文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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われ思う、故にわれ有り(OE)

 

 

絶え間なく鼓膜を犯す轟音

判然としない重力感覚

どこまでも落ちていく浮遊感 

俺は今ーー

 

大空を飛んでいた。 

 

いや、大鷹のように滑翔しているつもりで実際には隕石のように雲を引き裂きながら落ちているだけである。物は言いようだ。

寒い、だがそんな単語を言葉にしようものなら冷気の侵入した口内が忽ち凍りつくのは瞭然だった。

 

スカイフライングというスポーツを知っているだろうか。ムササビのようなフォルムの滑空用特殊ジャンプスーツを着用しパラシュートを開くまでの自由落下を楽しむというスリル満点な空の娯楽だ。先程大鷹などと見栄え良く言ったものの、両手両足を大きく広げ急降下する己の気分はさしずめムササビといったところである。 

 

ただ一つ、本来のスカイフライングとは異なるのは俺にはパラシュートがないことだ。 

少しでも肉体のコントロールを誤れば地面と衝突して忽ち水風船のように破裂するだろう。だが異能の感覚を掴むための独自訓練で死ぬほど練習したことがあるから着陸はお手のものだ。初期の頃は海上を航海する軍艦に如激突しかけたり、ヘマして泥沼に飛び込んだり、勢いを消そうとした途端見知らぬ建物に飛ばされたりして大変だったのは今となっては良い思い出だ。とはいえ、落下傘を使わないのは今回が初めてだから心臓に悪いのなんの。 

 

天空カジノから飛び降りて約二十秒、下層雲に突入すると遠目に豆粒大のシグマが見えてきた。俺は重心を傾け方向転換を試みる。 

 

びゅるりと吹き荒れる風が鋭い刃物となり右頬を叩いた。俺とシグマの距離はほんの五百メートルほどだが…どうも間に合いそうにない。 

 

「シグマ!」 

 

だから俺は異能を発動してシグマの真横まで飛んだ。 

 

「お前は…!」

「いいから動くな!」 

 

俺を視界に捉えて絶句するシグマに有無を言わさず片腕で抱えると下方を確認する。もう地上まで迫っていた。 

シグマを軸に体を直立させると、もう一度転移を使った。  

 

「グハッ、」

 

「……はぁ、」 

 

すんでのところで地面から一メートル程の位置に減速。人生初の命綱なしのスカイフライングは大成功を収めたようだ。ちゃんと言うこと聞いてくれてありがとう俺の異能。

野郎を抱く趣味はないのでパッと腕を離すと打ち所が悪かったのか咽せたシグマが非難するような視線を向けてくる。助かったんだから別に良いだろう。 

 

「何故私を助けた。」

「さあな。」

「惚けるな…!」 

 

曖昧に返すと強い語調で迫るシグマ。頼りなげに揺れる瞳子は生き延びたことを慨嘆しているようだった。 

 

「…俺もお前と同じだ。」

「は、」 

 

何故助けたか、穏やかに堕ちていく男を見捨てれば元の世界に戻りたいと願う自分を突き放すような気がしたのかもしれない。それにそれ以前に考えるよりも先に俺の体は動いてた。寧ろ目の前で死にかけている誰かを助けない人間が居るのだろうか。

 

ーお前は魂を他人に譲れるのか!? 

 

まあ俺の妻子は確かに魂と同等以上に尊いがシグマとは境遇が違う。けど同じ凡人として必死に荒波に抗わんとする姿勢が眩しく感じられたのだ。 

 

安息の地(我が家)などこの世界にはないと知りながら居場所を求めてる。」

「っ!!」 

 

要するにその凡人精神が気に入った、それだけだ。だが俺は餓鬼の頃から別の世界に飛んでみたいという青く香ばしい願望があったからある意味願いは叶ったと云える。…どうせならもっと精神年齢が若い頃に修学旅行並みの期間で実現してほしかったが。 

 

その旨を伝えるとシグマは視線を宙に這わせて思い巡らしているようだった。 

 

