文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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一か罰か(OE)

大指令の空港での引き渡しが行われる同水曜日の午前、日本から僻遠の洋上では世界の命運を揺るがす一大事変が現在進行形で生じていた。 

 

異能刑務所ムルソー。其処は欧米政府の上層部のみが詳細を知る世界有数の脱出不可能な監獄。地図上に乗ることのない難攻不落の刑務所は、しかし今や見る影もなくなっていた。 

 

事の発端は約三十分前、グレイの異能により欧米のとある国へと飛ばされたゴーゴリとシグマは船をチャーターし遠路遥々ムルソーへと侵入。最下層に収監されていたドストエフスキーと太宰を異能者用独房から救助した。

ゴーゴリの空間接続異能により通常独房の第四層へと連れ出された二人はそこでゴーゴリからとある提案を受けた。 

 

名付けてゴーゴリ・ゲーム。致死性の高い危険ウイルスを注射し効果が発揮される一時間から三日以内に先に脱獄した者だけが解毒剤を手に入れられる単純な脱獄決闘である。

唯一の外界へと通じる脱出路は屋上のみ。各五階全てのエレベーター及び武装警備員の武器は掌紋、声紋、生体認証の何れかを必要としており只一度でも認証が一致しなければアラームが鳴る仕組みとなっている。加え不審者が発見された場合は猶予なく区域が閉鎖され囚人は重水で溺死することになる。他にも中央制御室と連携した昇降機や破壊不可能な各層の隔壁等、厳重警備からは犯罪者に対する一切の躊躇のなさを感じられる造りとなっている。そしてそんな鉄壁の監獄からウイルスに感染した身一つで脱獄しろと指図するほどゴーゴリも鬼ではない。 

 

互いが無惨に果てる様を妄想しシニカルな笑いを浮かべる太宰とドストエフスキーに悲喜劇の手品師は贈り物を贈った。 

巡回警備員が使う無線通信機、洋上ヘリポートへと繋がる唯一の扉を開くカードキー、硬貨爆弾二十枚、第一層まで辿り着けば使用可能となる衛星通信電話機。一つのみの選択肢の中、ドストエフスキーは開扉キーを、太宰は…何れかでもなくシグマを選んだのだった。  

 

それから三十分後――。 

 

 

刑務所の波打つ外部天端、ドストエフスキーは海水により重量の増した囚人服を絞っていた。

目線を落とせば光の届かぬ海溝が己を覗いている。その深淵加減はいつか横浜の地で対面したグレイのようだと彼は思った。 

ざぶん、打ち寄せる波頭が絞ったばかりの囚人服を波掛け衣へと変えた。 

 

「くっくく…ははッ!」

「.............。」 

 

真横で今にも腹を抱えんばかりの愉悦顔を浮かべるゴーゴリにドストエフスキーは無言の息を吐く。そして嗤った。道化師の嘲笑など撓み合う波浪が奏でる潮音よりも取るに足らないことである。 

彼の胸を締めるのは定められたチェックメイトを前にするような高揚感。瞳の奥に確かに宿る栄光の白星はまるで勝利の女神の眼のよう。一番の好敵手の絶望的な生存確率と己の生の実感とを、ドストエフスキーは噛み締めていた。 

 

ドストエフスキーと太宰の死闘は僅か数分足らずで決着を迎えることとなった。決闘開始から太宰はシグマを引き連れて先陣を切り中央制御室へと向かい、一方のドストエフスキーは屋上を目指すでもなくその場に凝然と佇んでいた。シグマとゴーゴリと時を同じくしてムルソーへと侵入したとある人物を彼は待ち侘びていたのだ。吸血種テロで付随して得られた最大の成果、芥川に優るポートマフィアの傀儡、中原を。 

 

実のところ、ゴーゴリとシグマの登場は太宰とドストエフスキーにとって童話の展開を予想するのに等しい筋書き通りの流れであった。ドストエフスキーとブラムの異能により彼の駒となった中原、対するは太宰とシグマ。かくして二対二の構図が出来上がり舞台は整った。 

漸く出立したドストエフスキーは持ち前の頭脳と中原を使い巧みに区画を突き進んでゆく。がやはり拮抗する鬼才は彼の行く手を阻んだ。 

 

 

いくつかの区画を順調に進んでいたドストエフスキーはあと少しで階上へと繋がるエレベーターに辿り着こうとして足を止めた。否、止めざるを得なくなった。並行して中央制御室へと到着した太宰が区画間を繋ぐパスワードを変更したことにより彼等の空間が永遠に閉ざされてしまったのだ。重水が滝のように流れ込む最悪のオプション付きで。対異能用に造られた壁は中原の重力操作を以てしても破ることができず、嵩を増す重水に飲み込まれるドストエフスキーと中原。決着はついたかと思われた。

 

二人の姿が完全に覆い尽くされる頃、一個の帽子が床に沈んだ。

中原が何時如何なる時も肌身離さず被っている黒いハット帽だった。そう、彼の異能を制御する細工が施された異能金属が仕込まれた帽子が遂に中原のリミットを外したのだ。 

 

