チャンチャンと響き渡る剣戟。
ヒステリックに発狂する人の絶叫。
拳銃や短機関銃の鋭く鈍い炸裂音。
正体不明の人物の一太刀を鎬で受け流すと、末広は跳ね石のように点々と後退する。
「やるな、」
次の一手で鎌鼬を飛ばそうと姿勢を低く構える。けれども、
「…………、」
「っ待て!!」
謎の人物は末広の攻撃を待つことなく目も眩むほどの素早さでカフェ後方に並列する建築物へと行方を眩ませた。
末広は直様追撃しようと両足に重心を乗せる。だが末広の目指す進行方向に条野が躍り出た。
「鉄腸さん、私が後を追います。貴方は暴徒の鎮圧を!」
「っ頼んだ、」
そうして街の中心部へと駆け出していった条野を見送り末広は苦戦する特殊部隊を援護するべく踵を返した。
程なくして混沌の場が収まると半壊した店と猟犬、特務課、そして太宰だけが残っていた。
終始不気味な薄笑いで傍観していたドストエフスキーは一足先に連行され、フィッツジェラルドはグレイが去った時点で身を移していた。
Qの異能の影響下にあった民衆は外に蹴り飛ばされた太宰が偶然にも発見した人形に触れたことにより正気に戻った。
「あれが無彩三人衆とやらか。」
「私もお目にかかるのは初めてだよ。」
鼻下まで覆うフードにより面が割れることはなかったが、グレイに触れる自身に閻魔もかくやの殺意を向けて来たのを太宰は痛いほどに感じ取った。実際、下腹部にめり込んだ蹴りの衝撃で臓腑が潰れるかと死を覚悟したほどであった。また鉄腸も、フードの人物が猟犬に匹敵する実力者であることは相対した瞬時に見抜いていた。加え、己の戦闘スタイルを熟知しているような機敏な動きで攻防する敵に大いに動揺を抱いたものである。
非戦闘員故に邪魔立てせぬよう遠目に観察していた坂口は、昨夜屋上で待機していた特別作戦班を殲滅させ自身の部下を瀕死の重症に追いやった何者かがフードの人物であると結論付けていた。
「死者が出なかったのは奇跡ですね。」
「違いますよ。」
愁眉を開く隊員の一人にすかさず帰還した条野が否定する。末広の視線に条野は首を横に振ることで応えた。苦々しい面持ちをする坂口や太宰達の態度に隊員は怪訝げに首を傾げる。
グレイは敢えて死者を出さなかった、それが一同の見解であった。
種田が押し潰すような唸り声を零す。
「あれは完全に怒らせてもうた。」
ー選択を間違えたな。
それはグレイが自らの手で横浜に鉄槌を下したにも関わらず、退く選択をしなかった法執行機関への失望と憤怒が濃縮された一言だった。
戦争に備えよと。
種田や猟犬を睥睨するグレイは、その場にいた誰もが本能的な恐怖に蛇に睨まれた蛙のように立ち竦むほどの殺気を纏っていた。激戦地の真っ只中でもない街の喫茶店で、戦場に赴いたこともない人間が戦争を生き抜いた猛者の真正の殺意に真向から立ち向かえなど酷な話である。戦禍の化身と呼ぶに相応しい覇気に大気が揺れたかのような錯覚にさえ陥った。
尤も、当の本人は胸中で「死んだ…。」と悲鳴を上げていたわけであったが…真実を知る者はやはりこの世に一人しかいない。
濃い灰色に濁りゆく曇天を、まるで世紀末に突入したかのように一同は無力感に仰いでいた。これから何が起こるのか、どんな厄災が訪れるのか…知り得たとしても彼等に阻止する術はないのである。
そこに、ラムネ瓶のビー玉のような澄んだ張りのある声が響いた。
「喝ー!皆の衆欣喜せよ、血荊帝の出御じゃ!」
頭上から聞こえた快活な音吐に太宰が見上げると、大木の枝に足を掛け逆さに吊り下がる少女がいた。
鮮やかな紅赤色の長髪を後頭部で一括りにした小学生くらいの少女だった。しかし彼女が身に纏う軍服は少女が一般人ではないことを示していた。
「燁子さん、何してるんですか。」
「いや、一回やってみたかったんじゃよ。だって格好良いじゃん、殿の御成ーって。」
「はぁ、左様で。」
大倉燁子、天下の猟犬部隊において最も畏れられる血荊の女王。
『魂の喘ぎ』は触れた者の年齢を操作することのできる、如何なる凶賊であろうと泣いて逃げだす異能。
末広と条野が歩み寄ると燁子は二人の背をサンドバックのように叩いた。
「ッ、」
「いったぁ!なんで叩くんですか!?」
だが燁子は二人の間を素通りすると一直線に足を進める。
自身の元までやって来た三人目の猟犬に種田は視線を見合わせた。
辺りは水を打ったように静まり返っていた。
暫く互いに見詰め合うと、燁子が徐に口を開いた。
「猟犬は奴から手を引く。」
「はっ?」
坂口が素っ頓狂な声を漏らす。反して種田はそうかと一つ溢した。
「ならば我ら特務課も引き下がろう。」
「懸命な判断じゃ。」
「だが不興を買った以上奴を止めねば更なる災いが降りかか..」
「鉄腸。お前はいつから隊長の決定に抗弁を垂れるほど偉くなった。」
「…隊長の?」
狛犬の如き鋭利な眼光で末広を遮る燁子、条野が疑問符を浮かべた。
「そうじゃ。隊長がグレイと折り合いを付けると仰った。」
「大丈夫なんですかそれ。うっかり日本消滅しちゃいません?」
「大丈夫じゃ…多分、きっと!」
どうにも心許ない返答に坂口をはじめとした面々は溜飲が下がるどころか心細くなった。
斯くして燁子は二人を伴い立ち去って行った。
猟犬のいなくなったテラスで種田が誰に言うともなく囁く。
「奴は必ず雁首を刎ねに戻ってくる。」
「…長官。」
「覚悟せえ安吾、太宰、これは始まりにすぎん。」
「重々承知してますよ。」
二日間の悪夢が彼等に齎したのは小康ではなく、業火そのものであった。
撤退する特務課を見送りながら太宰は横浜の美しい街並みを眺めた。
いずこからか、柱時計がウェストミンスターの鐘の音を響かせて終わりの始まりを告げた。