ついとズボンの後ろポケットから重みが消える。目線を落としてみれば通信室で頂戴した新品の指向性共振銃が土の上に転がっていた。一度照射されれば回避も防御もできずに脳みそが共振し十秒で命が絶える…異能者にとっては脅威的な兵器だ。と同時に試し撃ちしたくなってみたという好奇心も否定できない。此処で試しても良いだろうか。 

 

俺は銃を拾うと右手に握り込み、シグマにも俺にも当たらないように斜め後ろに向かって照準を合わせた。そして引き金を引こうとして、 

 

「ちょちょ、ストップ!タンマ、ギブタンマ!」 

 

俄に背後から聞こえた未知の言語に顔を動かす。

白と黒で統一された道化服と外套とシルクハット、それに奇怪なトランプのダイヤのデザインが描かれた仮面。そこには降参のポーズをして額に汗を滲ませる道化師がいた。 

危っぶな、気づかずに撃つところだったわ。

 

「俺の背後に立つな。」

「容赦がないなぁ!ドス君よりぶっ飛んでるよ君!」 

 

言うわりには気色満面の笑みを浮かべてゴーゴリは両手を下ろした。

人質立て篭もり事件で電動鋸で体を真っ二つに裂かれて死んだと聞いていたがまさか生きていたとは。俺と同じことを思ったのか隣に歩み寄ったシグマが魂消たとばかりに声を上げた。 

 

「生きてたのか…!」

「うんうん、そんなに驚いて貰えたならマジックの甲斐もあったってものだね!」 

 

簡単なことさ!剽軽な音色でゴーゴリはぐるりと一回転した。 

 

こいつの異能は『外套』、三十メートルの範囲内で外套の布面と離れた空間を接続するというマジシャンに相応しい異能だ。であればチェンソーのトリックも納得がいく。鋸の刃が体に入る直前、空間接続で隙間を作り別人の胴体と繋げたのだとゴーゴリはタネを明かした。 

 

「小賢しい小細工だな。」

「手品の十八番だよ!」 

 

ケラケラと道化みたいに嗤うゴーゴリと種明かしに密かに満足感を得る俺、その傍でシグマは釈然としない面持ちでいた。 

 

「作戦ではお前は本当に死ぬはずだった。お前はそれに納得して参加したはずだ。」 

 

シグマの言わんとしていることは俺にも判った。本来ならば探偵社を陥れる作戦の一環で本当に死ぬ予定であったゴーゴリが何故他のメンバーを欺いてまで生き存えたのか。疑心暗鬼のシグマはその真意を問いたださねばならない。道化師の生存による自身への悪影響を危惧していたのだ。

 

鋭い指摘を受けたゴーゴリは仮面を外して隠された素顔を露わにする。銀と青緑色の双眸が狂気に染まって俺たちを見据えた。 

 

「慥かにその通りだ。実際僕は死ぬ気でいた。…真の自由意志の存在を証明する為に。それを他者に理解してもらえるとも思ってなかったし実際誰も理解しなかった。」 

 

だがドストエフスキーは違った。 

 

「彼は言ったよ。「貴方は神に抗い自分を見失う為に戦っているのですね。」と。」 

 

ゴーゴリにとってドストエフスキーは唯一の理解者であり友となった。 

 

「ならその親友を殺せば僕達は感情という洗脳から解き放たれ、真の自由な鳥であると証明できるのでは?」 

 

一度芽吹いた思考は止まるところを知らない。何かに取り憑かれたようにゴーゴリは俺を眼差した。どこか好奇心と期待を膨らませた声音で。 

 

「チクシュルーブ、君には理解できるかな。」 

 

調和の取れない心地悪さのなかで、これまた随分と変な渾名を付けられたものだと俺は苦笑した。そして考えを巡らせてみる。 

 

 

独創的だが…例えばこの世界がある一冊の本の物語が現実化した世界だとしよう。

俺達が現実だと思い込み享受している日々は、だが実質的には作者という創造神が創り上げた幻想にすぎなかったら。その世界で呼吸して、食べて寝て、考える俺たちの存在意義とは何か、そこに自由意志はあるのか。 

 

