文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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事実は小説よりも奇なり(OE)

 

 

「この俺を超えていけ。」 

 

尸の上を踏み越えて世界を救いにいくも同義であると。だが同時にグレイは思った。小粋な台詞を言い立てた己は正しく少年漫画の主人公のライバルに足る存在に昇華できただろうが、果たして只の凡人を斃して先へ進むことが世界の救済を図る主人公の取るべき行いだろうか、そして現実で起きている大きな革命的な流れの枠外で独り我利を求める自分は一体何をしているのだろうか。健気な敦とその仲間たちを一流の冒険記よろしく黒幕の元へと見送る村長の役割を担うのはやぶさかではない。現世を覆い尽くさんとする瓦解の魔手を薄暮の風雲児らが曇りなき一矢で貫こうというのならば平穏を尊ぶ男、酒を片手に鼓舞する所存ですらあった。己の恥が文字通り掘り起こされるまでは。 

 

黒歴史の単語が招ずる荒波は特定の一個人にとっては文明の崩壊よりも絶望的で靦然たらしめるものである。云うなればそれが日の下に晒されたときを想見すれば、それはもう超巨大な宇宙が原初の大爆発を起こした一三八億年前の旧膨張を優に超える衝撃が、一本の大剣となり脳天から足の先までを鋭利な鋒で突き通るであろう。それ故にグレイは断じてヒーロー陣営が仮にも悪人の、涎を垂らす赤子にも劣る汚点を握っている現状を看過することができない。多少の犠牲を払ってでも記憶媒体を取り返す意気込みだった。…この場においての犠牲とは、流血のことである。だが、一向に反応のない二人にグレイは一種のさざ波のような予感に陥っていた。 

 

ーもしかして俺、スベった? 

ウェルズ、福地、その他超越者…文スト世界に訪れてから十数年、漫画や小説の中には描かれていない主役級の巨悪と真向かってきたグレイはその経験ゆえにそれなりに威圧の扱い方には自信があった。世界中の鬼も泣いて逃げる猛者たちの表情、仕草、殺気を真似て圧力というものを再現してみたが対象は怯えるどころか味気ない天井に注意を逸らしているではないか。やはり慣れないことはするべきでないな、グレイは暗暗のうちに反省した。 

 

その方で、表の世界のみならず闇世界の誰もが怖れる猛悪凶徒の怒気を身を以て体感した綾辻は愈々拙くなってきたと滅多にない焦慮を額に滲ませた。粗雑な砂造りの天井に意識を向けるが、特殊な金属音も誰かの足音も隔たりを越えて届いてはこない。地上での出来事が不明瞭であることが余計に綾辻と江戸川から心のゆとりを奪っていた。二人の側でルーシーを支える敦は己の無力さを恥じた。当時は決して敵わないとすら憂いていたフィッツジェラルドや福地を相手に宙に点在する星屑の一粒を手繰り寄せて勇気へと転換させていた気力すらも、グレイの前では士気の一切合切が根こそぎ彼の内包するブラックホールに吸い込まれてしまったのだ。敦にできることといえば手負のルーシーを介抱し事の成り行きを見守ることだけであった。

 

そんな青年の苦悩を感じ取った江戸川は後輩を宥めるように肩に触れた。次いで澄んだ深緑を正面の背中へ眼差すと、視線を受け取った綾辻は僅かに背後を顧みる。二人は瞬間のうちに目配せをした。瞳孔がかち合い、全ての意思が交換されると綾辻は再びグレイを見据えた。ここに至るまでに彼等が用意できる中枢の対策は講じた。あとは仲間を信じ、運に任せるのみ。 

 

「貴様が発砲して俺の脳天に風穴を開ける前に、そうだな…今際の言葉でも残させてもらおうか。」

「ほう?」 

 

不敵に嗤った綾辻にグレイと京極がタイミングを合わせて好奇心の孕んだ反応を示した。但し、前者が胸騒ぎで後者が純粋な悦だが。 

 

「なに、貴様の秘密を一つも明かさぬまま墓に入るのは惜しくてな。例えば...夏目漱石。」

「……………。」 

 

先の合同作戦会議では、以前国木田が花袋から齎された情報により夏目とグレイが緊密な間柄である可能性が濃厚となった。つまり彼の名前はグレイにとって致命的な弱点となるに違いないと江戸川と綾辻と太宰は踏んでいたのだ。現に彼の名前を口にした途端、グレイは見るからに顔色を変えた。果然、予想が的中したと綾辻たちは胸襟で安じた。二人は夏目が切り札としてグレイの謀りの最大の障壁となり得ることを示唆したのだ。この危難を切り抜ける一時的な時間稼ぎとして。半分、彼等は最高の切り札が国家の存亡の機に必ずや現出することを今までの有事を鑑みて確信していた。三人の頭脳派は横浜の天秤そのものである男の名を出せばさしものグレイも迂闊に彼等に手は出せないと推し量っていたのだ。

