乙女ゲーに転生したら本編前の主人公と仲良くなった。   作:4kibou

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4/おどろきまして

 

 

 

 

 日々は消費されるように進んでいく。

 季節が変わるのだってあっという間だ。

 

 彼女――渚と肇が出会ってからはや一か月ほど。

 

 六月も半ば、梅雨真っ只中の時期。

 自習室の窓から眺める空は相も変わらず鉛色。

 

 降り続けている雨は少なくとも今日一日止みそうな気配はない。

 

「……水桶くん、傘持って来てる?」

「そりゃあ、まあ。朝からずっとだし」

「そうだよね」

 

 どこか土をかぶったような匂いと、パラパラと窓を叩く雨の音。

 いつもより音は多いものの、空気は冴えるように静かだ。

 

 湿度の高さ故か、湿った教材は触れるとほんのり冷たい。

 

 そんな状況だとしても今年度が勝負の受験生。

 ペンを走らせる手は、緩みこそすれ止まらないままである。

 

「…………、」

「…………、」

 

 会話もコミュニケーションもそこそこ。

 

 時折ある他愛ない会話も続いたり続かなかったり。

 けれど教え合うときに不便なので席は近く、隣同士に。

 

 肇と渚――原作主人公との付き合いは奇妙な距離感のまま続いている。

 先に話していたとおり互いに分からないところを助け合う勉強仲間として。

 

「…………水桶くん、助けて」

「どうしたの」

「文章抜き出し……」

「うん、どこ?」

「ほら、ここ」

 

 とんとん、と手元の問題集を指差されて椅子を動かした。

 

 自分の席から少しずれて横へ。

 ちょうど並ぶようにして、机の上を覗き込むように身体を傾ける。

 

「二十五字以内とかあるけど、なんでこういうのちゃんと文字数決めないんだろうね」

「決まってるのもあると思うよ、たぶん」

「……引っ掛け?」

「かも。それで、問題だけど。月がどうしてヒトのカタチになりたいのか、だから――」

 

 ざっと設問の文章を読みながら渚に説明していく。

 

 国語は理数系に比べればまだ全然できる科目だ。

 ずっと昔からインドア派だったのと、おそらく前世で一時期入院したときに飽きるほど小説を読んでいたからだろう。

 

 ゲームも漫画も思いっきり嗜んだのはその時期だった。

 それ以前はまあそこそこ忙しくも充実した普通の学生生活を。

 

 それ以降にやっていたことなんて本当、馬鹿の一つ覚えみたいに――

 

「わっ」

「あ、雷」

 

 じめっとした空気を震わせるような轟き。

 ぴかっと光った稲妻は数秒と待たずに音が追い付いてくる。

 どうにもそこまで離れていない様子。

 

 びっくりしながら渚のほうを見ると、彼女も肇のほうへ顔を向けながらパチパチと忙しなく瞬きなんかしていた。

 パチパチ、パチパチと。

 

「近かったね……」

「うん、驚いた。帰り、ちょっと怖いね」

「……たしかに。雨はどうにかなっても、雷はね」

「…………、」

 

 それからなんでもないように、渚が問題集へと視線を落とす。

 

 怖がっているとかそういうのではない。

 表情にしろ身体の動きにしろ、彼女にそういった態度は見られない。

 声のトーンも視線の動きも至って普通、いつも通りの姿。

 

 ただ、やっぱり肇にはなんだかおかしなモノがあって。

 

 つきん、と細く頭が痛む。

 

「…………?」

「……どうしたの? 水桶くん」

「あ、えっと……その……――」

「…………?」

 

 思わず額に手を置いて俯く。

 

 普段なら気にもとめないぐらいの些細な感触。

 それは物理的なモノではなくて、やっぱり胸の内で起きたコトだ。

 

 手応えを探っても曖昧で分からない。

 今年に入ってからやけにこういうことが起こる。

 

 ……本当になんだろう、と彼はひとつ息を吐いて。

 

「――もしかして水桶くん、雷が苦手?」

「……え」

「別に、それならそうって言えばいいのに。……隠さなくてもいいと思うけど」

「いや、違うって。そういうのじゃなくて、もっと――」

 

 ぴしゃああぁあん、と先に続いて二度目の雷が落ちる。

 今度はおそらくもっと近い。

 

 ふたりして顔を向け合ったまま音を浴びること数秒。

 繰り返すように渚はパチパチと忙しなく瞬きをし、肇の顔も引き攣るように強張った。

 

「……ほら、やっぱり苦手でしょ」

「別に――うん、本当に違う。苦手とかじゃない。そうじゃないんだよ」

「そこまで必死にならなくても。……もっと近くに寄ろうか?」

「だから違うんだって、もう……」

「……ふふっ。そっか」

「…………、」

 

 からかうように笑って渚が目を細める。

 果たして彼の言い分は正しくしっかり伝わったかどうか。

 はっきりと明言はされなかった。

 

 ……されなかったのだが、その後も度々向けられた暖かい目がなによりも雄弁に物語っていた。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 帰る時間になっても天気は変わらなかった。

