火曜日。
七曜星の一つである火星に由来した曜日。太陽系の太陽に近い方から数えて四番目の惑星で、二番目に小さい惑星であるがベトナム語では第三を意味する単語が使われている。
「ちょっと!なんなのよアンタ!指名手配って一体どういうことよ!?」
「痛い痛い痛い!」
「...大丈夫なのか?」
「多少の不安はありますが此処が世界一安全です。」
「どっちなんだ。」
バビロニア神話ではネルガル、火星を象徴する女神に由来している。他にも戦争、死、疫病や冥界を司る神であったといわれている。ギリシャ神話はお馴染みのアレスが火星の代名詞だ。ネルガルと同じく戦神、狂乱と破壊の神としても有名だ。
「答えよ、お前は七號機関の人間か?」
「いいえ。」
他にはローマ神話のマルス。やはり同様に軍神や勇敢な戦士という意味合いをもっている。英語のTuesdayの語源は北欧神話の軍神テュールに因んで呼ばれるようになった。謂わばテュールの日である。
「だから僕は、ドストエフスキーが嘘をついてまで隠したかった貴方の持つ知識を知る必要がある。」
「……………」
「虫太郎さん、僕たちからもお願いします…!」
「お願いします。」
そんな破壊や暴力のエネルギーに満ちた曜日に相応しい、正に劇的な週の一日を送っていた。
「良いだろう、だがお前達。五分後には後悔しているぞ。何をどう聞いても最悪な気分にしかならん情報だ。」
ちらり、七三分けの前髪の男と目が合った。
黒色の蝶ネクタイと花緑青のスーツが似合うと目線で返してやれば男は何故か慌てて視線を坂口達へと戻した。
小栗虫太郎、それが彼の名前である。
少し前、与謝野の治療を施したミッチェルをフィッツジェラルドに送り届けたあと、約束通りフィッツジェラルドは虫太郎の居場所を神の目で見つけ出した。彼が監禁されていた場所は政府機関が管理する銀行施設。敦と鏡花を連れて侵入し順調に虫太郎を保護したところでドストエフスキーの謀りか坂口が特殊部隊を引き連れてやってきた。建物の周囲は完全に包囲され多勢に無勢な状況下、できれば異能を使いたくない俺は敦達の簡単なサポートに周り様子を見ることにした。
流石は探偵社、虫太郎の臨機応変な知謀もあり見事俺たちは建物から無事に脱出。しかしその先に現れたのは特務課きっての頭脳派、坂口。あわや瞬間移動の出番かと身構えていると実は彼は探偵社側の味方であるという事実が判明したのだ。
どうも天人五衰事件が始まる前からドストエフスキー達の目論見を察知していた太宰が機転を利かせた先回りをしていたらしい。頭脳心理戦に長けた天才たちの戦いは物凄まじいものである。
ともあれ、それから坂口が独自に確保した避難所....ルーシーの元へと赴き現在に至るというわけである。
俺を目にした途端に一瞬表情を明るくさせたルーシーだったが、傍に敦がいるからか直ぐ様無愛想な態度であしらわれるとこれが思春期かと三度目の親としての寂寥感を味わった。その場で崩れ落ち咽び泣きたいところであったが坂口も居たし何より出会った時から度々俺を盗み見る虫太郎がいたので我慢した俺を褒めて欲しい。
そんなわけで組合からのポートマフィア、銀行からのアンの部屋への移動など目まぐるしい一日に気苦労がマックスである。精神年齢超高齢者には厳しすぎる.....。
なんてソファに背を預け一服とってる間に話は進んでいたようだ。
「先ずテロ組織天人五衰は五名によって構成されている。」
