文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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エデンの園(OE)

 

 

「調査を中止してください。」 

 

開口一番そう言い放った坂口に、然しもの綾辻も呆気に取られた。  

 

「中止って、一体どういうことですか?」

「七號機関より苦情が寄せられました。」

「ええっ!?」

「............」 

 

普段耳にすることのない四文字に綾辻と辻村は驚いて目を丸くした。 

 

 

七號機関、それは政府が生み出した闇の犯罪組織。

汚職などの政治犯罪を隠蔽と洗浄を専門とした危険な組織であり公安或いは内調の下部組織だと噂されている。規模、指揮系統、構成員の全てが不明で坂口ですら四重の仲介を得て代理人に会える極めて秘匿された機関である。

坂口が組織の力を借りたのは過去に一度だけ、ポートマフィア幹部であった太宰の罪を消し表の世界で生きられるように便宜を図った。

かつて虫太郎も七號機関に監禁され長年に渡り犯罪の隠蔽に加担させられていたという。曰く邪悪で忌み嫌うべき危険な組織である。 

 

「貴方方が取り組んでいる事件は七號機関の担当だと主張されました。これ以上の干渉があれば綾辻先生…貴方の処刑を具申すると圧力を受けました。」

「そんなの横暴じゃないですか!一体なんの権利があって…」

「坂口君、」 

 

脅迫ともとれる発言に綾辻は却って口角を歪めた。その反応に辻村は顔を引き攣らせ、坂口は呆れを含んだ息を漏らす。 

 

本来七號機関とは醜聞隠しや違法な作戦を行う機関でありまかり間違っても怪事件の真実を探究するような組織ではない。先方の対応に引っかかりを覚えたのは坂口だけではなかった。 

 

「俺達が何を調べているか、知りたくないか?」

「貴方ならそう言うと思ってました。是非聞かせて下さい、場合によっては秘密裏の調査を許可します。」 

 

それから辻村は事務所から持ってきた資料を坂口に見せ、彼等が事件を調べるに至った事のあらましを説明し始めた。 

 

 

「そうですか、グレイが…。」

「本題はここからだ。」 

 

警察が捜査を立ち消えにしたハロルドの事件について、グレイの足跡を辿った結果に辿り着いたことを簡潔に説くと、次いで綾辻は特に目を惹く数枚の写真を彼に渡す。それらはハロルドの隠れ家の秘密部屋に隠されていた特務課も知り得ない記録であった。 

 

「これは…」 

 

チリの軍事クーデターやキューバ革命、スタンダード島での平和条約、フランスの反政府運動。それらは歴史的事変の一面を一人の男と共に捉えた貴重な写真であった。綾辻達の持参した資料は世界各国の諜報機関のものと思しき押印がされている。となれば矛盾した現像は偽物ではなく歴史を記した正式な記録であるということ。 

 

 

歴史上初の銀板写真から現代に至るまでの記録にグレイが存在している、それが何を示しているかは一目瞭然であった。

坂口の脳裏に種田の言葉が過ぎる。 

 

『安吾、あの男は戦が生んだ魔物や。』

『というと?』

『奴の異能は…』

『…長官?』

『.........いや、なんでもない。儂も詳しくは知らん。』  

 

それからというもの、種田は緘黙を貫いた。もしやあの時長官は禁じられた機密を破ろうとしたのかもしれない。もはや荒唐無稽とは切り捨てられぬ確たる証拠が彼等の前に提示されてしまった。 

 

「奴の異能はA級の範疇に収まらない。転移能力が時渡りをも可能にするならばそれは超越者だ。」 

 

否、如何なる異能者であろうと障碍はある。だが今までの男の活動から鑑みるにグレイの異能にはこれといった不都合はない。それは過去に超越者を屠ったグレイの実績と彼等の前に提示された資料が証明していた。では異能の領域を遥かに超えた計り知れない能力を持つグレイは果たして人間といえるのか。 

 

