文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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パラ・ベラム 四十三〜


彼は誰時のシュトゥルム

 

 

昔から文字を読むことも、自分で物語を書くことも好きだった。

暇があっては家の近くの本屋に通い、本好きの店主が一冊ずつ丁寧に選書した本を読み漁っていた。紙やインクの匂い、こじんまりとした空間がどうしようもなく心地良くて毎日毎日何時間も長居した。読み終えた本をタワーのように積み重ねる充足感、知識を頭いっぱいに詰め込んで店を出るとより鮮やかに見える世界。本屋でしか味わえない文学的な薫りを味わいたくて何度だって足を運んだ。 

 

まだ小学低学年だったある日、俺は一冊の本を手にとった。 

 

「文豪、ストレイドッグス?」 

 

一杯の茶漬け、梅干しに刻み海苔、それに昨日の夕餉の残りの鶏肉…食欲を掻き立てる序文と細部まで鮮彩に描かれた茜空から始まったそれは漫画だった。

先の一生、壁にぶつかる度に行く道を照らしてくれる一冊となることなど知らず、俺は心躍らせぺらりと頁を捲ったーー

 

 

誰もが一度は考えたことがあるはず。

一見何の関係もないと思える異世界と現実が繋がっていて、ある時数奇な運命で思いも寄らない旅路に乗り出すことを。その旅でかけがえのない人や物と出会い、人生が百八十度変わってしまうかもしれないことを。

ひょっとすると、全ては最初から決まっていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

乱歩の一言により敦と国木田の三人は夜が明ける前に特務課に赴いた。いつ何処に潜んでいるやもしれぬ敵の急襲の恐れもあったが、共喰いの異能に今も蝕まれているであろう福沢を思えば行動しないわけにはいかなかった。 

 

人目を避け迂回しながら特務課へ向かうと出迎えたのは頭と腕に包帯を巻いた坂口だった。 

 

「ど、どうしたんですかその怪我!?」

「そうですね、まずはそこから話しましょうか。」 

 

そうして坂口から語られたのは肝を潰すような出来事。

 

昨晩、特務課と軍警は三十二名から成る精鋭部隊を引き連れグレイの逮捕に踏み切った。予告なしの完全な奇襲の筈が....世界を股にかけ悪名を馳せてきたグレイとっては噴飯物のインパール作戦に過ぎなかった。抜かりなく迎撃の準備を整えたグレイにより大爆発が引き起こされ、結果として低く見積もっても五百名弱の死者と二千名以上の負傷者が出る大惨事となった。雨天のために火災が起きなかったのは幸いしたが今もなお横浜中の緊急車両が救助活動にあたり外出禁止令が発布されているという。 

 

特務課への道中、街の彼方此方からひっきりなしに聞こえてくる警告音や死臭に何事かと敦達は足を早めたものだったが、その理由が判るやいなや驚駭した。 

 

「うん、君達馬鹿だね。本当に馬鹿。猟犬がいるからって彼を相手にたった三十と二人で挑むなんて無謀も良いところだよ。」 

 

唯一平常通りに辛辣な言葉を吐き散らす江戸川であったが、敦も国木田も坂口自身も異を唱えることはなかった。司法省長官の達しとはいえ、グレイを追い詰めんと画策するなど糾弾されても仕方がないほどの愚行である。 

 

「事後処理がエベレストのように積もっているので申し訳ありませんが貴方方に構っている暇はありません。彼に関する資料なら彼方のA458を好きに使ってください。」 

 

そう言うと比喩通り高峰の如く積み重なる書類の一点を指差し、敦達を見向きもせずに即座にデスク作業に戻る坂口。疲労の色に隈取られた顔と完全にハイライトの消えた目が痛々しいと、敦は一つ思った。

 

 

それから敦と国木田は坂口が示した書類の塔から弱一時間かけて必要な資料を抜き出した。二人に指示を出した張本人はとうの昔にソファでラムネ瓶を片手に寛いでいた。 

 

「乱歩さん、書類が揃いました。」

「ん、ちょーだい。」 

 

国木田から資料を受け取ってすぐ、江戸川は眼鏡の鼻当てを持ち上げると思考に耽り始める。敦達が集めたのはグレイが来日してからの足跡を記録した資料であった。神出鬼没故に彼の居場所を記したのは僅か十枚未満であったが如何せん彼に関する記録の量が夥しく、二人で探すには時間を要したのだ。 

 

