文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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鬼哭啾々 六十五〜七十一


追憶の春(OE)

 

 

よくよく考えてみればわかることだったと、頭を机に打ちつけた青年に少女は突き刺すような視線を向けた。

チクリ、赤く塗られた矢印が遠慮なしに刺さったのを感じると豊はおずおずと面を上げる。少女は憐憫の篭った眼差しをやめない。好いた相手に呆れられることほど年頃の男女にとって残酷なことはないものである。 

 

「嫌なら最初から言ってくれればいいのに。」 

 

溜息混じりに話しかけたキヨの面持ちに僅かばかりのうら悲しさを見てとると、豊は即座にかぶりを振った。 

 

「違う!全然っ、俺はお前といたい!っていうか一緒に勉強させてください!...ただ、」

「ただ?」 

 

歯切れの悪くなった豊にキヨはぐいと顔を近づける。その行為が豊にとって最も効果的な精神攻撃であることを知っていたからだ。鈴蘭のように可憐な少女はいつの間にか薔薇のような艶やかな危うさを身につけていた。 

 

目鼻先の至近距離で青年少女は見つめ合う。

豊はブラックホールに吸い込まれるような錯覚に陥った。

 

艶っぽい黒髪、程よく日焼けした健康的な小麦肌。そこらの女優よりも長いであろう睫毛には窓から差し込む陽光がいっぱいに集まっている。ぷっくりとした桃色の唇を見つめていると豊の口は自然と動いていた。 

 

「ハイビスカス…向日葵、いやプルメリアだな。」

「ありがとう。それで、何なの?」 

 

このように軽くあしらわれるのは一度や二度ではない。互いに恒例と化している口説き文句と受け言葉を交わし、キヨは話を戻した。 

 

「ほら、久しぶりにキヨの家に来れたんだから宿題以外にもっと楽しいことするのかと思ってた。」

「久しぶりって、先々週来たばかりじゃない。大体楽しいことって何よ。」

「?こないだ母さんが間違えて崩しちまった千ピースパズルのやり直しとか。」

「…………。」 

 

沈黙が落ちた。 

 

「はぁ。」 

 

期待外れの返答に、キヨは豊に聞こえるように息を大きく吐き出したのだった。 

 

 

それは、ある夏休みの青春の一日。  

 

 

中学生に成長した二人は今も昔も変わらず仲良しであった。学校のクラスも、塾も、習い事も、昼食や休日さえ二人はいつも共に時間を過ごしていた。顔を合わせるや否や一輪の花を差し出す勢いの豊にぞんざいに接しながらも隣に並ぶキヨ。彼女の真意はともかくも二人の関係性、纏う雰囲気は周りから見れば百パーセント両想いであった。しかし当の本人はそのつもりはなく、以前クラスメイトが別々にその旨を尋ねたときは二人揃って否定したのである。 

 

ー付き合ってなんかないわよ。豊はああみえて臆病だもの。…けど、彼が望むなら受け入れてあげなくもないわ。 

とキヨが。 

 

 

ーばッ、お前なんてこと訊きやがんだ!?そりゃあキヨは俺と結婚するけど俺にはまだ経済力がないし。それに付き合うってことはあいつの柔肌に触れるってことだろ?そんなことできるかよ!俺なんかが触ったらキヨが穢されちまう!そうじゃなくても変な虫を撃退するのに苦労してるってのにこ、恋人なんかになったら心臓がもたねぇ。ところでキヨにも聞いたんだろ?なんて言ってた…ああいややっぱ聞きたくない。B組の佐藤、彼女に振られてショックのあまり転校だってな。……つーかそういうお前はキヨに色目使ってんじゃねェだろうな?

と豊。

 

こんな感じで二人は焦ったすぎる関係を引きずったまま日々を過ごしていた。 

 

 

この日は夏休みの中盤、キヨに呼ばれ嬉々と彼女の家に向かった豊は早々夏休みの自由課題を手伝うことになったのである。 

既に数十枚に纏められた資料を読むと豊は空を仰ぐ。視界に入ったのは真っ白な入道雲ではなくシミ一つない天井だ。 

 

「なあ。」

「なに?」 

 

バサリと紙束を机に置くと豊は声掛ける。キヨは顔を上げることなくペンを走らせていた。 

 

「お前、中学生だよな。」 

 

奇妙な質問に動かしていた手を止めるとキヨは視線のみを豊へと向ける。 

 

「豊、貴方の年頃の病にも寛大な心で受け止めてきたけど、そろそろ時と場所を見極めてちょうだい。」

「違うから!別に記憶喪失の設定とかじゃないから!」

「なら何なのよ。」

「何なのよって…お前まじでこれ自由課題にするつもりか!大学生の論文かよ!?」 

 

『ローレンツ暗号とコロッサス解読機』そう記された資料の表紙を指差す豊にキヨははてと首を傾げた。珍紛漢紛の様相である。 

 

「第二次世界大戦で使われた暗号機器の構造と仕組み、それと解読機の用途…こんなもん提出された担任の気持ちになってやれよ。」

「私なら嬉しくて満点に加点するわね。」

「あの人婆さんだぞ!?わかるかこんなもん!」

「だから中学生でもわかるように紐解いていくんじゃない。」

「うっ、」 

 

ローレンツ暗号、第二次世界大戦でドイツ軍により使用された暗号化マシンである。十二個の車輪で構成されたそれは極めて高度な暗号化、復号化処理を成しエニグマよりも難解であったとも謂れている。電気工学を専門としたドイツのメーカーC.ローレンツAGにより開発され、モデルSZというのはドイツ語でSchlüssel-Zusatz暗号接続という語源に由来している。

対してコロッサスはローレンツにより暗号化されたメッセージを解読するために使用された解読機。ロドス島の巨像を意味するコロッサスはローレンツと同様第二次世界戦時に重宝されていた。開発者はイギリスの技術者トーマス・ハロルド・フラワーズをはじめとした屈指の技術者、暗号学者チーム。 

 

自身が召喚された理由を思い至り豊は吃った。今から彼等は数十枚にも及ぶ見るからに難しそうな電子計算機に関する資料を読み深めなければならないのである。たった一枚を完全に理解するのに一体どれほどの時間を要するのか。豊は吐きそうだった。

尻込みする青年に、頭の切れる少女は頬杖をつく。そして豊をまっすぐに見据えて、 

 

「貴方が頼もしいからというのもあるけど、一緒に成し遂げたときの達成感を味わいたかったからなの。けど貴方がやりたくないなら私も無理に…」

「やらせてください。」

「けど、」

「あの婆さん先生がぎっくり腰になるくらい凄ェの完成させようぜ!俺たちならできるって!」 

 

喜色満面にキヨの手を取りそう言うと、豊は資料と向き合った。早速真剣に資料を吟味しだす幼馴染に口元を覆ったキヨはほくそ笑んだのだった。 

 

 

その後、夜になっても部屋を出てこない二人を危うんだ両者の母親が突入するまで豊とキヨは紙と睨めっこを続けていたとさ。

 

 

 

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