文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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Xデー(OE)(後)

 

 

桜木町駅はJR根岸線をはじめとして四路線が乗り入れられた利便性に優れた駅舎である。観光のみならず近隣住民にも愛され続けるみなとみらい、定番名所に気軽に赴ける駅周辺にも横浜港をテーマにしたメモリアルパークやロープウェイなど多種多様な観光スポットが点在している。文化、観光、経済が共生し合い活性化された桜木はテロの脅威など露ほども知らぬといったふうに今日も今日とて一般人で溢れ返っていた。

 

公園の木々の、港の煌びやかな水面の、躍動する雲を抱く洪波洋々と広がる大空の、遍く生命から痛いばかりの冬を乗り越えうらうらとする春を歓迎しようとする息遣いが五感を撫でる感触に敦は深い呼吸を吸い込む。新緑と微かな潮の独特の匂いが脳を心地良さへと誘う。こんなにも清々しい晴天ならばうずまきに足を運んでサイフォン紅茶の一杯でも嗜みたいところだった、咳き込む芥川と胸を膨らませる敦を尻目にグレイはそれとなしに思った。ぐるりと辺りを見渡してみる。無論、ドストエフスキーらしき人影はおらず、家族連れや外国人観光客、地元の学生等の人混みで駅前はごった返しているだけだ。どこか全体を眺望できる場所を探そうと見上げて、程よい高さの建築物横浜ランドマークタワーを見、次に十八番の危機察知センサー第六感が何かを感知するとグレイは分からぬ程度に溜息を吐き出した。 

 

「敦、芥川。彼処のスカイガーデンに行ってみろ。」 

 

六十九階であればきっと町の全貌を視認できる。六十九階に何かがある。後者の意を汲んだ二人は首肯すると歩を進める。敦が振り返った。その目線は純粋な疑問を投げかけている。明瞭な返しもなく手払いをされると敦は諦めて芥川に続いた。

 

 

 

 

二人の姿が建造物の中へと消えた直後、入れ替わるように一人の男がどこからともなく顕れた。 

 

「本当に、損な役回りだ…」 

 

懐から抜いた二梃の銃を構えてほとほと囁くと、ピエロは地獄耳で聞き取りやがった。 

 

「え、何々?私が損な役回りって…ズバリその通り!けどこれも良縁!是非とも生きる厄災にお手合わせ願おう!」 

 

刹那、ぞくりと悪寒が駆け巡り俺は引き金を引いた。

パァンッ、パンッ!銃声が畳音して空高く響く。 

 

「おおっと危ない!やっぱゴンチャロフ君に任せれば良かった!」 

 

銃口から放たれた弾丸は瞬きよりも早く俺の眼前に現れたゴーゴリを貫くかと思われたが、だがマンタのようになったコイツの広げられたマントに吸収されていった。どさりと、視界の端でサラリーマンと交通巡視員が斃れた。

悲鳴というよりかは内部から心臓を握り潰すような恐怖による絶叫が其処彼処で響めく。此処は銃大国アメリカではないが魔都横浜。突然の銃撃に人々は驚嘆すべき反射で右往左往逃げ惑い始める。半々の責任分割で俺とゴーゴリは今一般市民を二人殺してしまった。今、銃を撃ち続けているこの瞬間にも犠牲者は増えているだろう。だが最早俺にできるのは目と鼻の先で鉄柱やらベンチやらを異能で飛ばしてくる煩わしいピエロの攻撃に当たらぬよう集中することだけだ。 

 

「種田の奴、起きたらベッドに後戻りだな。」 

 

一度お見舞いに行ってやるのも悪くねェ。そうだ、Qに花束でも届けさせよう。 

 

「いやぁ流石はグレイ!渾身の技がこうも子供の玉投げみたいに防がれるとは!」 

 