「全く骨の折れる仕事だった。」

「僕、知りませんでした。グレイさんがこんなにも…」 

 

言葉は最後まで続かなかった。自身の中で複雑に入り混じる感情がひたすらに苦しかった。

 

束になった書類が記していたのは彼の行いによる破壊と動乱の記録ばかりで、歴史的に大きな事件や事故の現場に何度も居合わせる正体不明の存在、異能力の詳細もテレポート系ということ以外彼を詳細に語った記録は何一つなかった。まるで()()()()()()()()()()()()()()()()()かのように。 

 

頼り甲斐のある大きな背中、言葉だけではない実力、越えたいと思える壁であり何かがあれば必ず助けてくれる存在。如何に脅威と警告されようが、敦にとってグレイは父親であった。

しかし書類を漁るうちに敦は知ってしまった。目を背けることのできない父親の裏面に…どこまでも光の届かない深部にグレイが存在していることを知ってしまったのだ。 

 

「だって、グレイさんはいつだって知性と理性に溢れていて…それでこの間僕が立ち上がれなくなった時も…」

「…敦、」 

 

拙いながらも心境を吐露する敦に国木田は憐憫を感じずにはいられなかった。太宰や福沢が危惧していた通り、グレイの存在は敦のなかで父軸として形成されつつあった。グレイの意図は俄然不明だがこれ以上敦がグレイに傾倒するのだけは避けねばならない。これを機に父離れを促すそうと口を開いて、 

 

「やぁっと見つけた!さぁ行くよ君達!」 

 

勢いをつけて伸び上がった江戸川に国木田の試みは挫かれた。 

 

「国木田ー、駄菓子買ってから行こう。」

「は、こんな時に駄菓子ですか?」

「乱歩さん...って早っ!」 

 

 

そのまま振り返ることなくズンズンと先を行く江戸川に、国木田と敦は慌てて後を追ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

懐かしい夢を視た気がする。記憶の遥か深淵に沈んだはずの少年時代を。 

 

 

太い鼾が鼓膜を揺する音で目を覚ますと、視界一面に無精髭が映り込んできた。

だらしなく半開きになった口からは涎が垂れ、テーブルに水溜りを作っている。数センチの至近距離から怪獣みたいな息とともにアルコールやら夜食のピザやらの生ごみのような臭いが迫ってくると、不快感に上半身を起こして男の両肩を押した。 

 

「んぐぉー…っぷすぅ、」 

 

若干強めにソファに振るい落とされたというのに花袋は安らかに眠っている。水を一口含み大きく伸びをすると段々と脳が現実に追いついてきた。 

 

昨夜…正確には深夜、ホテルに戻ってきた俺たちは間も無く行きつけのバーへと向かった。以前ドストエフスキーとも訪れた異能力者専用の店だ。 

 

入店早々テキーラを頼んだ花袋の腕まくりに挑発に応じて飲み比べ。売られた喧嘩は買うタイプだ。Aと俺のせいで引き起こされた大爆発事故の影響で外出禁止令が出されたらしく客も疎で、途中からはオーナーや他の客も道連れにして酒合戦が開かれた。ボトルの度数を上げていき最初に目を覚ました奴が勝利という泥酔前提のとち狂った勝負だった。浴びるほど飲みまくりエバークリアからスピリタスのショットガンに移行したあたりから記憶がない。 

 

辺りを見渡すとカウンターやフロアに四肢を投げ出して泥のように眠る数名の客達。 

 

「フガッ!...ガーゴー。」 

 

トロールの雄叫びが聞こえて顔を向ければ酒瓶を抱きながら足元で熟睡するオーナーがいた。そこから小股五歩ほどの椅子には背を逸らしてアーチ型に黒焦げた死体が。…そうだ、確か最後まで残って俺とサシで勝負した男だ。スピリタスを被ったまま煙草に火をつけて引火した阿呆。飲むことに人生を賭けていると豪語しながら燃え尽きていったのは覚えている。 

 

「天晴れな最期に。」 

 

名前も知らないが見事な死に様に迎え酒で乾杯する。

どうやら他に目覚めたものはいないらしい、これは俺が勝者で良いのだろうか。  

 

 

