文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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裏切りの抒情詩 六十一〜六十四


横浜シャアライム(OE)

 

 

緩やかに目的地へと海上を滑りゆく二百トンあまりの豪華客船。足から体の節々へと伝い渡る船体振動。清々しい碧が突き抜ける上空には燦々と照りつける太陽が、視界の先には果てしなく続く神秘的な水平線をいけ図々しくも途切れさせる存在が在った。横波はうねり雲はたなびき静かに移り変わっているというのに、俺とそいつを纏う空間だけは時が止まっていた。 

 

 

 

四尺の大身槍ほどの距離を保ちながら、破裂しそうなくらいに蠕動する心臓を規則的な呼吸を繰り返すうちに落ち着かせる。

 

今の心境は、一言。やばい。

 

此処に飛ぶ直前にいつでも戦闘できるようにとナイフと銃を構えて臨戦態勢をとっていなけりゃ今頃どうなっていたことか。想像するだけでも恐ろしい。今も福地の攻撃を受け止めてくれたナイフの衝撃が骨の髄にまで振動しているのが、コイツの一太刀が如何に強烈だったかを証明していた。 

 

 

 

複数の通風筒が奏でる不協和音が耳朶に響くのを動悸を落ち着ける子守唄のように聞きながら福地を見据える。 

 

 

 

「これじゃダビデとゴリアテだな。」 

 

 

 

ぽろっと口を衝いて出た言葉に福地は薄く笑った。 

 

 

 

「言い得て妙だな。お主がゴリアテで儂がダビデか。」

 

「反対だ馬鹿野郎。」 

 

 

 

誰が凶暴な巨人兵士だというのか。社会的身分の面でも軍に属してる福地の方が相応しいだろうに。 

 

 

 

再び沈黙が落ちる。

 

通風筒は変わらず喧しく合唱し、時たま汐風がコーラスに加わる。互いに得物を構えたまま様子を伺う珍妙な時間だけが流れてゆく。見つめ合う二人、当然恋は始まらない。痺れを切らした俺はとうとう口火を切った。 

 

 

 

「で?」

 

「............。」

 

「これからどうすんの?」

 

「いやぶっちゃけ儂も考えてなかった。」 

 

 

 

びゅるりとひんやりとした涼風が吹き抜ける。そして再び止む頃には俺たちは武器を下ろしていた。 

 

 

 

「やめだやめ、テメエみたいなバケモンと殺り合うなんざ命がいくつ在っても足りねェ。」

 

「こっちの台詞じゃ馬鹿者…もう童らはおらん、演技の必要もあるまい・・・・・・・・・・。」 

 

 

 

茶化し合いながらナイフと銃を懐に戻すと、少し騒ぎすぎたらしく警棒やら銃やらを手にしたSPたちが駆けつけてきた。 

 

 

 

「福地殿、ご無事ですか!?」

 

「船に潜入しておったテロリストと偶然遭遇してな、じゃがもう問題ない。心配は不要だ。」

 

「そうですか…こちらボズヴェリアン号!サムライ福地殿が敵と交戦、支給応援を求む。」 

 

 

 

沿岸警備隊と通信しながらこちらへと歩み寄ってくる男たち。随分な惨状となった甲板を見渡すと俺の存在に気づいて首を傾げた。 

 

 

 

「そちらは…」

 

「ああ、こやつは儂の戦友だ。儂が応援を頼んで急遽異能で駆け付けてもらった。」

 

「そうでしたか、有難うございました。えーと、」

 

「薄墨だ。」 

 

 

 

福地の話に合わせて営業スマイルで差し出された手を取ればベテランの格闘家特有のごつごつとした分厚い皮の感触が伝わってきた。 

 

 

 

「福地殿、そしてミスター薄墨。では我々は一旦これで。」

 

「うむ、ご苦労じゃった。」 

 

 

 

男たちはそれぞれの国軍に倣った敬礼をすると、再度福地い羨望の眼差しを送って周辺を巡回すべく立ち去った。  

 

 

 

 

 

「こんのすっとこどっこい!お前は一体何を考えておる、何故探偵社を逃した!?」

 

