文豪アウトサイダー   作:れいめい よる

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真っ赤な嘘 弍

 

リビングから声が掛かる。グレイが邪魔っけな一言を飛ばせば彼此十五分、待ち惚けを食らっている男達はぴしゃりと緘黙した。まるで真っ当な申し立てに逆ねじを食らわされた親分子分だ。 

彼等はグレイと共に茂木邸に招かれた客人だった。如何にも、ルーマニアにおいて覇権を握る犯罪結社セタニアの構成員でありやや前にバールパンで舌禍を招いてグレイの不興を買った賊徒である。一時は威勢を敷衍していた横浜の地からルーマニアへと罷り恰も失墜した隠遁者の挙動をみせていたのだが、そこに目をつけたのが隆也だった。

裏社会から失脚の烙印を押された組織が串刺し公の宮殿前広場で密議を凝らしては狂瀾を既倒に廻らさんと画策しているのを漏れ伝えられた彼は一つの妙案を生み出した。

言うことには、彼等はある代物Tを確保することで戦略的に諸問題を解決して事業躍進の土台に欠かせぬ主要都市横浜に返り咲くことを渇望しているという。殊水面下での交渉においては手管に長けるとかねてより遊説している隆也はセタニアとグレイとを取り結ぶことで両者から余得に与るべく奸詐案を編み出した。 

 

暗黒面での再浮上を望むセタニア、一組織の盛衰など枝葉末節でしかないグレイ、繋ぎの受益を狙う隆也。対価に五十億を提示したセタニア——活況を呈している間に蓄えた巨万の富に比すれば端金——にその真価も知らぬ隆也は驚喜に酔いしれた。事前折衝は代物Tの確保、これはグレイが窃盗代理と取引の対価に信用契約に聡太を要求したことにより成立した。なんと隆也の提案に二つ返事で頷いたグレイが直々に品を持参するというのだ。元来愛着など皆無なばかりか、母親の死後一層仇を見るかのひねた目付きをするようになった継子など自身の財産を食い潰す邪魔虫でしかなかった。十八番の口八丁で膨大な富を獲得でき、且つ厄介者をお払い箱にできる手っ取り早い好奇を逃す手などなかった。 

 

斯様な経緯で契約締結日がやってきた。ポートマフィアが矯めつ眇めつ膝元の情勢を見張る横浜において、特務課やマフィアの監視をすり抜ける最適場は茂木邸をおいて他になかった。連休最終日朝、港湾に輻輳する闇取引の数々に軍警から公安警察までもが拘う最適の時刻に一同は集うた。予定通り金と盗難品と聡太、三つの条件は揃い各々が契約書に署名するだけ。 

 

悪貨が良貨を駆逐するが通り、円滑に儲け話は進行した。…依にもよって茂木家の雇った召使が聡太を隠すまでは。 

 

「くそっ、特務課に逃しただと?あの女狐め…」 

 

絶妙の間で女の裏切りの証拠を確保した隆也が追及すると、驕らぬ家政婦は本性を露わにした。恰も自分が勧善懲悪の漫画のヒロインのような口ぶりで隆也の犯してきた罪状の数々と量刑を言い渡すと、.50AEが彼女の心臓を容赦無く貫いた。さもなくば隆也本人がグレイの拳銃を奪ってでも蜂の巣にしただろう。 

肝心の聡太の避難先は異能特務課、積年の精神的調教を経て小心者に育て上げた我が子の密告は煩慮せずとも、彼を求めた大物の機嫌を損ねることだけは避けたかった。

しかし如何してグレイは聡太を要求したのか。フォトグラフィックメモリーは確かに利便性の高い能力であるがそれはあくまで証拠を命とする警察機関にとってであり、罷り間違っても超越者と肩を並べる異能力者が五十億という大金がはためく大口取引に持ち込むほどの奇貨ではない。 

 

「ご安心下さい。あの愚息は私がどうにかして連れ戻しますので。」

「いや、手に入らねェなら殺しちまえば良い。」

「ヒュッ」 

 

死体の眠る家具の中に潜まる自身に勘付く素振りもなく平然と悍ましい極言を言ってのける男達に聡太は表情筋が全力で引き攣るのを感じた。恐怖に喘がなかったのは自身に被せられたブランケットが薄暗がりの中で絶えず隠れんぼという言葉の残響を響かせていたから。茂木家の縁者の誰とも血縁関係がないと言う既存の認知よりも——尤も、母親は必死に隠し通しているつもりだった——二人の人間が命を賭して守り抜いた十五の魂がこうも呆気なく横浜の暗部に引き摺り込まれようとしている無念が彼を切歯扼腕に駆り立てた。

 