いつの間にか八十年代のディスコミュージックではなくクラシックが流れていた。ピョートル・チャイコフスキー、くるみ割り人形花のワルツ。宿酔した体の緊張を程度良く解いてくれる優良なオーケストラ。そういえば近頃Qがラジオで聴くクラシックにハマっていた。何でも初めてできた友達にラジオを勧められすっかり惚れ込んでしまったらしい。バドミントンの道具一式を買ったばかりだと尋ねてみるとラジオを聴きながら遊ぶという子供らしさ全開の回答が返ってきた。

 

一先ずスポーツラジオを買ってやるとクラシックを流しながら下手くそなバレエを踊るものだから買った甲斐もそれなりにあったというもんだ。昨日も友達とやらとバドミントンをしに行くと俺の静止を聞かずに飛び出していった。無尽蔵のスタミナに拍手をしたいところだが、子供の夜更かしは発達面でよろしくない。その内帰ってきてくれと願うしかない。

 

 

テーブルに放置された誰かのパルガタスを手に取りライターを取り出す。先端を切り吸い口をカットするとボウっと点火した炎をつけるともくもくと雲のように煙が立ち昇った。それを数秒かけて吸い込むと口の中で濃厚でウッディな香りが膨らんだ。嗚呼、贅沢だ。

 

緩やかに立つ煙を見ながらクラシックの名曲と共に喫味を暫くの間愉しむ。 

 

「腹減った。」 

 

適度に成長した灰を皿に落としてそう呟いた。酒合戦を始める前に食べたチーズピザはとっくに消化され体内にはアルコールだけが残っていた。勝手に厨房に入ってやろうと立ち上がると扉の向こうが騒がしいことに気づく。

進行方向を変えて半開きの扉からこっそりと様子を伺ってみる。

 

 

 

「だーかーらぁー!君に構ってる暇はないんだって。」

「駄目なものは駄目だ。ルールに従ってもらう。」

「こんの石頭!頭でっかち!」 

 

入り口に立ち塞がる警備員と子供のようにそれを指弾する小柄な男がいた。

いつかの喫茶うずまきで束の間の気まずいティータイムを共にした江戸川だった。その背後には敦と国木田が宥めんと両手をそわそわと動かしている。

一体どういう経緯でこの店を知ったのか、何故今此処に来たのかなど疑問はあるが江戸川がいるならば目的は一つしかないだろう。大方彼が異能力者じゃないことで揉めているに違いない。入店審査である異能のトランプを読み取れなければ通ることはできないが、会員の同伴者がいるならば話は別だ。

 

俺は堂々と扉を開けると廊下を進んで彼等に歩み寄った。 

 

「入れてやれ。」

「グレイさん…!」 

 

正面突破せんと数歩後退した江戸川がやらかす前に口を挟むと、驚愕の視線を浴びる。 

 

「よォ、探偵社が俺に何のようだ。」

「時間がないんだからしらばっくれないでよ。」 

 

いや分からないから聞いたんだが。

しかし自分の常識が世界の常識の江戸川は俺の横を通り過ぎて中に入っていった。止めようとする警備員を下がらせて手招きすると、敦と国木田はごくりと唾を飲み込み一歩を踏み出した。

 

 

 

「これは一体…」 

 

やはり未成年の敦は外で待機させるべきだったか。

床に転がる半裸の酔っ払いや奇妙な寝相で昏睡する者達や黒焦げの死体を見て顔色を悪くさせる国木田と敦に、敢えて含みを持たせて聞いてみる。 

 

「聞きたいか?」 

 

すると捥げそうな程に頭を横振りする二人が面白くて自然と口元が緩んだ。

 

席に案内して邪魔なオーナーを退ければ開けたソファーに寝そべる花袋に国木田が一目散に駆け寄る。 

 

「安心しろ、眠ってるだけだ。」 

 

救急車を呼ばなければならないほどに重症じゃない…多分。他の客みたいに床に落とすわけでもなく、寧ろ柔らかなソファーに寝かせてやったというのに何故か俺を睨みつける国木田。酒の問題は自己責任だと肩を竦めて、椅子に座ってメニューを眺める江戸川に声を掛ける。 

 

「ちょうど飯でもと思ってたところだ、何か希望はあるか。」

「んー、じゃハンバーグ。」

「乱歩さん!?」

「ハンバーグな、お前達はどうする。」 

 

どうせ冷凍食品をチンするだけなので味は保証すると付け加えると、二人は顔を見合わせつつも恐る恐るといった様子で呟いた。 

 

「水でお願いします。」

「水で。」  

 