「誰がすっとこどっこいだ、老害め。」 

 

 

 

幾分か静寂が戻ってきた甲板で、福地が青筋を立てて詰め寄ってくる。この場で江戸川と敦を殺害する計画が俺のせいで狂ってしまったことにご立腹のようだ。 

 

 

 

「仕方ねェだろ、探偵社から正式に護衛の依頼を請け負ってたんだから。」 

 

 

 

それと与謝野と国木田の逃亡の援助。何より敦を危険に晒して探偵社どころか特務課にまで下手に疑われるのは御免だった。

 

 

 

「ーーーー!!」 

 

 

 

そう告げると悪態を突こうとして言葉にならず唇を噛み締める福地。苦労してんな、なんて胸中で他人事を溢した。

 

俺が依然として素知らぬ顔を貫いているとやがて諦めたのか福地は大きく溜息を吐き出した。 

 

 

 

「…はぁ、お前にはほとほと振り回されるわ。」

 

「御愁傷様。」 

 

 

 

返事の代わりにドーベルマンにも勝る鋭利な眼光がギラリと睨みつけてきた。それを無視して冷たい床の上で安らかに眠る青年を見下ろす。

 

 

 

重荷が下ろされさっぱり漂白されたような穏やかな横顔が目に焼きついた。原作を覚えていないが故に、芥川の死がこの先にどんな影響を与えるのか俺には想像も及ばない。俺が介入したことで死んでしまったのか、将又最初からこうなる運命だったのか。今となっては知る由もないがそれでも年若い青年が命を散らしたことに同情を禁じ得ない。 

 

 

 

「派手に殺しやがって。」 

 

 

 

何気なしに零すと、福地が反応を示した。その双眸の奥で名状し難い負の感情が蠢いているのを感じ取ってしまうと、俺とて一概に非難するわけにはいかなくなる。 

 

 

 

「…嘆かわしい世の中だ。」

 

「案ずるな、彼にはまだ役目がある。」

 

「…ブラムか。」 

 

 

 

うむ。いつもの口癖で頷くと、次いで福地は此処で待つようにと言い残して何処かへと消えていった。 

 

 

 

人気のなくなった甲板で、芥川の隣に腰を下ろすとまだ体から溢れ出たばかりの新鮮な鉄の匂いが鼻を掠める。それがどうしようもなく不快で、ポケットから煙草を取り出すとライターで火を点けた。一口吸えば鉄臭は忽ち消え去り、吐き出すともくもくと広がる紫煙が血塗れの青年の姿を覆い隠してくれる。三度、四度同じ動作を繰り返すうちに俺は何がなしに数日前の出来事を振り返り始めた。

 

 

 

 

 

あれは天人五衰の事件が始まる前、太宰たちとポーカーをして一儲けした日の晩のこと。  

 

度々世話になってる異能力者専用のバーに赴くとソイツは既に俺を待っていた。 

 

 

 

「息災だったか。」 

 

 

 

普段の軍服ではなく鼠色の羽織袴を身に纏った男に声掛けると、物思いに耽っていたそいつは上機嫌に立ち上がり近づいてくる。目と鼻の先の距離で止まって、数秒間じっと視線を見合わせる。互いの昔日の面影を確かめるように。そして、逞しい筋骨が再会の喜びを抱擁した。 

 

 

 

「グレイ!幾久しいな、相変わらず老けんやつめ!」

 

「ははっ、日本人万歳だな。」

 

「いや儂も日本人じゃし。」 

 

 

 

そうしてひとしきり互いの健勝を確かめると俺たちは席についた。 

 

 

 

「燁子からコレを貰った時は何事かと思ったぞ。」

 

「ふはは、偶にはお前にも刺激が要よう。」 

 

 

 

期限切れの歌舞伎の招待状を机の上に放り投げると、福地は白い歯を見せて俺の背中をバンバンと叩いてくる。痛い痛い。軍人の叩打は洒落にならないと腕を払い除けると福地は余計に少年のような無邪気な笑みを見せた。 

 

 

 

