文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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一か罰か(後)(OE)

 

 

その後、ドストエフスキー一行が潜水艇でムルソーを去ってからしばらく。 

 

「あ゛ー!今度こそ死ぬかと思った!」

「こんのクソ太宰が!テメエの自殺に巻き込みやがって!」

「私だって君と心中なんて真っ平御免だよ。」

「このっ、」

「ぐはァッ!!」 

 

廃墟と化した屋上に三人の男達が上陸した。 

 

「大体テメェはな、いつも..」

「あれ、大丈夫かいシグマ?」

「話を聞け青鯖。」

「…………。」

「おーい、」

「だから聞けって、」

「………もう無理。」 

 

眼前で両腕を大振りする太宰、その隣で瞳を逆三角に青筋を立てる中原。しかし二人の常套の諍いも、彼等の後方に広がる壮大な大自然も今のシグマの脳には何一つ情報として届いていなかった。電気の使いすぎて落ちてしまったブレーカーのように、彼は完全に停止していた。 

 

約一時間前、丁度ドストエフスキーがシェルターに逃げ込んだ時のこと。時を同じくして太宰は中央制御室内に備え付けられた避難ハッチへとシグマと共に飛び込んだ。

刹那、避難器具を襲う強烈な衝撃。刑務所の隔壁同様異能力に対応した金属製であったがシェルターほどの強度のなかった蓋が最初に吹き飛ばされた。そして吹き曝しのトンネル状態となったハッチの中にいた太宰たちは流しそうめんの勢いで海に流し出されたのだった。 

 

洗濯機の脱水作業もかくやの速度で高速回転しながら運良く二人は遠くの海上付近まで押し出された。と、そこに暴走状態の中原も流れつき太宰の異能により無力化されたというわけである。異能と精神を縛る枷が外れた影響か自動的に吸血種状態は解除され中原は奇跡的にも人間へと戻った。空前絶後の最大の不幸にして彼等の体感した苦痛に伴わぬ些かな幸いだった。

ざっと二キロメートル先まで飛ばされた三人は正体を失う中原を引きつつ一キロメートルほど泳ぎ続け、ようやっと目を覚ました中原に鞭を打ちヘリコプターの吊り下げのように中原をシグマが、シグマを太宰が掴みぶら下がるという団子三兄弟方式でムルソーの屋上へと帰還したのであった。 

 

 

「もう嫌だ!!」 

 

かつてない号哭が大空に木霊した。

遥か彼方の海上でふよふよと憩う渡り鳥が翼を荒々しく羽ばたかせて飛び去る音が三人の耳に届く。磯の香りを多分に含んだ海軟風が慰め程度にシグマの頬を撫でた。 

 

カジノでの激戦から命綱なしのスカイダイビング、それだけでもお腹がいっぱいだというのに今度は恒星の大爆発並みの派手なアクションに水泳強化訓練、からの吊り下げ訓練。シグマの心身はとうの昔に限界突破していた。記憶喪失の三歳児にはあまりにも酷な仕打ちであった。 

 

彼の心境はこうだ。カジノも家族もいらないからとにかく温かいお風呂に入って寝たい。いっぱいいっぱいご飯を食べたい。 

 

「うぁああああ!」 

 

疲弊のままに魂の悲鳴を上げると、俄に顎に衝撃が走った。頭を抱え俯いていたはずが何故か視界は空を見上げている。澱みのない澄み切った碧天を。 

 

「うっせェな、少しは静かにしろや!」

「...こ、こんな仕打ちはあんまりだっ。」

「そうだよ中也、もっと人に優しくしないと。そんなんだからいつまで経っても身長が伸びな…ぐホォ!?」

「特にテメエは何回殴り殺しても足りねェなァ!」 

 

血気盛んに拳を振りかざす中原であったが、一番の重症人は大爆発を起こした張本人であった。尚も太宰の胸倉を掴み激しく揺さぶる中原をシグマは顎を摩りながら観察する。傍から見ると極めて険悪なムードだが二人の間には他者が読み取ることのできぬ強固な絆があった。真実を持たぬシグマが何よりも羨望する人と人の結び付きが。憎まれ口を叩きながらもどこか温かい印象を抱くと、シグマは自身の胸がキュッと締め付けられるのを感じた。 

そんな時だった。 

 

「コホッ、」

「...なっ!?」

「.............!」 

 

太宰が血を吐いた。驚いた中原がパッと手を離すと、太宰は自力で佇むことすらできずにコンクリートにへたり込む。次いで胸を抑える様は満身創痍そのもの。 

 

