横浜第五軍警基地は壊滅状態にあった。
けたたましい炸裂音、耳を聾する人々の絶叫、絶え間なく鳴り響く警報。
空中を飛び交う無数の礫岩、岩で構築された巨人の闊歩。何処からともなく現れる電柱や鉛玉。
「…繰り返す!敵勢力三人、内二人は異能力者!他十三部隊と連絡がつかず全滅した模様、至急応援…を……ウわァアぁアア!!!」
期せぬ危険異能者の襲撃により基地はまたたく間に陥落した。
明滅する危険色がコンクリートを有毒な色彩に染めあげている。長く続く薄暗い廊下を奈落へと誘う道を踏み締めるように三人はゆっくりと、しっかりとした足取りで前進していた。気味の悪い音色を靴の踵で奏でながら。一切の迷いのない姿勢は彼等を憚る障碍など存在しないと高慢に宣言しているかのようだった。
三人は真っ直ぐに突き進んで行くと、突き当たりの角を左に曲がった。そこが目的の行き止まりだった。
「うーん、我ながら完璧な正面突破だ。」
「私のゴーレムが役に立ちましたね。」
カチリ、壁の仕掛けを触ると床からガラス製の展示ケースに保護された立方体が音もなく現れた。
「おや、それは私に喧嘩を売っているのかな?良いとも良いとも!この道化師受けてたとうじゃないか!」
「失礼、貴方を煽ったわけではありません。ただ私は、私こそが我が主人の為に最も輝かしい功績を残したと信じてやまないのです。」
天井付近の壁際に取り付けられた紫と赤の入り混じった警報機が、二つの立方体を不気味に照らし出している。それは楽園に生える一本の樹からなる禁断の果実のように神々しく、それでいて深淵から覗く悪魔のように不吉な感覚を見る者に与えた。唯一、甘美な果物ではなく無機質な立方体が人類を救済するとは誰か想像できただろうか。
「自己肯定もここまでいけば悲劇だね!メリーバッドエンドってやつ?僕も脳みそ改造すれば自由になれるのかな!?」
「嗚呼、幸福です。至福の喜びに満たされています。」
「…やっぱやめとくよ、なんか世界で一番不幸になりそうな予感。」
深遠なる苦行の末に悟りに達した釈迦のように、己が信じる真理を貫き通したドストエフスキーには彼の魂を蝕む杞憂などなかった。
「実に素晴らしい暗号でした。まさか解読に半日も要するとは…改めて畏敬を抱かずにはいられません。」
展示ケースの側面を弄り中身を開いて大きい方の立方体を慎重に持ち上げると、ドストエフスキーは堕天使の如き妖美な笑みをつくった。
「私にはさっぱりだったよ、やっぱり天才同士は惹かれあうものなのかな。」
素直に歓喜を表す魔人を物珍しそうに眺めるゴーゴリ。ドストエフスキーは彼には応えず、視線のみをゴンチャロフへと向けた。すると、心得ているとばかりにゴンチャロフは石礫を操り兵器と共に保管されていたもう一つの小さな立方体…制御装置を破壊したのだった。
ゴーゴリとゴンチャロフを先頭にドストエフスキー一行は来た道を引き返す。二人の有能な異能者による見事なまでに無駄のない急襲に軍警基地は制圧され、彼等の道に立ち塞がる敵は完膚なきまでに殲滅された。無人の廃墟へと変貌を遂げた基地内を快調に進み地上に出ると、意外にも彼等は珍妙な出迎えを受けることになる。
荒れ果てた訓練場、生命だったものが惨憺たる有様で四方八方に転がる中心部に一機のヘリコプターが停まっていた。極め付けは、プロペラの停止した機体の前で程よいサイズの円卓を設置し、純白のスーツに身を包んだ者達に囲まれながら優雅にティーカップを手にする一人の女。
「随分と時間が掛かっていたようですね。私、待ちくたびれて紅茶を淹れてしまいましたわ。」
クリスティが英国淑女に相応しい気品のある微笑みを浮かべていた。
「これは失礼。グレイが自ら手掛けた難題に夢中になるあまり連絡を忘れていました。」
「結構。貴方からの報告も大指令に関する追報もないので居ても立っても居られずこうして赴いた次第ですの。」
ティーカップを置くとクリスティは席を立つ。
プラチナブロンドの艶髪が彼女の動きに合わせてさらりと揺れた。巻き上げられた毛先を華奢な指で払うと、部下から日傘を受け取ってドストエフスキーの元まで歩み寄ってくる。ランウェイでも歩いているかのような華麗な足取りで至近距離まで近づくと、成熟した女性の、気位が高くも異性を翻弄しそうなあまい香りを漂わせて。
