文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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Adolescence(後)

 

 

「んー、どれにしようかな。バナナも美味しそう、けどキャラメルブラウニーも食べたいっ!」

「好きなだけ頼め。」

「わぁーい!」 

 

折角の休日が狂ったことで萎びれたほうれん草みたいに陰鬱を肩に背負う俺なんぞ知ったこっちゃないという風に、エリスはビスクドールめいた見目かたちを屈託のない歓喜に染め上げて穴が開くほどメニューを凝視している。勿怪の不幸だったが幼女の保護者がやって来て俺を誘拐犯だと指弾することがなかったのは幸いした。聞くに彼女の服選びに没頭しているところを抜け出してきたとか。ポートマフィアの首領が幼女趣味とは世も末だな。 

 

「お待たせー!」

「まさか全部頼んだのか?」

「はい、これおじさんの。」

「…どうも。」 

 

財布を与えて近くのベンチに掛けていると、随分と時間が経ってから両手一杯に袋を提げたエリス戻って来る。中にはクレープどころか近頃若者の間で反響を呼んでいるタピオカドリンクなんて物もぎゅうぎゅう詰めにされている。胃袋が胃酸の代わりにブラックホールを創造しているか、或いは異能生命体でもなけりゃ完食は不可能だ。 

 

「んー!おいしー!」 

 

潤いのある白皙の頬を風船みたいに膨らませて出来立てのクレープを堪能する横顔は、異能生命体と知らなければそこらの少女と変わらない。将来の美貌を約束された幼時を見守る父親なら我が子への愛しさよりも悪い虫がつかないかを日夜心労するに違いない。俺ですら娘の学校行事に張り付いては妻に呆れられた経験は数知れないのだから。

既に蕾が開きかかってる幼女の向日葵のような笑顔を眺めていると、如何したって過去の看護師姿が重なって見える。常闇島で俺の心臓を巨大注射器でぶッ刺そうとした己の野蛮さをこの子は忘れてるのだろうか。というより幼女に若返りした時点で記憶が白紙化されたのか。そんな微々たる疑問に黙考していれば「そういえばおじさんってグレイよね?」とさあらぬ口調で衝撃発言が飛ばされた。前言撤回、記憶の初期化なんてとんでもない名前も顔もしっかりと覚えられていた。 

 

「よく分かったな。」

「当たり前よ。リンタロウを半殺しにしたのは後にも先にもアナタだけよ。」

「異議あり。」 

 

あっちが勝手に自滅しただけってのに半殺しとはなんて太々しい居直り様だ。あの頃は二十代の活力溢れた肉体に若返ってたおかげで如何にか窮地を脱しただけで、大戦から歳を重ねて——前の世界での年齢よりかはずっと年弱だが——衰えた今、あの無制限の生気で戦場を駆け巡るのは厳しいだろう。主に翌日に祟りがくる。 

 

「おじさん、あの頃と雰囲気が違うわね。もっとなんかこう、天国にいけなかったファウストって感じ。」

「言うなよ、傷付くだろ。」

「あファウストって人間だっけ。じゃあ初めて地上に訪れたメフィストフェレス。」

「言うなって言ったのが聞こえなかったか?」

 

額を小突けばエリスは幼女らしくくつくつと笑いやがった。とはいえ彼女の発言を身に覚えがないと一蹴することができないのもまた悔恨の事実だ。

当時の俺は浮かれていた。普通なら起こり得るはずのない摩訶不思議な現象の数々に好奇心を擽られ、おまけに若返りの影響で精神状態もあの青く香ばしさが残る時代へと逆戻っていた…とりもなおさず調子に乗っていたのだ。葬り去りたい黒歴史を汲めども尽きぬほどに生み出してしまった。若気の至りで性懲りもなくアウトロー的な格好良さに溺れていた自分を呪いたいくらいだ。

エリスの台詞を機にみるみる蘇ってくる古傷の疼きを誤魔化すようにクレープを頬張った。人生の苦汁を知らぬ甘味だ。

 

