『異能大戦末期、連合国により設置された秘密の施設群が存在した。
各研究施設では秘密兵器の開発や諜報活動の機材支援、捕虜の人体実験等一般には公開されることのない秘匿の蛮行が活発に行われていた。ラスドリウスと呼ばれた施設群は全てが非公式で進行され、関係者は全員異能者で構成されていた。
第一研究所では、
——(以下、黒塗りされた文書)——。
××××年××月××日、規模・正体不明の敵勢力によりラスドリウスは消失した。』
大戦末期、第四研究所は大戦を制するためにある企画を立案した。それは転移の異能を利用した兵器であった。
成功すれば補給や兵站をあらゆる場所に無制限に展開できる厄災兵器をも超越した軍事技術が誕生すると期待されていたのだ。しかしながら軍は研究を中断させた。敵国の司令部に旅団を派遣し戦略することができる兵器...もしもそのような技術が生み出されれば地理は意味を失い、強いては戦争の形態が崩壊してしまうことを危惧したのである。だが実験は秘密裏に継続された。
科学者たちはテレポーテーション系の能力を有する異能力者を集め研究を開始。短期間のうちに、とある特異な捕虜兵の異能の仕組みに着目することとなる。
彼が自身の異能を使用したのは戦場が初めてだった。
異能を発動した瞬間、彼を起点として五キロ圏内に存在する全ての異能力者が消滅する異常事態が発生した。研究所は早速捕虜兵の異能の解析を始めた。そして何百、何千もの実験の末に彼の異能が自身と異能力者のみを転移させられる...五キロ範囲という極度の制限付きの...特性を有していることが判明した。異能力者が消滅した原因は、彼が無意識的に自分以外の異能力者を分解してその素粒子を転移のためのエネルギーに変換していたからだった。不幸にも反動が大きすぎたために捕虜兵は転移に成功したものの骨格筋力が著しく低下し余命僅かとなってしまった。そこで特殊な異能力者の喪失を惜しんだ科学者たちは彼を利用したある兵器の設計を発起した。異能大戦において極めて有効かつ凶悪、戦場の異能者を刹那にして消し飛ばす究極の最終兵器。それこそが後の第四の幻の厄災兵器となることなど、この時はまだ誰も知らなかった。
さて、究極の最終兵器であるが、実現するにはあまりにも多くの問題が山積みだったために計画は早期の段階で頓挫した。
人体の10の27乗個以上の天文学的な原子を量子もつれの状態で維持するのはほぼ不可能、仮に実現できたとして別の難題が顕在化する......時速1670kmで自転する地球で転移後に転移前の状態を引き継げるのか、時速86万kmで公転する地球で目的地に正確に転移することが可能なのか、転移先に転移先に別の物体が存在している場合の分子衝突の危険性、座標の調整方法...等々解決すべき問題点は山のようにあった。結局、瞬間移動の技術を軍事に導入するのは不可能という結論に至ったが、それでも常軌を逸した科学者たちは諦めなかった。
全ては異能大戦を征するため。
次に彼等は人間を様々な兵器に変形させられる異能技師と、別の転移系異能力者、そして持つ武器の性能を百倍にするという福地の協力を得て新たな試みに挑んだ。そして苦心惨憺の末、百倍化された威力...つまり五百平方キロメートルに及ぶ地域を一瞬にして一掃できる兵器を生み出してしまったのだ。起動すると浮遊して発光するキューブであり、質量や面積、転送距離の限界から使用制限は三度までであるが、厄災兵器にも勝るとも劣らない異能兵器を。
兵器が開発されると開発者たちの間では犠牲となった捕虜兵の異能名を継いでこう呼ばれたーー。
ーー
兵器の存在が白日の元に晒されたのは戦後処理も終了した数年後のこと。使用制限を迎えるまでは破壊できないという厄介なパンドラの箱を連合諸国は見つけ出し封印指定しようとかつての研究所跡を掘り起こしたが、当時開発に携わった関係者は福地を除いて全員が死亡していたためそれは叶わなかった。噂によればその兵器は横浜の何処か地下深くに眠っているという。
これは近年に至るまで決して明かされることのなかった、抹消されたはずの異能大戦の一部改竄された記録である。
*
福地が要請を受けて緊急出動したときには全てが手遅れだった。