だが逢瀬を匂わせるには二人を取り巻く背景と雰囲気はあまりにも殺伐としていた。
「それは遠路遥々御苦労様でした。しかし近衛騎士長殿、貴女の一人旅を
「.................」
日傘でかかった影がドストエフスキーの死人のような顔を更に不健康に曇らせた。そしてそれはクリスティも同じであった。
世界を揺るがす事変の裏側では常に大きな陰謀が渦巻いているものである。
一連の世界規模テロ事件の背景で第三の勢力が怪しげな謀略戦を繰り広げていないはずもなく....。プライドの高い欧州列強にとって英雄とは云え極東の島国の一部隊指揮官に厄災兵器の使用権限を譲渡するのはたとえ一時的であろうと不都合であった。そこで大指令の封印解除の一助となったのがクリスティだった。既存の秩序体制存続の危機というもっともらしい意見を押し通し時計塔を通して欧州異能機構に圧力をかけ、結果福地の手に大指令が渡ったのだ。時計塔での立場を揺るがしかねない強行だったが、それもこれも総てはドストエフスキーの提案によるものであった。
欧州における時計塔の従騎士の勢力拡大、実現されればクリスティは組織のみならず欧州の異能組織を指一本で動かせるほどの確固たる権力を確立できる......というのがドストエフスキーの提案だった。当然クリスティは邪智深い鼠の言い分を鵜呑みにするほど短慮ではなかったが、それでも尚眼前に提げられた絶大な権力という言葉は甘美な密の味であった。何しろ彼女は戦争を望んでいたのだ。
斯くして、ドストエフスキーの指示によりクリスティは大指令の封印解除という大きな一役を担った。.....だというのに肝心のドストエフスキーはムルソー収監後、定期連絡を怠り漸く掴んだ足取りは幻の厄災兵器探しだというではないか。しかもあのグレイが秘密裏に使用を禁止した厄災兵器を掘り起こすと。それは即ち、戦禍の化身の棲家を土足で踏み荒らすことを宣言していた。鼠の謀りにまんまと嵌められたクリスティ。これでは時計塔上層部の反感を買ってまでドストエフスキーに与したリスクに見合わないと、独断でイギリスから横浜へと急遽来日した次第である。
「……元を辿れば貴方が原因ってことをお忘れでなくて?」
空を描いた瞳が海溝を彷彿とさせる翳りを宿す。内に秘めた夜叉の片鱗を覗かせるクリスティに、美人ほど怒らせると怖いものだと、二人の一顰一笑を背後で静観していたゴーゴリはそれとなしに感想を抱いた。
少しの間冷ややかな微笑みを向け合っていたクリスティとドストエフスキーだったが、仮初の同盟相手である以上不毛な諍いを起こすべきではないと判断するとどちらからともなく物々しさを収めた。
ーー乗りかかった戦艦がいつしか泥船に落魄れていたならば、せめて鼠諸共道連れにするまで。
「それで、今度は吉報を聞けるのかしら。」
ドストエフスキーが両手に抱える大きな立方体に視線を流すと、ドストエフスキーは表情を緩和させた。
「大指令が使い物にならなくなるのは想定内でした。」
福地は人類軍を建軍し新たな秩序を構築することを最終目標としており、ドストエフスキーはその先を見据えている。故に人類軍と吸血種の侵攻は彼にとって無意義以外のなにものでもなかった。かといって福地を切り捨てるには惜しすぎる駒だ。
『体のない男を使えば態々ブラムの異能を利用しなくとも本そのものを手に入れることができます。』
『ならん。あの兵器を使うことは何があろうと許可せぬ。』
『理由をお訊きしても?』
『修羅場で思いがけず巡り会えた戦友との約束だ。儂が約束を反故にしたと知れば奴は考えも及ばぬ最悪な手法で我々に牙を剥くだろう。』
『…大博打となるのはやむを得ません。』
『ならんものはならん。この話はきっぱり忘れろ。』
一つ、彼が兵器の使用を許可していれば遠回りをすることもここで分たれることもなかったというのに。が、全ては過ぎたことだとドストエフスキーは思考を払った。
「警報に細工をしたので何れ彼は兵器が盗まれたことを知ります。その時、彼が真っ先に疑うのは福地でしょう。そうなるように僕が仕向けたので。」
「上手くいくといいですわね。躓いて擦り傷を作るのは貴方だけではないということをお忘れなく。」
「胸に刻んでおきます。」
