乙女ゲーに転生したら本編前の主人公と仲良くなった。   作:4kibou

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40/やっぱりぜんぜん伝わってない

 

 

 

 

 その後、無事家に帰り着いた渚はまず食事を済ませた。

 

 食事が済めばお風呂へ。

 お風呂が済めば軽いお肌のケアをして自室へ。

 

 無心で本日分の宿題を終わらせて、パタンと教材を閉じて立ち上がる。

 

 がん。

 

 脛に衝撃。

 部屋のガラステーブルに足をぶつけたらしい。

 

 がん、がん。

 

 爪先に衝撃。

 続いて頭にも衝撃。

 ベッドの脚に躓いて、倒れこみながら頭を打ったらしい。

 

 ぱたん。

 

 布団の上で大の字に寝転がる。

 

 少女は呆然と天井を眺めている。

 星を見るような漠然とした表情(カオ)はすでに事切れた後のものでしかない。

 

 どうやら思考回路はすでに焼き切れてしまったみたいだ。

 

 ただぼへーっと、ぼけーっと。

 ひたすらに視線を固定させるだけの生き物。

 

「………………」

 

 あたりは静寂に包まれていた。

 

 耳を澄ませば微かな音が聞こえてくる。

 

 コチコチと秒針を鳴らす枕元の時計。

 カタカタと窓を震わせる外の風。

 

 壁や床を伝って届いてくるのは水道かガスの通る響き。

 一階で母親が洗い物をしているからだろう。

 

 扉越しに酔っ払い(だいこくばしら)の笑い声まで入ってくる。

 

「……………………」

 

 コチコチ、コチコチと。

 

 時間は無為に過ぎていく。

 

 渚は固まったまま動けない。

 漠然と、茫然自失とした様子のままベッドに寝転がっている。

 

 十分(コチコチ)二十分(コチコチ)三十分(コチコチ)

 

 世界は歩みを止めてくれなかった。

 

 当然のコト。

 

 たったひとりの少女に付き合うほど地球(ほし)は気安くない。

 表層に溢れた数ある命のほんの一欠片に固執するほど優しくもない。

 

 世はこともなげに無情そのもの。

 

 いくら本質は乙女ゲームの主人公(ヒロイン)とはいえ、ここはゲームの中ではなく立派な現実だ。

 それらしい要素こそあれど歴としたフィクションではないリアルである。

 

 なので、

 

 

 

「……………………、――――??」

 

 

 

 彼女の心境はこのとおり、宇宙猫状態(?????)にあった。

 

 〝――――わけがわからない〟

 

 ぽかん、と口を間抜けに開きながら天をあおぐ渚。

 

 その顔に感情の色はない。

 強いて言うならなにもない、というのが色として表われている。

 

 理由はつい先ほどの帰り道。

 

 同行していた少年が吐いた見事な一言だった。

 

月が綺麗って(あいらぶゆー)……?)

 

 こてん、と寝転がったまま首を傾げる。

 近くにあった猫っぽいクッションを無意識のうちにかき抱く。

 

 もぎゅもぎゅ、むぎゅむぎゅと。

 

 腕と胸の間に挟まれた柔らかにゃんこが流動体のように形を変えた。

 

月が綺麗って(あいらぶゆー)…………!?)

 

 渚の首はいや曲がる。

 

 よもや側頭部と肩がくっつくのではないかというほどだ。

 

 傾げるどころの騒ぎではない。

 ぐぎぎぎぎぎぃーっ、という擬音が聞こえてきそうなほど曲がった首はシンプルにホラーだった。

 

 怪異、首曲がり女の誕生である。

 

 それはともかく。

 

月が綺麗(あいらぶゆー)……、月が綺麗(あいらぶゆー)……? 月が、綺麗(あい、らぶ、ゆー)……??)

