文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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諸行無常の悲劇あり(OE)

 

 

天人五衰とは六道たる天人が死の直前に身体に現れる五つの衰えのことである。

中国仏教の大般涅槃経においては衣服が垢で汚れる衣服垢穢、頭上の華鬘が萎える頭上華萎、身体が臭い出す身体臭穢、脇の下から汗が垂れる腋下汗流、そして自らの位を楽しまなくなる不楽本座とされているーー。 

 

 

年頭の慌ただしさが過ぎ去り蕭条たる白銀が雫を生み出す季冬の日。探偵社は政府の緊急要請により天人五衰に見立てた殺人事件の早期解決の依頼を引請けた。

 

グレイ暗殺を目論んだ斗南司法次官をはじめとした政府要人が集う秘密会議に天人五衰を名乗るテロ組織が乱入し人質を取り立て篭もった。未だ完遂されてない最後の兆しである不楽本座を防ぐ為に探偵社は人質を救うべく会場へと踏み込んだのだった。しかしそれはドストエフスキーが権謀術数を巡らし綿密に練り上げた策謀であった。前日に江戸川が対面したドストエフスキーの協力者、虫太郎により警告を受けていた探偵社であったが救える命を救わぬのは人災に等しいと言明した福沢の号令に伴い彼等は敵の網に飛び込んだのだ。 

 

江戸川の懸念通り、書いたことが現実となる白紙の本の切り抜き頁の力により探偵社は見事事件を引き起こしたテロリストへと仕立て上げられた。可能世界と入れ替わった現実、人々の記憶と認識すら書き換える力に一部始終を目撃していた警察関係者も人質の斗南も一連の事件の犯人、即ち天人五衰の正体が探偵社であることを信じて疑わなかった。 

警察に追跡されることとなった国木田、与謝野、谷崎、宮沢は地下避難通路で別行動をとっていた敦を助けに残った鏡花と別れ現場から離脱。国家最強の魔手が目睫に迫っているとも知らずに。 

 

最悪の事態にも逃走中、特殊制圧作戦群甲分隊…通称猟犬と直面してしまった一行は戦闘を余儀なくされた。だが圧倒的な戦闘力の差により絶体絶命の窮地に瀕したところで福沢と取引を行った森の命令により中原が助勢に。ヘリコプターによる退却の最中、執念深く迫る猟犬の刃に国木田を犠牲に与謝野達は逃げ延びたのだった。 

 

 

一方、会場の天井裏で息を潜めて警察の追跡を回避していた敦と鏡花は二日後の火曜日に無事脱出を成し遂げた。事件直前に探偵社へと警告を促した虫太郎が真犯人の正体を知っていると踏んだ敦達は、天人五衰に拐かされたであろう彼を救うべく神の目を保有するフィッツジェラルドを訪れたーー 

 

 

 

カーテンウォールの窓から光明が射し込む開放的な会議室、広々とした空間の中央に繋げ置かれた長方形の長机の端と端に、敦と鏡花、フィッツジェラルドとオルコットは面と向かっていた。 

 

「とんだ災難だったな、互いに。」

「...はい。」 

 

先刻、建物を訪れた敦達は時を同じくしてドストエフスキーが差し向けた刺客、元組合の構成員ホーソーンとフィッツジェラルドが対立している場面に遭遇した。全盛期の勢いを取り戻しつつあったフィッツジェラルドの一撃でホーソーンは身を引いたものの、密かにペンに仕込まれた血液による異能の追撃にあわや手にかかるところであった。不幸中の幸いにも、太宰の秘密裏の立ち回りにより鏡花が散水装置で血液を洗い流したことでフィッツジェラルドは間一髪で命拾いしたのだった。 

 

「話の続きを聞こう。」

「あ、はい。えっと、」 

 

フィッツジェラルドの言葉に暫し思考を飛ばしていた敦は少し前までの記憶を呼び起こす。

 

虫太郎は現在、天人五衰の一員であるゴーゴリに誘拐されていたものと考えられてた。隠蔽屋とも称される情報操作の専門家。探偵社をテロ組織と裏付けた社員たちの過去の疑獄が白日の元に晒されたのは拷問を受けた彼がやむを得ず異能を解除したからであった。横浜の何処かで監禁されているであろう彼を見つけ出すには高性能の人物認識システムを開発した博士を抱える警備会社マナセット・セキュリティー、つまり買収元のフィッツジェラルドに頼るほかないのだ。 

 

 

「成程な。探偵社の無実を証明する唯一の手掛かりがそのムシタオルとか云う男か。」

「虫太郎です。」 

 

日本人の名前に関しては物覚えの悪いフィッツジェラルドに敦はすかさず訂正を入れる。がそんな駄目出しはさして気にせずフィッツジェラルドは敦の話を反芻する。 

 

「確かにそいつの異能で再び過去を隠蔽すれば探偵社は無実を晴らせるかもしれない。その為の神の目か。」 

 