「お前こそ随分変わったな。昔は顔色一つ変わんねェサイボーグみてえな女だったろ。」

「大戦が終わってからリンタロウが設定を変えたのよ。反抗的で高飛車な幼女が趣味なの。」

「それで良いのかポートマフィア。」 

 

首領という肩書きがなければ逮捕待ったなしの少女愛好者じゃないか。町医者から軍医にまで昇り詰めておきながら変質者に落魄れるとは…。ありもしない人物像への楽欲を損なわれたような気がして失望する俺にエリスは深く首肯する。十五年の歳月を経て共感者に巡り会えたのが余程喜ばしいのか、問わず語りに森のロリコン趣味に関する愚痴大会を開いた。

 

 

「——でね、でね、そしたらリンタロウが…」

 

膨れっ面のエリスが暴露する裏話は中々に過激で聞き方が思わず眉間を揉みたくなるようなものばかりだった。これが元の世界での実話ならば真偽は如何であれ文豪の二文字の下に性癖異常者のレッテル貼がされるに違いない。とりわけ悲愴だったのは戦時中の艶笑譚だ。いくら血気にはやる若年層だったとはいえ十代の小生意気な少女に心打たれて設定を引き継ぐとは、大和男子の風上にも置けないやつだ。…悔しいことにこんなことを正面切って云えば戦争で散々醜態を晒してきた身で何を言うなどとカウンターアタックを喰らうに相違ないが。

 

彼此三十分にも愚痴に付き合わされ、云々と打つ相槌の種類も品切れになってきた頃。

 

「あれ、グレイさん?」 

 

卒爾として背後から声がかかった。首だけを捻って振り向いてみる。キッチンカーを背にして立っていたのは、昨日乗車した列車で青春を謳歌していた主人公だった。

敦か、と名を呼べば猫科というよりは犬っぽい喜びを滲ませて「お久しぶりです!」 と溌剌と目尻を緩ませる。そういや敦にとっては茶漬を奢って以来だったな。 

 

「一人か?」

「いえ、連れの子がクレープを買いに行ってて」

 

クレープ屋に視線を移すと、半刻前のエリスと大差ない欣喜雀躍っぷりでメニューに載ったクレープの絵を一つ一つ指差す泉鏡花がいた。溢れそうなまでの鬱屈を抱え込んでいた瑠璃色は嘘のように澄み切っている。彼程の劇的な花盛りを迎えたのだから、何かしらの晴々しい心境の変化があったに違いない。だというのに、良い眼差しをするようになった鏡花に反して敦といえば… 

 

「エリス、もう一回財布やるからあそこの嬢ちゃんと飲み物買ってこい。」

「もうお腹いっぱいなんだけど…良いわ、買ってきてあげる!」

「ありがとさん。」 

 

存外胃袋には容量の限界があったらしい。膨らんではいないものの真っ赤なワンピースの上から腹を摩るエリスに半ば強引に財布を渡して頭を撫でてやれば、彼女は子供らしくキッチンカーへと駆けて行った。逸早く爆買い客の来店を捉えた店員が眼光を光らせたのを俺は見逃さなかった。

さて、エリスの登場にこれでもかと瞠目する鏡花を尻目に敦に向き直る。まるで教師の説教を待つ生徒みたいに彼は肩を揺らした。

 

「悩んでますって顔に書いてんぞ。迷ってんのか。」 

 

単刀直入に問うてみると案の定敦は視界を彷徨わせ俯いた。

 

「助けたい人がいるんです。」

「成程、助けたいってのはあの子のことか?」 

 

顎で彼女の居る方角を指し示せば敦は驚いたとばかりに見張った。…何でもお見通しなんですね。

 

「彼女は…今、凄く大変な境遇に立たされていて、何とかしてあげたいけど周りは関わるなって言うんです。正しいのは分かってるんですけど…」 

「心は反対を望んでる。けどそれも間違っちゃいない、か。」

「…はい。」

 

