文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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訣別(OE)

 

 

中島敦という青年はルーシーにとって其れ迄に出会ったことのないタイプだった。

 

猛々しい虎の異能に反して惰弱で自己評価が低すぎる性格、けれども思いやり溢れ他人の痛みを感じられる優しさをもっていた。普段は頼りないがいざという時には自分を犠牲にして大切なものを守ろうとする大胆さがある。組合戦に共喰い事件、それから天人五衰の事件が始まってからも。かつてない難敵が立ち塞がろうと彼は、探偵社は屈しなかった。手足を奪われ、一時は仲間を失い、個々では乗り越えられぬ障壁に直面しても尚彼らは挫けなかった。

何時しかそんな敦と探偵社をルーシーは気に入っていた。彼女には不撓不屈の彼等が燦々たる太陽のように輝いて見えた。そしてそれは春蝉にとっても同じだった。世界の為、仲間の為に何度も立ち上がる彼等を見ているうちに兵士だった過去を重ねていた。 

 

ーそれで世界が滅びても良いのかよ!? 

 

人類史が崩壊しようが世界が滅ぼうがルーシーと春蝉には関係のないことだ。だが、 

 

ー俺たちの守ってきた人も秩序も、大切なもんが全部なくなっちまうんだぞ! 

 

傾くはずのない天秤が傾いた。 

敦や探偵社、道造の懸命な姿が、想いの力が空白の頁に新たな物語を紡ぎ始めたのだ。 

 

二人は気付いてしまった。彼等を裏切ることはグレイを裏切ることよりも惨たらしく恥晒しな行いであることに。

グレイに背を向ける。それは酷い奇想であり想像もしたくないほどの恐怖。されど心に差し込んだ曙光にもう素知らぬふりをすることはできなかった。 

 

空港に訪れるや否や、二人はどちらともなく足を止めた。 

 

「ねぇ。」

「あのさ、」 

 

はからずも声が重なるとルーシーと春蝉は視線のみで共鳴した。アンの部屋より今に至るまで、二人の心底に溜まった澱を直感的に感じ合っていたのだ。数秒間見つめ合うと、やがて二人は徐に首を縦に振る。

言葉を交わさずに決心を確かめると彼等は一歩を踏み出したのだった。

 

 

 

総合土産店の立ち並ぶターミナルに赴くと既に三人は二人を待ち設けていた。 

 

「グレイ。」

「遅かったな、丁度条野から状況を聞いていたところだ。」 

 

窓際を向いて設置されたベンチに腰掛けるグレイ。彼の左横では我関せずといった様子のQがシャボン玉で遊んでいて、ベンチの後方では条野が直立して控えていた。二人を見据える面差しはどことなく鋭い。 

数年ぶりに一堂に会した面々を見渡すとグレイは言葉を続けた。 

 

「既に探偵社と猟犬は衝突してる。何者かにブラムが奪われ福地は空港全体の吸血種を総動員して捜索中。末広は宮沢と戦闘中、戦闘力は拮抗。敦はつい先程燁子に捕獲されたそうだ。」

「っ、」

「で合ってるな条野?」

「はい。」  

 

淡々と話を進めるグレイと条野にルーシーと春蝉は唇を噛み締める。戦況は二人が想像していた以上に悪く、このまま進行すれば探偵社の破滅は目に見えている。叛逆の覚悟をしたというのに本人を目の前にした途端、殺気を向けられているわけでもないのに金縛りにあったように身動きが取れなくなる。

どうすればいい、ぐるぐると頭を駆け巡る負の感情に翻弄される二人。逃れようのない切迫感に見舞われるなか、グレイが声を発した。 

 

「どうした。」

「っ!」

「.............。」 

 

最初に視界に入ったのは条野だった。柳眉を逆立てて険しい表情を二人に向ける条野は何かを察しているようだった。そしてグレイは…無であった。喜怒哀楽の一切が消え失せた仮面を男は被っていた。

見抜かれている。グレイの二つの漆黒は正常に青年少女の心境を見透かしていた。一瞬のうちに、言語化できぬ恐慌が二人に襲いかかった。 

 

「何か言いたいことがあるなら言え。」 

 

敢えて発言を促すグレイにルーシーと春蝉は拳をきつく握りしめる。二度、三度と浅く息衝きそして――。 

 

「…僕たちは間違ってる。」 

 

先に春蝉が搾り出すように訴えた。 

 

「済まない、聞き取れなかった。もう一度言ってくれ。」

「っ、だから…その。」 

 

声音は小さかったが確かに届いた筈の言葉をグレイは聞き逃したフリをした。試すような鋭利な眼光が二人に突き刺さる。出鼻をくじかれた春蝉の代わりに今度はルーシーが勇気を振り絞った。 