 

だが己に黒幕の自覚がないグレイは夏目の抑止力としての脅威に血の気を引かせたわけではなかった。彼の脳を占める憂慮は安定して黒歴史に纏わる波紋だ。夏目漱石、忘却しかけていた絶対的な存在を挙げられたグレイはかつての戦場を思い起こす。兵器を巡って超越者と一戦を交えたあと、人型の夏目と初対面を果たしたグレイは彼に兵器の処置と、終いには元の世界に戻るまでは異能を悪用せず世を憚って生きることを約束したのであった。後の約束は白紙の書の強制力を危うんだ夏目なりの工夫であったが、当然想像力豊かな少年を持ち主に選んだ異能世界の根源は彼の紡いだ物語の通りに日時計を進行させた。彼が極悪人になるという定められた未来を口約束で覆すことなどできぬと夏目も承知していた。その為グレイが約束を反故にして悪党へと成り下がったとは夏目自身も責付くつもりは毛頭ないのである。

 

兎にも角にも、グレイは戦慄した。何故なら殺人探偵の唇が紡いだ秘密という芳しくない響きと老人の名は彼にとって黒歴史の暴露に直結していたからだ。碌でもない管理で兵器の所在が明かされただけでは飽き足らず、芋蔓式で記憶媒体の存在が夏目に知られてしまえばグレイは骨に食い込むような謗りを受けることだろう。どう足掻いても黒歴史の露顕、片や言葉の抑止力による一時凌ぎ。ベクトルの違う勘違いを起こしている双方は互いに切迫感と手応えを感じていた。

 

そして—— 

 

 

一発の銃声が反響した。

言わずもがな焦りにより手元を狂わせたグレイによる発砲だった。ぶれた銃口から放たれた弾丸は綾辻の眉間ではなく、頬と耳介を直線に掠めて土壁に当たると虚しく落下した。 

 

「どうした、殺さないのか。」

「…次は外さねぇ。」 

 

夏目漱石という男は彼程殺意に満ちたグレイが照準をずらしてしまう程に影響力をもつ存在だったのだと、江戸川は改めて感銘を受けた。こうして、曲折浮沈はあれど勝運に恵まれたのは主人公の側だった。 

 

社会的に万事休してしまったことを悟ったグレイが自棄を起こしてもう一度引き金を引こうとしたその時、時宜を得て彼がやって来た。 

 

「止めんかグレイ!」 

 

空気を引き締める威圧感で、けれども至って穏やかな声色で親不孝者を戒めるかのように放たれた制止にグレイは心臓を動悸させた。 

 

「夏目!?」

 

 

 

 

 

 

「嘘だ…!」

「嘘ではない。」 

 

つける薬がないとでも言いたげに被りを振った夏目に平衡感覚を失った心地になって俺はふらりと近くのオフィスデスクに腰掛けた。 

 

 

地下で綾辻たちと対峙していると、夏目による突入ドッキリを仕掛けられた俺はそれはもう仰天して彼の言葉に従うがままに皆でぞろぞろと基地外の人のいない建物へと移動した。Qと一般人の少女とブラムまでいたのは疑問だったが取り敢えずちびっ子どもは条野に任せて、夏目と俺は二人で話すべく建物の三階に向かった。

そうして一対一の場面になり早々夏目に打ち明けられたのはこの世界の話。重そうに切り出した夏目は、なんとこの世界は俺が昔白紙の書に書いた小説が現実と入れ替わった結果だというではないか。だが中学生なんて何十年も前の話を憶えているはずがなく、ましてや白紙の書が何で異能力の類が存在しない俺の世界にあるんだ。 

 

「横浜に封印したとき、お前と儂を繋ぐ奇妙な縁が碧落を極めた二つの次元を繋げた。」

「何の縁ってんだ。」 

 

すると夏目は一拍置いて息を吸い込んだ。 

 

「キヨじゃよ。」

「キヨ?何であいつが…待て、まさかそんな…。」 

 

だとすれば白紙の書は砂場の中から一粒のダイヤを探すが如く宏大無辺な生命の神秘の繋がりからたった一本の糸を手繰り寄せたということで…。それはあまりにも突拍子もない奇跡で到底信じられるものではなかった。そもそも何故その過程で俺が魔法の本を手にする流れになったのか。憶えてない、憶えてないものは思い出せない。 

 

「分かった、一万歩譲って縁云々は善いとして何で俺が本の所有者になってんだ。何も杜撰な管理してたってわけじゃねぇだろう。」

「……………。」 

 

急に夏目が口を噤むと、風向きが変わった。妙に息苦しい重みを帯びた風が俺たちの隙間を撫でるように流れてゆく。何となく事情を察してしまった。 

 

