——山手の高台に位置する邸宅は近隣に立ち連なる豪邸と並んで個性豊かな外観スタイルが魅力的な一軒家だった。
規制テープが貼られた入口を潜り抜けて中に入ると、ダイヤモンド研磨施工が成された大理石を踏みしめることになった。すぐ前には鋳鉄製のモダンな螺旋階段が二階、三階へと続いていた。
ルーシーと横並びに玄関ホールを進むと、何やら箕浦刑事が中年の男性に詰め寄られているのが見えた。僕では一生手を伸ばすことがないだろう高級そうな生地で仕立てられたスーツの胸元に金製のバッジを晒して、大きな身振り手振りで腹の虫が治らないといった風に喚いている。純日本人の、いかにも高額所得者の如き貫禄を衣服から、革靴から、腕時計から香水のように振りまいているのだが、清潔な顔面に無数に目立つ毛穴がどこか残念な印象を与えた。
「うわ、誰よあのおじさん。貧乏くさい。」隣でルーシーが鼻でも摘みたそうな音色で云った。こんな豪邸で、金満家特有のオーラを醸し出している彼にそんな感想が抱けるのは無人島を魔改造できるほどの大富豪であるフィッツジェラルドの下で働いていた彼女くらいだろう。
「何度言えば判るんだね、私は仕事があるのだよ!君達市民の為に身を粉にして働いているんだ。」
「ご多忙のところ申し訳ありません。」
「謝罪しか能がないのか!」
「あの…」
二人の…正確には一人の一方的な痛憤を妨げるべきか悩んだものの、一向に収まる気配のない様相におずおずと声を掛ける。刑事は僕らの存在に気が付くと男性に断りを入れて歩み寄ってきた。
「武装探偵社です。依頼を受けて参りました。」
「ああ、態々休日に済まないな。」
「いえ。」
早速箕浦刑事は概略を説明し始めた。
昨朝、この邸宅は強盗による襲撃を受けた。邸宅の主、茂木隆也さんの供述によれば犯人は異邦人三人組。息子の茂木聡太君との外出前にリビングで寛いでいた際に何度もベルが鳴り、扉を開けば男達が強引に侵入してきたという。武器は一挺の拳銃、デザートイーグル.50AE。拳銃弾としては破滅的な威力を誇る大口径のハンドガンだそう。現に開放的な玄関とリビングを隔てるガラス製の間仕切り扉とその向こう側には夥しい量の血痕が付着し臓物が散乱している。
茂木さんは咄嗟に聡太君を収納家具に隠して強盗を追い払うべく近所に大声で助けを求めた。…事実、何人も彼の『助けてくれ!』という悲鳴を耳にしたらしい。不運にも玄関の監視カメラは故障中だったので裏付けは不可能。
この事件には奇異な点が幾つかある。通りすがりの配達員が一人の男が入っていくのを見かけたそうだ。けれどもリビングの三人分の血液残留物と茂木さんの供述は一致している。三人が同時に押し入ってきたというので、一人だけ遅れてやってきた可能性は低い。
そしてどうした弾みか、強盗たちは突如決裂してうち一人が裏切りをはたらき発砲したのだ。二人を射殺した男は自殺。
それに強盗といっても彼等は茂木さんを畏怖させて金品を奪うどころか、家具の一つにすら手をつけた形跡がない。しかも大理石に落ちた煙草の吸い殻からは、少なくとも一服するだけの余裕があったということで…警察は何らかの異能が影響しているのではないかと疑い探偵社に依頼をしたというわけだった。
確かに、異能の干渉を疑う程に見せられた死体の写真は陰惨だった。…まるで意味が分からない。刑事が述べた不可解な点を一つ一つ照らし合わせてみれば茂木さんの主張の強盗という解釈すら不適切かもしれない。
箕浦刑事の説明を聞いて改めて現場を見回してみる。三人の遺体があった箇所にテープでアウトラインが引かれている。半開きの間仕切り扉の手前、玄関ホールのカルカッタホワイトに乾いた血がへばり付いている。全ては玄関ホールで完結した。射殺された二人は心臓に一発ずつ、自殺した男は眉間から。その拍子に銃は仕切りを越えてリビングに転がり落ちた。一人は発砲の衝撃でたたらを踏んだらしく、下半身をホールに残してリビングに身を乗り出す形で斃れたようだ。リビングに踏み入ってみる。扉を手前にして東奥側、サルタレッリの白のヴェルサイユ収納棚の隣のステンドグラスが眼に留まった。小川を木の葉が流れるような優雅な曲線で三朶の赤薔薇が繊細に描かれている。丁度その下に空の薬莢が三発分落ちていた。