 

「間違ってると言ったのよ。私たちはこんなことをするべきじゃないわ。」 

 

言った!遂に軋轢を口にしてしまった!途端にルーシーの胸中に蠢く恐怖を観念と底知れぬ意欲が取って代わった。もう後戻りは叶わない。境界線を超えたことが、却ってルーシーと春蝉に大いなる使命のような眩い理念と義務感を抱かせた。 

 

 

館内を流れるアナウンスも、慌ただしく四方八方を駆け行く吸血種の足音も、全てが隔絶され六人を静粛な不可視のベールが取り囲んでいた。痛いほどの沈黙のなか、条野が真っ先に行動に移した。 

 

「道造君の生存で薄々勘付いてはいましたが…よりにもよって面と向かって謀反宣言ですか。私だけならまだしもグレイに対してそんな口の聞き方をするとは……覚悟はできてるんでしょうね。」 

 

条野が軍刀の鯉口を切ると同時にルーシーと春蝉も身構える。シャボン玉を追いかけていたQは一転して壊れた人形のような狂気的な笑みを浮かべて場を静観していた。 

 

「…………。」

「…………。」

「…………。」 

 

極限に張り詰めた空気が漂っている。今にも破裂しそうな風船は、しかし割れることはなかった。 

 

「そう怒ってやるな条野。」 

 

瘴気に満ちた空間をグレイは思いがけない一言で薙ぎ払った。それに驚くのはルーシーと春蝉だけではなかった。 

 

「グレイっ、しかし…!」

「二人の意見も一理ある。確かにこんな土壇場一歩手前で買い物・・・をするってのは不相応だ。そうだろう?」 

 

その台詞は二人を嘲謔するものだった。自分たちの決意も覚悟もグレイには微塵も響かなかったのだと遣瀬なさに感情が昂り反論しようとして…。

 

ベンチから緩慢な動作で立上ったグレイに二人は本能的に後ずさる。彼の信頼を裏切った報いを受けさせられるのではないかと硬直するルーシーの前に春蝉が立ち塞がる。今此処でくたばりリングアウトするほど無様なことはない。せめて弟や探偵社に何か有益な情報を一つでも残さなければ死んでも死にきれない。

視線を素早く走らせ逃路を見出そうとするも視界を阻むように条野が障る。かくなる上は…隙を作る為に、予め後ろ手に準備していた対戦車手榴弾のピンを引き抜こうとして―― 

 

「ならお前らは好きにするといい。」

「ぇ。」 

 

予想外の言葉にその場にいた全員が呆気に取られた。聞き間違いかと思いルーシーと春蝉は面をあげる。グレイは困惑する二人を他所に懐から煙草を取り出すと火をつける。先端から燻る一筋が天井に届くのを見届けるとグレイは二人を見下げた。 

 

「好きにしろと言ったんだ。早々次はないがな。」 

 

それは訣別の挨拶だった。

以降興味を失ったように窓の外で差し昇る飛行機の爆炎を観望するグレイにルーシーと春蝉は目を合わせると、急ぎ早にその場を後にした。  

 

 

 

「これからどうするの。」 

 

不測の条野の奇襲を躱せるほどの距離まで立ち退くと二人は一度停止する。其処彼処に跋扈する吸血種たちは未だ二人を敵と認識していない。 

 

「グレイは中島敦が捕縛されたと言ったね。鉄腸も出陣してるなら他の探偵社員も危機に晒されてるに違いない、なんとかして助けないと…。」

「ならまずはミヤザワを助けに行って…待って。」 

 

こそこそと密話をする彼等を通りすがりに盗み見る一般市民やそれに扮した吸血種が視界に入るとルーシーは言葉を止める。 

 

「アンの部屋で作戦会議しましょう。」 

 

周囲を警戒してからそう言うと二人は異空間へと姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

去り行くルーシーと啓道の姿が見えなくなると視界の端に抜刀した条野が映り俺はすかさず片手で静止した。 

 

「何故裏切り者を始末なさらないのです…!」 

 

渋々刀を鞘に戻す条野は怒り心頭といった様子だが逆に俺も質問させて欲しい。 

 

いつからお前の沸点はこんなにも低くなった。 

 

来た時から顔色を悪くさせていたから何事かと心配すればまさかの買い物拒否で怒鳴られるとは誰が想像できただろうか。いや確かに大指令の受渡が行われる危険地帯で呑気にショッピングと持ちかけた俺も悪かった。別に嫌なら全然構わねぇが、只お互い忙しいから次の機会がいつになるか分からないぞと云えば不機嫌そうに去るもんだから思春期の心はやはり分からぬものだ。Qもまだまだ子供だし、一度子育て相談窓口に電話しようか。 

 

