文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

52 / 122
回顧録(OE)

 

 

大切な家族や友人、生まれ育った故郷...何物にも代えがたいありふれた幸せを護る為に戦争に志願した。勿論徴兵制が施行間近だったのも社会からの大きな期待を背負っていたというのもある。

派遣された戦地には僕と志を同じくする仲間が沢山いた。人命を、国土を、財産を外敵という脅威から防衛する、それが僕等の共通認識だった。けれどそれが甚だしい空想であったと気づいたのはいつだったか。

 

一向に改善しない厳しい戦局、体よりも先に心が壊れてしまった戦友たち、何度も味わう死の感触。死闘の回数が千も万も超えれば精根が尽きるのも時間の問題だった。 

あの日はいつもと違っていた。いつまで経っても慣れない苦痛を一身に受けるためだけに送り返された戦場で僕は彼と遭逢した。 

 

『Вы русский?』

『………?』

『那么你是中国人吗?』

『え、あの…』

『日本人かよ、紛らわしいな。……え、日本人!?』 

 

その人物の噂は耳にしたことがあった。何でもたった一人で超越者を殺して戦況を複雑化させたとか、彼が現れた戦場は一瞬で更地になったとか、二年前のイギリスの海軍本部で秘密裏に開かれていたあの会談で高級指揮官を惨殺しただとか。一体何処の軍が生み出した超人兵器だというのか、どれも眉唾物だったけど本人と実際に対峙したことで僕は噂が真実であったことを身をもって体験してしまった。 

 

歳は二十代前半だろうか、まだ青年といっても良いくらいの若さの彼はたった一挺の拳銃と小刀を両手に屍の上に佇んでいた。音速に等しい速さで銃とナイフを扱い、粛々と人を殺す様はその所業に反して高貴で美しささえ秘めていた。 

 

気づけば僕たちの周りには彼が生み出した血と肉片の跡だけ。常識では到底測れない出来事に唖然と立ち尽くしていると、屍の山から降りた彼は最後の生き残りの僕の元へと歩み寄ってきた。征野に相応しくない軽快な足取り、白シャツが血に塗れているのは却って僕の心臓を凍てつかせ…直感的にこれが人生の最期だと悟った。

武器を構えるでもなく緩徐に近寄ってくる死を受け入れていると、青年は僕の目と鼻の先で立ち止まって.....

 

『此処が何処か知ってるか?』 

 

飄々とした態度でそう尋ねてきた。 

 

『は?』

『いや、また失敗したみてェなんだ。折角コツを掴んだと思ったのに…』 

 

正直彼が何を言っているのか理解できなかったけど何か答えなければならないという謎の圧と義務感だけはあった。 

 

『此処は常闇島ですけど。』 

 

すると彼はきょとりと黒目を丸くして、 

 

『えもしかしなくても場所変わってなくない?マジで才能ねェのかも、』

『常闇島ならまたあの不謹慎医者とぶっとび剣士と鉢合わせるかもだよな。』

『ていうか何で福沢が戦場にいるんだよ、原作に描かれてない設定とか無理だっつーの。』

 

『あ、あの。』 

 

人知を超えた不可解な言動とでもいうべきか、青年の言葉は支離滅裂で意味が分からなかった。こういうのを変人と謂うのだろうと次第に調子が狂わされていく。 

 

『ああ、いけない。魔王からハードボイルドにキャラ変えしたんだった。目指せ冴羽獠、いや次元大介……誰でも良いからしっかりしろよ俺。』 

 

逃げるべきか応援を呼ぶべきか、対応に思い悩んでいると当惑する僕に気づいたのか青年は襟を正して咳払いをしてーー 

 

『坊主、名は?』  

 

 

それから僕は彼に促されるままに泥と血の腐臭が漂う大地に隣り合って座り身語りを話すこととなった。グレイと名乗ってくれた青年はとても雄弁で知らず知らずのうちに心の丈を赤裸々に打ち明けてしまった。 

 

『そうか、大変だったんだな。』 

 

何時間もかけて語ったというのに、彼はたった一言で片付けた。けれど頭に触れた温もりがどうしようもなく暖かくて..... 

