文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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因縁生起(OE)

 

 

ポートマフィアの隠れ家に身を寄せることとなった与謝野、宮沢、谷崎は様子見に訪れた森と対面していた。 

 

「巫山戯んじゃないよ!!」 

 

色をなして年代物のソファーチェアを荒々しく薙ぎ倒す与謝野、見慣れぬ彼女の激昂ぶりに谷崎と宮沢は呆気に取られる。一方、与謝野の怒りを真正面から身に受ける森は動じるでもなく酷薄な表情で微動だにせず佇んでいた。 

与謝野が此程までに憤然としているのには訳があった。それは探偵社を匿う条件に森が福沢に提示した対価。 

 

「…あんたの目的はこの私を手に入れることだけだろ!」 

 

探偵社員一人のマフィアへの移籍、その魂胆は見え透いていた。目に鬼火を燃やし責め立てる与謝野を森は無情に見下ろす。 

 

「そうだが、それが何か?」 

 

人情の欠片もない態度に与謝野はさらに激しく言い募る、森と因縁のある与謝野の移籍を福沢が許すはずがないと。事実、福沢は到底承服できぬと一言で払いのけたのだが…その真実を森が伝える道理はなかった。 

 

「彼は君を指名しても善いと云った。」 

 

そればかりか意想外の言葉を放った森に与謝野は唖然とし、そして思い至る。

探偵社の存続の危機に瀕して福沢は苦渋の末に軋轢のある森に交渉を持ちかけたであろうことを。森の提案に最も嫌悪感を抱いているのは福沢であり、それでも与謝野達を救うために選択の余地などなかったのだと。ならば自身独りが駄々を捏ねている場合ではない.....幾分か熱の引いた頭で言葉を探していた時だった。 

 

「やめといた方が良い、どうせ同じ過ちを繰り返すだけだ。」

「っ!?」

「お前は…!」 

 

唐突に部屋の扉が開かれる。

一同が一斉に視線を動かすと、なんと先の廊下に立っていたのは敦、鏡花、そしてグレイであった。

 

 

 

 

 

 

 

サプライズ登場に分かりやすく驚いてくれた面々に片手を上げることで軽く挨拶すると、後ろから敦と鏡花が仲間の元へと飛び出していった。 

 

「与謝野さん、谷崎さんに賢治さん…!」

「良かったっ…」

「えっ、敦君に鏡花ちゃん!?」 

「無事だったんですね!」

 

二日ぶりの再会に喜びに表情を明らめ肩を抱き合う子供達に表情筋が綻びそうになるのを既の所で堪える。 

 

「なんだってこんな所に…」

『それは俺が説明しよう。』 

 

敦と鏡花の無事に谷崎達のように胸を撫で下ろしつつも困惑を隠さない与謝野、そして眉頭に皺を寄せてこちらを警戒する森に俺は手にした無線機を放り投げる。予めフィッツジェラルドから受け取っておいた無線機だ。 

 

「フィッツジェラルド?」

『よう、元気か親友。』 

 

ノイズ混じりに抑揚のある声音が届いてくる。

 

分かってはいたがアイツは誰此構わず親友呼ばわりする癖があるらしい。そういえば福沢に対しても同じ渾名をつけていたな。最初はアジア人の名前が覚えづらいから統一してるのだとばかり思っていたがよくよく考えれば俺はグレイという通称を使ってるから別に親友呼びする必要もない。どちらにせよ一々反応してた俺が馬鹿らしくなってきた。サービス精神旺盛なのも考えものだな。

なんて取り留めなのないことを心中で巡らせているうちに話は進んでいたようだ。 

 

「如何やって此処を知った?」

『神の目で探る予定だったのだが…お前は知っていたようだな、グレイ。』

「まあな。」 

 

知り合いの知り合い伝手に聞けばポートマフィアの情報は逸早く手に入れることができる。だがそれを言ってしまえば潜入捜査官の存在が明るみになってしまうので適当に誤魔化しておく。そんなことよりも今回も無事に転移が成功したことに俺は小躍りしたい気分だった。 

 

「…もしや、」 

 

残念なことに切れ味鋭い頭脳をもつ森は察してしまったらしい。

顎に手を添え渋面を作る男に、これだからマフィア首領は油断できないと肝を冷やす。だが有難いことにこの場で追求するつもりはないらしく....俺は通信の切れた無線機を受け取ると担架に置いてミッチェルを与謝野の元まで運んだ。そんな俺の一挙手一投足を森が注意深く観察してくるものだから心臓に悪いのなんの。 

 