無理だ。この奇怪な事件を解決できるだけの柔軟な想像力は僕にはない。何となく視線をずらしてみる。ルーシーはホールの隅に置かれたオットマンで足を組み携帯の受話器に話しかけていた。…何もしなくて良いといったものの、藁にも縋りたい気持ちだった。
「ルーシー、君は何か判った?」
電話を終えると、携帯をしまって退屈そうに欠伸をするルーシーに僕は話しかける。ルーシーはきょとりと首を傾げた。
「判ったって何が?」
「ほら、この難事件」
言い終える前に彼女は吹き出した。
「あっははは!ふふっ、」
「…え、なんで?」
パタパタと足で大理石を叩いて、控えめにお腹を抑える彼女は心底可笑しいとばかりに爆笑している。対して出し抜けに笑われた僕は…そもそも彼女が僕を嘲笑っているのか、将又別の事象に滑稽を感じているのかが分からなくて屡叩くことしかできないでいた。
「難事件って、これが難事件なら子犬の失踪はテロかしらッ…ふは!」
「いやそんなこと言って…ってまさか犯人が判ったの!?」
意味ありげな言い方に糸口を掴んだように詰め寄れば、ルーシーは人差し指の先で僕の胸を押した。
「あのねぇ、そもそもこれはとんでもない仮構よ。」
「仮構って…」
現実に血腥い臓物も空薬莢もあるというのに、一体何が空想の産物だというのだろうか。けれどもルーシーは僕の疑問を晴らすことはせずに、何かに気付いたように視線を移した。その先を辿ってみる。
一人の男が入口を背負って佇んでいた。黄土色を基調とした赤い襟のジャケットに灰色のニットベスト、アクセントの細めのボウタイが鮮彩に富んでいる。服装に合わせたキャスケットに何故か乱歩さんの姿が脳裏を掠めた。金色のサングラスの奥で煌めく怜悧そうな黄金の瞳とかち合った。
遮光眼鏡に隔てられてなおいっそう、燦然と輝く大鷹の如き眼。シニカルな覇気、勇猛果敢な厳しさ、高潔で強靭な自我を慥かに目の当たりにした。
「…敦!」
「ッ、ぇ」
「何ぼけっとしてるのよ。話聞いてた?」
いつの間にか彼は僕達の目の前にいた。
「えっと、」
「綾辻行人、特務課から来たんですって」
狼狽える僕にルーシーがこっそりと耳打ちする。しかし彼は僕が呆けていたのを理解したのか、改めて名乗ってくれた。
「綾辻行人、異能特務課で色々と世話になっているしがない危険異能力者だ。今日も尻を叩かれて已む無く私立探偵としての職務を果たすべく訪った。」
「あ…初めまして、僕は中島敦です。武装探偵社で働かせてもらっていて、彼女は」
「ルーシーよ、只の給仕だけど彼に強請られて付き添いしてるの。」
そう云うと綾辻さんはそうか、と単調に返した。次いで近寄ってきた箕浦刑事と言葉を交わし始める。と、茂木さんが大股に迫ってきた。
「特務課が一体何のようだ!」
嫌悪感を露わにして声を荒げる茂木さんを、綾辻さんは鷹のような眼で舐め回すように見下す。
「…怪奇事件ということで長官殿の直々の命令で俺が派遣された。」
「何だっていい、強盗は強盗だ!大体息子の護衛も碌に出来ない落伍者の監視対象が、良くも私の前に顔を出せたな!」
「監視対象?いや、それよりも息子の護衛って…」
気の所為だろうか。綾辻さんのアーモンド型の双眸が細められたような気がした。
「聡太の護衛を折角この男の監視役という女に頼んだら、半日もしないうちに誘拐されたんだぞ…!」
「ええっ?」
てっきりこの場に聡太君がいないのは、悲壮な現場が記憶に残らないようにする為かと思っていたが、どうやら違ったようだ。
「挙句に辻村深月も失踪する始末…大方処罰が恐ろしくて逃げたのだろう。特務課の腐敗が見て取れるな。」
「…特務課の名誉の為にも言っておくが、辻村君は正当な理由もなく任務を放棄するような捜査官ではない。」
酷く冷淡な声だった。まるでそこら辺に据え置かれた家具の一つでも見るかのように茂木さんを見据えると、綾辻さんは続いて捜査資料と思しき紙を僕達に渡してくれる。付箋で二重に書き記された聡太君の事情聴取の際の唯一の言葉が気に掛かった。
『薔薇、男、三。』