「お前っ、」

「ははッ、どうやら私はここまでのようだ。」

「何言ってんだよ!?」 

 

唯一事情を把握していない中原が困惑を隠さずに狼狽える。注射のタイムリミットは人により差異はあれど一時間から三日以内。激しく運動を行なった所為か、最短時間を下回りウイルスは太宰の肉体を制覇しつつあった。ゴーゴリが用意した解毒剤はドストエフスキーが使用したために無い。 

 

ことのあらましを伝えると中原は眉間に皺をつくり焦燥を露わにする。 

 

「お前がいなくてどうやってあのいけ好かねェ魔人を倒すってんだ!?」

「おや、私との別れを嘆じてくれるのかい?」

「なっ、違ェよ!俺はただポートマフィアを案じてるだけで..」

「まあ私は悲しくないけど。」

「……このっ、」

「アイタタタタ!病人っ!私病人!」 

 

再び中原の首締めを受ける太宰。

冗談はさておき、太宰は珍しくも焦燥感に駆られていた。相も変わらず穏やかな最期を追い求めてはいるが如何せん今は時機が悪すぎる。太宰には自身がドストエフスキーの唯一の対抗馬だという自負があった。世界の命運はどうだって構わないが探偵社と横浜の行末を案じれば今死ぬわけにはいかなかった。如何にか毒の回る速度を緩める方法はないものか…。 

 

 

脳漿を絞る太宰の側でシグマは別の意味で衝撃に襲われていた。 

 

それは彼がムルソーに訪れる前のこと。カジノの真下、地上でゴーゴリを差し置いてグレイに呼び出されたシグマは奇怪な代物を渡された。 

 

『これは?』 

 

差し出されたのは布袋に入った一本の細長い試験管。その中身は透明の液体だった。 

 

『ゴーゴリの持つアレは俺が以前とある研究所から盗んだ危険なウイルスだ。』

『ウイルス?』

『ああ。万が一の為にこれをお前に託す。いいか、ーー』 

 

その名もモリウイルス・シベリカム。致死率九十パーセントの非常に危険な殺人ウイルスであり空気感染では三分で四百メートルまで拡散する。液体感染の場合は抗毒血清を接種しない限りウイルスが死滅することはない。 

 

如何いうわけかドストエフスキーへの贈り物がゴーゴリの手に渡っている事実を知ったグレイはゴーゴリの脱獄決闘の話を聞いて一つの名案を思いついた。一度滞在するホテルへと戻ったグレイは自身が以前ドストエフスキーに渡し損ねたもう一本の抗毒血清をシグマに託したのだ。万が一に備えて。 

無論、グレイは太宰が脱獄計画にシグマを選択することもドストエフスキーが勝利を収め逃げ果せることも露ほども想像だにしておらず、単なる保険としてゴーゴリよりかは信頼性のあるシグマに渡しただけであるが…。世界で最も怖しいと謳われる男の伝説を承知しているシグマにとっては、グレイが現状に至るまでを正確に予期していたとしか思えなかった。一体どんな思考回路をしていれば不確実な未来を予想することができるのか…果たして彼の男は己と同じ人間なのか。シグマは戦慄を憶えずにはいられなかった。

 

尤も、AIも泣いて逃げ出す超人的頭脳を有しているのは太宰や江戸川、ドストエフスキーをはじめとした者達であり此度の決闘などグレイが実際にこの場にいれば「ターミネーターの対決かよ。」とすかさずツッコミを入れたであろう。いつもの如く、真相を知る者など一人を除いて存在しない。 

 

兎も角、太宰の命のタイムリミットは刻一刻と迫っており悠長にしている場合ではなかった。シグマは懐を弄ると布袋を取り出し中身を伺う。彼程のアクロバティックな衝戟に見舞われていながら幸いにも試験管と注射器は無事であった。シグマは弛緩した息を洩らすと苦悶の表情を浮かべる太宰に歩み寄る。

 

「早くこれを打て。」

「これは…?」

「抗毒血清だ。」

「はあっ?持ってたならなんで最初から出さねぇんだ。」

「お、お前たちが喧嘩ばかりしてるからだろう!」 

 

最もな非難に中原は押し黙った。 

 

少しの間探るようにシグマを見つめていた太宰だったが、やがて注射器を受け取ると遠慮なしに自身に注入した。試験管の中身が何であれ解毒剤を使わなければ数分後には仏となる巡合、であれば一か八か試す価値はあると判断したのだ。

 

 