ドストエフスキー、ゴーゴリをはじめとした異能者が他二人、更に彼等を束ねる創設者が一人。その目的は国家の消滅。第一、二段階を通して頁の力で現実を改変し探偵社をテロリストへと仕立て上げ、第三段階で更なるテロを起こす…現在が此処だ…そして最後の王手で頁の残りの裏面を使い国家を消滅させる。頁に書ききれない些細な箇所はその都度天人五衰が自ら動くことで因果整合性を補う。思わず嘆声が漏れそうなほどに精到な籌策だ。
「最終段階の頁への書き込みは十日後の満月に行われる。」
「確かに最悪の気分にしかならない情報です。」
虫太郎が全てを話し終える頃には部屋の中は気まずい沈黙に満ちていた。暗い影を落とし悲嘆に暮れる坂口と、顔を俯かせる敦と鏡花。そんな彼等にルーシーはかける言葉を探そうとして結局黙り込んでいた。年長として空気を変えてやるべきかと適当な表現を脳裏で選択していると、
「あっはははは!ははは!」
「え?え?」
突然哄笑しだす敦と頬を緩める鏡花。
「やったよ、鏡花ちゃん!」
「うん、私も嬉しい。」
間違いなく眉間に銃口を突きつけられているような窮地だというのに二人は雀躍せんとばかりに喜んでいた。それは今までにも幾度となく挫折と絶望を味わってきた二人だからこそ奮える七転び八起きの精神。
「十日以内に天人五衰を見つけ出して倒す。」
「それから頁を奪って探偵社は無実と書き込む…簡単なことじゃないか!それで全て元通りだ…!」
希望に満ち満ちる二人に拍子抜けする虫太郎とルーシー。その傍で坂口は俄然として表情を強ばらせていた。まあ無理もない話だ。いくら一縷の希望があるとはいえ現実的に考えれば全貌の不明なテロ組織に真っ向から立ち向かっていくなど、それこそ戦隊モノや映画や小説の中のヒーローの絵空事に過ぎない。
困難に直面したとき、誰もが不撓不屈でいられるわけじゃない。だからこそ俺はこの世界の中島敦が、武装探偵社が好きなのだ。
「なら次の行き先は天空カジノだな。」
唐突に話題に割り込んできた俺に五人の注目が集まる。
「天空カジノ?」
「天空カジノの支配人シグマ…天人五衰の一人でありお前達が最も接近しやすい頁の在処を知る人物、そして次のテロ計画の舞台だ。」
「ええっ、もしかしてグレイさん最初から!?」
「言っただろ、俺は情報通だと。」
「それなら初めに言ってくれれば良かったのに。」
「聞かれてないからな。」
そう言えば子供達の間でブーイングが起こり俺は肩を竦める。と、やけに突き刺さるような視線を感じて顔を向ければ、虫太郎が眉間に皺を寄せて俺を凝視していた。さっきから一体何だというのか。
服装か?それとも…
「俺の顔に何か付いてるか?」
そう尋ねてみると虫太郎はぎくりと盛大に肩を揺らした。
「い、いや!いやいやいやいや!とんでもないっ、実物は想像以上に白髪童顔だとかそんなこと...」
「白髪童顔?」
「Mir ist nur ein versprecher unterlaufen!お若い!いやぁ全く伝説以上の知勇兼備!容貌魁偉!あー.....古今独歩だ!」
「もういい。」
「Alles klar!」
ダラダラと汗を垂らしながら高速に両手を交差させる虫太郎にもう十分だと静止する。
よく分からんがよく分かった。お前さてはストーカーだな?きっと銀行に軟禁されてる間やることもなく花袋のように電子の海を彷徨いそして…指名手配犯を漁った末に俺という運命の相手を見つけたに違いない。
容姿か、重要指名手配犯のわりに浅い罪状か、何かが彼の性癖にクリティカルヒットしたのだろう。生憎野郎に興味はないが他人からの好意を無下にするのは気が引ける。そこまで思い至った俺は虫太郎に近づき肩に触れると、
「俺とお前だけの秘密にしておいてくれないか?その代わりといっては何だが…今度酒でも奢ろう。」