「では特務課が不佞な人材の集いに過ぎないか否か、是非この場で真偽を明らかにしてみせよう。」
すると彼はその場で家の中を一通り見回した。玄関ホールの入口、テープアウトライン、血痕臓物、リビングの空薬莢、扉の片方だけが全開になった収納棚、ステンドグラス。一つ一つを、猛禽類が餌を探索するように万物の色と性質を識別している。本物の大鷹のように、視力が人間の八倍もあるんじゃないかと思ってしまった。
息の詰まるような空気のなかで誰もが発声できずにいる。いつかの川辺で乱歩さんが超推理を披露した時と同じ緊迫感が僕達を包んでいた。唯一の違いはこの場に太宰さんがいないことだけだ。
僅かの間を置いて綾辻さんは腹の底から倦怠感を孕んだ息を洩らした。
「…ああ、今回ばかりは貴様に同意しよう。」
空虚を見詰めて独り言を呟く。以前与謝野さんが、探偵というのは変わり者の職業だと断言したことを思い出した。
「そこの彼女。」
「私?」
「モンゴメリ君といったか。仮構といった君なら真実に主照明を当てられるんじゃないか?」
「いやよ、今日は何もしないって条件で来たんだもの。」
「そうか、なら結構だ。」
「君達、人の家で土足で寛いでいるのならせめて私にも判るように話したまえ。」
妥当な申立てである。綾辻さんは面倒くさそうに茂木さんと正対した。
「では単刀直入に訊かせてもらえるか。茂木邸で起こった本当の出来事を。」
一瞬、室内の空気が止まった。
「何だと?」
「これでは推理もままならなくてな。せめてまともな証言を聞きたいのだが。」
釈然としない物言いに茂木さんどころか僕も刑事も呆気に取られた。彼は何を言ってるのだろうか。けれど綾辻さんは周囲の反応を気にせず言葉を続ける。
「それとも茂木議員、君が犯人として起訴されたいのなら俺は一向に構わない。」
「何を言って…」
「このまま身を翻して帰りたいところだが、今し方特務課の存在意義を証明すると豪語した矢先に帰宅しては立つ瀬がない。」
もはや彼は己の推理劇というレールを独走していた。彼は現場保存の為のシューズカバーすら被せずに土足でリビングに進む。乱歩さんに似た傍若無人さに箕浦刑事が諦観の眼差しになった。綾辻さんはステンドグラス窓の前で足を止めると三つの空薬莢を見下ろした。
——前提として、供述が虚偽で塗り固められているな。議員よりも小説家の方がお似合いなんじゃないか。
「調書によれば発砲地点はリビングとホールを隔てる間仕切り扉の手前側。デザートイーグルはガス圧作動のオートマチック拳銃。空薬莢は射手後方約右一メートルに排出される。推理もへったくれもない。君の供述が真実なら、何故玄関で撃った筈の弾の空薬莢が三十メートル前方の離れた地点に落下している?」
「なっ!そ、それは…強盗がだね、誤って…」
打って変わって、茂木さんは訥弁になった。言われてみればオートマチック拳銃の性質を知悉していれば即座に理解できることだった。最初から証言が欠陥だらけだったのだ。とつとつと喃語を溢す茂木さんに箕浦刑事が鋭い視線を送る。綾辻さんは続ける。
「仮に調書の『茂木聡太を収納家具に押し込んで』『唯一の証言、薔薇、男、三』が真実であるとして、ステンドグラスが死角となる収納棚の中に身を潜めていた彼が、一体全体何故態々ステンドグラスについてを言明する?…憶測に過ぎないが彼の供述はステンドグラスではなく邸宅で凶行に及んだ者達を暗示していると踏んでいるのだが。」
——如何かな。
問答無用の口調で畳み掛けた綾辻さんにその場にいた者達の懐疑が茂木さんに注がれた。箕浦刑事は既に手錠を出さん勢いで彼を睨め付けている。議員という免罪符が燃やされたようだ。
愈々追い詰められた茂木さんは真実を白状した。
「仕方なかったんだ…アイツが何をとち狂ったのか突然発砲したんだ、私じゃない!」
「誰がだ。」
箕浦刑事が問い糺す。そして、茂木さんの口から刑事を除いた僕達探偵社と特務課の綾辻さんを硬直させる衝撃的な固有名詞が放たれた。
「グレイだ…!」
公式で立原道造兄の名前が判明したので、シリーズ内の『立原啓道』を『立原春蝉(しゅんぜん)』へと修正しました。見逃している箇所を発見しましたら、ご一報下さい。