「疑惑についてはまた後で聞こう。…ときに同じ過ちとは如何いう意味だね。」

「それに関してはお前が一番良く判ってるだろう?不死聨隊の欠陥を。」

「ッ如何してそれを!」 

 

二人の人生にとって一大汚点であろう単語を口にした途端、ミッチェルを治療していた手を止め与謝野がこちらを見返る。また、敦とは正反対の鋭利で濁った濃紫を意地悪く光らせる森。二人の傍らで険悪なムードになりつつあるのに気づいた敦達が心配を顕に顔色を窺ってくる。俺は与謝野を一瞥すると彼等にも説明せんと口を開いた。 

 

「異能大戦の話だ。森と福沢、そして与謝野を巡る確執のな。」

「いい、そこからは妾が話す。」 

 

観念したように一つ長嘆息を吐き出すと、与謝野は十四年前の過去を語り始めた。

 

 

 

大戦末期の主戦場、常闇島。

 

軍医委託生として入隊した与謝野は当時一等軍医副だった森の下で働いていた。

昼夜を問わず繰り広げられる白兵戦、ひっきりなしに運ばれてくる兵士たちを異能で治癒し再び戦場に戻れる状態にするのが与謝野の務めだった。

 

死なない限り瀕死であろうとどんな傷でも癒すことのできる少女は瞬く間に讚称され、兵士たちの間では救いの天使と呼ばれるようになった。 

だが、途切れなく運ばれてくる患者に寝る間もなく治療する与謝野、心身ともに困憊していく彼女の心の支えとなったのは一人の上等兵。居合わせる度に部屋の片隅で詩集を読み耽っていた年若い青年であった。 

 

ーありがとう、天使さん。 

 

本の中から金属の蝶の髪飾りを創ると彼は何の翳りもない眩いばかりの微笑を浮かべた。青年少女は直ぐに打ち解け合った。与謝野は自身が和菓子屋の店番だったことや命を救いたくて志願したこと、青年は自身に大切が弟がいることや読書が趣味であることなど…互いの身の上話を語らい合い、彼等は親睦を深めていったのだ。 

 

隙間時間を見つけては青年と共に会話に花を咲かせ、普段は負傷した兵士たちの回復の為に基地を駆けずり回る目まぐるしい日々。時に気力がなくなりながらも心優しき青年や兵士たちの笑顔のお陰で充実感のある仕事に就けたと、戦争の終結を願いながらもこんな日々がずっと続けば良いと心のどこかでそう思っていた。

その想いが夢幻の如く呆気なく崩れ堕ちてゆくとは知らずに。

 

 

旗色の悪い戦況が何日も、何週間も、何ヶ月も続いていくうちに人々の心は荒んでいった。治癒されるのは肉体だけ、戦場で負った殺意の棘は兵士たちの心に深く突き刺さり癒えることのない悪夢が襲った。憔悴しきった兵士を治すことが果たして自分のやりたいことだったのか、自分の異能が安寧を求める兵士たちを地獄へと送っているのではないかと、与謝野は己の務めすら疑い始めた。そんな彼女を支えたのはやはり青年だった。皆が自分を失いつつある戦場で、彼は絶えず与謝野を励まし続けた。与謝野に命を救われるたびに彼は自身の認識票の裏に正の字を書き足していった。成し遂げた事を数えて正が完成し、この世に正しさが増えるのだと。 

 

ーこれが君の正しさだ。君が居なければ僕は故郷の両親や弟に二度と会えなかった。…君が居てくれて良かった。 

 

ところが戦争は無情にも二人を引き裂いた。

悪化の一途を辿る戦況、与謝野がいる限り終わることのない戦闘…無間地獄がそこにはあった。治療を躊躇う与謝野を森は許しはしなかった。異能大戦という人類史の転換期に適応する為に一刻も早く業績を成すことが求められたのだ。強制的に異能の行使を迫られた与謝野が次第に心を壊していくのは時間の問題だった。 

 

ある時、伝声管を介して青年が語りかけてきた。

陰鬱で衰えた、覇気のない声音だった。 

 

『君の異能、その正しさに教えられたよ。』

『誰の心にも限界はある。』

『…君は戦場に君臨する、死の天使だ。』 

 

その言葉を最期に彼は姿を消した。彼とすれ違った兵士の話では青年は独り戦場に向かったという。基地に残されていたのは不吉な正の字が隙間なく刻まれた認識票だけだった。

最も信頼を置いていた味方の明確な拒絶に、少女を辛うじて動かしていた心の糸はぷつりと切れてしまったのだった。 

 