 空は依然として濁ったような雲に覆われている。

 

 ざあざあと降りしきる雨。

 

 星も月もない夜は酷く暗い。

 代わりと言ってはなんだけれど、雨音のおかげで自然の喧噪はそれなりにあった。

 加えて時折起こる稲光と、ゴロゴロと唸る雷の音。

 

 夜の静けさは曖昧に誤魔化されている。

 

「大丈夫? 水桶くん」

「だから違うんだよ、優希之さん」

「……そんなに強がらなくても。実際、雷って危ないし」

「強がってなんかないし、本当に違うからね」

「……うん、そうだね」

 

 頷きながら、ぽわぽわと暖かい目を渚が向けてくる。

 

「…………優希之さん……」

「なに、どうしたの」

「……そういうつもりなの?」

「そういう、って?」

「…………君は()()()()だね、案外」

「――――ふふっ、ごめん」

 

(…………、まったく……)

 

 らしくもなくふて腐れて、肇はふいっとそっぽを向いた。

 渚のいる方とは反対側に首をまわしつつ、うなじをガリガリと掻く。

 

 年甲斐もない……というのは中身の話で、身体はきちんと男子中学生なわけだが、それにしたって今日の彼女は言った通りちょっと意地が悪い。

 

 途中から半ば分かっていただろうにからかって来たのなんて正しくそうだ。

 ほんとにもう、なんて若干の不機嫌を隠しもせず歩いていく。

 

 と、

 

 

 

「――――――」

 

 

「…………、優希之さん?」

 

 不意に隣を歩いていた彼女の足音が止んだ。

 振り返って見てみれば、わずかに下がったところで渚が静かに佇んでいる。

 

 反射的にジトっとした視線を投げたのは先ほどの件によるもの。

 呼びかけた声は聞こえなかったのか反応がない。

 

 一体何事か、と身体ごと向き直って少女と相対する。

 

「――――――――、」

「……優希之さん?」

 

 もう一度名前を呼ぶ。

 

 返事はない。

 

 渚は呆然とその場に立ち尽くしていた。

 視線はじっと肇のほうへ向けられている。

 気のせいか、その瞳を微かに震わせながら。

 

 時間停止にも近い動作の制止、もしくは意識の空白。

 

 ありえないものを見たように、その目が大きく見開かれる。

 

――――」

「どうしたの?」

「っ……あ……、いや……えっ、と……」

「……大丈夫? 気分悪いとか?」

「っ、そうじゃ――……、……あぁ、ううん……、……気分は悪い、かな……」

 

 あはは、と力無く笑って肩を落とす渚。

 

 こぼしたため息は重く空気にのし掛かっていく。

 それこそ雨の音にも負けないほど強烈に、沈むみたいに。

 

「……歩けないぐらい? 熱とかある? 痛いところとか……」

「あ……そういうんじゃ、ないんだ。ごめん……ただ……」

「……ただ?」

「…………なん、だろうね。こう……凄い、情けなくって」

「……?」

「……ああ。ごめん。これも……私の、話だった……」

 

 見るに堪えないぐらいの意気消沈。

 

 ついさっきまで肇相手にふざけていた態度はどこへ行ったのか。

 いまの彼女は自分の感情に押し潰されるのではというほど沈痛だ。

 

 目を離せばすぐにでも消えてしまうんじゃないかと思ってしまうほど。

 

「……水桶くん、さ」

「? う、うん」

「前に、美術が得意って……言ってた、じゃん」

「そう、だね。たしかに言ったけど」

「……実際に、その、色々……というか、いっぱい描いてたり……するの?」

「いや、全然」

 

 その答えは彼女にとってどう映ったのか。

 

「せいぜい授業とか宿題でやるぐらいだよ。自分で描いたりしたコトはないかな」

「………………そう、なんだ」

 

 肇には分からない。

 俯く渚の顔は夜の闇と傘の影に包まれて見えない。

 

 ただ、聞こえてきた声音は奇妙な響きを孕んでいた。

 

 どこか安堵したような。

 それでいてどこか失望したような――微妙な声の震え。

 

「……それが、どうかしたの?」

「…………ううん、なんでもない。ちょっと、気になっただけ」

「…………、」

「気分が悪かったのは……情けないのは……、うん。私自身、言い過ぎたなって……」

「……良いよ、そのぐらい。もう怒ってないから」

「あはは……ありがと。……優しいんだね、水桶くんは」

 

 そうでもない、と返しながら自然に彼女を促して歩みを再開する。

 

 一時は真っ青だった顔色は段々と血の気を取り戻していた。

 足取りも淀みない。

 意識も視線もはっきりとしている。

 

 危ないのは、その心の模様だけ。

 

「……そうかな」

 

 否定も肯定もせずに彼女の隣を往く。

 

 なにが良くてなにが悪いか。

 その人にとってなにがタメになるのか。

 

 優しいかどうかなんて分からない。

 

 

 ……でも。

 

 

 下手にすぎる女の子の嘘ぐらいは、彼でも分かるコトができた。

 

 

 


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