「ときに此処は安全だろうな?」

 

「安心しろ、オーナーは信頼できる男だ。フェージャともこの部屋で会った。」 

 

 

 

昨日の酒合戦の影響で店は三日間の臨時休業を余儀なくされたのだが俺が無理を言って数時間だけ店を開けてもらったのだ。秘密の会合にうってつけの場所は此処以外にないからな。それを伝えると福地は納得してくれたようだった。 

 

 

 

そこで飲み物が運ばれてきた。連日飲みまくったせいで胃が不調気味の俺は紅茶を選び、福地は芋焼酎を。

 

飲んだ者の心に職人の情熱の楔を打つ忠実な芋焼酎、鹿児島の楔。どっしりとした芋の旨味が癖になる口当たりの良い逸品。それをロック割にして豪快に樂む福地を見ているとどうしてか負けた気分になって俺はティーカップを横に退けた。 

 

 

 

 

 

古くは大戦からの知己、刀と銃を向け合う最悪の初対面を乗り越えた俺たちは今やお互いを知る者に自分以上にいないと誇れるほどに心安い間柄だ。この世界においては夏目の次に縁が深い。地球上の何処にいようと月に一度は酒を呑みに行く仲だが、俺も横浜に来る半年程前から忙しく彼此一年以上会えていなかった。だからこうして久々に食卓を共にできるのは素直に嬉しいものだ。 

 

 

 

福地の人柄を短く表すと気骨のある男といったところだろう。軍でも重大な地位に位しているが豪快で気さくな面もあり人当たりがいい。だから普遍的に評判が良い。あとは剣の熟練の達人であること。勿論武術やその他諸々の戦闘術も卓越しているが、剣術に関しては右に出る者はいないんじゃないだろうか。前の世界でもコイツほど温柔敦厚な男に巡り会えたことはなく、きっとこういう関係を親友というのかもしれない。  

 

 

 

 

 

それから暫くは実に一年以上ぶりの和やかな雰囲気に包まれながら俺たちは昔話に花を咲かせた。 

 

話題は移り変わり猟犬でのエピソード...とりわけ興味深かったのは福地に対する燁子の重い愛情と寝起きに食べさせられた末広の生の烏肉の話だった...からモリウイルス事件へと転じた。 

 

 

 

「聞いたぞ。超危険生物兵器をドストエフスキーとはいえ仮にもテロリストに譲るとは。」

 

「ったく、ただでさえ連日心臓に悪いトラブルに巻き込まれてんだ。説教は勘弁してくれ。」 

 

 

 

夏目もそうだが歳をとると人に説教を垂れるきらいがあるらしい。ならば歳を取りすぎた俺はそういう感情の楔から解き放たれて悟りでも開いたのだろうか。…なんて言っちまえばブッダにロケットランチャーで殴られるかもしれない。 

 

ぶっちゃけ危険なウイルスを返さずにドストエフスキーに渡したのはそれなりに悪いと思ってる。だがアイツが大層な面倒事を起こすとも思えなかったのだ。それに… 

 

 

 

「馬場太郎と島田優一は依頼通り殺したんだ、それ以上を求めるなら追加料金を払うんだったな。」

 

「金の亡者め。」

 

「違ェよ、厄介事に巻き込まれたくないだけだ。」 

 

 

 

現場に綾辻がいると知っていれば最初から値段を釣り上げていた。間違えれば俺も屋上から飛び降りて挽肉のようになる未来だってあったかもしれない。アイツが推理を誤ってくれたのは本当に不幸中の幸いだった。最初こそ咎めるような口調だった福地も特に機嫌を損ねてないのかそれ以上は何も言わずに酒を飲んでいた。 

 

 

 

その横顔を眺めていると不意に一昨日の出来事を思い出す。

 

今振り返ればあんな深夜に港町の路地裏に条野たちがいたのは十中八九何かの任務だったのだろうと思い至る。猟犬の精鋭を二名も送り込むとは余程の危険人物の逮捕か、暗殺といったところか。残念ながら俺のせいで暗殺対象は木っ端微塵になったことだろう。 

 

