文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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彼は誰時のシュトゥルム(後)

 

 

ー俺に何のようだ。 

 

歪んだ口元で両手を組み、グレイは冷たく嗤う。暗い影を宿した瞳が灰色に光ると国木田と敦は緊張に喉を詰まらせた。しかし江戸川は違った。 

 

「ドストエフスキーの居場所が知りたい。」

「ほぉ?」 

 

人差し指を小刻みに揺らしてグレイは興味深げに片眉を吊り上げた。

一言も発することなく底深い闇を留めた眼差しが三人を射抜く。試されている、本能的に悟った江戸川は期待に応えるべく目を逸らさず彼を正視する。

 

永遠とも思えるような時間が流れた。先に視線を逸らしたのはグレイの方だった。 

 

「残念だが奴の居場所は俺にも分からない。足労だったな。」

「っ待って、」 

 

残念なことに江戸川の試みは失敗に終わった。

話を切り上げ片付け始めるグレイを咄嗟に呼び止める。

 

江戸川は焦っていた。探偵社とポートマフィア、二人の長のどちらかが死ねば戦争は終結する。今、この瞬間にも福沢と森は互いの組織の命運を賭けた戦いに挑んでいるのだ。この街の何処かで。 

 

ドストエスフキーも彼の部下の居場所も目的も依然として判明せず、一刻を争う事態の中で江戸川たちは藁にもすがる思いだった。グレイへの哀願など、福沢が知ればかつて無茶を犯した自身を平手打ちしたように…否、それ以上の剣幕で彼等の行いを咎めるだろうことは目に見えていた。

共喰いを詭謀したのは紛れもないドストエフスキーであるが、グレイが関与している可能性も否定できない。しかしリスク無くして利益無し、例えグレイが一枚噛んでいたとして彼等に選択の余地はなかった。 

 

江戸川は無意識のうちに歯軋りする。グレイを前にした途端自身の頭脳はまるで役立たず、幼児に後戻りした気分にさえさせられた。

焦燥に掻き立てられる江戸川の見たこともない姿に敦は只々瞠目し、国木田は拳を握り込んだ。

 

豚が笛を吹いているような鼾が花袋から上がった。 

探偵社の姿勢に何を感じたのかグレイは花袋を一瞥すると再度腰を下ろす。 

 

「…逆に聞くが何故俺が知っていると?」

「...彼は貴方に一目置いてる。貴方の承認なしに独断で行動するとは思えない。」

「勘ぐりすぎだな。第一お前達に関わると碌なことにならない。」

「僕達に貸し助けたところでドストエフスキーが貴方に手を下すことはない。」

「それはどうだろうか、行手を阻碍する者は誰であろうと始末する。そんな奴だ。」 

 

 

のらりくらり、漫然とした態度で言を左右にするグレイに終始事の成り行きを見守っていた敦は次第に奈落へと突き落とされるような感覚に陥る。

窮地に立たされれば何処からともなく現れ助け舟を出してくれる…父親の慈愛は今や見る影もない。普段の優しさは鳴りを潜め俗人が語る冷酷無情な悪人だけが敦の目の前に在った。

 

血が滲むほどに唇を噛み締めると、つといつかのグレイの言葉が脳裏を過ぎる。

それは組合戦が始まる以前の、敦が探偵社に入社したばかりのこと。まだポートマフィアの暗殺者であった鏡花の対応に思い悩む敦にグレイが掛けた言葉。 

 

ー敦も何かあれば俺のところに来るといい。初回料は安くしておいてやるよ。 

 

チカリと敦の脳内に閃光が走る。

自分たちと関われば碌なことにならないとグレイは言ったがそれは強弁に過ぎない。探偵社がポートマフィアや組合と敵対した時、どちらも勝算は敵側にあった。だというのにグレイは探偵社に手を差し伸べた。それはつまり、彼が度々敦を助けていたのは仮初の父親としての好意だけではなく将来的な利益を見越してのこと。探偵社に与したことで彼がどんな利得を得たのか敦には判りようもなかったが、唯一つ確信していることがあった。

この共喰い戦争の帰趨を握るグレイが今、敦達に求めているのは… 

 

「グレイさん。」 

 

ポツリと呟いた声はよく響いた。

三人の大人の視線が敦を貫く。

国木田と江戸川は新入社員の妙に頼もしい雰囲気に僅かに目を見開いた。

 

世界の命運を握っているかのような力強い眼差しをグレイへとぶつけると、敦は言い放った。 

 

「依頼させてください。この戦争を終わりにしたいんです。」

「敦…。」 

 