耳元でそう囁いた。俺としてもあらぬ噂が駆け巡るのは避けたい。すると虫太郎は赤面を通り越し顔面を蒼白にさせると今度は首が捥げそうな勢いで縦に振った。
「もも勿論!酒など結構、私は秘密を守る男だ…!」
反応の激しさに内心ドン引きしつつも一応話は纏まったのでこれで一安心。俺は改めて全員を見渡す。
「次なるテロの目的は恐慌だ。」
「恐慌?」
疑問を浮かべる坂口に俺は頷く。
「彼処で換金される金はRDG1800という硬貨に偽装された高性能爆弾だ。意味は分かるな?」
「なっ!?」
「お金を爆弾にして人を殺すなんて…」
「そう単純な話ではありません。」
剣呑な雰囲気を醸し出す坂口に場の空気が呑まれていく。
経済流通により硬貨爆弾が世界中に拡散されれば何れ死傷者が出始める。すると造幣局や銀行、ひいては国家に対する信用は地に堕ち、その先に待ち受けているのは貨幣経済の崩壊だ。
「…恐らく人類史上最悪の経済恐慌が吹き荒れるでしょう。」
「ッ!!」
想像を絶する大惨事に衝戟を受ける敦達。が、こんなとこで尻込みしている場合ではなかった。
「カジノに潜入するにはモンゴメリさんの異能が必要不可欠です。」
「え?私?」
「これはどうでしょうか…僕は一度虫太郎さんを護送し太宰君に確認の連絡を取ります。モンゴメリさんは敦君と鏡花君をアンの部屋に格納して一般客としてカジノに訪れて下さい。貴方はまだ政府に捕捉されてないので通報の心配もありません。」
坂口の提案にルーシーは一度俺を横目に見ると再び坂口を見据えた。
「わかったわ。」
「ルーシー、けど君は良いの?無関係なのに…。」
「構わないわ、それに…」
その先は聞き取れないほどに小さく、聞き返した敦にルーシーは首を横に振った。兎も角方針は決まったようだ。
「では決まりですね。事は一分一秒を争います。」
「任せて。」
パチンと指を鳴らす音がした。瞬きの後に俺たちは元の裏路地へと戻っていた。
ルーシーと坂口、そして虫太郎は向き合う。
「これを持っていって下さい。」
坂口がルーシーに手渡したのは一台のタブレットだった。
「僕は現場には行けませんのでこれで指示を下します。」
「ええ。」
「ではまた。」
そう締め括ると坂口と虫太郎は去っていった。さて、一度ホテルに戻ってからQに昼飯を食わせようか、それから…
「グレイ。」
今後の一日の予定を考えながら路地裏を出ると背後から呼び止められて俺は振り返る。やけに深刻そうな眼差しが俺を真っ直ぐに見つめていた。
「私はどうすればいい?指示を頂戴。」
奇妙な質問だった。
「指示?お前が指示を仰ぐべきは坂口だろう。」
「……了解。」
個人的にカジノには用事があるが別に敦達と行動を共にする必要はない。何より一緒にいれば間違いなく暴力沙汰は避けられないだろう。そう返せばルーシーは思惑するような仕草をしてやがて一つ頷いた。
そんなときだった。
ざり、背後からアスファルト舗装の表面の小石が踏み躙られる音を耳が拾った。人の気配に体を翻してみれば、微風に揺れるインバネスが視界に映り込む。
「悪ぃが駄菓子はねぇぞ。」
なんて言ってみると探偵は笑った。
「駄菓子が用件ならどれほど良かったか。」
眼鏡の奥の翡翠が光ると、江戸川を纏う雰囲気はたちまち成熟した大人の男へと変化した。
「店長に休暇を申請してくるわ、じゃあまた。」
「ああ。」
空気を読み取ったルーシーが急ぎ早に去り行くのを見届けると俺は一歩探偵へと近づく。
「話を聞こう。」
そして、使命感を宿した江戸川の双眸を受け止めたのだった。