 

 

「条野と末広の任務は失敗か、さぞ口惜しいだろう。」

 

「嫌味か。」

 

「そんなんじゃないさ。只猟犬の評判が落ちなけりゃ良いんだが。」 

 

 

 

猟犬部隊の任務遂行率は百パーセントを誇っているらしい。そんな素晴らしい功績が俺如きのうっかりな爆発事件で挫かれてしまうのは慙愧に堪えない。と訳を告げてやると福地は遺憾極まりないといったふうに酒の入った陶器を握り込んだ。 

 

 

 

「嗚呼、お前が関わった任務はお陰様で毎回大失態だ…!」

 

「...記憶にねェな。」

 

「どの口が!」 

 

 

 

ピシリと陶器にヒビが入るのを目の当たりにして思わず顔が引き攣る。憤然と昂る男の気を紛らわすために酒を注いでやると福地は一口で豪胆に飲み干した。 

 

 

 

「悪かった悪かった、落ち着けって。」

 

「深々に謝罪したければ二回も繰り返さんわ。」 

 

 

 

うわ、面倒臭い奴。

 

なんて言おうものなら焼酎瓶で頭をカチ割られそうなので黙っておく。

 

 

 

オーナーの妙な計らいかレゲエの定番曲が静まった室内に流れてきた。ボブ・マーリーとザ・ウェイラーズの『ワン・ラブ』。小綺麗に洗練された異国的な曲調に普遍的な愛と平和のメッセージが乗せられて俺みたいな犯罪者の耳に届く。それはとてもアイロニーめいていた。

 

競争ではなく共生の世の中を。そんな温かい意味合いが込められた歌詞だというのに、何故か俺は得体の知れない緊迫感のような何かに襲われるような感覚に陥った。そんな錯覚を感じたのは俺だけではなかったらしく、真横に座っていた福地は俄に席を立つと俺と真正面の椅子を引いた。 

 

 

 

「お前を土俵に乗せるには必要不可欠な作戦だったのでな、使いやすい政治家を利用したまでだ。」

 

「そうか、」 

 

 

 

何の話か全くもってわからないが取り敢えず相槌は打っておく。 

 

 

 

「なら目的は果たせたか。」 

 

 

 

その瞬間、場の空気が一段階冷え込んだ。冬だというのに霜冷えするような冷たさが辺りを包む。空調の不調などではない、目の前の男から発せられる不可視の圧力だった。 

 

福地は冷え冷えとした冷酷な双眸をまっすぐに注いでくる。 

 

 

 

「グレイ。」 

 

 

 

そして軍神はこう言放った。 

 

 

 

ー機運は熟した。

 

 

 

対して俺はこう思った。 

 

ド派手に患ってやがると。

 

 

 

格好良く頬杖をつき、反対の手で右頬に刻まれた鉤爪のような厳つい傷痕を撫でる福地。貫禄も相まりこれ以上なく渋さが光っているが彼の放った仕草と台詞はこの上なく俺の心を抉るものだった。 

 

 

 

「お前はまだ患ってるのか。」 

 

 

 

憐憫混じりに確かめると福地は深く首を縦に振った。 

 

 

 

「そしてお前もだ、グレイ。」

 

「…何だと?」 

 

 

 

断じて聞き流すことのできぬ発言に眉頭を顰める。

 

俺はこの世界に来た早い段階でハードボイルドを選んだことで厨二病は卒業した身だ。今更思春期のような芳しい企みもキャラ作りもしてはいない。だというのに福地は確信したような顔つきで俺を眼差している。 

 

 

 

「温厚な人格を演じているようだが儂に本性を隠し通せると思うな。大戦で患った病は儂らの最も暗い深部に根差している…決して癒えることのない傷は今日も無造作の瞬間に疼き蝕む。そうであろう?」 

 

 

 

回りくどい言い回しだが男の言い分は間違っちゃいなかった。確かに、ふとした瞬間に過去の黒歴史が脳裏を過って自分で自分を刺したくなるほどに居た堪れなくなる。忘れ去りたい恥ずかしい思い出がフラッシュバックする現象、確か名前があったはずだが何だったか。そんなことはどうだって良い。