注射器の中身が空になると太宰は瞼を閉ざす。中原とシグマは太宰の次なる反応を固唾を呑んで見守っていた。 

しかし太宰は微動だにしない。

冷たい海水と汐風の影響で通常よりも青白くなった肌に変化はなく青紫の唇は依然として引き締められたままだ。次第に二人の胸に不安が蠕動する。自身を救い、孤独の共感者であると語った男の言葉を信じて布袋を受け取ったがまんまと騙されてしまったのでは。シグマは気が気でなかった。 

 

「お、おい。」

「太宰…」 

 

 

長い時が流れても動く気配のない太宰。シグマと中原は愈々恐ろしくなって男の顔を覗き込む。 

まさか死んで… 

 

「ばあ。」

「うわぁああああ!?」

「アあああアァ!?」 

 

突として瞼を開き黒い眼光を見せた太宰に二人は腰を抜かした。九割方死んだと思われていた死体が何の前触れもなく動き出したのだ。口から心臓が飛び出てくるほどのショックに魂消る二人に、太宰は満喫な様子で抱腹絶倒する。 

 

「あっはははは!最高の驚き様だねぇ!あー動画撮っとけばよかった…ハハッ!」 

 

そこでようやく我に返ったシグマと中原。続いて彼等の内に湧き上がった感情は。

 

「こんな状況で巫山戯ている場合かっ!」

「冥土に返してやるよォ…」

「アーちょ、待った!まあまぁ悪かった!いや私が全面的に悪かったから…グァア!!」 

 

殴る蹴るの暴行の末、暫くの間太宰は純然な憤りを一身に受けることとなったのだった。至極当然の報いである。  

されど物語は終わらない。 

 

 

中原とシグマの怒りが程々に収まると、彼等は輪になって向かい合った。 

 

「それにしてもなんでグレイはお前に解毒剤を渡したんだ。」

「如何いう意味だ。」

「あの男は天人五衰の陣営だろ。なら敵の太宰を生かしておく道理がねェ。」

「…確かに、それは云えてるな。」

「それは違うよ。」 

 

グレイの不審な行動を訝しむ二人を太宰が否定する。人差し指を真っ直ぐに伸ばすと太宰は委細承知の面相を作った。 

 

「この戦争で誰が死のうが生きようが彼にとっては小さな蟻の縄張り争いと同じさ。娯楽でしかないんだよ。」 

 

刑務所でのドストエフスキーとの腹の探り合い、そして今回の抗毒血清の流れで太宰は確信したことがある。天人五衰の事件を企てたのはあくまで魔人と神威でありグレイの関与はない。さりとて一連のテロを事前に関知していないわけでもない。恐らくは遡ること遙か昔から…。 

 

「慥かではないけど彼はこの戦争の先を見据えている。」 

 

太宰の発言に中原とシグマは表情を硬くした。 

 

「先だと?これ以上の厄災が訪れるというのか。」

「さあ、それは判らない。乱歩さんでも彼の深意を汲み取れなかったのなら私なんて尚更だ。只これだけは断言できる。今までの戦いはグレイにとっては余興でしかない。」

「けっ、胸糞悪ィやつだな。神にでもなったつもりか。」

「ある意味その類と称しても過言じゃないけどね。」 

 

ポートマフィアをはじめとした組織や各国の国軍は甚大な被害を被った。僅か二週間未満で数多の死傷者が出た。それを余興として愉しむ男のなんと不快なことか。どす黒い瞋恚に燃える中原に太宰は眉頭を歪めることで同意を示す。対してシグマは只々釈然としない面持ちでいた。 

 

ー安息の地などこの世界にはないと知りながら居場所を求めてる。 

 

あの言葉は紛れもなく彼の衷心より放たれた叫びのようにシグマにとっては感じ取れたのだ。もし彼が自身と同じく手に入らぬ何かを追い求めているのならば。そこまで考えてシグマはかぶりを振った。解のない問いに頭を悩ませても仕様がないものだ。 

 

「私を生かした理由は明々白々…グレイはまだ私とドストエフスキーが盤上で踊ることを望んでいるのだよ。」

「プレイヤー気取りってわけか。」

「実際その通りさ、これはグレイの一人チェスだ。彼はプレイヤーで私達は駒にすぎない。」

「なら彼の対戦相手になり得る人物は?」

「良い質問だ。」 

 

シグマの問いに太宰は笑窪を寄せた。 

 

「このゲームは何方の陣営が先にグレイの興味を惹かせられるかで勝敗が決定する。最も有力な方法は今君が訊いた通り彼の対戦相手を探す、若しくはゲームを強制終了させられるかもしれない人物を見つけ出すこと。」

「そんな人間が存在すんのかよ。」 

 