泉鏡花、尾崎紅葉に入門して観念小説で一躍脚光を浴び明治、大正、昭和の三時代をかけて流行作家としての地位を築き上げた文豪。片やこの世界では六ヶ月あまりに三十六人を殺めた幼き暗殺者。異能は『夜叉白雪』、仕込み杖を自在に操る異形、夜叉白雪を具現化する能力。扱い次第では社会の守護者足り得る実力を有しているが、邪心を孕む人間が悪用すれば忽ち殺戮の権化へと成り果てる諸刃の剣だ。他でもない己の異能——実のところ母親に譲渡された能力だ——が両親を殺害する光景を目の当たりにして失意のどん底に突き落とされた彼女を闇に引き摺り込むのは、芥川にとってどれ程容易だったろう。

 

お人好しの敦のことだから、探偵社に示された軍警に引き渡すかポートマフィアに返すかの二択で思惑っているのだろう。人に棄てられる空虚を誰よりも理会している敦にとっちゃあ、何方も残酷な選択肢だ。しかし探偵社の言い分も間違っちゃいない。

彼等が手を差し伸べでもしない限り鏡花の社会復帰は実現しないだろう。だが見ず知らずの殺人犯を救ってやる筋合いがどこにある?芥川の子飼い、軍警の指名手配…ただでさえ敦を巡るポートマフィアとの対立で火を吹くような多忙を極める探偵社に新たな厄介事に措置を講じる余裕なんざない。第三勢力の介入によって敦の首には七十億の懸賞金が賭けられているのだ。 

よしんば鏡花を太陽の下を堂々と歩けるようになったとして、抹消しきれない傷跡は如何なる?小隙のない立ち居振る舞い、無意識に周囲を警戒する用心深さ、列車でも犇と感じられた意図せぬ殺意…芥川が彼女の才能(、、)を見込んだのも頷ける。いつか闇を纏った過去が追いついて、殺し屋として生きた過去を耳元で囁くだろう。人はそう簡単に過去からは逃れられない。

 

二人に目線を寄越す。出来上がったクレープを欣然と両手に持つ後ろ姿はごく普通の乙女だ。

敦を見る。理屈では判っていても割り切れない。このままでは殺されるか使い潰されるかの未来しか待ち受けていない不憫な少女を無情にも見放すなどできない。苦渋を刻ませた面輪がそうありありと訴えていた。 

俺は無音の溜息を吐いた。諦めろ、そう云ってやるのが現実を見据える大人としての優しさだろう。それなのに苦衷に胸を焦がして己の人生と向き合う実直な有様を眼前にしてしまうと、如何にもこの闌けた心は敦と鏡花の輪郭をぼやけさせて、実の子供達の姿に置き換えてしまうのだ。

 

「…真面目に生きてても苦しい選択を迫られる瞬間は幾らでもある。その時に選んだ道が正しいのか間違ってるのかなんて誰にも判らねェもんだ。」 

 

俺が紡ぐ言葉を、恰も神父の説教に傾聴する信者の如き項垂れた姿勢で敦は耳を傾けている。 

 

「あの電車でお前は鏡花を救う道を選んだ。その結果、泥濘んだ日陰に嵌っていたあの子は今こうしてお前とのデートを楽しんでる。普通の女子学生が味わう焼きたてのクレープの蕩けるような優しさを噛み締めてな。」

 

デートという単語に顕著に赤面する青年の甘酸っぱいまでの青さに呼気が勢いづいた。

 

「どの道を選んでも何かしらの後悔が付き纏うってんなら、俺ならその時の自分の心が望んだ道を選ぶ。必ずしもそれが定められた選択肢とは限らない。譬え間違っても構わねェ、うんと後悔してまた新しい道を探すんだ。」

「自分の心が望んだ道…」

「そうだ、お前の心に従うんだよ。」 

 