 

不意打ちで急所を突かれたことに拒絶感を隠すことなく顕にすると、福地は暗く嗤った。 

 

 

 

「そうだ、儂はその顔がずっと見たかった。かつて深淵に君臨せし王と名乗ったお前の天魔波旬をも従える風貌を。」 

 

 

 

アーっとォ、福地選手によるモンスターレフトにグレイ選手気絶!一発KO、これは破壊的な一撃ですねー。

 

脳内の実況者が解説しているのを魂を飛ばした第三の俺が上空から見下ろしていた。 

 

 

 

黒歴史を掘り起こすどころかビラにして大衆の面前でばら撒くような残虐な攻め手だった。あまりの仕打ちに返す言葉もなく顔を俯かせ震えていると、福地は追い討ちを仕掛けてくる。 

 

 

 

「あの日、儂がお前の手により征野に四肢を投げ出した時、お前はこう言ったな。「混濁穢土を焼き尽くす。」と。」

 

「よせ、それ以上は言うな。」

 

「漸く儂にも意味が判った。お前はあの時から全てを予見していたのだと。」

 

「やめろっ!」 

 

 

 

勢いをつけた叩きつけた拳に、机の端に置かれたティーカップが破裂音を立てて地面にひっくり返った。 

 

 

 

「どうされ…ヒィッ!」 

 

 

 

騒音を聞きやってきたらしい人物に視線を送るとそれはオーナーだった。床で砕けた陶器と俺を目の当たりにすると、オーナーは引き攣った悲鳴をあげてドアを閉めてしまった。福地を睨んだつもりだったがオーナーに対してキレていると勘違いしてしまったらしい。

 

第三者の介入に僅かばかり冷静さを取り戻した俺は再び腰を下ろすと福地を正視する。流石に度を超していたと気付いたのかもう嗤ってはいなかった。 

 

 

 

「何が目的だ、はっきり言え。」 

 

 

 

福地は椅子を引くと前のめりに迫ってきた。軍神と称すに相応しい形相が至近距離で俺を見下ろす。 

 

 

 

「儂らの目的は同じだ。…即ち、この痛みから解放されること。戦友よ、どうかお前も参戦してくれ。お前がいれば儂は何よりも心強い。」 

 

 

 

それから福地は天人五衰と呼ばれるテロ組織について、これからの計画についてをつぶさに打ち明けた。それはあまりにも壮大で、とても厨二病から解放されたい人間のすべき治療法ではなかった。例えるならば自称選ばれし神の子が古代兵器を使って世界を焼却するとか、そんな感じの拗らせまくった絵空事だった。

 

だが福地の語調は至って真面目であったし、計画自体が辛酸を舐めた過去に起因しているのも事実で馬鹿馬鹿しいと笑って跳ね除けるほど俺も性根は腐ってない。…それに俺が発案者だと言い張るのも多分コイツの思い違いだろうが妙に気に掛かる。こいつの病が俺に感化されたというならば責任は俺にもある。

 

それでも敦や探偵社を巻き込むのはいただけないと、俺は難色を示した。 

 

 

 

「協力してやってもいいが、如何せんスケールのデカイ話だ。それなりの報酬はあるんだろうな。」 

 

 

 

探るように尋ねてみる。こうすると大抵の奴は諦めてくれるから。だが年季の入った厨二病は一味も二味も違った。 

 

 

 

「グレンフィディック、」

 

「おいまさか、」

 

「50年サイマルティニアスタイムでどうだ。」

 

「乗った。」 

 

 

 

シングルモルトの超高級ウイスキー。金はあっても入手自体が困難な限定五百本のレア商品。ずっと前から飲んでみたいと思っていた最高の好餌を前に懐柔されないはずがなかった。敦達はきっと大丈夫だろう、何たってこの世界の絶対的な主人公だからな。俺がちょっと福地に手助けしたところで結末は変わりやしない。ま、要するに酒に釣られたわけだ。 

 

 

 

「俺に何をして欲しい。」  

 

 

