に何かを察した様子だった。 

 

「えっと…ワルサーなんとかっていうのが使われてたみたいで太宰さんにも話がある…と…」 

 

見間違いだろうか。一瞬、太宰さんの瞳孔が極限まで縮められたような気がした。普段の剽軽な気配が鳴りを潜め、笑みを湛えているのに酷く謹厳そうな雰囲気を漂わせて。けれどもそれはほんの束の間に過ぎなかった。

 

「社長がそう言ったなら仕方ない!心中相手を探そうと思ったのだけど、直ぐに帰るとしよう。乱歩さんのことは頼んだよ、敦君!」 

 

一転して僕の背を催促するように叩いたと思ったら、目にも止まらぬ速さで太宰さんは部屋を出て行った。…と、半開きの扉から顔半分を覗かせる。口元が暢達に弧を描く。

 

「そうそう、ちょっと聞きたいんだけど」

——そのブローチ、誰に貰った?

 

…………。

 

半刻後、事情聴取を終えた乱歩さんと箕浦刑事に別れを告げて、僕達は帰路についていた。駅に入ったところで漸く太宰さんの不在に気付いた彼に事情を説明すると、乱歩さんは瓶の中のビー玉を転がしながら相槌を打った。興味があるのかないのか分からない、微妙な面相をしている。 

 

「僕はてっきり構成員達が仲間割れしたと思ってたんですけど。」

「敦って馬鹿だね!」

 

歯に衣着せぬ辛辣な物言いは乱歩さんの無邪気さでなければ大抵の人の反感を買っただろう。腹蔵ないのは良いことだけれど、容赦のない簡潔な中傷に打ち萎れそうだった。端からしょげこむほどの自尊心もないというのに。

 

「オーナーは?」

「奥で片付けている時に銃声が聞こえたみたいで隠れてたそうです。」 

 

無理もない話だ。日常で拳銃やら短機関銃やらのけたたましい筒音なんて耳馴染みのないものが鼓膜を震わせようものなら、きっと僕ならば頭を真っ白にして右往左往するだろう。地震の如く危険が過ぎ去るまで声を出さずに身を潜めていただけでも喝采ものだ。件の襲撃に関しては探偵社からの、延いては僕の不始末の落ち度なので巻き添えになったオーナーは不憫だったというほかない。 

それにしても騒動後のうずまきに充満していた煙草の匂い、何処かで嗅いだことがあるような。…喉元まで出かかっているプルースト効果にもどかしさを覚えていると、飴玉を頬張る乱歩さんが僕の試みを中断させた。

 

「ところで敦さあ、なんで探偵社に相談しにきたの?君みたいな子が思いつくような場所じゃないと思うんだけど。」

「あ、それはある男性のお陰なんです。」

「へぇ」

 

手摺に頬杖をついて、募り始めた好奇心を滲ませた二つの翡翠が先を促している。

食事と服を与えて孤独を凌ぐ為の居場所へと導いてくれた人生の恩人。鶴見川のほとりで二人の間を吹き抜けた、清冽な風の告げる吉兆の美しさを僕は忘れない。不遇の最も深いところで空腹が骨身に応える見窄らしい孤児を見過ごすことなく立ち止まった男の精悍な輪郭を、初めて人の優しさに触れた温もりを。それはきっと本で読んだ、クリーニングしたての布団に包まれるような繭篭もりの心地や、帰る家のある少年が母親に作ってもらうホットミルクの甘やかさと変わらない。

 

「成程ね。」

 

細やかな話は省いて大体のあらましを伝えると乱歩さんは奇妙な相槌を打った。シャーロック・ホームズさながらの姿勢で顎に手を当て考え込む仕種をしている。

 

「じゃあその虎のブローチもその男に貰ったわけね。…はは、舐められてるな。」 

「ら、乱歩さん?」

 

後半は列車が線路を軋ませる音に掻き消された所為で聞こえなかった。太宰さんに続いて同じ質問を二度も問いかけられて小首を傾げる僕に、須臾の間何やら思案していた乱歩さんが応える代わりに本調子の手振りで肩を叩いてきた。

 

「さあ、駄菓子を買って早く帰るよ、社長が待ってる!」

「え、ええぇ?」 

 

それから呼び止める間もなく乱歩さんは電車に飛び乗ってしまった。やっぱり転職先、間違えたかもしれない。

放埒な先輩の振る舞いに混迷を隠せず棒立ちしているうちにアナウンスが発車を告げる。間断なく「敦ー、置いてくよー」と催促の声が車内から届くと、僕は弾けるように乱歩さんの後を追った。

 

 

 

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