 

『っふ…ぅぁ…、』 

 

気づけば大声を上げて泣いていた。僕にこの青年のような兄がいたならば現実も違っていたのだろうか。

同じ釜の飯を食べた仲間は日に日に帰らぬ者となってしまった。いつからか僕は自分の殻に閉じ篭って人と話すのすら億劫になっていたのかもしれない。人を殺めた罪悪感と四肢を失っても鼓舞される重圧に押し潰されて心は枯渇していた。 

 

『本当はッぅ……死ぬつもりでっ、出陣したっていうのに…!』 

 

何故か彼に話したら胸の痞えが下りたようで、恥ずかしいことに今度は死にたくなくなった。グレイはまるで僕だけのために戦場に舞い降りた救いの神のようだった。 

 

嗚咽が引いた頃、グレイはぎこちなくも僕の肩を抱き寄せてくれて、 

 

『…どんな時も自分で道標を見つけて歩んでゆけるように。』

『っ!』 

 

その言葉は軍に入隊する前に見送ってくれた両親が教えてくれた僕の名付けの由来。 

 

『太陽を引き寄せる春蝉や、横浜の風に鳴き澄める。』 

『...良い名じゃないか、春蝉。』

 

旅立ちの日に見た天使のように可憐な花の美しさ、忘れかけていた自分の魂の源泉。グレイは再び僕の頭を撫でると立ち上がった。彼方を望む双眸は死人みたいに澱んでいて、されど地を焼き天を焦がす業火のように力強かった。 

 

『俺はそろそろ戦争を離れて遠く平穏な地に行こうと思う。どうだ、お前も一緒に来ないか。』 

 

もしかしたらそれは悪魔の誘惑なのかもしれない。けれど彼が天使であろうと悪魔であろうとどうだってよかった。だから僕は差し出された手を取ったのだ。

 

 

 

 

 

 

ー立原君、貴方に会わせたい人がいます。 

 

久々の出勤早々、条野に呼び出された道造は所属部隊の先輩達への挨拶も程々に彼の後を追った。 

 

横浜第五軍警基地は三万一六七〇平米の広大な敷地を有しており、ヘリポートをはじめとした野外スポーツ施設、独身宿舎など様々な用途に利用されている首都圏有数の駐屯地である。

スクランブル体制で警邏する隊員に挨拶をしながら歩くこと彼此数分。左隣を歩いていた条野がつと道造に話しかけた。 

 

「立原君、」

「はい。」

「何故、彼女を殺さなかったのですか。」 

 

彼女とは先日彼等がポートマフィアの避難所で逮捕した与謝野のことであると、道造は即座に察した。 

 

「それは…」 

 

異能技師による身体強化と先天盲の影響で条野の五感は常人のそれを超越している。故に彼の問いに道造の心拍が上がったのを条野の聴覚は聞き逃さなかった。 

道造自身にも理由はわからなかった。確実に眉間に狙いを定めて引いたはずの引き金は如何いうわけか地面を抉っただけ。直後、緊張が最高潮に達した与謝野は糸が切れたように崩れ落ちた。そして彼女を抱えて軍へと戻ったのも道造だったのだ。 

 

「なんか、兄貴の顔が浮かんだんスよ。」 

 

戦場で死を選んだ兄が自身が復讐の為だけに生きてきたと知ればどんな顔をするのか。与謝野が一体何を思って兄を死に至らしめたのか。一度にして色んな思いが込み上げたせいで照準がズレたのだろうと彼は自らを納得させることにした。 

 

前から後ろへと流れゆく不規則なタイルの柄を俯き加減に眺めながら話す道造に、条野はさして興味もなさそうに相槌を打つ。 

 

「まあ、その判断は正解だったかもしれませんね。」

「はい?」

「まったく、彼の頼みでなければこんな煩わしい仲らいを取り持つなどしませんよ。」 

 