辻村の懸念通り木菟引きが木菟に引かれるように綾辻はグレイという土蜘蛛の巣に絡め取られた。道理を超えた人間の理解が決して及ばぬ領域に足を踏み入れてしまったのだ。男の言葉通り最初から勝敗の決まっている賭けであった。 

 

 

新たに発覚した事実にまるで迷夢に彷徨うような感覚にさえ陥る辻村。その傍で坂口と綾辻は話を続けていた。 

 

「彼が超越者なら…いや、今はそれよりも探偵社が」

「探偵社?最近世間を騒がせているテロリストのことか。」

「いえ、それは違います。」 

 

自身の言葉に疑問符を浮かべた綾辻を坂口は否定する。グレイが超越者である可能性が浮上したことは無論由々しき事態であるが、それ以上の厄介事が坂口にはあった。それは探偵社の江戸川がグレイに協力を要請したということ。当初から苦言を呈していた坂口であったが、江戸川とて問題の男を味方に取り込むことを憂慮しなかったわけではない。しかし当時は戦力が分断され、戦力も情報も致命的なまでに不足していたが故に藁にも縋る思いだったのだ。尤も、自身が黒幕と疑うグレイと相互監視を図る目的もあったが江戸川はその旨を誰かに伝えることはなかった。

 

だが彼等の危惧に反してグレイは全面的に力を貸し与えた。虫太郎が把握している以上の天人五衰に関する情報を齎し、天空カジノへと導いた。不可解なまでに彼は協力的であった。 

 

心の霧が晴れないままに福地と接触する作戦が実行された今日、綾辻と辻村が資料を手に現れたわけである。

 

 

「あり得んな。」 

 

途方に暮れた坂口が探偵社の無実と天人五衰についての事情を包み隠さず伝えると、綾辻は一刀両断に切り捨てた。

 

悪の代名詞であるグレイが正義に与することなど、それこそ煎り豆に花が咲くよりもあり得ない話である。いつもの如く腹に何かを隠しているに違いない、そう警醒する綾辻に坂口も頷いた。 

 

「その中島敦という新入社員に入れ込んでいるのも気に掛かるな。」

「探偵社に敦君が入社するきっかけをつくったのもグレイです。」

「間諜の可能性は。」

「それだけは自信を持って否定できます。敦君は異能の制御ができずに孤児院を追い出され横浜に流れついただけの孤児です。」 

 

けれども青年の入社以来、横浜を舞台に戦火が広がっているのもまた事実であった。 

 

ーどちらにせよ、中島敦及び探偵社の履歴を振り返る必要が出てきたな 

 

深く勘案した末に綾辻は心の中で呟いた。 

 

元より一連の天人五衰事件の元凶がグレイであるという可能性も否めず…寧ろ先例を鑑みれば十中八九黒幕である…新たな闇が深まった以上例え一時的だとしても男と関わるのは危険である。探偵社を追い詰め依存させることこそが彼の目論見かもしれない。その旨を今一度江戸川に伝えるべきだ。そう結論づけるや否や坂口は二人と向き合った。 

 

「僕は一度この話を福沢社長に持って行きます。調査に関してですが、七號機関の目に止まらぬよう隠匿に詳細を洗ってください。少なくとも種田長官が戻るまでは決して電子データベースを利用せず貴方の頭脳のみで深めるように。」

「尽力しよう。」

「辻村君、綾辻先生を頼みましたよ。」

「勿論です。」 

 

国家を、世界を救う為に彼等は暗く全貌の見えない虎穴へと一歩を踏み出したのだった。  

 

 

 

それから数分後、辻村の携帯に一件の電話がかかってきた。 

 

『聞いてくださいよお二人とも!!』 

 

通話をとるや否やスピーカー越しに叫んだ西村に綾辻と辻村は耳を塞いだ。 

 

『けい…がいえおんが...して、それで…』

「わかりましたわかりました、ちゃんと聞いてるから落ち着いてください。」 

 