そう云えば敦は口を真一文字にして考え込む。俺の吐き出した言葉の一つ一つを噛み締めてるようだった。

 

「僕は…僕にはわからないんです。」

「そうか?」

「え?」

「俺の目には既に答えが決まってるようにみえるがな。」 

 

「——買ってきたわよ!」 

 

唐突に対面する俺達の間に甲高い子供の声が割って入った。見下ろせば最初と同じく袋一杯に詰められた大量のドリンクをエリスが抱えている。俺は呆れ果てた。食いしん坊もここまでくると大したものだ。

エリスの後ろでは彼女に負けずとも劣らずの食いっぷりで生クリームを増量したブリュレクレープを頬に含んでいる鏡花がいた。初めて食べる甘味の格別の幸福を顔一面に漲らせて、彼女は不意に俺の視線に気付いてくるりと眼を見上げて… 

 

「鏡花ちゃん?」 

 

面持ちを変貌させた。己の裾を掴み震えだした鏡花に敦が困惑を掛ける。

首を竦めて脅える様は蛇に見込まれた蛙のよう。食べ過ぎて腹が痛くなった…な訳ないな、体調が優れないのだろうか。今の今まで一緒に和気藹々とメニューを覗き込んでいたエリスを怖がっているわけでもない。突然情緒が不安定になった訳は分からないが如何であれここは餓鬼の扱いに慣れている俺が率先して気遣ってやるべきだろう。 

 

「泉鏡花。」 

 

一歩踏み込んで膝を曲げると、何故か身震は収まるどころか悪化した。凍える小鳥みたいに小刻みに全身を慄えさせて、暗殺者さながらの俊敏さで敦の背に回る。そこで初めて思い至った、若しかしなくても嫌われてるのは俺だった。遮光眼鏡を外してみるもすっかり後ろに隠れてしまった彼女はグラスの下に覗ける平凡な顔付きに見向きもしない。或いはヤニ臭かっただろうか。

鏡花のことが気に入ったらしいエリスが俺の胸を叩いてくる。

 

「ちょっとグレイ、怖がらせてどうすんのよ。」 

「だ、大丈夫だよ鏡花ちゃん!この人は僕の知り合いでちょっと怖そうに見えるけど…ええっと」

「怖そうとはなんだ」

「優しいおじさんなんだ!」

「あははは!ははっ!」 

 

お腹を抱えて笑いだすエリス。お前は少しはこいつらみたくお淑やかを覚えろ。

鏡花は未だ縮こまって動けず、宥めようとして彼女以上に狼狽える本末転倒の敦。いつまで経っても場の混乱が鎮まる気配がないので見かねた俺は敦の背を叩いた。 

 

「敦、折角だから彼女を色んな場所に連れてってやれよ。」

「か、彼女?違いますっ」

「あっはは、可笑しいの!」

「エリス、お前はお口チャックだ。」

「…グレイさん、ありがとうございます。」

「幸運を祈ってるよ。」 

 

鏡花を伴い立ち去ろうとした敦がつと翻る。 

 

「そういえばグレイさんってどんなお仕事をされてるんですか?」

「なに、しがない便利屋さ。のっぴきならねェ状況になりゃいつでも俺のところに来い。初回料は安くしといてやる。」 

 

…………。

 

「しがないですって、ぷくく!」

「何か言ったか?」

「なぁーんにも!」

 

青年少女が去ってからも他人を小馬鹿にした薄笑いを続ける両頬を引っ張ってやると、漸く愉快な異能生命体は大人しくなった。 

 

「それにしてもあのアツシって子、リンタロウが捕まえようとしてる虎じゃない。グレイも狙ってるの?」

「まさか」  

 

俺は平穏に毎日を過ごしたいだけだ。月並みな日常の為ならば多少の無茶をしてでも主人公が原作に沿う様に助太刀する所存である。仕事柄、下手に干渉できる身分ではないがな。せめて故郷横浜で平凡とはいわずとも衣食住と美味い酒と珈琲に困らなけりゃ良い塩梅だ。自らポートマフィアやら組合やらの天下獲り合戦に飛び入るような真似はしない。 