客の一人もいない閑散とした仕事場に向かうと、ルーシーは職場の上司にいとまを告げた。
「良い?例え誰が来ても知らぬ存ぜぬを突き通して。」
「ああ、分かってるよ。心配せずに早くお行きなさい。」
「ルーシーちゃん、呉々も気をつけるんだよ。」
これが最後かもしれないことを口にする必要はなかった。アンの部屋に保管しておいた珈琲豆の最後の在庫を部屋の隅に置くとルーシーは手提げ鞄を肩にかける。そして泪ぐむオーナーの妻に軽い抱擁をオーナーと握手を交わした。
最後にもう一度釘を刺そうとして、視界の端の外の景色に異物が紛れ込みルーシーは表情を引き締める。
「二人とも、店の奥に隠れていて。」
「ッ!」
彼女の視線の先、横断歩道を沿って歩く二名の軍服の男達に店主たちも事態を察知する。
「いや、私まで隠れていては却って怪しまれる。」
「貴方…」
「奥で隠れていなさい。大丈夫だ。」
カラリンと冴えたな鈴の音が鳴った。それと同時に硬い靴音を響かせて二人が入店する。
「おや、手間が省けましたね春蝉君。」
「そうだね…初めまして、ルーシー・モンゴメリさん。」
「…私に何か用かしら。」
張られた弦のような緊張感が一同の間を漂い始める。春蝉と条野は二、三歩前進するとルーシーの目前で立ち止まった。
「丁度先程合同捜査本部に寄りましてね、その際にある話を耳にしたのです。」
「「探偵社は無実だ。」と本部で叫んでいる君の映像を見せて貰ったよ。それで、探偵社と親しそうな君なら彼等の居場所を知っているんじゃないかと思って。」
心臓が激しく波打った。
「なら無駄足だったわね、確かに上階の探偵社とは懇意にしていたけれどテロリストを庇うほどの仲じゃないの。」
「では店長、貴方に聞きましょう。」
「っ、」
鼓動が加速していく。オーナーはカウンターの陰で拳をギュッと強く握り込むと二人を見据えた。
「我々が探偵社の三文字を出して以来動悸が止まらないようですが…ああ、隠しても無駄ですよ呼吸音で分かります。」
「....私は珈琲を提供するだけのしがないバリスタです。私の意見など何の役にも立ちませんよ。」
「では何故我々が店に入る前に奥さんを店の奥に隠したのですか?」
破裂しそうなほどの心音が、条野の耳にシンバルのような破滅的な響きとして伝わってくる。同僚の好ましくない変化を察した春蝉がいち早く諌止しようとするが条野は止まらない。
「っ何のことだか…」
「困りましたね。貴方方の罪は逃亡幇助、いえテロの事後重犯…これ以上黙秘を貫くならば二度と珈琲を入れられなくなりますよ。」
「そこまでよ。」
尖った声が二人の間に割って入った。
条野の目前に立ち塞がるとルーシーは二人を睨みつける。
昵懇の間柄であるオーナーに脅しにも似た尋問を行うことはいくら二人が相手であろうとも看過することはできない。必要であれば得物を構えることも辞さないと、ルーシーは圧を込めて春蝉と条野と相対する。
「ふふ、かつて貴方に付けられた擦り傷が疼いてきました。」
「ならもう一度、今度は癒えない刺創を刻みつけてあげるわ。」
「はあ、結局こうなるのか…。」
刀の鞘に手を伸ばす春蝉に条野。後ろ手にアンの部屋から権限させたベレッタ92をコックし、もう片方でダガーを握り込むルーシー。対してオーナーは極寒化しつつある室内で自身の無力さを嘆きながら成り行きを見守るしかできないでいた。
「警告するよ、此処で僕たちが剣を抜けば君は軍警に身柄を拘束され長期に渡り尋問を受けることになる。今、探偵社の身柄を明け渡すなら君もオーナーも一切の罪には問わない。」