速射砲の勢いで早口に捲し立てる西村に辻村がすかさず静止をかける。

受話口の向こうから深く深呼吸する音が聞こえた。幾分か冷静さを取り戻したらしい西村は改めて言葉を紡ぐ。 

 

『さっき俺の家に警察が三人来たんです。』

「なんですって?」 

 

思いもよらぬ発言に二人は押し黙る。西村は続ける。 

 

『だから警察が家に入ってきて全部持って行っちゃったんですよ!俺のパソコンとあの隠れ家から持ってきたハロルドのやつも!』 

 

話によると、ハロルドの残したデータを探っているうちにとある単語が気に掛かった西村は警察のデータベースで検索をかけた。しかしその直後、逆探知を示す警告が画面一面に浮かび直ちに接続を切ったがすでに手遅れ。三十分も経たぬうちに西村のマンションに警察が訪れ令状と思しき紙を突きつけパソコンや関連資料を押収していったという。 

 

「成程。浅慮にも先走ったか。」 

 

全てを話し終えた西村に、いつの間にか顕現した京極が惘れ果てる。 

 

「不味いのう、綾辻君。」

「判っている。」 

 

西村の述べた三人の警察とやらが七號機関の人間であることは先ず疑いがない。特務課に圧力がかかったことも考慮すれば西村の身に危険が迫っている可能性が高かった。また同時に、綾辻と京極は確信していた。

 

七號機関とグレイには深い繋がりがある。

 

となればこれ以上一般市民を巻き込むわけにはいかなかった。顔を見合わせると辻村は硬い口調で語りかける。

 

「良いですか西村さん。今すぐ自宅を出て特務課…いえ、綾辻探偵事務所に向かってください。」

『いや、それは無理です。もうすぐハロルドを殺した犯人と待ち合わせしてるので。』

「はぁっ!?」 

 

平然と放たれた爆弾に一同は硬直する。今、西村は何と言った? 

 

『ほら、ハロルドの犯人宛のメールを調べてたでしょう?送り先が分かったのでダメもとで同じメールを送信してみたら返事が返ってきたんです。』

「なんて馬鹿なことを!?」

『ひょぇ!?』 

 

お間抜けな叫びをあげる西村であったが三人はそれどころではなかった。

西村は分かっていない。彼が相手取ろうとしている犯人の正体がどれ程凶悪な男であるかを、彼が絶対に敵わない相手であることを。

 

「今何処にいるんですか!?」 

 

辻村と綾辻は西村を保護すべく一目散に部屋を出る。

エレベーターのボタンを押して、昇降機がまだ上階に留まっているのを見ると舌打ちを溢しつつ非常階段を駆け降りていく。 

 

『えっと、ハロルドのマンションです。お二方もいらしてください、親友を殺した犯罪者を一網打尽にしましょう!』

「馬鹿なこと言わないの!貴方なんかでは太刀打ちできません、今すぐ逃げなさいっ!」 

 

その時、受話口がノック音を拾った。全身から血の気が引いていく。 

 

『来たみたいです、じゃあ待ってますから。』

「待っ、駄目!」 

 

ツーツーと無機質な音が虚しく響いた。一方的に通話が切られると唇を噛み締める辻村に綾辻が喝を入れる。 

 

「ぼさっとするな、悔いてる暇があるなら頭を働かせろ!マンションまでの最短距離は!?」

「っパトランプを点けても七分はかかります…!」

「三分…いや二分にしろ!道案内は俺がやる!」

「はいっ、」 

 

そうして特務課を出ると二人は車に乗り込んだ。  

 

休日の昼時というのもあり道路は混雑していたが、綾辻の即席のナビにより荒技ではあったが三分以内に到着した。十数秒を損なったことすら惜しく、二人は全力で階段を登っていく。

そして、 

 

「西村さんっ……!!」 

 

荒々しくドアを蹴り破り突入すると、突然の来客に驚いたような顔つきでグレイが振り返った。その足元には先日と同じパーカーを身に纏い四肢を力なく床に預ける西村が。

 