そうこうしているうちにゴーゴリは何処から持ってきたのか大量の鋭利な工事工具をマントから飛ばしてきた。まさに種も仕掛けもない異能による力技。拳銃での防御は不可能。やむなしに瞬間移動で避けようとして…前方を鎌鼬のような風が豪速で通り過ぎた。ゴーゴリがひえと態とらしくしょげる。斜め後ろから馴染みのある渋声が鼓膜に入り込んできた。 

 

「一応聞くが儂が間に合わねばどうするつもりだった。」

「今頃鉄分豊富な生肉になってたかもしれねェな。助かった。」

「ぬかせ。鉄分どころかアルコール依存症の肉など喰えるか。」 

 

素直に感謝を述べたというのに酷ェ言い草だ。抜刀された雨御前に日光を反射せて福地は軍靴を鳴らして近寄ってくる。軍服の襟が若干乱れていた。 

 

「歳のくせに肉体は健在か。空港からよく駆け足で間に合ったな。」

「猟犬の脚力を舐めるなよ、その気になれば太平洋の海面すら水切りの如く渡れるわ。」 

 

いやそれはそれでドン引きなんだが。ともあれ、俺の隣に並んだということはどうやら黒幕の荷を下ろしたらしい。俺に隣り合うように並んだ福地にゴーゴリは肩を震わせる。圧倒的な戦力差故じゃない、腹の底から噴水のように噴き上がる悦に脳を痺れさせているのだ。 

 

「ハハハーハ!この黙示録の終末に天人五衰が三人も相見えるなんて、ドス君の言葉通り、実に素晴らしい喜劇だねぇ!」

「...いつから俺が天人五衰に名を連ねた。」

「お前は天道よりも地獄道の方が相応しいな。」

「人を畜生呼ばわりとは良い度胸だ。」 

 

この世界における天人五衰とはどうやら礼を欠かなければ昇華できないらしい。悉く神経に触れてきやがる福地とゴーゴリに愛銃に火を吹かせることで反論しようとして、同等の大人気なさに両の人差し指をピクリと痙攣させるだけに留まった。落ち着け俺、どうせ撃ったって跳ね返されるどころか命中すらしねェんだからせめてタマを無駄にするな。二、三度静かな呼吸を繰り返して苛立ちを腹に収めると夢満開なゴーゴリと正対する。 

 

「んー、流石に軍神と魔神相手は厳しいかなぁ。けどけどけど!ここで君達を神と仮定するならばそれはもう目覚ましい幕引きになるんじゃないかと思えてならない。勝てば私は自由意志を飼い慣らし、負けても呪縛からの解放を果たせる…ハハハ!実に実に最高だ!」 

 

正気と狂気の混成物のようなコイツの支離滅裂な妄言など由無いもんだ。とっとと潰してちびっ子どもの様子を見に行かなくては、グレイゴーストを構えようとした俺を福地が片腕で遮った。 

 

「ゴーゴリ、安心せい貴様の相手は儂だけだ。」

「おやぁ?」

「何だ、俺じゃ力不足だってのか。」 

 

否定はできねェが。だが福地は肯定はせずに四百メートルほど先の高層ビルに視線を流した。 

 

「グレイ、お前はあの童どもに続け。」

「…良いのか。」 

 

元より俺の助っ人としてこの場に立っている時点で大体は察せられたが今一度真意を探ってみる。渺々たる蒼の野天を仰いで頬を緩めた。揃えられた髭に蓄えられた鼠と澄清なる白が全てを包み隠さず物語っていた。 

 

「お前の云った通り、あの者達が現世の後来を担うに足る存在か、今一度見定めさせてもらう。」

「お前の悲願が実現されなくとも、か。」 

 

僅かに深みを帯びた口端の刻みが男の、ひいては人間の難解さを表しているようだ。そして「何にせよ年寄りはもう引退する。」と附言して催促の合図を送ってきた福地に俺は体を翻す。 

 

「ムショに入る前にくたばるなよ。」

「心配せずともお前より先にばてんわ!」 

 

鷹の如き眼光で睥睨してくる福地に苦笑しつつも、俺は敦と芥川の後を追った。

 