気弱な弟子のこんなにも力強い眼差しを見る日が来ようとは。国木田は胸中で滂沱の涙を流した。

一方、心を奮い起こした敦の決死の覚悟は… 

 

「ふっ、はははははっ!くははッ、」

「ぇ、」 

 

急なグレイの高笑いに三人は肩透かしを食らう。すっかり気勢を殺がれた敦は自身の判断は間違いだったのかと不安に苛まれるが、それは杞憂であった。 

 

 

ひとしきり笑うとグレイは酒瓶を煽った。 

 

「依頼か、依頼なら仕方ねぇな。」

「っなら!」 

 

立ち上がったグレイを期待を込めて見上げる面々。 

 

「アイツの部下に関する情報を渡そう。奴を捕まえれば森と福沢に掛けられた異能は解けるだろう。…お前らならそれで十分だろ。」

「それならお釣りが来るくらいだ。」

「あ、ありがとうございます。」

「良いさこの程度、礼はいらねェよ。」 

 

心が染み入るような柔らかな笑顔を向けてくるグレイに、やはり自身の考えは間違ってなどいなかったと敦の曇りが吹き払われていく。 

 

「だが生憎今手元にはない、一度戻るとするか。ああ、花袋は返そう。」 

 

そう言うや否や立ち上がったグレイに、敦達も速やかに後を追った。

 

 

 

 

それから約三十分後、グレイが向かったのは爆心地から外れた横浜市内のとある高層ホテルだった。

異国情緒溢れる横浜ならではの欧州の趣を感じさせるロビーに出迎えられると、敦が感嘆に声を漏らす。 

 

「凄い、こんなホテルがあるんですね。」 

 

生まれてこの方宿泊施設を利用した経験のない敦にとっては、瀟洒な高級ホテルに居ること自体が分不相応な気すらした。格式高い設えの広間を進み、ラウンジを通り抜けると入り口付近とは異色のソリッドブラックのエレベーターに乗った。ハイフロア用のエレベーターだった。 

 

グレイがカードキーを翳すとドアが閉まってすぐ、昇降機は急速に上昇を始める。慣性によりふわりと浮遊感を感じると国木田に負ぶられた花袋が呻き声を上げた。 

 

「むにゃ、儂の勝利…」 

 

夢の中で闘飲を続けているらしい花袋にグレイは呆れを多分に含んだ視線を投げかけるが、国木田を含めた三人が奇異な独り言の意味を理解することはなかった。 

 

 

上品なバックミュージックとともに途中停止することなく上へ上へと移動するエレベーター。初めて空港に訪れた童子のように瞳を輝かせる敦にグレイは密かに目元を柔らげる。 

 

「気に入ったのなら今度鏡花でも連れてくるといい。代金は俺の部屋付にしとけ。」

「えっ、いや良いですよそんなの!」

「餓鬼が遠慮するな。」

「がっ…!?」 

 

大人になれ、男になれと説教を受けたことは幾度もあれど、子供扱いされる機会など滅多になかった敦は思わず目を点にさせる。自身が幼少の頃、決して得ることのできなかった温もりを感じて、こそばゆいような喜悦に目尻を緩ませた。そんな敦の反応にいよいよ危機感を抱いた国木田が割って入る。 

 

「寛仁大度なものだ、遊蕩も容易かろう。」 

 

教養も高く礼儀正しく品も良い…道徳は致命的に欠けているが立ち居振る舞いは真の紳士。異性が相手であればさぞ艶聞が絶えないだろうとそれとなしに諷する国木田だった。だが、 

 

「……そうでもない。」 

 

一言そう返したグレイは壁付けの鏡に映る自身の瞳の、更にその遠くを見ているようで。 

 

一瞬、ほんの刹那であったが虚空を見つめる冷酷無比な面相に人情が見えて、三人は息を呑んだ。

見てはいけないものを見てしまったような気がして言葉を探す国木田と敦、とタイミング良くエレベーターがベルの音を鳴らして扉が開かれた。

一同が再び盗み見ると、普段と変わらぬグレイが前を見据えていた。

 

 

 

廊下に出ると一階とは対照的に近代的なガラス張りの廊下が真っ直ぐ横に伸びていた。黒大理石の上に惜しげもなく敷かれたレッドカーペットを踏み締めて数歩進むとグレイが俄に足を止める。

不審な顔つきで、廊下の左右を覆うガラス窓を塞ぐ縦型のバーチカルブラインドが揺れるのを凝視している。 

 

「…………、」

「グレイさん?」 

 

しかしそれも束の間のこと。グレイは無言で先を行き、部屋の入り口手前で再び立ち止まるとドアノブに手をかけた。

次の瞬間だった。 

 

「伏せろ!」 

 

肺腑を抉るような叫び声に反射的に全員が腹ばいに全身を低めた。 

 

 

ズドンッ!! 