 

福地から求められたのは二つのシンプルな仕事だった。探偵社とポートマフィアの動静を探り逐一報告すること、天人五衰の他構成員が滞りなく役割を務めているかを確認すること。元仲間として捨て置けないがために、俺は福地の計画にノリノリで参加することとなったのだ。

 

 

 

 

 

というのが現在に至るまでの経緯である。シグマやゴーゴリの生存など色々と不測の事態も多々あったが、紆余曲折しながらも予定通りに事は運んでいた。 

 

 

 

 

 

一本目も半ばに近づいた頃、等身大の棺桶を背負った福地が戻ってきた。福地は棺桶を芥川の隣に置くと蓋を開ける。 

 

 

 

「福地、我が宿敵よ。今は余が目覚めて何年後だ?」

 

「いや、二週間後だが。」 

 

 

 

人間とは思えぬほどに白く輝く肌、ファンタジー小説でしかお目にかかれないエルフのような長く尖った耳、紅蓮の瞳。

 

彼こそがブラム・ストーカー、天人五衰最後の一人であり不死公主である。

 

 

 

異能力『吸血種』、噛んだ人間を眷属にし自由自在に操ることができるという感染型の異能。それ故に福地が八年前に倒すまでは世界を滅す十つの厄災の一つと畏れられていた。福地が刺した聖十字剣により首から下がないのが哀れだが敵であれば侮れない相手だ。この聖剣というのは持ち主が剣を通して刺した相手の異能を本人の意思とは関係なしに制御可能にするトンデモな代物で、天人五衰でも最も非協力的なブラムを強制的に従わせる便利な制御装置みたいな役割も担っている。 

 

 

 

福地とドストエフスキーの考えた次の作戦はブラムの異能を用いた吸血種の感染爆発。多数の人員を抱えるマフィアに仕掛ければ瞬く間に日本中、ひいては世界中に被害が広まるだろう。何より精度が百倍になる福地の異能と合わせれば勢いは封じ込めも効かないほどに驚異的なものとなる。大凡四日。全国家の半数が支配され、計画の最終段階の裏頁の役目が回ってくる。何れ欧州も被害を食い止めるために参戦せざるを得なくなる。それこそが天人五衰の狙いであるとも知らずにな。 

 

 

 

「断ればこの聖十字剣で君の脳髄を焼き尽くす。」 

 

 

 

俺が今後についてを按じている間に二人に一悶着があったらしい。剣柄を握り脅し文句をかける福地に、俺は人知れず煙を空へと吹き上げた。 

 

 

 

気乗りしない奴に強制するのはこちらとしても心苦しくものだ。心身の疲れで惰眠を貪りたいというのなら是非とも思いのままに振舞ってほしいものだが…俺が苦言を呈したところで福地とドストエフスキーは改悛しないだろう。なんせ彼らは今絶好調にやる気が漲っているのだから。

 

観念して芥川の首に牙で噛み付くブラムに謝りつつも、吸血鬼へと変貌する様を見守った。

 

 

 

その後、俺は沿岸に辿り着く頃合いだろう敦を救出しに、福地は本部に戻り報告を挙げるためにその場を離れた。今後についてを改めて談論するために後日俺が滞在するホテルで落ち合う約束を取り交わして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月曜日、天人五衰の筋書き通りポートマフィアを発端として吸血種の感染が全国的に広まった。被害は国境を越え十六の国軍が陥落、世界に混沌を齎す事態に至った。更なる被害拡大を恐れた国連は欧州、時計塔の従騎士に大指令ワンオーダーの封印解除を要請したのだった。  

 

 

 

 

 

火曜日の昼時、ポオの創造した小説空間、仮想の武装探偵社会議室に探偵社一同は集っていた。一人を除いて。 

 

 

 

「与謝野はどうした。」 

 

 

 

事務所へと現れたグレイの開口一番の問いかけに敦が返す。 

 

 

 

「丁度さっきお知り合いから負傷者の治療要請があって急遽出て行かれました。会議は進めて作戦はまた帰ってきてから伝えるそうです。」

 

「そうか。」

 