水槽の脳や胡蝶の夢と似通っているんじゃないだろうか。水槽の脳はある科学者が人から脳を取り出して、脳が死なないように培養液に入れて脳波を操作するという仮説実験だ。その脳の意識は管理する高性能なコンピュータによって操作され常人と同じような意識が生じている。それと同じように俺たちが生きている世界は水槽の中の脳が見ているように本当は幻想に過ぎないのではないか。

ゴーゴリはそう訴えたいのだろう。誰でも一度は考えたことがあるんじゃないだろうか。 

 

「あゝ、なんと虚しき一世か。......お前はそう謂いたいのだろう?」 

 

まったく、太宰といいドストエフスキーといいコイツといい、どいつもこいつも難儀な性格してんな。これだから非凡人どもは…どうしたって揃いも揃って息苦しい思考回路をしているのか。俺と違ってまだ年若いのもあるかもしれない。と半ば同情していると、突然笑いが弾けた。 

 

「ふはっ、ははは!...はっははハはァ!」 

 

腹を捩らせ爆笑しだすゴーゴリ。それを可哀想なものでも見るかのようにドン引きするシグマ。そして只々困惑する俺。ついに最後の頭のネジが外れてしまったのだろうか。哀れましく感じながらも無表情に笑い転げる男を眺めていると、気が済んだのかゴーゴリは唐突に発声を止めた。

むくりと起き上がると砂利を踏み躙りながら距離を縮めてくる。 

 

「素晴らしいよ!実に素晴らしい!こんなところにも人生の友がいたなんて…!一体僕は節穴だったのか!」

「大袈裟だな、誰にも降りかかる悩みだ。」

「とんでもない、僕達は特別なんだよ。ドス君が君を尊敬する理由がやっと判ったよ。」 

 

あの捻くれ小僧に尊敬されていたとは…仮にも犯罪者同士なので素直に喜べないな...。

そこでゴーゴリは一度言葉を区切った。 

 

「だからとっても特別な君に問いたい。この根幹に迫った抽象的難題に貴方はどんな解を見出す?」

「それは決して答えの出ない愚問だ。」

「…………」

「だが、人生の先輩として助言はやろう。」 

 

哲学的な自由意志の概念を突き詰めていけば何れ一つの問いに執着する。それ乃ち、意義のある人生とは何かだ。

 

完全無欠な真実に辿り着くこともなく、完璧に誤りだと否定される理論もない。その歯痒さに頭がおかしくなりそうな時だって若い頃はあった。

百三十八億光年の宇宙の果てに何があるのか、何故人は生まれて死ぬのか、魂源とは何なのか。色んなことを考えた。それが人生も二回目になると不思議なことにさっぱり清々しくなるのだ。断じて思考を棄却したわけではない。表象される諸々を懐疑しうる物事として構えるよりもケ・セラ・セラの精神を着て生きる方法を経験の末に学んだのだ。

なるようになる、それが俺の人生の座右の銘だ。  

 

「知恵が深まれば悩みも深まり、知識が増せば痛みも増す。深く考えずに刹那を生きろ。」

「難しいなぁ。」

「なに、単純なことさ。あと半世紀も生きりゃあそのうち分かる。」 

 

俺は一歩踏み出すと、迷える野良犬の肩に触れた。困ったもんだ、どうも長生きすると大体の自分より年若いやつは皆息子や娘に見えちまう。

難解な記述問題を解くかのような渋みのある顔をしやがる若造の頭を軽く撫でてやるとこの話はこれでおしまい。 

 

「で、お前らはこれからどうするんだ。」 

 

少しの間俺の突拍子もない行動に固まっていたゴーゴリだったが、俺の質問に現実に戻るとパチンと指を鳴らしてシグマに向き直った。 

 

「僕はドス君を殺したい、その為にシグマ君…君の異能で彼の能力が何かを読み取ってほしい。」 

 

砂を含んだそよ風が俺たちの間を通り抜けていった。

指先を顎のあたりに触れ考え込むシグマ。ゴーゴリは静かに答えを待ち侘びていた。まるで映画のワンシーンのようだと俺は思った。

 

荒涼とした更地で向かい合うこと程なく、沈黙のうちにシグマは首を縦に振った。 

 