勘えるところ、召使が男らに吐き捨てた最後の虚言が今の聡太を救う唯一の手立てに違いない。…特務課、異能力専門の行政機関に駆け込めという、自身の死を悟った女の最期の絆の贈物なのだ。

そうすると、不思議なことに怯懦な雲に塞がれる胸が出来たてのアップルスチーマーを飲んだ時のように熱を燻し始めた。じわり、ぐつぐつ、じわじわと徐々に加熱して沸き立つ武者震いともいうべき勇気が。 

 

眸の大きさのほんの僅かの隙間から外を透かし見る。

直ぐ下に片付けられた女の亡骸が半端に仕舞われもせずに関節を折り畳まれて収まっていた。もう何ものをも映さぬ生気のない眼が聡太の心奥を痛哭に抉った。益々奔馬もかくやに駆け巡る度胸が彼の脚を今直ぐにでも逸らせてしまいそうで、聡太は下唇を噛むことで決起を下腹に引込める。 

まだだ、時期を窺うのだ。絶好の機会は必ずやってくる。 

 

いつしかセタニアの構成員を他所に玄関ホールで協議していた二人は棚から遠ざかっていた。リビングに設られたビリヤード台の上に札束の収められたジュラルミンケースを広げて今や遅しと待機するルーマニア人に事のあらましを説明する隆也。ソファに居丈高に腰掛けるグレイは聡太の失踪によりスイッチを落とされたかのように鼻白んでいた。爪楊枝を口に咥えトリガーガードに指を引っ掛け弄り回している。

須臾の間場の流れを静観していたが、次第にガンプレイにも飽きたのか立上る。突拍子もなく総額五十億が敷き詰められた数箱ものジュラルミンケースの横に並べられた一個のアタッシュケースを持って、無言のうちに玄関を出た。 

 

異様な無の音色がリビングに漂う空気を沈滞させる。陰々滅々たる雰囲気に更に行き場のない息苦しさを付加したのは今し方退席した男だった。

 

「おい、奴はどこへ行った。」

「は?えぇ…と」 

 

危険を承知しておきながらも遥々海を渡るほどに熱望した代物を片手に姿を消したグレイにセタニアの構成員が詰め寄ったのは極自然な成り行きだった。滅多にない父親の毛穴という毛穴に滲み出る周章に家具の影に徹する聡太は鼻息に冷笑を乗せる爽快感を味わっていた。

取引の破断を悟った度重なる男達は焦燥のままに卓上の花瓶を薙ぎ払うと、アタッシュケースを閉めてリビングを獰悪な足取りで出る。ふためいて引き留めようとする隆也に捲し立てる男達の「覚悟しておけ」という英単語の羅列を辛うじて聡太は聞き取った。 

 

——カツン。

硬い踵が大理石を鳴らす音がした。 

 

カツン、カツ。

革靴は玄関の手前から鷹揚に迫ってくる。

突として階段から降りてきた足音に一同は静止する。誰もが唖然として二階へと繋がる螺旋階段の先を辿っていた。

その人物は、つい先程玄関から邸宅を後にしたばかりのグレイだった。手元にあのジュラルミンケースはない。束の間の離席の原因を察知した男達は苛立ちを剥き出しにした。 

 

「グ、グレイ殿。一体何方に行かれてたんですか?」

「..........。」 

 

男は答えない。

四人を一瞥すると、殺人現場に踏み入ったドラマの刑事の慎重さを憑依させた足取りで死んだ召使の袂に歩み寄った。そこで、漸く視界範囲に写り込んだグレイを聡太は拝んだ。蟻の巣を封じるように、氣の赴くままに殺めたばかりの女の姿形をくまなく観察している。もはや見慣れつつある奇矯な振る舞いに難壁をつけるのは彼の気まぐれに二度として振り回された三人組のみであった。 

 

「Ce naiba e asta o glumă!」

「少し黙ってくれ。」 

 

地団駄を踏む子供を嗜めるような口調が放たれると最初に詰め寄った男は興奮のために耳元まで紅に火照った。勇んで突貫しかねないほどに鼻息を荒げる男を制したのは彼の仲間だった。 

いつかのバーでの間断なき雷光に射抜かれるような戦慄を粟立つ鳥肌が思い起こさせたのだ。本能的な危難を感知した派遣組のリーダー格が抑えの効いた声音で何事かを言立てると、グレイの横暴に忍従の限界に達していた二人はピタリと咆哮をやめた。

一人が携帯を手に取ると何処かへと急ぎ電話を掛ける。解散風を誰よりも吹かせていた男が俄に態度を一変させる様は慎ましやかに形容しても奇行でしかなかった。隆也に至っては頭の螺子が外れた変人が狂気を持ち込む有様を家主として嘆いていた。 

 