「もういい?」 

 

 

 

江戸川が二人の間に割って入るとグレイは無言で隅の壁に背を凭れさせる。無言の肯定を示す態度に江戸川は上座を見遣る。江戸川の視線を受けた福沢は厳粛に引き締まった顔つきで一同を見渡し、音吐朗朗と声を放った。 

 

 

 

「ではこれより探偵社全体会議を始める。」 

 

 

 

福沢の合図で江戸川が最後の作戦会議以降から現状を振り返り始める。予定通り頁の制約を破り横浜の警察機関は三割が探偵社に与していること、船上で神威の正体が福地だと判明したこと、天人五衰の策謀により吸血種の被害が海外にまで及んでいること。状況は一進一退を繰り返していた。昨日時計塔の従騎士が行動を起こすまでは。 

 

 

 

「お前達、戦争で兵士が敵を一人殺すのに弾丸を平均何発使うと思う?」 

 

 

 

ロリポップを舐めながら尋ねる江戸川に各々は顔を見合わせる。 

 

 

 

「五発とか十発?」

 

「いや、威嚇や牽制も含めてなら三十から六十発ではないか。」

 

 

 

敦や国木田、その他の社員達がおのがじし憶測を口にするのを一通り聞き届けると江戸川はグレイに声掛ける。

 

 

 

「じゃあ戦争の専門家はどう答える?」 

 

 

 

自身に話が振られたのを理解すると、グレイは組んでいた腕を下ろし閉ざした瞼を上げた。感情の色を感じさせない漆黒の瞳が一同を貫いた。 

 

 

 

「五万だ。」

 

「……!?ゴッ、」

 

「御名答。」 

 

 

 

意想外な回答にありありと驚愕する敦達に説明しようとした江戸川に代わりグレイが話を続ける。 

 

 

 

「実際にベトナム戦争では敵一人殺すのに五万発以上の銃弾が費やされた。」

 

「ベトナム戦争?」

 

「こっちの話だ。他には……そうだな、南北戦争の激戦地では十五歩も離れていない近距離で中隊同士が一斉射撃を繰り返していた。だが一人の死傷者も出なかったという。」

 

「そんなに…。」

 

「敵同士が対立した時に人間がとる行動はあくまで威嚇でありそこに明確な殺意はない。」 

 

 

 

平均的な人間は友や国や家族の為よりも同族を殺すという本能的な恐怖に抗えない。すると前脳ではなく中脳…動物的な部分が働き相手を威嚇しようとするわけであり、そうなると相手は降伏するか逃走するかの二択に迫られる。それゆえに大抵の兵士が敵の遥か頭上に向けて発砲する。そこに理性などなく二パーセント未満の攻撃的精神病質者たちを除いた殆どの兵士は同族を殺したくないという本能に従っているのだ。連隊の一斉射撃、雨霰のように飛び交う銃弾のなかで一分のうちに犠牲になる人間は一人か二人しかいない。異能大戦を元の世界の第二次大戦に当てはめれば十五から二十パーセントの発砲率といったところであろう。 

 

 

 

グレイの解説の後に江戸川が話を引き継ぐ。 

 

 

 

「要するに、戦場は人間がいていい場所じゃないんだ。」 

 

 

 

ーお前達はあの戦場を知らぬから善なる国家などという戯言を信じておれるのだ。 

 

 

 

敦の胸に先日の福地の言葉が蘇る。

 

剣を奮い、引き金を引くたびに累々と積み上がる鉛と血と肉の山。たった一度だけ常闇島へと赴いた福沢と違い長期間に渡り地獄を目の当たりにしてきた福地が何を感じ嘆いたのか、戦争を知らない敦には計り知ることはできようもなかった。 

 

 

 

「さて、そうなってくると戦野において兵士の心を保護する人道的な道具が欲しくなってくる。その発想で開発されたのが厄災兵器、大指令だ。」

 

「そこからは私が説明する。」 

 

 

 

説明を続ける江戸川に福沢が割り込む。 

 

 

 

「大指令は私の異能に似た兵器だ。」 

 

 

 