頬杖を付き考えを巡らすフィッツジェラルド。

身の置き場のない沈黙に二人が机の一点を見つめていると、ひとしきり時間を溜めてフィッツジェラルドが言葉を発した。 

 

「お前はどう思う、グレイ?」

「えっ?」

「善いんじゃないか、手伝ってやれよ。」 

 

突として背後から放たれた声に敦と鏡花が振り返ると、開けっ放しの後方出口の傍で腕を組み彼等を傍観するグレイがいた。 

 

「グレイさん!?」

「おう、何やら大変なことになってるらしいな。」

「…いつから居たの。」

「そこの成金が「とんだ災難だったな、」って言ったあたりだ。」

「ほぼ最初から!?」 

 

並外れた五感に秀でた探知能力を持つ虎の異能、片やマフィアの才気煥発な元暗殺者。だというのに本人が声を上げる今の今まで一切気づくことのなかった自分たちに、気配を感じさせず背後に佇んでいたグレイに背筋が寒くなる二人。 

 

「なんで此処に…」 

 

思わず疑問を零す敦にグレイは足を進めると壁際の席についた。  

 

「なに、フィッツジェラルドが一度茶会をと強請るもんで重い腰を上げてやってきたらお前らが居たってだけだ。」

「......ああ、うっかり忘れていたな。」

「まあ良い、丁度良かった。敦、鏡花。偶然国木田達の現状を耳にしたんだが…知りたいか。」 

 

思いがけずもたらされた情報に食い気味に頷く敦達。二人の反応にグレイは一つ瞬きをすると語り出した。 

 

「先ず与謝野と宮沢、谷崎は無事にポートマフィアの隠れ家に避難。軍警に捕まった国木田は生死不明の重体だったが異能技師により一命は取り留めた。」 

 

グレイは続ける。森と取引をした福沢は程なくして横浜県警に拘留され、フィッツジェラルドが話したように太宰は欧州の刑務所ムルソーに監獄されていると。 

太宰と福沢の先行きには懸念が残るものの、仲間の無事を確認できたことで無意識に強張っていた肩の緊張が解ける敦と鏡花。 

 

「良かったっ…、」 

 

顔を見合わせ心底安堵する二人を他所にグレイは視線をフィッツジェラルドへと移す。 

 

「それで、お前はどうするんだ。」

「親友、無条件に人を助けるほど慈善家じゃない。」

「知ってるさ。条件があるんだろう?」

「ああ。」 

 

話題は虫太郎と神の目へと巻き戻されていた。自身らが訪れた目的を思い出した敦達は居住まいを正して組合の長を見据える。条件を出されるのは予め覚悟していたことだった。二人の剣呑な眼差しを受けフィッツジェラルドは生真面目な面持ちで応じた。 

 

「そうだな、対価としてミッチェル君の治療を要求しよう。」

「…ミッチェル?」 

 

男の言葉に鏡花が間の抜けた声を漏らした。 

 

ミッチェルは組合戦の頃より活動していた組合の構成員。港での戦いでポートマフィアから送られた凶手芥川の手により人事不省に陥った哀れな淑女。自身を庇ったことで重傷を負わせたことに負い目を感じたホーソーンは組合が敗れた後に死の家の鼠に取引を持ちかけた。そして脳を弄られドストエフスキーの都合の良い捨て駒へと改造されてしまったのだ。 

フィッツジェラルドは説明する。心を失った神父を倒すには元凶であり彼の欠点であるミッチェルを甦らせる必要があると。 

 

「互いを救おうとした二人に殺し合いをさせる気か?」

「何か問題が?」 

 

叩きつけられた両の掌が机を振動させた。 

忘れかけていた三社鼎立、フィッツジェラルドは過去に白鯨を横浜に墜落させ何十万の命を消し去ろうとした不倶戴天の敵であった。例え探偵社に敗れ一度は地に堕ちたとてその性根が変わることはない。 

敦は鏡花を伴い立ち上がる。 

 

「善いの?」 

 

淀みだした空気を察知したオルコットがフィッツジェラルドに狼狽えながら耳打ちする様を尻目に鏡花が問いかける。敦の脳内に浮かぶのは探偵社の志たる福沢。胸襟秀麗な男であれば決して容認しないであろう取引を探偵社員の彼等が易々と受け入れるわけにはいかなかった。 

 

「こんな取引をしたら社長に叱られる気がする…。」 

 

そうして扉に手をかけようとした二人をフィッツジェラルドが呼び止める。

 

「帰る前に見せたいものがある。」

 

 

 

 

「紹介しよう、ミッチェル君だ。」 

 

社の医務室、ガラス窓の先のリフォームされた集中治療室に眠る患者に敦達は言葉を無くしていた。 

 

「酷いもんだ。」

「ああ、俺が組合を再設立するまでに環境の悪い闇医院を盥回しにされたせいで病状が悪化した。」 

 

ミッチェルが組織に入ったのは没落した実家の復興の為であった。しかしそんな彼女の願いも組合が敗れ、二度と目覚めぬ体になったことで全てが水泡に帰すこととなったのだ。 

 