一方、グレイといえば…身近で諍う男達にさも他人事とばかりの眼差しを突き刺すと死体へと目線を戻す。隆也が放り捨てた財布を拾い上げ女の姓名から出身等の記された身分証をまじまじと見詰めると、捉え難い顔貌を顰蹙させた。 

目睫の間でその得体の知れない変容を目撃した聡太は思わず身を退け反らせる。 

 

…ギィ。 

 

「ッ!」 

 

半年も手入れの施されていなかった壊れたままの土台が命懸けの隠れんぼをする哀れな少年の居処を告げ口した。

止まる。時でも世界でもない、瞬間的に凍り果てたのは鬼に見出された聡太の意識だった。 

心臓が動悸を響き渡らせる。家具の軋みよりもずっと煩かった。慷慨すべき災難すら毛布と一緒くたに抱き締めて、それ以上のない壁止まりに体をめり込ませようとする。 

 

——見るな見るな見るな…! 

されども無情にも鬼の目線は上へ上へと流れ…無窮の黒が聡太を射抜いた。 

ヒッ、と声にならない声が微かに転びる。グレイの瞳孔は確実に奥行き四百ミリメートルの暗所で震え慄く存在を捉えていた。同時に聡太も男を視た。 

 

無限の悪寒が聡太の体内を劇しく伏流する。後にも先にもこれ一点しか想起できぬほどの、幾重にも濃縮された夢魘だった。 

…永遠且つ刹那の時間が流れた後に転機が訪れた。 

 

「どうかしましたか?」 

 

皮肉にも聡太を襲った絶望を一刀両断したのは彼が最も忌み嫌う存在だった。

突然変哲もない家具を凝視するグレイを訝しんだ隆也は身を乗り出す。しかし後一歩、彼の視界に家具の中身が映じる直前に翻ったグレイの外套が遮った。 

 

「いや、何でもない。良い家具だと思ってな。」

「はあ。お気に召したのなら中古でよければ差し上げますけど。」

「冗談だ。本気にすんな。」 

 

またもや善意を揶揄した傍若無人っぷりに痙攣する静脈を浮き上がらせなかった己を隆也は自画自賛した。内部抗争により時に血塗られる政界で命金脈を保ってきた手腕は伊達ではない。 

膠も無い背中がリビングへと突き進む。最中、玄関ホールの一隅では錯綜が生じていた。 

 

「っふ、ひっく…」 

 

呪われた閉所で、とっくに変容に慣れた筈の視力と心気が膨大な混乱の津波となり襲いかかる。母親の死から誘発された負の連鎖、身代わりとなった召使、極め付けはグレイを名乗る男に纏わる不吉の因果...半日足らずで奔流した情報の洪水が嵩を増し溢れ返った。成人もしていない十五の少年が一度に抱えるには気鬱すぎる、心根を腐食で蝕んでしまいそうな由々しき混雑があの眴せの刹那に引き起こされたのだ。 

 

尚もリビングで進行する悪魔の情景を具に記憶する容量を聡太は持ち得なかった。一種の情報過多シンドロームである。 

いつか二階から落とした蓄音機が錯乱して音楽を再生し続けたように、自己処理能力が著しく低下した海馬が最も不芳な記憶を呼び起こす。 

 

——聡太、だいじょ…ぶよ 

  だいじょうぶ、愛して、る 

  そ…たく、ん 

  隠れ…んぼ、ね? 

 

真昼間の邸宅に佇まう狭い夜に見るも浅ましく聞くも身の竦む酸鼻なる描写が繰り返される。頭を掻きむしり耐え忍ぶ聡太を蟻走感が追い討ちをかける。 

聡太…聡太… 

 

「う、うわぁああ!」 

 

遂に耐えきれなくなった聡太は棚から弾け出た。

下段の角に躓き膝を擦りむくも即効身を起こす。一目散に玄関に疾駆するとゴールテープを断ち切らん勢いで外に飛び出した。体育祭でも此程までに真剣になったことはなかった。 

 

彼を呼び止める怒号が耳朶に届く。同時に背後で三発分の銃声が轟いた。 

 

聡太は駆け足を緩めない。足をもつれさせ、転倒して、糸に引っ張られるように跳ね上がる。そうしなければ行き着く先が母親や召使の還ったであろう天国ではなく地獄であると根拠のない直感が訴えていた。

 

減速した瞬間に鼓動が終わりを迎えてしまうかの如き気迫で両脚の動作に拍車をかけた。いっぱいになった頭の中を振り払うように、召使が与えた生存の道へと突っ走った。

 

行き違う通行人が靴も履かずに道路を疾走する彼を何事かと見返っても彼は脚を動かすことを止めない。如何しても今だけは止められなかった。」

 

 

 

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