 

何かが炸裂し、強烈な白煙とともに扉が空中を舞う。

続け様に夥しい弾丸の雨が横なぐりに飛んでくる。

 

敵襲だ。 

グレイは咄嗟に庇った江戸川を扉の横壁に押し除けるとカーペットを荒々しく捲り床下収納からMP5を掴み取った。直後、ガッシャァアンというけたたましい音が鳴り響いた。

 

一同が視線を走らせれば窓ガラスを破り武装した男達が廊下に侵入してきた。交戦すらしていないというのに、早くも増援が送り込まれたのだ。 

 

「ちぃッ、」 

 

グレイは即座に発煙弾を集団に向かって放り投げる。たちまち立ち込めた煙に敵の視界が塞がった隙にグレイはXM8を国木田へと投げ飛ばした。 

 

「グレイさん!」

「敦、国木田!俺は中を片付けるからそっちは任せた!」 

 

矢継ぎ早に捲し立てると弾丸雨注へと消えていったグレイに、国木田と敦は互いに目を合わせると紫色の煙幕へと飛び込んだーー

 

数分後、完全に静寂の訪れた廊下で江戸川は倒れた男たちを見下ろす。

少数精鋭の敵集団の連携は凄まじく、普段より荒事を専業とする探偵社であっても苦戦を強いられた。一方、敦達が場を鎮圧するよりも早く室内の銃声は止んでいた。 

僅かに不安を抱きながらも部屋に入った一同が目にしたのは… 

 

 

「ったくこうなるから関わりたくなかったんだ。」 

 

虫の息となり身じろぐ覆面の男の眉間に銃口を押し付けて、無慈悲に引き金を引くグレイであった。 

 

部屋の中は想像を絶するほどに酷い惨状だった。

 

木っ端微塵に破壊された壁や家具、赤黒い血液を吸収したマットレスの上に転がる人形の塊。自分たちが苦労して制圧した敵を最も容易く打ち破った手腕に感服しつつも、あまりにも無慈悲に命を奪ったことに特に敦は動揺を隠せなかった。

 

全く乱れていないジャケットを脱ぎながら下に染み込んだ赤に眉字を曇らせ舌打ちを溢すグレイ。 

 

「クソッタレが、服を汚しやがって。」

「グレイさん。」

「…終わったか、そっちのカウチにでも座ってろ。」 

 

何ということもないように言いつけると、グレイはウォークインクローゼットからクリーニングから返ってきたばかりのシャツとジャケット、ネクタイを取る。そして書斎机の上に散ったガラス片を片手で払い除けるとシャツを脱ぎ始める。

 

鍛え抜かれた僧帽筋、広背筋、脊柱起立筋に国木田は男ながらに釘付けになった。日々の鍛錬を怠らない強者の背中にこそ、福沢にしろグレイにしろ千言万語を費やしても表せぬ光輝があるものだ。

国木田は象用の麻酔でも打ち込まれたのか尚も眠りこける花袋を寝かせると男を注視する。そして偶さか視界に映り込んでしまったそれに三人は己の眼を疑うこととなった。 

 

背中の上部、丁度心臓と重なる箇所に疵跡が存在を主張していた。射創にしては大きいケロイド、その正体が何であれ心臓を抉り命を奪い去るには十分な威力を誇っていただろうことは容易に想像できた。とすれば今彼等の前にいる男がかつて死に至る致命傷を負ったのは間違いなく。 

 

「その傷…。」 

 

江戸川が困惑を隠さずに溢すと、グレイは一同が自身の過去を見ているのに気づいて隠すようにシャツを羽織った。 

 

「昔ちょっとな。」 

 

謎多き男らしい、歯切りの悪い、なんとも釈然としない返答だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

服を着替えてキッチンに向かうと全自動珈琲メーカーの電源をつけて四人分の珈琲を注ぐ。 

 

「…はぁああ、」 

 

探偵社の目がないのを良いことに天を仰いで疲労の滲んだ長嘆を洩らした。 

 

 

エレベーターから出た瞬間に異変に気づいた。

セキュリティ上の理由から大開口窓上部の横滑り出し窓は必ず閉めるようにしている。だというのに今日、探偵社と会った日に限ってブラインドが風で揺れていたのだ。

 