『人上人不造』、己の部下となった者の異能の出力を調整させる異能力。それに類似して、大指令は部下が必ず命令通りに動く通信機型異能兵器であるのだ。 

 

 

 

「部下が…思い通りに…」 

 

 

 

騒然とする面々を福沢は目線のみで制す。 

 

 

 

通信機を通して指揮官に命じられた部下は身体が上官の体の一部のように動き、自動的に命令を遂行する。そこに罪悪感などない。しかしいざ開発されると、国の上層部は重大な懸念点を発見した。

 

そう、軍事クーデターである。 

 

 

 

「邪な軍の最高司令官が使えば国家の転覆だって朝飯前だ。だからその可能性に気付いた開発国は兵器を封印した。開発者は事故に見せかけて殺された。」

 

「けど破壊はしなかったんですね…、」

 

「今回のような世界的危機を想定したんだろう、それ自体は慧眼だ。」 

 

 

 

次に江戸川は問いかける。 

 

 

 

「だがこの大司令を福地が使用した場合、何が起こると思う?」 

 

 

 

その瞬間、ある推測に思い至った国木田ががたりと立ち上がった。拳は白むほどに握りしめられ、額には冷や汗が滲み出ている。 

 

 

 

「そうか…何と、何ということだ…!」

 

「そうだ。」 

 

 

 

国木田に応えるように江戸川は同意を示した。 

 

 

 

福地の部下は国連加盟国、地球上のほぼ全ての軍隊を傘下に収める人類軍。彼の手に大指令が適用されれば文字通り地球最強の巨大部隊をもって吸血種に対抗することができる一枚岩となるのだ。

 

最終段階の一歩手前は世界征服。全ては福地をはじめとした天人五衰の筋書き通りだと憤懣遣る方無い面持ちをする江戸川に一同は事態の深刻さに改めて戦慄を覚えずにはいられなかった。 

 

 

 

「よく聞け、明日…明日福地は空港で大指令を受け取る。それさえ阻止すれば僕たちの勝ちだ。」 

 

 

 

そこで一度言葉を区切ると江戸川は一人一人と目線を合わせる。逆風を受けてもなお、探偵社員達の瞳は力強い光を放っていた。 

 

 

 

「今から作戦を説明するーー。」  

 

 

 

 

 

 

 

会議が終わると準備に取り掛かる各々、その中で一人終始部屋の隅で棒立ちするグレイの元に江戸川は歩み寄った。 

 

 

 

「ねぇ。」 

 

 

 

睨め付けるような眼差しに見上げられ、グレイは僅かばかり眉根を寄せる。 

 

 

 

「貴方は敦の味方だ。」

 

「そうだな。」

 

「けど探偵社の、世界の味方じゃない。」

 

「…………。」 

 

 

 

江戸川には何一つ理解できなかった。坂口の報告によりグレイが天人五衰の裏で糸を引いている線はより濃厚となってしまった。だがグレイは江戸川からの依頼だったとはいえ福地の計画に反して敦を救い、今回の会議が開催される直前にも次なる目標が空港であるという情報を密かに江戸川へと密告した。卑怯なコウモリのように、中立を装い状況に応じて敵味方を選択しているような言動はとりわけその必要のない人物が実行するには不可解であった。江戸川の難解な疑問が伝わったのかグレイは口角を緩める。 

 

 

 

「安心しろ、これ以上俺の役目はない。俺はただ美味い酒の為に動いていただけだ。」 

 

 

 

その真意はつまるところ、自分たちの攻防戦を酒のつまみに愉悦しているということで……神経を逆撫でする発言に江戸川は唇が切れるほどに歯軋りをした。だがそんな彼の心境を知ってか知らずか、グレイは江戸川から借りていたイヤホンを彼の手に返した。 

 

 

 

「ここから先の戦い、お前達の勝利を願っている。」 

 

 

 

最後に場違いにも江戸川の頭頂に軽く掌を添えて、グレイは去っていった。意趣晴らしにもならぬと判っていながら江戸川は、その背中が見えなくなるまで射竦めていた。

 

 

 

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