空襲を受けた焦土でも、爆撃により木っ端微塵になった残骸跡地でも、死体が累々と積み重なる墓場でもない。当事者の間では札付きの施設群はさながら開拓前の更地と成り果てていた。
人も植物も、あらゆる生命の痕跡が途絶えた広っぱを福地は一歩、また一歩と踏みしめてゆく。弾薬と血の臭いの代わりに僅かに畑が焼ける臭いのみが辺りに充満していた。
ふと、福地は足を止める。
先方数百メートル先にもうもうと煙が立ち込めている。其処に意識を向けた途端、シュウシュウと何か無機質なものが変な音を発するのを福地は慥かに耳にした。もしや生存者が燻されているのではないか。そう思い至るや否や福地は一目散に煙の発生源へと駆けつけた。
そして、福地が到達する頃にはたなびく煙が消え失せた場所に一人の青年が佇んでいた。
『福地桜痴?』
『っ何故俺の名を……何者だ。』
顔を合わせて早々自身の名を言い当てた正体不明の青年に福地は時空剣を構えて問うてみる。
不倶戴天の敵と邂逅したかのような、軍神の凄まじい殺気が青年を襲った。だが彼は眉一つ動かすことなく福地を正面に見据えていた。
『俺?…そうさな、深淵より出し孤高の悪夢とでも云っておこうか。』
『巫山戯るなっ!』
『...貴様の眼にはこの俺が戯れているように見えるのか?だとすればとんだ節穴だな。』
『なんだと?』
惨劇に溢れた戦争が濃縮されたような底知れぬ絶望に眼差され、軍神と謳われた男は無意識に後ずさった。
そこで彼は漸く気づく。彼等が対面している場所が巨大なクレーターの中心であることを。振り向いた青年が胸を隠すほどの大きさと掌大の四角い立方体を二つ両腕に抱えていることに。
福地の胸中に様々な疑問が湧き上がる。此処の研究施設を跡形もなく消し去ったのは疑いようもなく彼の目前に佇む青年。では何故、一体如何して。
何処かの軍の精鋭か、将又ここの研究者が生み出した悪魔か、青年の正体は何なのか。一帯を警護していた超越者は何処へ逝ったのか。
矢継ぎ早に浮かんでは流れゆく謎の数々、それらを吹き飛ばすほどの現実。それは彼が抱えている二つの立方体にあった。
福地は高速に頭を巡らす。現状を何一つ把握できていないが彼が至急成すべきことは理解していた。即ち、迅速な青年の無力化及び拘束と福地が間接的に携わった未来の厄災兵器の確保。
『致し方あるまい。恨むなよ深淵の王とやら。』
『……はぁ、今度は貴様か。』
救助要請に駆けつけた軍需基地であったが今や彼が救うべき人間も貴重な研究資料もない。となればこの惨状を作り上げたであろう青年を捕縛し軍に差し出すのみ。
超越者を殺したとなれば並大抵の実力ではあるまい…。福地は構えた雨御前を握り直すと一撃で仕留めるべく腰を低く屈めた。対して青年は神刀の切先を己に向けた福地を物憂げに見ると小さな息を吐き出し瞼を閉ざした。立方体を丁寧に地面に置くと懐から一挺の拳銃と小さなナイフを取り出して。
『警告してやろう。退くなら今のうちだ。』
『ッ、』
見開かれた漆黒とともに、得体の知れぬ禍々しさが福地に襲いかかった。つい先ほどまでの億劫さは成りを潜め、戦禍の化身と呼んでも過言ではない悍ましい感覚に福地の肌が粟立った。されど軍神、地獄の如き殺意に怯むことはない。戦場に赴いて最大の生存の危機、もはや彼には青年を生かすという選択肢はなかった。福地は脚に目一杯の力を込め跳躍すると一刀両断にすべく刀を振り落とした。その瞬間、横一文字に引き締められた口角が不均衡に釣り上がるのを捉えたーー。
それからどれほどの時間が過ぎ去ったか。
一時間、一日、一週間…もしくは瞬きにも満たない刹那であったかもしれない。
福地桜痴は大空を仰いでいた。指の先一つ動かぬ五体を未だ砂埃の舞う地面に放り投げ、心だけは満ち足りていた。
『ゴポ…ハ、』
口から溢れ出た生温い液体が頬を伝い流れていった。昼夜繰り返される大規模実験の影響で年がら年中曇天に留まっていた空は今や雲一つない青天となっている。眼を焼くほどの太陽は神々しく、瑞々しい水面が穢れに塗れた己を嘲笑うかのように俯瞰していた。
敗北の二文字が福地の胸に重くのしかかった。何が原因かは判らなかった。
時空間を遡る神刀に頼りすぎていたから?戦場で幾多の難敵を相手に苦境を凌ぎ続け天狗になっていたから?それとも単に鍛錬が足りなかった…?只一つ残された現実は、彼が異能を使う間もなく神刀を奪われ再起不能なまでに叩きのめされたことだった。