俺の住むホテルは六十五階から六十八階まではワンフロア一部屋の造りとなっている。カードキーがなければ昇降機は各階には留まらず、許可した従業員を除いては決して第三者が侵入することはない。加えて秘密裏に施したドアノブの仕掛けが働いていた時点でお察しだった。 

 

取り敢えず目には目を、歯には歯をの煽り言葉よろしく短機関銃には短機関銃をで対抗した結果、いつのも如く悪運で勝利を勝ち取った。煙で何も見えなかったが裂帛が上がる方向に向かって家具の影から撃ちまくっていれば鮮血が迸りあっという間に飛び交う弾丸は数を減らしていった。短機関銃様様だな。 

 

本音としては敦達には廊下の敵を秒殺してこちらに助太刀してほしかったのだが...非戦闘員の花袋と江戸川がいたからだろうか、やけに時間がかかっていた。 

 

 

軽やかなメロディーが動作終了の合図を流す。

出来立ての珈琲の香ばしさに微かに疲労を癒やされながらカップを両手の掌に二客ずつ乗せると、陶器の熱が肌を火傷させる前に、俺は四人の元へと戻った。

 

 

「今の襲撃は軍警の部隊でしょうか。」

「いや、現状においてドストエフスキー以外にあり得ん。」

「国木田の言うとおりだな。大方奴の雇った傭兵だろう。」 

 

完全に皆殺しにする気だったに違いない。青春期を拗らせただけの偏屈人かと思っていたがどうやら認識を改める必要がありそうだな。それにしても…よくもまあここまで派手な戦闘を繰り広げてくれたものだ。 

 

無惨にも破損し散乱した部屋だった物を眺めて内心悪態を吐く。外から流れ込んでくる突風のせいで暖房は意味を成していなかった。フィッツジェラルドもそうだったが揃いも揃って人の家を何だと思ってやがるんだ。弁償代請求してやろう。 

 

机に無造作に置かれたMP5とXM8の弾倉を確認する。俺のは全弾消費されているが国木田が使用した方はまだ僅かに残っていた。両方とも補充しておこうとストックから追加分を持ってくる。 

 

「無駄な出費が増えた。」 

 

俺が使っているタマは対異能者用に製造された主に軍で利用される特注品。当然値段は張るが銃が効かない敵も多い世界で生き抜くにはこうした工夫は必要不可欠だ。よし、これも請求書送ってやろう。 

 

「グレイさんごと纏めて消す腹づもりだったんでしょうか、中々屈強でしたね。」

「そんなわけないじゃん。グレイ相手なら最低でも一軍を送らないと。」

「異能者の一人もいないようでは話にならん。俺たちへの警告だろう。」 

 

いやアイツら警告どころか本気で殺しにかかってたけど何言ってんの。破片手榴弾投げてきた奴もいたんだぞ。お願いだからお前ら超人の物差しで人を計らないでほしい。 

しかしそんな不平はデキる大人として飲み込んでおく。 

 

 

「さて。」 

 

手っ取り早く短機関銃を片付けると瓦礫を掻き分けて金庫の置かれている寝室へと向かう。

そしてホテルが設置したボックス型の金庫ではなく、ベッドを動かしその下にある床下の重い扉を持ち上げて箱を取り出した。暗証番号と指紋認証で開くシンプルな耐火セキュリティーボックスだ。

中に入っている物をどかして底から一つの記憶媒体を摘み取ると、パソコンを使って必要な情報を抜き出し、三枚の紙に印刷した。 

 

 

「待たせたな、これを持っていけ。」 

 

イワン・ゴンチャロフ。

ドストエフスキーの狂信者で『断崖』と呼ばれる礫岩を操る強力な異能力を有している。岩で形成されたゴーレムのような巨人や礫岩の高速回転による全方位防御など計算が利く男だ。ドストエフスキーの狂信者でもある。 

 

そして共喰いの異能で両社の長を蝕んでいるのはアレクサンドル・プシュキン。

異能力『黒死病の時代の饗宴』、説明はするまでもないが。強力なウイルスを操り二人の人間を同時に感染させ、異能者自身が解除しない限りどちらかの宿主が死ぬまで効果が継続する悪質な異能。性格は…ただのクズだ。

 

もう一人、部下ではないが協力者としてドストエフスキーと密な関係の小栗虫太郎。

異能力『完全犯罪』は如何なる犯罪の証拠も魔法のように消滅させることができる。江戸川と良い勝負になるだろう。

探偵社とポートマフィアが力を合わせれば行動予測は目を瞑って筋トレしながらでもできる。 

 