ホルスターから拳銃を抜き取る辻村、綾辻は即座に歩み寄ると西村の首元に指先を当てる。まだ温もりは残っていたが脈は伝わってこなかった。赤で滲んだ服から染み出す血液がフローリングに血溜まりをつくりはじめていた。 

 

「ああ、そうか。そういうことか。特一級危険異能者がこそこそと嗅ぎ回ってると連絡が届いた時は何事かと思ったが…お前だったか。」 

 

何かを悟ったような声音が落ちてきて、綾辻は起き上がると前を見据える。

凍りつきそうなほどの無表情が相対した。そんな時、唐突にグレイは左耳に手を添える。 

 

「.....今行く。」 

 

眉間に皺を寄せ独言すると手を下ろしグレイは綾辻と辻村を交互に見やった。 

 

「ゆっくりと話し合いをしたいところだが火急の用ができた。だから要件だけ言おう。」 

 

 

ーこの一件から手を引け 

 

 

全身の血液が逆流しそうなほどに悍ましい低音だった。

背中をつららで撫でられたような悪寒に辻村は立ち竦む。しかし綾辻は変わらず平然としていた。自身を睥睨する男の瞳の奥に微々たる焦燥が滲んでいたのだ。 

 

「お前の秘密は既に暴かれている。」

 

「秘密?」 

 

焦りの色が増した。 

 

「お前の異能についてだ。」

「…異能だと?」 

 

今度は綾辻の胸中に小さな疑念が生じた。

安堵。男の反応は綾辻が予想していたのとは異なっていた。

二人のやり取りを警戒しながら辻村はいつでも引き金が引けるように構えの姿勢を取る。  

 

 

物音一つしない静けさだった。

言わず語らずのうちに、二人は視線のみで互いを探り合う。綾辻か、将又グレイか、心臓の鼓動が煩く全身に響いていた。

 

永遠とも思える時間のなか、先に静寂を破ったのは… 

 

「これが最後の忠告だ、これ以上首を突っ込むな。」 

 

そして机の上に置かれた軍用ナイフ、ランドールM14とベレッタ92を両手に持つ。

辻村が警告射撃をした。だがグレイは武器を下げるどころか銃の安全装置を引き、 

 

「安心しろ、お前らをどうこうするつもりはねェ。」 

 

次いでナイフの切先をくるりと一回転させると回れ右をする。その背中は本当に先を急いでいるようだった。真理の追求者は今にも去らんとする悪人に言葉を投げかける。 

 

「闇夜に目ありだ。秘密はいつかは白日の元に晒される。」

「……………。」 

 

煩わしげな横顔が覗いた。

体を翻すとグレイは大股に綾辻に近づく。少し動けば触れ合いそうな距離だった。

至近距離でグレイの放つ怒気が強烈な圧迫感を生み出し綾辻へと襲い掛かる。 

 

「小僧、一つ教えてやる。」 

 

綾辻は怯まない。鷹と鷲は程度は違えど同じ猛禽類である。 

辻村はグレイに向けて弾丸を放とうとして、蛇に睨まれた蛙のように引き金に添えた指すら離してしまった。

 

「お前がやろうとしているのは知恵の樹を斬り落とすに等しい愚行だ。」

「嗚呼、腐った林檎を生やす有害な樹をな。」

「…互いに後悔することになるぞ。」

「望むところだ。」 

 

深潭なる黒と高潔なる黄金が交差し合った。

その間たったの数秒、されど互いの胸臆はテレパシーのように伝心していた。 

 

「…善いだろう。」 

 

禍々しさを纏わせたまま半歩下がると、緩慢にナイフと銃を構えながらグレイは今度こそ本当にいなくなった。 

 

 

「先生、」 

 

西村の亡骸だけが残る部屋で、微動だにしない綾辻を心配に思った辻村が窺ってみる。男は応えない。

 

その後暫く立ち止まっていた綾辻だったが、やがて隣で嗤う京極を一瞥すると無言のうちにその場を去った。

 

 

 

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