 

「…そこからの記憶は曖昧でね。話じゃ基地を爆破しようとして施設に隔離されたらしい。」 

 

そして敗戦から三年後、再び悪夢が…森が与謝野の前に現れた。

その頃横浜の裏を牛耳っていたポートマフィアの先代を打倒するには与謝野の異能が必要だと。しかしそれを良しとしなかったのは森の用心棒として共に活動をしていた福沢であった。彼は森の論理には心がないと刃を抜いて糾弾したのだ。

 

「結果として私のせいで二人は袂を分かつことになったのさ。」

「別に君のせいではない。福沢殿とは昔から反りが合わなくてね...全ては起こるべくして起こったのだよ。」

 

与謝野が十四年前の悪因縁を打ち明けると、室内がまるで通夜のような重苦しい空気に支配された。

 

「そんなことが....」

 

しんとした空間で谷崎の声がやけによく響いた。悲しみに寄り添うような吐息が。唇を硬く閉ざし与謝野の顔色は哀哭やらが入り混じっていて、敦はかける言葉を探して見つからないと瞳を彷徨わせた。

 

「あんたの番だよ、何が失敗だったってんだい。」

 

自身に纏わる話題であるからか興味を示す与謝野に、俺は床に転がる椅子を元に戻して腰掛ける。

 

「なに、俺も福沢と同じ意見だってことさ。」

「貴方が?」

 

心外だとばかりにせせら笑う森に肩をすくめる。失礼な奴だ、俺はお前のように血も涙もない人間じゃないってのに。 

 

 

 

元の世界、文豪の森鴎外も軍医としては風評は良くなかった。有名な話では日露戦争の兵士の脚気問題で彼が判断を誤ったというのがある。何も彼一人が責任を追及されるべきではないが、自説に固執したばかりに失われた多くの命を無視することはできない。

 

異能大戦で逼迫した戦況の中、異能戦争における成果を挙げるために森は不死聯隊という論文を執筆した。負傷した兵士を治癒系異能力を有する衛生兵の手で癒し再び送り出すことで戦力を半永久的に戦場に留める戦略だ。文字通り不死身の兵隊たちを創り上げようと躍起になっていたのかもしれない。しかしそれは人間の精神的許容値を完全に超えてしまう狂気じみた計画だった。 

思うにこの世界の森も元の世界の彼と同様に理屈っぽい節があるんじゃないだろうか。実際戦況は悪化する一方で与謝野が語った通り衛生班すら任務を放棄、戦地に残されたのは原型のない死体と精神的犠牲者だけだったのだから。 

 

「人間は論理だけじゃ動かない。」

「では貴殿はどうすれば良かったと?」

「戦略としての不死聨隊は悪くはない。だがあれは大指令(ワンオーダー)とセットになって初めて効果を発揮するだろう。」

「っ!」

「...大司令?」 

 

流石に吃驚したといわんばかりに切長の目を見開く森に、与謝野が理解不能と眉根を寄せる。知らないなら敢えて教える必要もないので詳しくは話さないでおこう。あまり気持ちの良い方法ではないからな。 

 

「悪を悪とも思わぬとは、正しく邪悪ですね。貴殿の方が余程質が悪い。」

「そうだろうか。」

「ええ。」 

 

俺は残酷とは思わない。兵士たちの心理的、精神的健康を守ってやりたいならそうするべきだ。避難する後方のない離島において果てしない戦闘を繰り返すことは精神的重圧を加速させるばかりの最悪の選択だ。人権を無視する行為であることは否めないが本当に兵士の心を救いたいならこれこそが最適解だと俺には思えてならない。

…そういえば戦場で繰り返し異能力の詳細を探っていた時、明らかに別の戦地に飛んでいることがあった。後から自分が飛んだ場所が中米や第二次世界大戦などの舞台であったことを知ったがこの世界の時間軸は一体どうなってるのだろうか。 

 

不穏な空気が流れるなか、俺と森の話を理解していない敦たちは不思議そうに会話に耳を傾けていた。 

視線を動かせば健全な肉体へと戻ったミッチェルが穏やかな表情で眠っている。あとは彼女を連れて戻れば探偵社とフィッツジェラルドの取引は成立か。

 

「さて。」 

 

目的を果たしたのならもう此処に用はない。俺はこの居心地の悪い場所から早く離れたくて、担架に触れると敦と鏡花に手を差し伸べた。

 

「用は済んだ、戻るぞ。」

「あ、はい。」

「.............。」

 