疑わしげに中原が口を挟んだ。彼の懸念は最もであった。戦禍の化身や超越者殺しと畏敬を込めて呼ばれるグレイに対抗できる何者かが存在するのであれば、それこそ人外の生命体しか思い浮かばぬ。まさか神社に詣って神頼みするわけでもあるまいと疑心な視線を送る中原に太宰は再度指を左右に動かした。 

 

「一人だけいるよ。」

「何処に?」

「全ー然、分かんない!彼はグレイ同様神出鬼没だからね。」

「はぁ。」

 

ーなんて不確実で心許ないんだ。 

 

シグマの溜息にはそんな呆れが内包されていた。無論、太宰とて確信は持てていない。しかし異能大戦以降最大の人類の危機、緊迫した瀬戸際で荊も掴む思いであった。 

 

そしてもう一つ、大きく戦局を塗り替えるであろう突破口があると太宰はドストエフスキーとの会話で掴み取っていた。 

 

「シグマ、聞かせてくれ。」

「……………。」 

 

何時になく真面目な顔つきで自身を眼差す太宰にシグマは無意識のうちに体を緊張させる。 

 

「刑務所を脱獄する前、ドストエフスキーに何か耳打ちをしたね?一体何の話をしていたのかを教えてくれ。」 

 

二人がウイルスを肉体に打ち込む直前、シグマはドストエフスキーにある情報を齎した。非常に有意義な情報を。そしてドストエフスキーが口元を不気味に歪めたのを太宰は見逃さなかった。 

太宰に尋ねられるとシグマはカジノを経営していた頃にドストエフスキーに与えられた課題を思い起こす。 

 

『暗号?』

『ええ、グレイから暗号を抜き取って下さい。』

『....お前は私にハリケーンの目に飛び込めと言ってるのか?到底不可能だ。そもそもグレイがカジノに現れるという保証はない。』

『それについては安心して下さい。彼は必ず現れるでしょう。』 

 

いったい頭のネジが何本外れていたら唯の人間が魔神の脳みそから貴重な情報を奪えるというのか。だが自身にカジノという居場所を与えたドストエフスキーの依頼を無下にする訳にもいかず情報の強奪という不穏な言葉はシグマの脳裏に残り続けた。そして時は来たり、信じ難くもシグマはグレイから目的の情報を抜き取ることに成功したのだ。その際自身から以前カジノで食べたピロシキの映像が交換されたのは奇妙極まりなかったが…超人と変人は紙一重と謂うだと無理矢理納得させた。 

 

あの握手の瞬間、骨を砕く握力で握り込んだグレイは確実にシグマの腹案に気付いていた。その上で彼を見逃したのである。あれがドストエフスキー本人であればグレイの対応は異なっていたのだろうか、シグマには知る術はない。 

ドストエフスキーはシグマに口止めをしていない。であれば隠す必要もないだろう、そう判断すると彼は言葉を紡いだ。 

 

「ドストエフスキーは過去に禁じられた兵器を掘り起こすつもりだ。まだ計画段階のとき、あの男は神威に兵器を使用するように迫ったが神威は承諾しなかったと謂う。だからグレイも拒絶することを憂慮して間接的に私に情報を奪うように頼んできた。」 

 

ともあれ、自身が異能を使用した際のグレイの反応から鑑みるに彼は否定的ではないとみえるが。シグマはそう附言した。 

 

「へぇ、幻の兵器というわけか。面白くなってきたね。」

「いってェどんな秘密兵器ってんだ。」

「それは…」 

 

続けて説明しようとしたシグマを太宰が遮る。 

 

「おっと、話の続きは帰路で聞こう。」

「帰路だァ?」 

 

その時、頭上からけたたましいプロペラの音が聞こえてきた。一同が見上げると、上空に一台のヘリコプターが。操縦士らしき男が片手を上げ梯子を下ろすと、太宰が最初に腕を伸ばした。 

 

「待て、何処に行く?」

「何処って…決まってるじゃないか。」 

 

顔だけを見返らせて太宰はプロペラの回転音に負けじと喉を搾り上げる。力強い眼差しが中原とシグマを射抜いた。瞼の裏に好敵手の嫌味な薄笑いを思い浮かべて。 

 

「贖罪の街、異能者の楽園横浜。そこで全てを終わらせよう。」 

 

そうして不退転の決意を表明すると、太宰はヘリに乗り込んだ。彼に続くように中原とシグマも梯子を登ったのだった。余談だが、酷使されたシグマの臂力は翌々日まで回復しなかったそうな。

 

 

 

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