一体誰が食い散らかしたのか、厨房には野菜やら油やらが調理台にぶち撒けられていた。冷凍庫を開けると僅かに残っているハンバーグと炒飯のパッケージを取り出して電子レンジに纏めて入れる。ブオンという電子音が鳴り中の皿が回転し始めた。 

 

五分も経たないうちに加熱が終了すると中身を取り出し別々の更に盛り付ける。

江戸川の皿には保温されたホクホクの白米を山形に乗せて最後にハンバーグに旭日旗を挿せば特製デミグラスグレイハンバーグの出来上がり。炒飯のごま油と熟成肉とナツメグの本格的な匂いに食欲を掻き立てられながら、水を注いだコップを二つ一緒に大きめのトレーに乗せて三人の元へと戻る。

 

 

「うん、悪くないね。」

「お気に召したようで何より。」

「…………。」

「…………。」 

 

プレートセットを頬張る江戸川に俺もパラパラの海老炒飯を口に運ぶ。 

出汁の効いた卵にぷりぷりの海老、葱の風味が絶妙な味かげんとなっている。何も言わずに出されれば間違いなく本場のコックが作ったと信じるだろう。中華料理店のと比べても遜色ないくらいの旨さだ。 

 

俺と江戸川が美味い飯を味わってる傍らで二人は礼儀正しく座っていた。 

 

「一つ聞いていいか。」

「なんだ。」

「何故花袋が貴様といる。」 

 

国木田の探るような視線を受けて俺は一度スプーンを置く。 

 

夏目に預けられたと言おうとして、開きかけた口を閉じる。コイツらは夏目の存在や花袋が俺と関わりがあることを知っているのだろうか。仮に知らないとして、彼の正体や花袋との関係性を俺が勝手にバラしていいのかと。 

 

少しの間逡巡してやっぱりその旨は隠すことにした。 

 

「色々あって花袋の身柄を保証してやることにした。」

「つまり人質だと?」

「人聞き悪ィな。守ってやってると言ってるんだ。」 

 

瞳孔を鋭くさせる国木田に弁明すると隣で江戸川がふーんと相槌を打った。 

 

「まあ君の元なら最強のセーフハウスだね。」

「最も危険の間違いじゃないのか。」 

 

俺みたいな小物に預けるなんて夏目もついに認知症が進んだか。なんて心中で思っていると江戸川がその通りだねと言葉を零した。見下したような憫笑が心に突き刺さった。 

 

不意に場に沈黙が舞い落ちる。

奇妙な視線を感じて目線を上げれば江戸川が俺を意味深げに見つめていた。 

 

「やっぱり、僕が異能力者じゃないこと知ってたんだ。」

「えっ!?」 

 

泡を食ったとばかりに敦と国木田が身動いだ。 

 

「ああ、それがどうした。」

「いーや、別に。ただ情報源が気になって。」 

 

原作をよく覚えていないから微妙だがてっきり江戸川の異能力に関しては周知の事実だと思っていた。この世界に来た時にかろうじて記憶に残っているキャラクターの情報は早めに紙に記しておいた。おかげで俺のような取り柄のない人間でも今日に至るまで生き延びられているんだ。 

 

「情報は命だ。そうだろう?」

「つまり教えてくれないってことか。ま、いいよ。」 

 

江戸川は興味を無くしたように再びハンバーグに手をつけ始めた。 

 

「そうそう、特務課で聞いたよ。奇襲を逆手に取るとは流石だ。」

「お褒めいただき光栄だ。」 

 

十中八九誰かと間違えてるが取り敢えず礼を告げておくと、続いた言葉に米粒を吹き出しそうになった。

 

「君のせいで特務課も消防庁も鞅掌している。罪悪はないわけ?」 

 

前言撤回、どうやら昨日の出来事についての話だったらしい。 

 

あの爆発事故は人生から完全に葬り去りたい汚点となった。地獄行きは間逃れないだろうが今回のようなアクシデントはこの世界に来て一度や二度じゃない。それに覆水盆に返らずとも云うだろう。今更他人に責め立てられたところで覆すことなどできないのだ。 

 

「勿論悪いとは思ってるさ。」

「…嘘つき。」 

 

嗚呼、ただでさえ悪酔いで胃がむかついていたというのに余計に痛くなってきた。

ふと視線を動かすと敦と国木田は顔を俯けさせ感情のはっきりしない面持ちを浮かべていた。俺はこれ以上あの事故について話したくなくて、話題を変えてみる。 

 

「それで、本題に入ろうか。」

 

 

 

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