『ハハ、ハはは…』
訳が分からなくなって笑いが込み上げてきた。上には上があるというが、己も所詮井蛙に過ぎなかったのかもしれない。訣別した友にこれを告げれば福沢は何と返すだろうか。失望、或いはまだ見ぬ強敵への闘争心か。よしんば福沢と組んだにせよこの悪魔を容易くは斃せまい。
『ははハハハ!......ふぅ、』
死臭漂う戦地に訪れてから何年ぶりか、福地は心の底から笑った。ひとしきり笑ったあと、体を起こそうとしてやはり言うことを聞かない全身を恨めしく思って諦めた。
そこに、自身を置き去りにして去ったと思われた青年が戻ってきた。
『生きていたか。……良かったぁまじで死ぬかと思ったわ。』
後半はあまりにもか細く聞き取ることができなかったが、顔を合わせた時のように無機質な仮面を貼り付けた青年はゆっくりとした足取りで歩み寄ってくると福地を見下ろした。片手に福地が意図せずして手放した神刀を握り、もう片方で二つの立方体を器用に抱えながら。
鞘から抜けたままの刀身を見ると福地は目を閉じる。最期に紛れもない強者と戦えたことを誇りに思って。
『死に損ないを嘲笑いに来たのか留めを刺しに戻ってきたのかは知らんが…どちらにせよ好きにするがいい。見苦しく命乞いをするくらいなら潔く散ろう。』
そうして刀が振り翳されるのを待ち侘びる福地であったが、降りかかったのは鋭利な痛みではなく意外な台詞だった。
『いや、貴様は殺さない。重大な役目があるからな。』
『…役目?』
『左様。』
見た目にそぐわぬ口調で頷くと青年は福地の隣に腰を下ろした。その地面と接する際の少しの衝撃にも大層苦しそうに咳き込む姿に福地は目を丸くする。土埃が視界を遮っていたために見逃していたが、青年の体も福地と同様にボロボロだった。焼け爛れた腕や至る所に刻み込まれている判然たる銃槍。そして何より、戦闘の合間にはだけたシャツの内から現れた心臓を覆い尽くすほどの巨大なケロイド。それはまだ癒えたばかりと見受けられるほどに新鮮な傷跡であった。
福地は思考を巡らす。
悪夢という悪夢を地獄の釜で煮付くしたような光のない瞳、圧倒的な戦闘力と異能、一度は死に至ったであろう痛ましい傷。それらと更地と化した施設群の惨状を鑑みればおのずと答えは導き出された。
ーー確か第四研究所で転移系異能力者の人体実験を行なっていたな。俺は実際に面したことはないがもしや…。
悪逆無道な科学者たちが如何程の陰惨な呪いをこの青年の一身に注がいだのか、戦場で女子供を拷問し同胞すら殺めた福地には容易に想像ができた。きっとコレは我々が悪意の果てに生み出してしまった業に違いない。
『お前、名は何と云う。』
『…………、』
青年は答えない。迷子とでも表すべきか、二つの瞳を左右に揺らし自身を見下ろしている。
『グレイ。』
数拍置いて、ポツリと小さく呟かれた単語を福地は聞き返した。
『グレイ?』
『ああ、グレイと呼ぶことを許そう。』
尊大な言振りでグレイは福地を見据えた。その視線が最後に留まったところを見てみる。
砂利の上に放り捨てられた拳銃があった。福地の記憶が正しければドイツ軍で今でも使用されているワルサーP38。通称はグレイゴースト。やはり己の憶測は間違っていなさそうだと、福地は確信を深めた。
そんな時、肉体の疲労が限界に達したのか額から垂れる赤を拭うとグレイは福地の真横に寝転んだ。
『…空が綺麗だ。』
『…………。』
此処に至るまでに多くの壁を乗り越えてきたであろう哀れな野良犬は届くはずもない蒼穹に手を伸ばしている。何故か心を掻きむしりたくなるような息苦しい光景に見えた。不思議なことに福地の目にはその光景がいつかの道場と重なった。
『源一郎。』
唐突に溢した言葉に、福地は自分でも驚いた。グレイは不思議そうに福地を横目で見ている。地獄を走り続けてきた両脚が思いも寄らない事象に止められたおかげか、いつしか凍てついてしまった内奥がじわりじわりと熱を持ち始める。そんな久方ぶりのカタルシスに福地は込み上げる生温い何かを抑えることができなかった。
『源一郎と呼べ。』
『福地桜痴源一郎。』
『莫迦者、源一郎だけで善い!』
ガハハ!