屋内放送を通して語りかける太宰の声に僅かに引き戻される中原の精神。その瞬間、彼の内に宿る特異生命体が目を醒ました。荒覇吐の暴走――。 

 

汚濁の完全形態が解き放たれ爆発がムルソーを強襲した。超新星爆発と同等の威力が世界最凶の刑務所の屋上を除いた第一層から最下層までを一瞬にして消し飛ばしたのだ。本来であれば最期の息を吸い込む間もなく全ての生き物が消失する筈であったが、中原が重水の桶にいたこと、暴発を察知した中央制御室が自動的に対衝撃異能素粒子を建物内に放出したことにより被害は最小限に抑えられ刑務所の第一層以下を消し飛ばすだけに留まった。されど内部の生命体を殺害するには十分すぎる殺傷力であった。

 

では何故ドストエフスキーは生きているのか。理由は単純明白、中原の暴走すらも彼にとっては想定されたあらゆる災害の一つに過ぎなかったのだ。中原よりも先に水中へと潜ったドストエフスキーは壁伝いにエレベーターの元まで行くと、予め刑務所の内通者から教えられた仕組みを起動させ昇降機へと逃げ込んだ。緊急時には最後の砦の役割を担う強固な箱型シェルターに。こうして彼は危機一髪難を逃れたのである。 

 

「荒覇吐の威力を間近で体感できたのは貴重な体験でした。手放すことになったのが悔やまれます。」

「ぶれないねぇ!うっかりすっかり僕まで海の藻屑になるところだったよ!」 

 

その後シェルターを脱出し海上へと浮上したドストエフスキーは屋上で待ち構えるゴーゴリから解毒剤を受け取りウイルスを解除、天端にて碧落を仰ぎながら安逸に海水で足湯をしていた。 

 

「ぶっ飛んだ二人によるぶっ飛んだ脱獄決闘!太宰君には悪いがドス君の勝利でこれにて試合終了!だって僕、主催者だもの!」 

 

最終的な目的はドストエフスキーの殺害であるが、それ以上の健闘を目の当たりにして挑戦者に喝采を送らぬわけにはいかなかった。なんといっても彼は愉悦を追い求める狡猾なピエロである。 

 

手拍子を打つゴーゴリを他所にドストエフスキーは改めて尻目に背後の元刑務所を見やる。ムルソーはもはや大海原を漂う巨大な残骸と成り果てていた。 

 

 

「ところで太宰君の死体確認しなくていいの?」 

 

体をくの字に折り曲げ目前に顔面を寄せたゴーゴリにドストエフスキーは一つ頷いた。 

 

「構いません。仮に彼が生き永らえても解毒剤がない以上長生きはできないでしょう。」

「絶望がダブルパンチというわけだ、うーん。我ながらこれは酷なことをした。」 

 

くすくすと愚弄するような忍び笑いがどちらともなく溢れた。

ドストエフスキーは面を見上げてみる。 

 

永遠に続く天空は海上での惨事を素知らぬふりで透き通る青みを纏っていた。続いて彼は水平線を眺める。蒼穹を反映した鮮やかで美しく、穢れのない大海原が空と並行に広がっている。此程までに快適な朝旦を過ごせた日はあっただろうか。ドストエフスキーの胸にはほんの少しの、されど強く記憶に刻み込まれる感動が存在していた。 

その方で親友の異能力が依然として不明であることを思い出したゴーゴリは密かに地団駄を踏む。シグマの生存は期待出来ない。そも彼がドストエフスキーに触れた場面をゴーゴリは目にしていない。どちらにせよ彼の目論見は何一つ達成されていないのだ。 

 

ーこの際此処でドス君を殺してしまおうか。 

 

暗暗のうちに懐を弄ろうとするゴーゴリ。と、そこに見返ることなくドストエフスキーが声掛ける。 

 

「僕を殺すのはまだ少し待って貰えますか。」

「ありゃ?」 

 

自身の悪意に勘付かれたことに大袈裟に両手を挙げるゴーゴリ。血よりも濃厚な紅蓮の双眸が今度は彼をまっすぐに正視した。 

 

「君ももう一幕観たいとは思いませんか、その先で幾度も僕を殺す機会は得られるかもしれません。」

「賛成。」 

 

果たしてこれ以上の悲劇と喜劇が折り重なるのか、なれば道化として必ずや鑑賞せねば。ドストエフスキーの提案は凧揚げの糸を握る子供のようにゴーゴリの興味関心を惹きつけた。ゴーゴリの提案を受け取ったドストエフスキーは彼の脳内で完成されている複雑なパズルの一片を明示してみる。 

 

「シグマの生存は想定範囲、彼は見事に役割を果たしてくれました。」

「役割?」

「ええ。僕が彼に貸した最大の任務はグレイからある情報を奪うことです。」 

 