ドストエフスキーの言葉に満足したのか、クリスティはスカートの裾を軽く持ち上げると淑女らしくお辞儀をして踵を返した。そしてヘリコプターに戻ると思い出したように美しい横顔を晒して、
「最後に一つ。太宰治がムルソーから脱獄を果たしたと耳にしましたの。」
その言葉に魂消たのはゴーゴリだけであった。ドストエフスキーはさして驚いた様子もなく暗く嗤うと色白な指先を米神に添えた。
「……それは困りましたね。」
「安心なさって。久しぶりの母国への帰還、盛大に祝ってあげなくてはとささやかなプレゼントを用意してますの。」
ーーでは空港でお待ちしておりますわ。
悪役めいた澄まし顔でそう言うと、今度こそクリスティは空へと飛び立った。
ヘリコプターの煩わしい羽音が遠ざかると、ドストエフスキーは兵器をゴンチャロフに任せる。
「貴方方は先に行ってください。僕にはまだやることがあるので。」
「畏まりました、我が主。」
「はは、本当に楽しくなってきた。....じゃあ後でね!」
ゴーゴリとゴンチャロフが正反対の方向へと去り行くのを尻目に、ドストエフスキーも一歩を踏み出したのだった。目的地は空港、己の目的に欠かせない最後の仕掛けを施しに。
*
地面を両脚が踏みしめる感覚と同時にもうお馴染みとなった殺風景な景色が視界に入ってきた。大指令の受渡を機に閉鎖され離着陸する飛行機の一機すらない侘しい空港。半日ぶりの帰国だ。
「短い旅だった。」
未練混じりに呟くと恨みがましい視線を感じて俺はそっぽを向いた。少し離れたところにある空港施設の巨大な窓枠の向こうでは様子のおかしい人影が蠢いている。ゾンビランドはいつかのQで最後にしてほしかったのだが。なんて残念がっているとやりきれないとばかりの長嘆息が真横で吐き出された。
「まったく、お前に振り回されたわ。」
「お前がしつこく付き纏ってくるからだろうが、観光ぐらい好きにさせろ。」
「遊びに行ったわけではないのだぞ。」
ぐうの音も出ない正論に押し黙る。後方で失笑が聞こえてすかさず振り返ると、能面かと見紛うほどの真顔の条野が俺たちの後ろにピッタリと着いてきていた。...今の嘲笑は空耳だったのだろうか。
今から半日前、福地が脅してしまった委員長の暗殺の為に俺は福地と条野と共にアメリカに訪米した。いや、福地の執念に負けて飛行機ではなく瞬間移動の異能を使う羽目になっての方が正しいな。俺の異能はパチンコ台よりも不良品だと力説してやったというのに老いたせいか福地の野郎、頑なに信じようとしないもんで俺が先に根負けしたというわけだ。そしてどういうわけかこういう時に限って異能が正常に発動するから堪ったもんじゃねェ。
兎も角、どこでもドアのように近未来感覚でアメリカに赴くと早速福地は委員長の元に、俺と条野は観光客溢れる街中へと繰り出した。別に「なんかややこしくなってきたからこのままトンズラこいてやろう。」と観光を装って福地と追いかけっこをしていたわけではない…断じてな。しかし流石というべきか、本物の猟犬顔負けの嗅覚で俺と条野は呆気なく見つかり隠れ鬼は終了したのだった。
「自由の女神にでも登れば良かったか。」
高所からなら地上で俺たちを探し回る福地をつまみに美味い酒が飲めたかもしれない。と小さく呟いたはずの後悔はしっかりと地獄耳が拾っていたようだ。
「観光ではないと言っておるだろう!」
「そう目くじらを立てるな。」
「誰の所為だとっ…はぁ、もういい。」
相当癇に障ったのか眉間の皺を伸ばすように抑える福地が気の毒に思えて冗談もほどほどに止めておく。
「だが本場のハンバーガーすら食べれずに帰って来たのはお前にとっても無念だろ。」
「ほざけ。」
「その心は?」
「...まあ一口くらいは。」
ほらみろ。我ながら生意気などや顔で肩を叩くと、福地は心底憎たらしそうに睨め付けてきた。と、不意と俺たちの間から二本の腕が伸びてくる。その元を辿る…
「グレイならそう仰ると思ったので買っておきました。」
ニコニコと絵に描いたような微笑を浮かべて丸い紙包みを差し出す条野。
「……………。」
「……………。」
俺と福地は顔を見合わせる。
こやつ読心の異能を?少なくとも俺は知らねェよ。
視線を交わし意思疎通を図る。結局分かったのは条野の粋な計らいが一周回って怖いということだけだった。若干寒気を感じつつも、俺と福地は恐る恐る条野の土産を受け取った。