「僕達が横浜中を走り回っても手に入れられなかった情報をこんなにも簡単に…これもグレイさんの優秀な情報源のおかげですか?」

「そうだな。」 

 

自分で纏めたものの中で記憶が曖昧な箇所は無理に思い起こそうとはせずに情報屋若しくは知り合いに頼んでる。ポートマフィアに関する情報はほぼ全て頼りになる知り合いから貰ったものだ。

知り合いの知り合いに潜入捜査官がいて、その人物伝手に教えてもらってるというわけである。人脈は大事。横浜に来てからは大抵は花袋に世話になってる…当人は酒のせいで当分は目覚めそうにないが…心の中で改めて感謝しておく。 

 

それはそうと、流石は主人公。建前に過ぎなかったがまさか本当に俺に依頼してくるとは。柔軟な若者故か、はたまた主人公気質故か。発想が奇想天外で江戸川と国木田もいるというのに爆笑してしまった。この大胆さが探偵社を勝利へと導いてきたのだろう。

 

 

「ありがとうございます。」

「あー!国木田だ!」 

 

唐突に調子外れな声が部屋の空気を二段階ほど明るくさせた。

視線を巡らすと入口でラケットと綿菓子を片手に口をもぐもぐとさせるQがいた。 

 

「どわっ!?」

「わーい、僕に会いに来たの?何して遊ぶ?」 

 

軽やかにスキップをしながら俺たちの元まで迫ってくると、Qは国木田の胸に飛び込んだ。一方子供の全力ダイブを不意打ちに食らった国木田は抱き止めつつも頭を壁に打ち付ける。

敦と江戸川が二人の意外な関係に面食らう。かくいう俺もまさかQがこんなに懐いていたとは知らずに驚く。 

 

そういえば以前、クリスマスシーズンにQを買い物に連れて行ったことがある。

 

ショッピングモールの各階を巡っていると毎度の如く姿を行方を眩ませた悪戯猫。探し回った末に見つけた先はまさかの地下鉄駅前。しかも国木田と与謝野と一人の少女と共に警察の世話になっていた。

話を聞くに地下鉄で爆弾魔が事件を起こしたらしくQが運悪く現場に居合わせたという。国木田とQの話ではその過程で爆弾が起動してしまい、国木田が咄嗟に爆弾から遠ざかるように守ったそうだ。一度は死にかけたが時を同じくして応援に駆けつけた与謝野の治療により全員が九死に一生を得たと。

そんなわけで国木田はQにとって命の恩人というわけだ。因みに最近できた友達とはその事件で出会った文という少女である。 

 

「グレイ、また遊んでたの。」

「遊びとはなんだ、仕事だ仕事。」 

 

床に転がる男どもを見ながら軽口を叩く小さな頭をわしゃわしゃと撫でてやると、器用にも猫のように喉を鳴らした。 

 

「じゃあグレイさん、僕達はもう行きます。」

「ちょっと待て。」 

 

花袋も連れて去ろうとする彼等を呼び止める。 

 

「ついでに一つ頼まれて欲しいことがある。」 

 

バーに居て思い付いたことだが、クラシックが好きでラジオが好きなら曲をリクエストしてやればいいのだ。

 

卓上メモにペンを走らせる。楽曲はチャイコフスキー花のワルツやバッハのマタイ受難曲をはじめとした名曲の数々。三、四曲書き連ねるとメモを破り取り江戸川に渡した。 

 

「ラジオ番組の楽曲リクエストだ。」 

 

用紙を貰い受けた江戸川は突然ぶつぶつと独り呟く。 

 

「…そうか、そうだったのか。」 

 

開かれた糸目の翠緑色がきらりと光った。よく分からんが何か閃いたらしい。

江戸川は俺を見上げると不敵に笑んだ。 

 

「感謝するよ。」

「行け、時間は有限だ。」

「うん、行くよ二人とも!」

「はっはい!」 

 

そうして外套を翻した江戸川に敦と花袋を抱えた国木田は急ぎ早に去って行った。  

 

 

 

平穏の戻ってきた部屋で、Qのラケットが風を切る音だけが響いている。

 

俺はグレイゴースト片手に廊下に出ると敦達の手でノックアウトされた男達に止めを刺したのだった。

鮮血が床を模様替えしていくのを眺めながら人知れずぼやいた。 

 

 

「片付け、面倒くさ。」

 

 

 

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