「もし彼女が話せたら、かかっている医療費を実家に送金してくれと言っただろうな。…ミッチェル君はそういう女性だ。」 

 

齢二十にして挫折と敗北の味を知る憫然な若者に、僅か二歳差の敦が逡巡することはなかった。

瞼を硬く閉ざして胸中を巡る様々な心緒をまとめると、ゆっくりと瞼を開ける。ミッチェルを眼差す紫と黄檗色の瞳はまさしく高邁な虎のように決意に満ちていた。 

 

「判った、取引する。」  

 

 

 

それからややあって、建物の裏口に停車する一台の救急車の傍で敦と鏡花はミッチェルの搬送の準備が整うのを待っていた。 

 

「搬入、完了しました。」 

 

救急隊員の合図に二人は乗り込もうとして、横から声が掛けられる。 

 

「自動車は使わねえ。人目につくからな。」  

「グレイさん…?」 

 

先程までフィッツジェラルドと何やら談じていたグレイがドアに手を掛け敦達を見下ろしていた。その隣にはフィッツジェラルドとオルコットが。

 

「コイツに丸め込まれてな…久々に森の顔でも見に行こうかと思っていたところだ、俺が連れてってやる。」

「え、良いんですか?でも…」

虎人(リカント)、使えるものは使うといい。グレイを運び屋にできるなどまたとない機会だぞ。」

「お前は少しは遠慮しろ。」   

 

仲が良いのか悪いのか、茶化し合うフィッツジェラルドとグレイに鳩が豆鉄砲を食らったような表情をする敦と鏡花。グレイは救急車に乗るとミッチェルの寝かされた担架の手すりを握り二人を顧みた。 

 

「何してる、早く俺に触れ。」 

 

グレイの指示に直ぐに気を取り直した二人は恐る恐る裾に手を伸ばす。その指先が触れた瞬間、四人はその場から消えていた。  

 

 

 

人気のなくなった駐車場で彼等がいた場所を見つめながらオルコットが口を開く。 

 

「フィッツジェラルド様、一つお伺いしても?」 

 

横目に窺った上司の無言の肯定にオルコットは言葉を続ける。 

 

「私が書いた作戦提案書のうち、九割は政府に探偵社の居所を売る筋書きでした。」 

 

軍警と取引することで横浜を戦場へと変えた組合の罪を帳消しにする、それがオルコットの作戦の主な狙いであった。しかしフィッツジェラルドは残り三割を選んだ。 

 

「オルコット君、俺と乞食谷戸で再会した時のことを憶えているか。」

「…忘れられるはずがありません。」

「俺もだ。」 

 

たった一度の敗北で栄華から浮浪者へと凋落したフィッツジェラルド。精も根も尽き果てた自身を根気強く奮起させんとしたオルコットに身の危険が迫るまで、彼は絶望から這い上がることはできなかった。失意のどん底に突き落とされる絶望感というのはそれほどまでに人の心を打ちのめすものである。けれども探偵社は違った。 

 

「彼等は僅か数十分で立ち上がり、今も必死に戦っている。頁という理に抗わんとしている。」 

 

強い側、勝ちそうな側につくのがフィッツジェラルドという男であり、米国の覇権を握った秘密結社を率いた商人の鼻利きは伊達ではない。 だがそれと同時に彼は己が目で見て確信していた。

此度の件、グレイが裏で糸を引いているであろうことを。フィッツジェラルドは敦達が去る数分前にグレイと交わした言葉を振り返る。ミッチェルを任せると言付けた時のグレイの反応であった。 

 

『お前が自分で送ればいい話だろ。』

『あまり舐めてくれるな…お前との約束は今日ではなく明日だ。それを態々虎人が俺の前に現れるのを見越して来たんだ、目的などお見通しだ。』 

 

回りくどさは悪い癖か、或いは己を試しているのか…フィッツジェラルドの指摘にグレイは目を瞬かせると自虐的に口角を歪めた。 

 

『…明日だったか、うっかりしていた。この歳になるとどうも物忘れが激しくてな。』

『前々から言おうと思っていたんだがいい加減その捻りのないジョークを止めてくれ。つまらなくて聞くに耐えん。』

『別にジョークでもなんでもないんだが…良いだろう、仕事ついでだ。ミッチェルのことは俺に任せておけ。』

『ああ、頼んだ。』 

 

グレイの通った後には雑草も生えない荒涼とした大地が残されるだけ。それは都市伝説でも陰謀論でもなく歴史が証明していた。超越者殺し、生きる厄災…大戦を機に動き出した男がどんな神話を呼び覚すのか、世界がラグナロクを乗り越えることができるのか。渦中で足掻く迷い犬につくことでフィッツジェラルドは世界の行く末を見極めたかったのだ。 

 

「もしかすると、何らかの特異点が生まれて我々の想像を超えた結末を迎えるかもしれない。」 

 

そう呟いた男の声音はそこはかとなく期待に満ちていた。

 

 

 

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