 

 曲がらない首をさらに傾げて渚が疑問を表現する。

 

 諸説ありながらもかの有名な御仁が訳したとして伝わるその言葉。

 それを隣に連れ添って歩く相手に投げ掛ける意味を彼は知っていたのだろうか。

 

 知っていた。

 

 嘘だろう、ありえない。

 なんならその上で二回も言って来やがった。

 

 やず○でさえ二回しか――いや回数は同じだが、とにかく二回だ。

 

 月が綺麗だ(I love you)と。

 

 

 

(――よし、一旦落ち着こう)

 

 

 

 渚はクッションを抱き締めながら極めて冷静であろうとした。

 

 息を強く吸って、細く吐いていく。

 

 分からないコトはしょうがない。

 人間は学ぶ生き物だ。

 産まれてからなにも習わずに生きていくコトなど不可能。

 

 故に初めてのものは大抵分からなくて当然。

 なので、そういうときこそ理性を働かせて考えるのである。

 

 冷静に、冷静に。

 

 心に凍てついた氷を這わせながら、彼女は回想する。

 

 

(ふたりで歩いてて。なんとなく話してて。月が綺麗なんだって言われた)

 

 

 

 〝あはは、告白みたいなコトされてる――――〟

 

 

 

 ばしゃん、と氷は一瞬で全部溶けた。

 あまりにも儚い理性(しょうがい)だった、南無。

 

 

(――――どっ、どどどどど! どどどどどどどど!? どぅえ!? ?! あっ、えっ。あっ、あっあっ、あ!? え!? なんっ、ぅえ――!?)

 

 

 しゅぽーっ、と煙突(あたま)から白煙(ケムリ)をあげる蒸気機関車(ユキノーマス)

 

 もはや彼女に残る落ち着きなどなし。

 心臓はガッタンゴットンと不揃いなレールを走っている。

 

 顔はすでに耳まで真っ赤。

 じんわりと手汗まで滲む始末。

 

 おおよそこれで冷静などと言えるものなら色んな意味で大物だろう。

 

 恋愛弱者的に小物としか言いようがない渚はもうクッションを抱き潰しながら悶えるしかない。

 

 かよわい生き物である。

 

(こ、告白!? ナンデ!? 水桶くんが? 私に!? 一体どういう理由で!? わかんないわかんない! ていうかほんとに告白!? いつもの勘違いとかじゃなくて!? そもそも告白の定義ってなに!? 教えて! 誰か教えて――――っ!!)

 

 じたばたとベッドで跳ねる乙女はともすれば陸に打ち上げられた鯉より瀕死だった。

 

 ()()だけに。

 

(いややかましいわ)

 

 なんにせよ仲の良い男子から告げられた実質プロポーズである。

 

 これに無反応で居ろというほうが鬼畜にすぎる。

 いまがなにでどんな状況だろうが考えずにはいられない。

 

 それが幸運なコトに意中の相手であるなら尚更だ。

 

 ……尤も、彼女はその衝撃になにも応えられず帰宅と相成ったのだが。

 

(あぁあぁあそうだ私なにも言い返してない……ッ)

 

 ぐぁしぃ! と今度は己の頭を両手で掴んで唸る渚。

 

 ベッドの上で海老反り……背中が下なのでブリッジと呼ぶべきか……じみた真似をして、寝間着からおヘソを()()()とさせているのはとても十代の少女とは思えない痴態だ。

 

 たぶん親に見られたら一生モノの傷を負う蛮行である。

 

 けれどもいまの彼女にそんなコトを考えられる余裕なんてない。

 あったとしても先ほどの心の氷と共に刹那で見事蒸発してしまった。

 

 ああ悲しきかな我が人生。

 

 恋愛感情に振り回される少女がご大層なやり取りを前に僅かでも理性を残せるワケがないのだ。

 

(――――い、いやでも、水桶くんもそのあと変わったところなかったし……!? やっぱりいつもの!? 天然特有のアレ!? 単純に月が綺麗だったから!? 今夜は…………ちょうど満月!! あァ――――ッ!! 分かんないぃい……!!)

 

 暴れる身体とは裏腹に思考は徐々に冴えていく。

 ……ように思えて熱に浮かされていく。

 

 今晩が新月だったとしたらそりゃもうビンゴだったろう。

 渚は手放しでハッピーラッキー太陽スマイルイェーイと錯乱していたはずだ。

 

 しかし本日はバリバリギラギラの満月。

 

 文字通りまん丸綺麗なお月様。

 部屋の窓から覗いてみてもその形はくっきりと目に映る。

 

 それを見れば、まあ、件の台詞が出てくるか出てこないかで言えば出てくるだろう。

 

(か、勘違い? でもでも、意味自体は知ってたし……!? ど、どうなの!? ていうか本当に告白されたの!? 私たち付き合ってるの!? わかんない!! 告白!? 告白じゃない!? どっちなんだい!?)