敦と鏡花は一つ頷くと谷崎たちと向き合う。

 

 

「じゃあ与謝野さん、谷崎さん、賢治さん。必ずまた会いましょう、探偵社皆で。」 

 

円陣を囲むように各々を見渡す五人。まだ悪夢は始まったばかりだというのに先の見えない未来を真っ直ぐに見据える彼等の佇まいは気高くも感じられた。 

 

「約束してくれ。」 

 

年長の与謝野が一人一人と視線を交わせる。

読者だった餓鬼の頃ずっと憧れてきた決然たる眼、鋼よりも強く海のように深い絆を目の当たりにして俺は感動せずにはいられなかった。 

 

「誰が生き残っても探偵社再建に命を懸けると。」 

 

嗚呼、だから俺はこの物語を愛したのだ。

砂漠に咲く一輪の花のように、彼等はこの世界の希望そのもの。 

 

「はい…!」

「うん…、」

「判ってます。」

「やりましょう!」 

 

決意を改めた探偵社、 そうして近寄ってきた二人が俺の手にその小さな手を添えると、俺は異能を発動した。 

 

 

 

 

 

 

 

敦、鏡花、グレイが発ってからほんの三十分後のこと。 

 

「賢治ッ!」

「ボクが運びます!」

「前だけ見てろっ…!!」 

 

マフィアが保有する地下通路を与謝野、谷崎、宮沢そして広津を除いた黒蜥蜴の二人は走っていた。

 

背後に気配はないが着実に迫りつつある追跡者の影に両足に力を注いでまっしぐらに駆け抜ける。網の目のように張り巡らされた巨大な迷路を後ろから共に走る立原と銀の指示に従い進んでいく。前へ、前へと、決して振り返らずに。 

 

 

巡ること十数分前、百を超える潜伏地の一つを的確に探し当てたグレイを懐疑した森は一同に別の隠れ家へと移るように指示を下した。

神の目を使わずに潜伏先を探し当てるのは藁山の中から針を探すようなもの、いくらグレイとて至難の業である。そう、例えば諜報員でも潜んでいない限りは。

森の懸念は与謝野たちにとっても当を得た話であった。しかし彼等は敦と鏡花の信じたグレイを信じることを選んだ。現にグレイは過去に幾度となく敦を救ってきた、その魂胆は分からずとも彼が敦に対して何らかの事情を抱えているのは聡い太宰や江戸川でなくとも看取できていた。となれば裏切り者は神の目を使っていないと騙ったフィッツジェラルドか、はたまたマフィアに潜む別勢力か。道すがら熟考する間もなく軍警から追跡者が送り込まれたのだ。 

 

飛翔する軍刀により致命的な怪我を負った宮沢を救い与謝野たちを逃した広津の安否は不明。既に猟犬の手にかけられている可能性も否めないがそれでも彼等は引き返すわけにはいかなかった。 

 

公共の洞道をも利用し入り組んだ避難通路を追跡を煙に巻こうと回り道をしながら突き進んでいく。 

 

「此処だねっ、」 

 

そして彼等が辿り着いた先は不測の事態を見越して準備された分岐経路。モグラの洞穴のようなトンネルを地図を手元に進めば各々の逃走車両が用意されている。与謝野は早急に宮沢の怪我を治すと二人の背を強く叩く。

 

「谷崎、賢治!」

「はい、」

「はいっ!」 

 

それ以上の言葉は要らなかった。最期かもしれなくても、更なる災難が待ち受けていようとも…。 

暗く深い迷路の彼方へと姿を消した二人を見送ると与謝野は銀と立原と共に一歩を踏み出した。 

 

 

 

トンネルを抜けると三人は緊急避難所へと飛び込んだ。路上に出た途端に通報を受け派遣された警察に囲まれたのだ。 

 

「マフィアにしか解錠出来ねぇ重隔壁だ、奴らも早々追っては来れねぇはずだぜ。」

「はぁっ、ハッ…」 

 

空疎な空間ではあるが一時凌ぎには十二分であった。

どさりとその場にへたり込み与謝野は肩で息をする。まともに肺に空気を送り込む暇もなく走り続けたせいで彼女の体は限界だった。そして何よりも、 

 

「…あの異能者に心当たりがあるんだな?」 

 

立原の問いかけに与謝野は答えない。

宮沢を刺し、何度も自身を追跡してきた猟犬の異能者。羽織っている雨合羽のせいで風姿は明らめられなかったが金属を操る異能は彼女にとっては身に憶えがありすぎた。加え、異能者が与謝野の前に掲げて見せた認識票。正の字がびっしりと書き込まれたそれは男の正体を証明していた。 