眉頭をこれでもかと寄せて不平を並べる条野を道造は困惑気味に盗み見る。しかし条野は詳細を話すでもなく前進すると或る部屋の前で止まった。その部屋は基地に数ある会議室のうちの一つだった。 

 

「良いですか立原君。驚きすぎて放屁して私の嗅覚を汚さないでくださいね。」

「いやしませんよ。」 

 

彼等の上司である福地に前科があるからか、態とらしく警戒を露わにする条野に道造はすかさず切り返した。よろしい、と一言放つと条野は拳で扉を叩くと返事を待たずに開く。 

 

「連れてきましたよ、春蝉君。」 

 

妙に聞き馴染みのある名前にドクンと心臓が跳ねた。起床ラッパのようにテンポの早まっていく鼓動に道造は恐る恐る一歩を踏み出す。そして、 

 

「あ、にき…?」 

 

部屋の中で佇立する人物を目にした途端、一際激しく胸が鳴った。

幼少期の記憶…出兵してからも、死亡告知書が届いてからも決して忘れることのなかった太陽のように温かい声。

薄雪草を連想させる柔和な笑顔。 

 

「久しぶりだね、道造。」 

 

 

この世の誰よりも憧れた愛しい兄が、そこに居た。  

 

 

 

 

軍に勾留されてから与謝野は飲食を摂らず眠りもせず茫然自失に沈んでいた。 

 

春蝉を死に追いやったのは紛れもなく自分であり、そこに不死聨隊や軍の強要が釈明できる道理はない。何より与謝野は己の罪から逃れるつもりなど毛頭なかった。あの場所で春蝉の血縁者に処刑される定めを受け入れたのだ。にも拘わらず存命していることが彼女には不思議でならなかった。 

 

殺す価値もないほど惨めな存在だと面と向かって言われる方がまだマシだった。

頭に手を伸ばすと蝶の輪郭を模った髪飾りを取り外す。塗炭の苦しみの名残を見つめていれば段々と目頭が熱くなっていく。 

 

「ッ……」 

 

溢れそうになった泪を強引に拭って髪飾りを戻すと、何の前触れもなしに部屋の扉が開かれた。 

 

「良かった、怪我はないみたいだね。」 

 

唐突に掛けられた親切な言葉に怪訝に思い面を上げる与謝野。 

 

「………ぇ、」 

 

そうして視界に映った青年に目玉が飛び出るほどに目を見張った。 

 

「アンタ、」

「うん、立原だよ。立原春蝉。」 

 

幻覚を疑い再度瞼を強く擦るが青年は消えない。今度は彼の背後からひょっこりと顔を覗かせる道造に視線で尋ねてみるが、泣き腫らした目は幻覚が現実であることを告げていた。となれば彼女を見下ろす青年は紛れもなく十四年前に死んだはずの兵士で。 

 

「…生きて、たのかい?」 

 

つっかえながらも問いかけると春蝉はゆっくりと頷いた。 

 

「そうだね。まずはそこから話そうか、どうして僕があの戦場を離れたのかを。」 

 

それから春蝉は十四年前の出来事を振り返り始めた。 

自殺するつもりで最後に戦地へと赴いたこと、そこで出会ったとある青年に心を救われたこと、恩人に恩返しがしたくて長い間海外で生活を送っていたこと。大戦以降の彼の道のりを。

断片的にしか戦争の話を聞かされてないであろう自身の弟にも分かるように常闇島で与謝野と出会ったときのことからの全てを。

 

 

「ーあの戦場に残してきた唯一の後悔は、君と酷い別れ方をしたことだ。」

「…………。」 

 

戦場で散った友の為、遠く離れた家族の為と大義を掲げることで己の行いを肯定しなければ自己を保っていられなかった。そしてあまりに脆い精神の壁が壊されたとき、自身が受けてきた槍の矛先を変えてしまった。 

 

「命を救いたいという君の願いは何一つ間違っていない。何度だって言うよ。君の正しさがなければ今、此処に僕はいなかった。」 

 

ーありがとう。 

 