 

「さて、鬱陶しい影も消えたな。」 

 

敦と話し始めたあたりから俺達に纏わり付いていた不快な視線。最初こそ見当たり捜査に引っ掛かったのかと危うんだが、素人の俺でも勘付けるような杜撰な捜査員がいる筈がない。裏社会の人間であれば尚更だ。十中八九、鏡花目当てのポートマフィアの下っ端だろう。その証拠に敦達が去った途端に気配も遠ざかった。

既に敦を探偵社に導くという軌道修正は果たした。ならば態々俺が介入せずとも主人公ならば問題を自ら解決するだろう。

とはいえ、一抹の不安が胸にわだかまりを持たせる。如何しても気になるなら遠方から少しばかり様子を観察するくらいなら…。

そう思い見下ろせば、見事な上目遣いが俺を見詰め返してくる。期待を込めた眼差しについ口角が吊り上がった。

 

「んじゃ、行くか」 

「うんっ!」

 

付いてくる気満々といった嬉々とした顔色が一段と明るくなる。時間の余った暇人二人は敦達の後を追うことにした。

 

 

それから小半時が過ぎ、中華街、横浜スタジアム、横浜市開港記念会館、県立歴史博物館、横浜税関本庁舎、赤レンガ倉庫…思いつく限りのデートスポットを寄り添い合ってひとしきり満喫していた二人に魔の手が忍び寄った。 

 

事態が急変したのは海の見える丘公園の入り口付近。家出をした暗殺者を迎えに来た芥川の異能『羅生門』で敦は反撃の間もなく心臓近くを貫かれトラックへと投げ入れられた。一方的に蹂躙される恩人を唖然と見詰め自責の念に駆られる鏡花は地面に力なく座り込んだまま立ち上がる気力すら奪われてしまった。またもや絶望に叩き落とされた彼女に素気無い言葉を投げ掛けて、芥川は用は済んだとばかりに去ってゆく。

現場に残されたのは夥しい血痕と、鏡花達がクレーンゲームで釣った血染めのうさぎ人形、騒ぎを目の当たりにして目前の山手警察署から駆け付けた警官二人の亡骸だけだった。 

 

「あーあー、派手にやりやがって。」 

「もう芥川ったら、この人形可愛いくて気に入ってたのに。」 

 

もっと他に感想あんだろと非難を飛ばしたくなったが、そも鴎外が設定した異能生命体の時点で倫理観を問おうとする俺の方が間違っていた。

ポケットが振動する。携帯を取り出すと、一件のメールが届いていた。 

 

「ねーねーグレイ。」

「ん?」

「折角ここまで来たんだから最後まで観ましょうよ。」 

「そうだなあ」

 

携帯を仕舞って逡巡する。どうしたものか、俺としても帰結を見届けたいところだが生憎絶対にすっぽかせない用事があるのだ。袖を捲ると腕時計の短針が予定時刻まで余裕があることを教えてくれる。

 

「一時間で片付かなかったら俺は先に帰るぞ。それとうさぎは返してやれ。」

「やったぁ!」 

 

そう告げると、エリスは大はしゃぎで敦の乗せられたトラックを追跡しだした。瞬く間に距離が離れていく彼女を見失わないように俺もトラックの赤い轍を辿った。

 

 

所代わり横浜港。日本最大の交通量を誇る天然港では首都圏の玄関口として今日も数多くの客船が寄港していた。以前にも世界一の荷卸し効率の実績を上げており、百五十年以上の歴史と技術を蓄積したコンテナ港には早朝から船舶の出入りがのべつ幕なしに見られる。発展した臨海部を一望しに国内外からも多くの観光客がカメラを片手に足を運ぶ埠頭では、今日に限っては一風変わった風景が広がっていた。

 