「笑止っていう日本語知ってる?犬如きに負けるほど人間様は弱くないのよ。」
膨張した不可視の殺意がぶつかり合い、そして…
「大口を叩くだけはありますね。」
「…やるじゃないか。」
「貴方たちに褒められても嬉しくないわ。」
ダガーナイフが一本の軍刀を払い条野の喉元へ、特殊強化を施された銃身が春蝉の刀と交わった。
三人は一度得物を引き間合いを取る。極度の殺気を衝突させ合いながら、ルーシーがどこか愉しげに口を開いた。
「それともう一つ」
「……………」
「此処はあの人のお気に入りの場所…手を出した以上相応の覚悟をしておくことね。」
「お気に入り?」
「ああ、俺のお気に入りの喫茶店だ。」
突として放たれた声に一同が驚き見返ると、二梃の銃を両手に提げ入り口で佇むグレイがいた。まったくの前触れもなく現れた男に猟犬の二人は愕然と後退する。
「餓鬼共、喧嘩は他所でやれと前にも言ったはずだが?」
「ッ…!」
「遊び足りねェってんなら表に出ろ。」
撃鉄を起こしながら歩幅をずらし流し目に出入口を指すグレイ。自身の身内に対して餓鬼呼ばわりする時は大抵本気の説教をする時であった。
有無を言わせぬ威圧感にルーシーは即座に武器を戻し、条野と春蝉は互いに顔を見合わせると刀を納めた。それを見届けるとグレイは銃を懐に戻して超嘆息を吐き出した。
一人の顧客の登場であっという間に場に落ち着きが戻ったことに、彼の正体を知らぬ店主は呆気に取られていた。
徐に足を進め猟犬の間を通り過ぎたグレイはルーシーの眼前に到達すると、
「さあ、お前はもう行け。」
「…なっ!?」
そう云うや否や彼女に触れた。
瞬きよりも早くルーシーの姿が消えたことにグレイの異能を初めて目の当たりにした店主はあまりの衝撃に声を失う。そんな彼にグレイは大丈夫だと一言告げるとカウンター席に座った。
「そうだな、今日はラスフローレスにしよう。三杯頼む。」
「………は、」
「どうしたオーナー?」
「あ…た、只今。」
グレイの二度目の声掛けに我に返った店主は弾かれたように動き出したーー
蓄音機から流れるクラシックオーケストラが凍てついた店内を絶妙な温度に彩ること暫く。
横並びの卓上に三客の珈琲カップが置かれた。
「お待たせ致しました。ラスフローレスです。」
仄かな香りを吸い込みグレイは珈琲を一口含む。
中深煎りにより落ち着いた酸味と優しい口当たりが花々で満たされるコロンビア農園を連想させた。次にグレイは金ピースの箱から一本の煙草を取り出し火をつける。
「要るか?」
「結構です、既に私の嗅覚は潰れかけてるので。」
「僕も遠慮しておくよ。」
「釣れないな。」
半ば反応を予想しながらも箱を差し出すと当然の如く断られるが、グレイは気にするでもなく喫煙を続ける。珈琲がバニラの芳醇な風味と相まって旨味が増すのを堪能しつつ未だ困惑気味の店主に話しかけた。
「オーナー、コイツらが悪かったな。代わりに謝ろう。」
「いえ、」
「これは僕たちが悪いのかな。」
「当然だ、善い店を潰すのは文化大革命並みの大罪だと断言しよう。」
ーなんと大袈裟な。
男を間に挟み席につく猟犬の二人は同じくラスフローレスを飲み込むことで後少しで出掛かった複雑な心境を押さえ込んだ。是迄にグレイが気に入った人や物を害した者達のその後の末路は口にするのも憚られるものである。
そんな彼等の様子を終始窺っていた店主は疑問を抱く。
以前ポートマフィアの黒蜥蜴がうずまきに突撃した時に撃退したのはグレイであった。それ以降、男が堅気の人間でないと薄々察していた店主であったが…どう云うわけか今現在、彼を挟んで座る二人の軍警の男達は応援を呼ぶばかりか共に一息を入れているではないか。もしやこの顧客は自身の予想とは正反対の社会的地位に就く者ではないだろうか。即ち彼の正体は軍警の…