視線を合わせるように屈み込み花笑んだ春蝉に、与謝野の感情が堰を切って溢れ出した。 

 

「ぅッ……ぁあああっ!」 

 

頬を伝う優しさの証が一滴、また一滴と床を濡らしていく。  

両手で顔を覆い流涕する与謝野を抱擁すると春蝉は部屋の外でばつが悪そうにまごつく弟を手招きする。おじおじと迷うその背を条野が押すと、道造はバランスを崩したように二人の元へと倒れた。 

涙が枯れるほど泣いたというのに懲りずに漏れ出してくる声を恨めしく思いながら、背に回った温もりを確かめるように道造は腕を伸ばしたのだった。  

 

程なくして二人の昂る気持と涙が収まった頃、 

 

「い、痛いな…。」

「拳の一つくらい受け入れてもらわなきゃあこっちだって気が済まないね!」

「大体なんで今頃になって打ち明けんよこの糞馬鹿兄貴!母さんと父さんにはちゃんと会ったんだろうな!?」

「あ、明日にでも会おうかなって....ぐはぁッ!」 

 

さんざ泣き喚いたおかげか二人の蟠りはすっかり解け、三発分の痛打に頬を真っ赤にした春蝉と不細工面を嘲笑う条野によるカオスな空間が出来上がっていた。罵詈雑言を浴びせながら長らく音信不通だったことに怒髪天を衝く与謝野と道造に、春蝉は両頬を摩りながら答える。 

 

「だって、僕のせいで二人が喧嘩したなら止めないとと思って。」

「喧嘩って…アンタ、」

「待て、つまり俺が彼女を追い詰めることがなければ兄貴はずっと秘密にするつもりだったってことか?」 

 

図星を突かれた春蝉は足元を見つめる。再び拳を握ろうとする二人に、条野が割って入った。 

 

「彼は後ろめたいのですよ。兵士としての役目を果たさずに戦線離脱をしたことが。不体裁ですからね。」

「そんなこと…」 

 

しかし押し黙る春蝉の様にそれが真意であることに心づく。多くの国の軍隊で戦闘を放棄した脱走兵は射殺する規則がある。それは部隊の規律と秩序を維持する為であり違反すれば重罪となる。実際に第二次世界大戦のドイツ軍は一万五千を超える脱走兵を処刑したとされている。 

 

「のこのこと帰ってどんな目で見られるか想像しただけでも恐ろしくて誰にも合わせる顔がなかったんだ…。」 

 

後ろ指を指されているかのように目を逸らす春蝉。与謝野と道造は顔を見合わせると頷き合った。 

 

「兄貴。」

「…ガァッ!?」

「ぷはっ、」 

 

与謝野による不意打ちの頭突きに春蝉は思わず後ずさると後頭部を壁にぶつけた。ゴツンと、よく鳴った鈍い音と頭を抑える春蝉に条野は堪えきれないとばかりに吹き出す。 

 

「務めが何だってんだい!妾なんてずっと軍規に逆らってきたんだよ!」

「だから今捕まってるのでは…?」

「ちょっと条野さんは黙っててください。…兄貴、」 

 

空気を読まない先輩を咎めると道造は床に蹲る兄に手を差し伸べた。自身を見下ろす二人の表情が怒りではなく柔和であることに春蝉は瞠目する。 

 

「兄貴が生きてくれてるだけで、俺たちは嬉しいんだ。」

「道造、与謝野さん…。」 

 

見上げた二人は陽光のように眩しくて……春蝉は無言のままに二人を抱きしめた。  

 

「しっかしまあ、その兄貴を救ってくれたっていう奴に感謝しねぇとな。」

「その御仁は今も海外に居るのかい?」

「うん、日本にいるよ。」

「なら是非ともお会いしたいもんだね。」

「……きっと近いうちに会えるよ。」 

 

仕切り直して春蝉を救ったという人物についてを思い巡らす与謝野と春蝉。話題が深まるにつれ、春蝉の面差しから感情の色が薄れていくのに二人が気づくことはなかった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。