仕方なしに二人を見送れば今度は怒髪天を衝いた条野が殺意マシマシでルーシーたちを裏切り者呼ばわり。そんなに皆で時間を過ごしたかったのかと意外すぎるギャップに顔を覆わずにはいられない。あくまでイメージでだが。兎も角、とても可愛らしい奴だと思うのだが…たかが買い物のドタキャンで流血沙汰は勘弁してくれないか。 

 

「んで、ブラムは何処にいると思う?」 

 

ご機嫌斜めな条野の気を逸らそうと話題を変えると、一転して条野は憮然とした雰囲気を潜め婉然と笑んだ。 

 

「やはりもうご存知でしたか。」

「ん?」

「ええ、彼は民間人の少女と共に逃走してます。」

「……そうか。」 

 

何がご存知なのか問い返そうとして続いた条野の言葉に俺は眉根を寄せることとなった。吸血種との鬼ごっこの逃走者が何の力も持たぬ一般人、ましてや少女とは甚だしく不憫でしかない。流石に他人事として見過ごすわけにもいかず思い惑う。とはいえ少女の居場所がわからなければ何もできないのが現状だ。 

 

「加えて吸血種が進軍しない限り大指令の使用は許可しないと連絡があったそうですし、隊長はさぞお冠でしょう。」

「ハッ、違いねェ。」 

 

元はといえばブラムの監視役に任命された条野が適当に言い訳をつけて仕事場を離れたことが原因だろうが。それに関しては条野の性格を按ずれなかった福地の過誤だ。大指令の件は…大方江戸川や太宰を含めた鬼才どもが抵抗してるに違いない。奇想天外な謀略戦争、ちんぴら程度の俺には何が何だか。ああ、何もしてないのに疲れてきた。 

 

「グレイ。」

「何だ。」 

 

凝り気味の肩に首を回していると条野に名を呼ばれる。マッサージを止めて顔を向けると、衝撃的な光景が飛び込んできた。 

頭を垂れて俺に腕を差し伸ばす条野、その両手に一枚の紙が握られているのだ。半面が白紙の見覚えのある紙が。

 

愕然としていると条野は面を上げる。 

 

「何れ必要になるかと思い先に奪っておきました。」

「お前…。」 

 

コイツの奇行は今に限ったことじゃないが、今回ばかりは卒倒ものだった。一体どんな心境の変化があって福地が大事にしている白紙の頁を奪ったのか。そして何故俺に嬉々と責任転嫁しようとしているのか。ぶったまげすぎて口元が引き攣ると条野は益々歪んだ笑顔を深めた。奇矯な振る舞いに頭が痛くなってきて目頭を抑えつつも取り敢えず頁を受け取っておく。 

 

「…………。」

「…………、」 

 

尚も突き刺さる視線。二人の間を流れる奇妙な空気。彼が何を求めているのかを察した俺は超嘆息を堪えて条野の頭を撫でた。 

 

「光栄です。」

「…ああ。」 

 

常人には理解できない特異な言動に俺は考えることを放棄したのだった。 

そこでふと、ある変化に気付く。  

 

左を見ても右を見ても白黒の頭が見当たらない。Qの姿が何処にもないのだ。 

 

「Q?」

「おや、そういえば彼の気配がありませんね。」 

 

何たる事態だ。妖狐と座敷童が成した子のような妖怪悪戯っ子があろうことかこんな場所で行方を眩ますとは。俺は呪われているのか…? 

 

「はぁ。」

「探しますか。」

「いや、放っておけ。携帯も武器も持たせてる。何かあればある程度は対処できるだろう。」 

 

それでも確実に事態が悪化しているような気がしてならない。 

 

プルルル。着信音が鳴った。振動するジャケットの表ポケットから携帯を取り出すと耳に当てる。発信主は福地だ。 

 

「どうした。」

『グレイ、条野からブラムの話は聞いたか。』 

 

落ち着いた調子ではあるが焦慮を隠しきれてないのが伝わってきた。 

 

「ああ、奪われたってな。」

『奴を見つけてくれ。』 

 

え、面倒臭。けれどもすんでのところで出掛かった本音を引っ込める。 

 

「最善を尽くそう。」

『頼んだ。』 

 

そう言うや否や一方的に通話は切られた。 

 

館内放送では尚も荷物検査の案内が行われている。哀れな少女を救うには丁度良いかもしれない。が、その前にもう一服させて貰おうか。広々とした場所が好ましい。俺は近くにある火消しに煙草を押し付けると条野を振り返った。 

 

「俺は滑走路に行くがお前も来るか。」

「勿論です。」 

 

笑みを深める条野の肩を軽く叩くと、俺たちは横並びに最も近い122R滑走路と足を進めたのだった。

 

 

 

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