「まさかアンタ、異能のない世界だからって安心して本置いて帰ったとかいうんじゃねぇだろうな。」

「こう云う時に限ってお前は聡いな。」

「巫山戯んな。セキュリティどうなってんだよ!?いっそヨレヨレのダンボールボックスに入れて保管してた方がマシだわ!俺が夜神月じゃなくてよかったな!!」

「いやある意味お前は最悪の主人公じゃが。」 

 

なんてことだ、夏目の管理不足の所為で俺が白紙の書に認められこの世界の神になっていたとは。主人公最弱?異世界召喚?何それなんてなろう系ですかってんだ。いや、だとしても解せない点がある。 

 

「それにしても原作の登場人物に振り回されてる気が…それに一向に戦局が敦側に改善しないってのも気になる。」 

 

そうひとりでに呟くと、夏目は咳払いをした。 

 

「お前が振り回されるのは単にお前の書いた物語が駄作だったのだ。」

「突然貶すなよ。」

「深刻な問題は…お前が本を完成させずに筆を置いたせいでもはやこの世界は何人も見当がつかぬ未来を紡ぎ出していることじゃ。」

「最悪の展開だ…」 

 

過去の自分に対する激しい憎悪が湧き上がってくる。こうなることを知っていれば睡眠時間を削ってでも物語を完成させたと云うのに…否、ハナから白紙の書なんて危険物には触れなかっただろう。

 

望まぬ真実を打ち明けられ頭を抱えるほかない俺に夏目は猫が喉を鳴らすように唸った。 

 

「お前があの虎の小僧と巡りあった時からこの世界は自立を果たした。全く…じゃから息を潜めて生きよと警鐘を鳴らしてやったと云うのにこの馬鹿息子は…」

「俺なのか?俺が悪いのか?」

「第四の厄災兵器を生み出しただけでは飽き足らず儂と同じ轍を踏み敵に奪われるとは。」

「少なくとも俺は最新のセキュリティボックスに入れて管理してたぞ。」

「喝っ!ああ云えばこう云うでない!」

「ッテェな、」 

 

本を正せば一番の元凶は夏目だというのに、本人は過失を擦りつける勢いで鋭利な爪で殴りかかった。すかさず反論したいところだが下手につつけば被害を被るのはこちらなので辛抱強く唇を噛み締める。口の端から温かい鉄の味がしてハンカチで拭うとしっかりと深紅が染み込んだ。こうなっては一先ずかんかんの夏目の気が済むまで説教を受けてやろうと意気込んだ矢先、皺寄った口が描いた言葉に俺は悲鳴をあげた。 

 

「挙げ句の果てには何じゃこの汚点は!」

「なっ、」 

 

スカッと軽やかな音を立てて開かれた杖の上部から現れた記憶媒体を目にして反射的に手を伸ばすと夏目は目を三角にして手を払い除けた。 

 

「お前は己が立派な無頼漢として裏社会に君臨しているという自覚が足らん!かような趣意書が世に広まってはお前の意に反して犠牲が出るものだ。そして塁が及ぶのは裏の世界の住民だけではない、この現世に在る遍く無辜の民も苛まれることになるのじゃぞ。」

「大袈裟なこと言うな、俺は小悪党にすぎねェしあれは勢いで作っただけの恥にすぎない。」

「恥にしては優れているから申しておるのじゃ。」 

 

先程までは満面朱をそそいで怒鳴っていたというのに一転して飴を与えられればこちらとしても当惑してしまう。やはり歳が原因なのかもしれない。なんて考えてると俺の注意が逸れていることに気づいたのか夏目が超嘆息を吐き出した。 

 

「よってお前には責任をもって事態の収拾を図ってもらう。」

「何だって?」

「安心せい、お前は必ず勝って生き残る。お前自身がかつてそう書き記したのじゃからな。」 

 

リスクヘッジ完璧だな昔の俺。…そうじゃなくて、 

 

「間接的に俺が今の状況を導いたってんなら寧ろ俺が綺麗さっぱり手を引いた方が改善するんじゃねェのか。」

「否。中島敦が主人公であると同時に豊、お前もまた主人公として選ばれたのだ。主役が欠損しては悪化の一途を辿るじゃろう。」 

 

それでも考えあぐねていると夏目は強硬手段をとった。 

 

「仕方あるまい、お前が協力せんと云うならば儂もこの記憶媒体の序文に記された黒歴史とやらを場合によっては特務課に送..」

「俺に任せろ。」 

 

食い気味に承諾すると夏目はあからさまに呆れ返った。構うものか、弁慶も泣いて腹を切るくらいの弱点を握られてる以上俺に協力以外に成す術はない。それはそうとして、探偵社に兵器盗難の濡れ衣を着せた福地にはしっかりとお灸を据えてやらねばならないな。 

 

改めて事をややこしくさせた親友に苛立ちを募らせる俺を、救いようがない奴だと目頭を抑える夏目に俺は気づくことはなかった。

 

 

 

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