舞台は抜錨したばかりの一隻の大型コンテナ船を装った密輸船。六千TEU以上のコンテナを運ぶ北米向け海上輸送専門の貨物船の広々とした甲板で苛烈な決闘が繰り広げられている。

空間を断絶せし漆黒の外套と、異能を斬り砕く白虎の四肢。予め船荷が捌けられたデッキの其処彼処で爆撃もかくやのクレーターが出来上がり、爆砕した貨物は空高く舞い上がり海面に叩きつけられ藻屑と化す。船体の彼方此方が破損し、もはや浮游していることすら奇跡的な程に原型を留めておらず沈没までは時間の問題であった。 

 

「人は誰かに生きてていいよと云われなくちゃ生きていけないんだ!そんな簡単なことがどうして判らないんだ!」 

 

反攻に転ずる隙を与えぬよう連続的に放たれる攻撃を敦は全身全霊で回避する。腹の底から発せられた霊獣の如き咆哮は音波となって波濤を生み出した。その雄叫びは世の理不尽と弱者の不遇をひたすらに嘆く魂の叫びであった。

目紛しく回転する視界の隅に映じるのは、つい今し方己の身を投げ打ってまで敦を逃そうと芥川に立ち向かい薙ぎ伏せられた鏡花の傷ましい姿態。闇に抱かれ、光に焦がれたいたわしき暗殺者。好みも嫌いも喜怒哀楽も、当たり前の心理作用を正常に感ずることのできる心優しき少女。

 

『あの娘は諦めろ!善良な者が何時も助かるわけではない!』

『お前の舟は一人乗りだ。救えない者を救って乗せれば共に沈むぞ。』

『俺達はヒーローではない!』 

 

 

——確かに国木田さんは正しい。

僕の考えが甘かった。中途半端に手を差し伸べたせいでおめおめと芥川に二度目の襲撃を許し、誘拐されるばかりか国木田さんが危惧した通りの事態を招いてしまった。鏡花ちゃんだって、僕なんかの為に命を賭すことなくポートマフィアで生きていけたかもしれない。譬え本人が望まずとも、尠からず芥川は彼女が反旗を翻すまでは捨て駒として直ちに廃棄処分を下すつもりはなかっただろう。…でも、それでも、

 

——迷ってんのか。

グレイさんの言葉が蘇る。彼以外にはこんなにも僕を理会してくれる人間なんてこの世界の何処にも居ないだろうと、心が揺り動かされた。僕が直面する窮状も、鏡花ちゃんの陥っている危地も、ポートマフィアすら認知していない筈の民間人は恰も凡てを見透かしているかのように道標を示してくれる。彼が紡ぐ言葉の一句一句が僕の胸に一途に溶け込んでくる。

 

——あの電車でお前は鏡花を救う道を選んだ。

そうしなければ鏡花ちゃんはあの列車で自爆していたかもしれない。道徳に則ったとか、理屈とかじゃない。あの時の僕の心が強く彼女の救済を望んだから、間違いなんかじゃないと魂が確信していたから。 

 

「羅生門っ!」 

 

電光石火の如く次から次へと襲いかかる黒獣の腕を白虎の逞しい前脚で防ぐ。重い、象の体重がのし掛かってるみたいだ。

 

「ぐぅああああああ!!」 

 

裂帛の気合いが高らかに響き渡る。自分自身を鼓舞するように、心の底から湧き上がる激情を乗せて。数日前までなら不可能だっただろう、着実に進歩している無駄のない動きで腕を大きく振りかぶる。研ぎ澄まされた爪牙が、羅生門を裂いた。 

コンテナの薄暗がりで目を覚ました時、何故か僕の傍に置かれていた鏡花ちゃんの兎のぬいぐるみ。あれを胸元に抱き寄せた時から僕の答えは決まっていた。

誰しもが選んだ選択に失望を抱くなら、せめて己の心に従いたい。自分の望むままに行動して得たもの失ったものを胸に刻みつけて、新しい道を探す…あの人が云ったように。だから——

 