 

 なお渚にはガチガチの筋肉(パワー!)なんてひとつもないのでルーレットはできない。

 

(か、確認してみる? ……なんて? 私と水桶くんってもう恋人同士ー? ――――いや無理ぃー!! そうやって率直に訊けたら苦労しないよ恥ずかしすぎるよ!!)

 

 なんならそうやって切り出して「え?」なんて返されたときを思うと俄然不可能だ。

 

 心が折れるどころではない。

 

 もう崩れる。

 砂になって崩れ去る。

 

 ボロボロと粒子になって溶けてしまうのだ。

 こう、さぁっ――……と。

 

 そうなってしまったら渚は()()()()()立ち上がれる気がしない。

 

(くっ……水桶くんのくせになんて爆弾を……! というか意味知ってるなら余計言わないでほしいんだけど!? 誤解するからね!! いやこれは決して水桶くんからの好意が嫌だとかそんなコトはなくってむしろその逆で私の本心的にはばっちこいっていうかいや私はなにを言っているんだァ――――!?)

 

 がんがんがんがん。

 

 若い命が真っ赤になるまでヘッドボードに頭を打ちつけている。

 

 渚はもう狂っていた。

 

 仕方のないコトだ。

 古くから月光は妖しくヒトを誘うという。

 

 太陽の輝きを受けて育った少年にそれがあるというのなら彼女は上手く()()()()()()というワケで。

 

 ……実際は因果応報みたいな感じだが、当然彼女はまだその真実に辿り着いてすらいない。

 

(――お、落ち着け。落ち着こう、とりあえず電話して――――電話して――……電話、して…………どうするんだろうね、この(わたし)は? うん??)

 

 ぱたん、と最初と同じように大の字でベッドへ倒れ込む。

 

 ぼんやりと眺めた天井は見慣れた模様だけがあってなにもない。

 変わったのは思考の停止から解放されて動きはじめた渚と、今更になって痛み始めた各所にぶつけた怪我だ。

 

 意識すれば余計にじわじわと鈍痛が走っていく。

 

「…………、」

 

 ほう、とひとつ何気ないため息。

 

 考えてみても結局分からない。

 あれはどういう意味だったのか。

 

 彼の言葉は本心からの告白(プロポーズ)だったのか。

 それともただ洩れただけの感想なのか。

 

 てんでさっぱり不明なまま。

 

 ……けれど。

 

 しかしながら、残念なコトに。

 

 予想するのならきっと後者だろうと、同時に渚は思っていた。

 

 なにせ今まで散々振り回してくれた天然純朴少年(ポンコツクソボケやろう)だ。

 いくら事前知識があるとはいっても、そこまでロマンチックな真似はできないだろうと。

 

 

(……思ってるん、だけどなぁ……っ)

 

 

 可能性の薄いほうを捨てきれないのは彼のせいだ。

 

 まったくもって勘弁してほしい。

 こんな思いをするぐらいならいっそ何も言ってほしくなかった。

 

 かといって、じゃあ言われたコトを綺麗さっぱり忘れるかというと、それはそれで勿体ないので大事に仕舞い込みたい渚なのだが。

 

 ……問題は、そうやって仕舞いたいモノが大きすぎて容れ物がないコト。

 

(こんなの、酷いってば……)

 

 苦笑しながら渚は胸中で悪態をつく。

 

 頬の熱はいまだ冷めない。

 胸の鼓動は忙しなくリズムを刻んでいた。

 

 この瞬間限定ならメトロノームにさえなれるであろう心臓は元気よく高鳴る。

 

 室内ですら暖かい春の気配は身体の芯から熱いものに変わった。

 

 横になっているというのに気分は一切落ち着く気配がない。

 

 

 

 

 ……結局。

 

 その日、彼女は一睡もできなかった。

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 ――――そうして、待ちに待った翌日。

 

 通学路で再会した肇は、渚を見るなりふわりと微笑んだ。

 ()()()()()()()()()()()()()表情で。

 

 

 

「おはよう、優希之さん」

 

 

 

 〝――――――――――水桶肇(コイツ)ッ〟

 

 

 

 いや別にそこまで期待していたワケじゃないが。

 実際冷静に考えてみても望み薄ではあったが。

 彼ならたぶんそう来るだろうと予測してさえいたが。

 