 

ー戦場で彼の最期を見た者はいない。もし彼が何らかの理由で生き延び、自身を酷く怨んでいるなら… 

 

「アンタ達、先に逃げな。妾は此処に残る。」

「はあ!?」

「あの人の復讐相手は妾だけだ、これ以上妾のせいで無駄な犠牲を増やすわけにはいかない。」 

 

思索も逃亡も諦めあっさりと座り込んだ与謝野に立原は疲労の滲んだ嘆息を漏らした。 

 

「馬鹿にしてんのかテメエ、そんなダセェ覚悟でマフィアやってるわけねえだろ。」

「…………。」 

 

与謝野の想いをバッサリと切捨てる立原に賛同するように銀も点頭した。

立原は語る。彼には非の打ち所がない兄が居て、比較されるのが嫌で正反対の方向へと進んだと。ある日彼は半グレの仲間と共にとある組織の金庫を盗もうと企てひとたまりもなく捕まってしまった。そして先方は命を代償に彼に下働きの取引を持ちかけたと云う。 

 

「意外にも下働きは楽しかった。妙な話、組織の手足として働く俺は兄貴でも、兄貴の弟でもない誰かになれたんだ。」 

 

回想する立原の面持ちからは哀愁が漂っていたが与謝野にはそれ以上の感情を推し量ることはできなかった。 

 

 

「立原、」 

 

不意に銀が緊張を孕んだ声を発する。 

 

「ん?......ガッ!」

「逃げて、刀が勝手に…!」 

 

殺気のない刃を身に受けた立原は苦悶の声を漏らし地に伏す。続き様に短刀は銀の胸に突き刺さった。

与謝野が咄嗟に目線を走らせると、いつの間にか施錠されたままの避難所内の扉前に雨合羽の猟犬が居た。致命傷で立ち上がれずにいる二人を後目に確認すると、与謝野は歯軋りの後に両腕を構える。 

 

「来なっ、アンタの復讐相手は妾一人の筈だろ!」 

 

男は異様なまでに答えない。 

次の瞬間、背筋を這い上がった怖気に与謝野は反射的に体の重心を傾けた。

 

ヒュンと風を切る音とともに鋭利なナイフが顔の真横を通り過ぎていく。 

 

「っ、」 

 

二度、三度。

高速で宙を飛び交うナイフを避けながら徐々に与謝野は距離を縮め、男の目前に到達すると脇腹目掛けて渾身の回し蹴りを食らわした。 

 

人間にしては手応えのない感触、ぱさりとフードが取れるとその人物の顔が露わになった。 

 

「は、」 

 

予想だにしない現実に驚愕と困惑の調子が篭った声が上がる。

与謝野たちが猟犬と思い込んでいたその人物は金属芯のマネキンだったのだ。と、俄かに与謝野の脹脛を床に転がったはずの刀が貫いた。 

 

「ぐぁ.....ッ」 

 

急激に熱を帯びた激痛に前のめりに仆れ込む与謝野。そして全てを悟った。

複雑な構造の地下通路から正確に与謝野を追跡できたのも、解錠してないのにも関わらず壁をすり抜けたように突如として現れた方法も、答えは一つしかなかった。 

 

 

ギギと重く冷たい金属製の扉が軋り音を鳴らしながら開かれる。

外光柱が狭い室内を満たしていき.....逆光を浴びて四人の猟犬が入口を塞いでいた。

福地、末広、条野、燁子、そして。 

 

「ヤバい連中、か。てっきりポートマフィアの事だとばかり。」

「ちげえよ。」 

 

背後で硬い靴音がコンクリートの床を叩いた。 

 

「五人目の猟犬、立原道造。そしてあんたが昔死に追いやった兵士は俺の兄貴だ。」 

 

軍警の誉高い外套を羽織り、条野が手渡した制帽を被ると道造は憎悪にギラついた眼差しでピストルを与謝野に向けた。 

 

「マフィアに入ればアンタに近づけると思った。」 

 

全ては兄の復讐の為。そう吐き捨て銃口を額に近づけ撃鉄を起こした道造に、与謝野は処刑台に登った罪人のような、それでいてどこか憑き物が落ちたような表情で瞳を閉じた。 

 

「…そこまでして……なら、好きにしな。」 

 

痛いほどの静寂、殺伐とした空気が二人の心を凍らせていく。

鉛のように重苦しい緊迫感が募り、 

 

 

膨れ上がった殺意が引き金を引いた。

 

 

 

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