「良いだろう、ドストエフスキーには殺されかけた恨みもある。」

 

大きく跳ね上がるとやはりゴーゴリはピエロらしく廻った。 

 

「決まりだね!じゃあ…うーん、そうだな。早速コレを使ってドス君と太宰君に殺し合いをして貰おう!」 

 

そう言って掲げたのは一個のアタッシュケース。シグマに作戦を説明しているゴーゴリの話を聞きながら既視感のあるケースを凝視しているうちに俺はある事を思い出す。 

 

「…お前ら、少し待ってろ。」 

 

一言告げると二人を残してホテルの部屋に転移した。 

 

 

「おかえりー。」

「ただいま。」

「あれ、それなぁに?」

「指向性共振銃だ、間違っても自分に向けるなよ。」

「はぁい!」 

 

興味津々に音響銃を見つめるQに軽く注意を促して渡してやると俺はキッチンに向かう。

冷蔵庫の隣の隙間収納を引くと暗がりの中にソレはあった。存在すら忘れかけていたソレを慎重に扱い小さな布袋に包むと、Qが安全に銃を弄っているのを確認して俺は二人の元へと戻る。  

 

 

「シグマ、ちょっと来い。」

「………?」

「なになに、内緒話?」

「お前はそこにいろ。」

「むむ、」 

 

ゴーゴリが耳を澄ませても聞こえないだろう距離までシグマを伴い遠ざかると布袋を渡す。 

 

「これは?」

「ああ、万が一の為にこれをお前に託す。いいか、ーーーー」 

 

 

そうして全てを伝え終えると俺はシグマと共にゴーゴリの元へと戻ってきた。 

 

「もうっ独り置いてきぼりだなんて酷いじゃないか!さては君、少年時代は嗜虐的ないじめっ子大将..」

「なわけねェだろ。」

「アイタタタ!」 

 

戯言をほざくピエロの頬を抓ってやると戯けながら悦ぶそいつは被虐嗜好に違いない。

 

「流石チクシュルーブ、抓るだけでこれほどの威力とは…きっと絶滅した恐竜たちもこんな激痛のなかで息絶えたのだと思うと涙が止まらない!」

「何だそれは。」 

 

それな。ぽつりと混迷を洩らしたシグマに心のうちで全力で同意した。と、ついとシグマが俺に奇妙な視線を寄越してくる。 

 

「どうした。」 

 

恐々といった様子で片手を差し伸べてくるシグマに尋ねると、ごくりと唾を呑むのが聞こえた。 

 

「だから、その…」

「…………。」 

 

理由は不明だが握手を求められていることだけは分かった。

その手を握り返してやると……不思議な感覚が腦を襲った。どう形容するべきか。寝起きに視ていた夢が失われていくような喪失感、そんな感覚が。 

 

「っい、」

「…済まない、思わずな。」 

 

無意識のうちに力を込めてしまったらしく、痛みを訴えるシグマに急いで手を離す。と、そこに新たな手が差し出される。 

 

「僕も僕も!」

 

十秒に一回は巫山戯なければ気が済まないらしい阿呆に応えてやると、ゴーゴリはニマニマと口角を不均衡に吊り上げた。気分は変なやつに絡まれた握手会のアイドルだ。 

 

ふと腕時計を確認すると時刻は昼を過ぎていた。昼飯はピロシキにしようか。昨日Qが作った黒焦げのカレーの失敗作もあるし丁度良い。 

 

「んじゃ俺はもう帰るわ。達者でな。」 

 

そうして早速ホテルに帰ろうとしたというのに、ゴーゴリによって再び呼び止められる。 

 

「あれ、送ってくれないの?」

「………はァ、」 

 

さも当然のように尋ねてくるゴーゴリー。太々しくも期待に満ちた眼差しを受け仕方なしに触れてやると、二人は一瞬にして消え去った。目的地は定めてないが欧州の何処かには飛んでるだろう。…うん、多分。 

 

「ったく最近の若者は…」 

 

なんて老人極まれりな独り言を呟きながら、俺も早々に荒地を後にした。 

 

 

 

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