「違いますよ。」
「えっ、」
ふいと思考を遮った条野に店主は驚嘆する。感情を表に出すことなく条野は言葉を続けた。
「グレイは世界最凶の無頼の徒です、間違っても軍警の重鎮だなんて口にしないで下さい。」
「お前が今口にしただろう、それよりも脚色しすぎだ。オーナー、俺はそこら辺にいるチンピラと対して変わらない小悪党さ。コイツらの言葉を鵜呑みにしない方がいい。」
「それこそとんでもない妄言だね。天はグレイからユーモアと倫理観を奪ひ給はったって専らの噂だよ。」
「春蝉君、それは噂ではなく真実です。」
珍妙な軽口を叩き合う三人。立場は敵同士であるものの彼等を纏うオーラはまるで家族の団欒のように和やかであった。しかしそれも束の間、ほんの僅かな間だけ。
カツン、ソーサーと陶器が拍子木のように幕引きを打ち鳴らした。
「探偵社員の居所を教えてください。」
「今度は俺か。」
「仕事だからね。グレイとは戦闘禁止令が出てるからこうやってお願いするしかないんだよ。」
「それは有難いこった。」
そう言うとグレイは二本目の煙草に火をつけた。蛇のようにからだを燻らせ上に昇っていく紫煙をグレイは眺める。その隣で条野が然りげ無く鼻を抑えた。
そうすること数十秒、肺に溜まったニコチンを温くなった珈琲で潤すとグレイは開口した。
「天空カジノに行くといい。」
「グ、グレイさん…」
探偵社の目的を呆気なく口外した男に店主が汗を滲ませる。が、グレイは彼を片手で制す。
「天空カジノですか…厄介な場所ですね。」
「ご協力どうもありがとう。」
用は済んだとばかりに二人は立ち上がる。
「なんだ、仮にも犯罪者を野放しにして行くのか。」
「私達の最優先事項はテロリストの逮捕或いは処刑です。」
「それに戦うには分が悪すぎるしね。」
「そこは黙っておくのが大人ってもんだ。」
「はは、じゃあまた。」
「ご馳走様です。」
そうして二人は店を後にしたのだった。
平穏を取り戻した店内で脅威が去ったことを確認するとグレイの合図に合わせて奥から店主の妻が姿を現す。
「やあ奥さん、今日も麗しいな。」
「グレイさんっ、何故彼等に探偵社の居場所を…!?」
「おっと、」
肩を揺さぶる振動に傾きかけたカップを置くと二人に向き直った。
夫妻は敦達を息子のようだと度々語るグレイを記憶しているが故に彼の突拍子もない言動が信じられなかった。世界最悪の無頼の徒、そう述べた軍警の言葉通り男が生粋の悪党で性根が腐り果てた人間であるならば…。
人情に厚いと勘違いしていただけなのではと、二人は探偵社の先行きを憂いずにはいられなかった。しかし批判を受けたグレイは淡々とポケットを漁っている。
「そう案ずるな。探偵社は絶対に負けやしないさ。」
「何を根拠に…」
「絶対だ。この世界はそうできているからな。」
凛とした張りのある語調で断言されてはさしもの二人も返す言葉はなかった。
「ご馳走様。今日の珈琲も美味しかった。」
また近いうちに、そう言い金を残し踵を返すグレイ。と、扉に手を掛けたところで思い出したように足を止めると振り返ることなく言葉を紡ぐ。
「今後このようなことがあれば決して庇い立てはしないように。先ずはお二人自身が身を守ってくれ。」
そう言い終えると返事を待つことなくグレイは店を出て行った。
その後、嵐の過ぎ去った喫茶うずまきは通常通り営業していたものの、そこはかとなく夫妻の調子は精彩を欠いていたと近所の常連客は謂う。