予想だにしない言葉にさしものゴーゴリも本気の瞠目をみせた。彼の反応に僅かな充足感を感じつつもドストエフスキーは言葉を続ける。 

 

「遡っては異能大戦にグレイの手により葬られたと思われた厄災兵器、その居場所を示す暗号がグレイの頭の中にある。私はそれを明らかにするようシグマに頼んだのです。正直期待はしていなかったのですが、僕の予想を裏切って彼は目覚ましい成果を挙げてくれました。」 

 

ゴーゴリの胸襟に形容し難い正の感情が込み上げた。何年もかけて練り上げてきた高大たる計画はまだ序章に過ぎなかったのだと。漸く本編に突入したのだという実感がドストエフスキーと同様にゴーゴリの気持ちを上ずらせた。そこでゴーゴリの脳内に一つの瑣末な疑問が生まれる。 

 

「ところでとっても寒いんだけど、若しかして此処で夢物語語り明かして凍死するパターン?」

「まさか。」     

 

待ち侘びたとでもいうように腰を上げるドストエフスキー。その視線の先をゴーゴリは追った。 

そして、 

 

 

ぶくぶくと泡が弾ける音とともに彼らの目前の水面が丘のように盛り上がった。アクリル球面の窓を扇形に覆う鼠色の船体。十人乗りの小型潜水艇が二人の前で停止した。 

開かれた大きなアクセスハッチから顔を出すのは季節外れの半袖を着た操縦士。格納式の手摺を引き伸ばし固定すると二人に目配せをして船内に戻っていく。 

 

「わーお、用意周到だね。」 

 

一歩足を踏み出せば小さな船体が波の動きと体重につられて揺らめいた。ドストエフスキーの後に続くようにゴーゴリも乗り込むと程なくして潜水艇は出航した。 

 

ゴーゴーと無機質な機械音を立てて海底を縦に割って突き進んでゆく潜水艇。凪いだ揺り籠の心地にドストエフスキーは眼下に展開する青のパノラマを味わっていた。

 

 

水面に降り注ぐ虹色の陽光、鮮やかな尾鰭を靡かせ水中を舞う魚…母なる海の偉大な恩恵がそこにはあった。地上に生きる限り三度とお目にかかれない抜群の絶景。優れた眺めの一部に溶け込んでしまったかのような悦びと、美しい自然を穢しているという罪悪が一度にドストエフスキーの心に波乱に押し寄せた。 

 

 

ドストエフスキーという人間は虚弱で繊細な思想家であった。 

 

物心つく頃から身体と精神が切り離され、第三の自我というものが遠く離れた後方で茫々たる世界を俯瞰していた。朧げな泡方の夢のような現実世界で微かに呼吸を繰り返す抑揚のない日々。彼には生命というものが理解できなかった。 

自分だけが虚空の外界から世界をみている。なんと不愉快で忌まわしいことか。最もな難題にドストエフスキーはある解を強制的に導き出した。言わずもがな、異能である。己が他者と著しく異なるのは異能力という異質な現象が原因に違いない、いつの間にか彼はそう確信していた。 

 

有史以来人類は異能とともに手を携えて歩み、そして擾乱を繰り返してきた。厄災兵器、十の厄災、異能大戦…。本来であれば一種族が保有するべきでない人智を超えた力を獲得した人類は歴史を学ぶことなく同じ悲劇を、過ちを繰り返してきた。罪である。そしてその罪を贖うときがやってきた。異能力者の絶滅をもってこれまでに踏み躙られてきた魂に鎮魂歌を捧げる、それがドストエフスキーの発起であった。異能という概念をこの世から消し去れば己の虚脱感も拭えると、繊細な青年は曲解的解釈を行った。そして不思議なことに彼が使命を全うせんと試行しているうちは彼と世界を疎隔していた膜は消え、意識が外界から肉体へと戻り収まるのである。現実感、何かに夢中になったときに誰もが感じる充実感、それらは使命としてドストエフスキーの精神に落ち着いた。異能という原罪とともに誕生した人類は死により罰を受ける、そうして初めて霊魂の救済は成される。 

 

ー『罪と罰』は罪深き人類を憐れんだ至上者が与えた贖宥状で、私は選ばれし救済者。 

 

哀れな異能力者の魂を解放する誉高き使命。ドストエフスキーは虚空の人生に究極の意味を見出したのだった。  

 

「一応聞くけど何処に向かってるの?」 

 

不意に物思いを破ったゴーゴリをドストエフスキーは一瞥するでもなく、一面の佳景を一望する。ムルソーの残骸は視認できぬほどに遠方に置き去りにされていた。今一度一幅の絵のような眺めを眼に焼き付けて、ドストエフスキーは夢幻的な微笑を描いた。 

 

「原罪の温床、異能者の墓場ヨコハマに。そこで全てを終わらせます。」 

 

小さな囁きは弱々しくも抑えきれぬ情動が迸っていた。

 

 

 

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