 

 

駆ける。駆ける。駆ける。 

 

「もっとスピードを出せ人虎。」

「だから無賃乗車のくせに偉そうに言うな!」 

 

 

稠密(ちゅうみつ)な骨と丈夫な速筋繊維が連携して、人では得られない逞しい跳躍を可能にする。いつかの旧坑道跡での一戦を回顧させる会話を繰り広げながらも僕は脚を動かすことをやめない。一躍で二階分を登る。現在地は三十八階、屋上までは程々の距離だ。 

 

「貴様はあの男が虚言を弄しているとは思わないのか。」

「思わない。」 

 

己の背に跨り低く呟かれた言葉を即否定した。風見鶏みたいにグレイさんの言動はいつも一貫性がない。これからも僕なんかには彼の言外の意味を汲み取ることなどできないだろう。けれどもグレイさんは単なる無節操な小悪党なんかじゃない。朝令暮改の裏では必ず物事を好転させるに足る、時にはあの乱歩さんや太宰さんですら斟酌できない企図があるのだ。何よりも急変する局面に差し掛かっても自若とした態度を貫く彼の悠然さが、より言葉にいいしれぬ重みを持たせていた。芥川はそうかと一言返すとそれ以上は追及しなかった。 

 

六十九階まであと少し。グレイさんが躊躇なく僕たちを送り出したのだからきっとこの先には何かがあるはず…。階段の手摺りをバネにして後脚に力を込めるたびに、抵抗する空気の唸りと一緒に人々の絶叫が卓絶した聴覚に音の振動を伝えてくる。無理もない話だ。超高速で階段を駆け上る野生の白虎とそれに跨る病弱な青年なんて、僕ですら自身の異能を知る前に遭遇すればきっと悲鳴をあげて逃げ出しただろう。けれど人目を憚っている場合じゃない。心の内で縁のない市民の皆に謝りながらも僕は虎の特性を一層活かす。そして五十階に到達したところでそれは唐突にやってきた。 

あと少し、じわりと徐々に滲みだす汗を拭うことなく前に上に進もうとして、俄かに守備範囲内に突進してきた石礫を横跳びで避ける。 

 

「…ほらな言っただろ、グレイさんは正しいって。」

「他人の盲信ほど醜いものはない。」

「お前が言うなよ。」 

 

憎まれ口はもう珍しくも何ともない。けれども背中を預けられる者と共に一度は対峙した敵と再び対峙できる好運を、安堵感を感じずにはいられない。 

 

「私はなんて福徳に恵まれているのでしょう。主に背いた背徳者を再度救いの道に導く機会を神は与えたもうたのですね…。」 

 

神を賛美するように両腕を掲げるゴンチャロフの背後から凄まじい轟音とともに建物の内壁が崩れだす。土砂崩れのように礫岩を含んだコンクリートの塊が地上から、骨組みから浮上して一つ一つ繋ぎ合わされてゆく。その度に大きな破壊音が階全体を震わせる。ぐらつく足場を踏みしめて、段々と成形されてゆく巨大な人型を睨めつけるように見上げる。有機物と無機物の混合体があたかも魂を宿した魔物のように微速に、されど非常な威圧感を携えて動作する。それは以前僕達が正対したのよりも幾分か精度が上がっているように思われた。それでもあの日から僕達は数多の困難を乗り越えてきた、ずっと成長した。一人じゃないから、大丈夫。造形されつつある岩の巨人とゴンチャロフを見据えて戦闘態勢に入った。

が、思いもよらず芥川から制止がかかる。

 

「人虎、貴様は先を急げ。」

「は?」

「貴様、戦禍の化身の盲信者に成り下がるばかりか聾唖となったか。」

「しっかり聞こえてる!お前の言ってることばの意図が分からないから訊き返したんだ。」

 

少しは人となりが改善されたと思っていたのは僕の勘違いだったようだ。芥川は突っ慳貪に鼻で息を漏らすと天魔纏鎧と言い放つ。羅生門が彼の貧弱な全身を禍々しく覆った。

 