フハハ!
滲んだ視界に入り込んできたグレイは己と同じように笑っていた。現世のしがらみから解放されたといわんばかりの清々しい満天の笑顔で。それだけで福地は充実感を覚えて、二人は束の間現実を忘れて快哉を高らかに上げ続けた。
『あイタっ。』
『どうした、枝でも刺さったか?』
『このぉ!』
『ぐァ!?』
それからしばらくして、体を起こせるまでに体力を回復すると福地はグレイと向かい合った。
『してグレイ、重大な役割とは何だ。この福地、命の対価としてお前の望みを叶えてみせよう。』
福地が改まって尋ねると、元の無愛想へと戻ったグレイは福地を正視した。底なしの黒と相対し、福地は胸騒ぎを感じて己の軽率な発言を後悔した。
『貴様は遠くない未来、世界の破壊者となる。』
『…破壊者だと?』
『ああ。正確には秩序の破壊者だ。自ら望んでそうなるだろう…だが貴様はすでに判っているな?』
『っ…!』
グレイの言葉は図星であった。
戦場での度重なる精神的苦痛、国家の歯車として決してあってはならない惨憺たる妄想が時たま福地の脳裏に掠めることがあった。彼が身を切る思いで押し殺してきた心火を恐るべき炯眼で正確に言い当てたグレイに福地は無意識に身を構える。心の奥底に潜む怪物を目覚ますことを是とするほど福地の良心は絶えてはいなかった。けれども疑惧の念を抱く福地とは相対的にグレイは毛ほども興味無さげに視線を逸らした。
『まあ、貴様の未来など俺には関係ない。俺は俺の手で混濁穢土を焼き尽くす。』
『解せんな。ならばお前は俺に何を求める。』
不可解な言葉を述べるグレイに福地は再度問うた。
『福地、貴様に求めるのは一つ。』
そう云うとグレイは脇に置いた厄災兵器を指差す。
『此処と、コレについての一切を忘れろ。今後何があっても如何なる目的があろうと悪用しないと誓え。』
力強く放たれた言葉は真摯で…。
福地は刀を立て、刀身を少しだけ露わにし、カチリと鍔を打ち鳴らし戻すとグレイを直視した。誓いの証、金打だ。
『説明は後ほど詳しく聞かせてもらうが…。福地桜痴、一諾千金、何があろうとお前との約束を守り抜こう。』
『……感謝する。』
穏やかに笑むグレイに、福地も頬を緩めたのだった。
『ところで、その口調は誰かの真似か?』
差し伸ばされたグレイの手を取り立ち上がると、広大な土地を徒歩で帰路に着く二人。つと道すがら尋ねた福地にグレイは片眉を上げる。
『変か?』
『うむ。お前は知らぬだろうが普通の人間は斯様に奇怪な話し方はせんぞ。』
具体的にいつから研究施設に閉じ込められていたのかは不明だが、人の温もりを碌に学んでこなかったのだろう閻魔大王もかくやの口調はほぼ同年代の福地にとって極めて居心地の悪いものであった。境遇に同情してやるほど安穏と暮らしてきたわけではないが、せめて彼がまともな大人として世間に溶け込めるよう教え諭してやることはできる。彼の中ではグレイはもう友の部類に追加されていた。それ故に助言してみた福地であったが、何故か無言を貫くグレイを流し目に確認しようとして、言葉を失った。
『…………っ、』
『お前もしや』
『黙れ。』
片腕で塞がれた顔面の隙間から血ではない、ほんのりと赤く色づいた肌が覗いているではないか。
『ガハハハは!なんと滑稽なことか!』
『ーーーー!!』
直後、茫洋とした地上から鼓膜が破れるような断末魔が高く天に響き渡った。