『俺の目には既に答えが決まってるようにみえるがな。』   

『クレープ、美味しかった…』 

「うァあああ!」 

 

この拳に総ての想いをありったけ込めて芥川へと振り下ろす。

禍々しい黒獣の拳と獰猛な前脚が今、烈しく衝突した。

 

 

壮絶な打撃音が凄まじい水飛沫を作り上げた。二つの巨大な拳が正面衝突しただけだというのに衝撃波が山下埠頭の白灯台にまで迫ってきた。凄まじい爆風が起こり、芥川が空高く吹っ飛んだ。

 

「たまやー!」

 

小さな拍手も蒼穹へと溶けていった。二人の青年の熱い想いが痛切に伝わった果し合いは、まるで一本の映画のようだった。この臨場感はIMaxじゃ再現できないだろう。敦も芥川も、到底人間が鳴らして良いような音じゃない破壊音を連発していて、観ているこっちが痛くなっちまった。 

 

「なんで助けなかったの?」

「馬鹿言うな。うっかり死んじまうかもしれないだろう。」 

 

勿論俺が。

変態爆弾野郎こと梶井にHAWK(地対空ミサイル)造らせればこんな具合の威力だろうというような大音響である。きっと体感ならミサイルと形容するには生易しく、音の壁を超えるような衝戟を一身に受けるに違いない。とてもじゃないが俺は耐えられない。肉体的にも精神的にも一撃撃沈、完全敗北だ。命は大切にしよう。

俺の即答にエリスも得心がいったとばかりに何度も頷いているが少しは世辞を覚えてほしいものだ。

 

何においても、最初は芥川の攻撃を回避するだけで精一杯だった敦が攻撃に転じた際のあの顔付き。鏡花がやられた途端、人が変わったように確固たる決意を燃え上がらせた臆病な青年の心奥の変容に想像を膨らませると、すこぶる居様が良くなる。

 

「漢が女の為に奮い立ってんのに、部外者が邪魔しちゃあ野暮ってもんだろう。」

「ふーん。そういうものなのね。」

「そういうもんだ。」 

 

踊り場の手摺に掛けて呑気に話している間に、敦と鏡花は国木田に回収されて密輸船から離れていった。海に堕ちた芥川が波に流されているのを見留めると異能による眴せで近傍の桟橋に移してやる。袖を捲ればいつの間にやら予定時刻に迫っていたので、敦達が港に着くのを最後に見届けてから踊場に足を付ける。

 

「よし、もう満足しただろ。帰るぞ。」

「はーい!」 

 

貨物が爆散し大炎上するコンテナに早くも救助船が水先を切って向かっていた。港では一大事を目撃した人々がわらわらと野次馬をつくり始めている。

階段を降りながら上機嫌にスーツの裾を掴んでは、軽やかにステップを踏むエリスに苦笑しつつも、俺達は港まで戻ってきた。  

 

「グレイのことはリンタロウには黙ってるわね!困ってる顔が見たいから!」

「良い趣味してんな。」

 

フェリー埠頭にまで来た道を戻ってくるや否や、開口一番にこれだ。やはり蛙の子は蛙か。ボラードの上で器用に爪先立ちするエリスは此処で保護者を待つつもりらしい。か弱い幼女ではないのだから置き去りにしても問題ないだろう。そう思い別れを告げて背を向ければ、「今日は楽しかったわ、また遊びましょ!」 弾んだ声が風に乗って耳朶に届いてくる。できれば二度と会いませんようにと内内で願いつつも俺は手を靡かせた。

 

 

 




こんばんは、黎明夜です。
文豪アウトサイダーをお読み頂き有難うございます。

pixivの方にも本作品及び他作品多数を載せているので、利用されてる方はよろしければそちらでご拝読下さい。(ハーメルンでの投稿は加筆修正版となります。また、一部作品はpixivのマイピクのみでの公開となっております。)
今後も文豪アウトサイダーをお楽しみ下さい。
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