「岩ごときに油を売るべきではない。あれは僕が一撃で仕留めてやる故、俊足しか脳のない虎は疾く失せよ。」

「俊足しか...」

 

随分な物言いだが芥川の含意は読み取ることが出来る。つまり彼は手間取る時間が勿体ないから先に進めと僕に言っているのだ。...というよりかは指図だけど。

 

「早くしろ、あれが完成しては煩わしい。」

 

以降芥川は僕を見返ることなくゴンチャロフに接近する。思っていた以上に頑丈で、真っ直ぐで、頼もしい背中を目視してしまうと自分もうかうかしてはいられなかった。

 

「...任せた。」

 

反応はないが、背中で応える芥川に背を向けて僕は上へと登った。  

 

 

――下方で重々しく床が喚き、崩れかける足場から両脚を滑らす前に全力で跳躍する。スタリと目的地に着陸すると、虎の視界が捉えるよりも早く第六感がけたたましく警鐘を鳴らした。次に瞳孔が捉えたのは、滅紫。不吉な光線がヘリポート全体をビルごと隔絶するように陰影を増して放射線に渦を描いている。その発生源は… 

 

「ドストエフスキー!」 

 

滅紫と重なり濃度を深めた二つの赤銅色が奇異に歪む。ドストエフスキーはヘリポートの中心で、体のない男を起動させていた。あと一歩のところだったのに…! 

浮遊する立方体に地団駄を踏みそうになって、ハッと懐の硬い感触を思い出す。急いで引っ張り出せば起動された兵器の十分の一のサイズの小さな立方体を掴んだ。そうだ、まだ制御装置がある。作動する兵器の半径百メートル以内で使用すれば特殊な電磁波で忽ち体のない男はその価値を失うと乱歩さんたちは言っていた。きっとまだ間に合う。 

 

僕は制御装置のスイッチを動かした。その時、男の幸薄そうな唇が弧を描いた。 

 

「っどうして…!?」 

 

ハロルドの隠れ家での乱歩の言葉が蘇る。 

――これは机上の理論でしかない。っていうかハロルドすら実際の制御装置を見ることなく想像力で作り上げたものだから、よしんば国木田が制御装置を図面通りに作れても正常に作動するかすら怪しい。 

そうだ、去り際に綾辻さんが再度確率は半々だと念を押していたのにも関わらずうっかり失念していた。光線の回転速度が増した。タイムリミットは迫る一方。ぐずぐずと狼狽する暇もない。どうする、どうする…!? そんな時だった。

 

ふと、全身に稲妻のような鮮明な感覚が迸った。細胞の一個一個が意思を持ち、何かに駆り立てられるかのような緊張が動悸を誘発する。不可視の操り糸が今すぐにでも四肢を引っ張って何処かへ誘おうとしている。入社試験の時、空港で迷子の子供を見かけた時、探偵社に入ってから様々な場面で僕は同様の錯覚に陥ったことがあった。

この感覚を何と形容するのか、そんなことを考える隙もなく僕の体は動き出した。一歩、二歩…肉体を失い颯爽とした風になってしまったみたいに景色が流れてゆく。あと数センチ。 

嘲笑するドストエフスキーと彼の顔前で空中停止する兵器に触れられそうになって…。 

 

「敦っ!」 

 

あれ、いつの間にグレイさんが来たんだろう。見たこともない焦燥感を露わにしてグレイさんは僕の名を呼ぶ。 

 

「神よ。あなたに真に献身する者らの血潮により懇願いたします。全く罪深き私と、私の父母、兄弟たちに御許しを与え給うよう。天上の御許で永遠のうちに救いたまえ。」 

 

瞬間、更に転移で接近したグレイさんと僕と体のない男が接触した。導きの虎の異能と、二つの転移系異能が重なるのと、猛烈な衝撃波が横浜を襲うのは瞬時の出来事だった――。

 

 

 

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