 それはそれとして、ムカッとしてしまうのはしょうがないコトだろう。

 

 だってあんな話をしたのに、向こうは意識もなにもしていないとか、ちょっとアレだ。

 ずるいではないか、と渚の機嫌は急降下していく。

 

「……………………、」

「……? あれ、どうしたの?」

「別に」

 

 ふんっ、とそっぽを向きながら彼女は歩みを再開した。

 

 よくある分かりにくい意思表示なんかとは違う。

 明確に、はっきり、私いま不機嫌です、といったオーラを撒き散らしながら。

 

「……なんか怒ってる?」

「おこってない」

「でもそんな怖い顔」

「こわくない」

「いやいや優希之さ――」

 

「水桶くん、うるさい」

「的確に刺してきたね。どうしたの本当」

 

 さらさらと隣を歩く渚の頭を撫でながら訊く肇。

 これで機嫌を直してもらおう――なんていう下心からではなく、自然と手が伸びた結果だ。

 

 そこは渚としても嫌ではないので一先ずスルーする。

 

 撫でたいなら存分に撫でればいい。

 今だけは許してつかわす、と尊大なお姫さま的に受け止めた。

 

 これがわざとらしい仕種なら()で払い除けてやったが。

 

「………………昨日」

「きのう?」

「……分かんないならいいっ」

「どうしよう過去イチで優希之さんが拗ねてる……」

 

 そりゃあ拗ねる。

 もう拗ねに拗ねる。

 

 大体こんな精神状態で拗ねなければそれは聖人君子だ。

 残念なコトに渚はそこまで大層な性格はしていない。

 

 今回ばかりは主張させてもらおう、と彼女は胸を張って眉根を寄せた。

 

 誰がなんと言おうと悪いのは彼だ。

 勝手なコトを言ってくれやがった肇のほうだ。

 

 (わたし)は悪くない、自分(わたし)は正しい、と。

 

「……お昼寝ちゃったこと?」

「ちがう」

 

「放課後急に出て行ったこと?」

「ちがうっ」

 

「何も言わずに待たせてたこと?」

「ちがうっ!」

 

 

「……あぁ! 欠伸見ちゃったことだ」

「それはちがわないけどちがうッ!」

 

 

 忘れてっ、と吐き捨てる渚は早くもちょっとだけボロが出ていた。

 

 乙女的に見過ごせない重大機密事項。

 今すぐ瞬時にさっさと刹那で記憶から抹消してほしい。

 

 大口開けた自分の姿を見られるなんて下手すれば自殺級の代物だ。

 

 ……前世がアレな彼女の言とするなら冗談にもならない寒さがあったが。

 

「っ、もう! 水桶くんのばか! あほっ!」

「あほで良いから理由を教えてもらいたいなー……」

「絶対言わない。ぼけっ、くそぼけっ」

「せめてヒントだけでも……、」

「言わないったら言わないっ」

「あっ、ちょっと待って優希之さんっ」

 

 ぷんすか怒りながら歩いていく渚を肇がゆっくり追っていく。

 

 足の速さでは敵わないと彼女も分かっているからか走ろうとはしない。

 ただこれ以上ない意思表示として「つーん」と余所を向いて目を合わせようとはしなかった。

 

 地味に痛い反撃である。

 

 

「……クッキーいる? 市販品だけど」

「…………私そんなに甘くないから」

 

「お菓子だけに?」

「私そんなに軽くないから」

 

「合格発表のときは軽かったよ?」

「っ! ……そんな、話は、いま、してない……!」

 

「ごめんごめん。……謝るから許して。ほら、あーん」

「往来だからっ! 謝るぐらいなら自重してっ」

 

「えー」

「えーじゃないっ!」

 

 

 珍しく押し負けずに声を荒げる渚だが、やはりというかなんというかその顔は赤い。

 

 結局のところどう取り繕ったって根底のあるのは誤魔化せないのだ。

 

 たしかに腹は立つし。

 イライラするし、モヤモヤするし。

 

 めちゃくちゃ思うところがあって、良い部分ばっかりでもないけれど。

 

 ……なんだかんだといって、そういうところも含めて惚れてしまった時点で終わっている。

 

 色んな意味で負けなのだ、彼女は。

 

「――――っ、もう……!」

「ふふっ、ごめん。だから待ってってば」

 

(絶対待ってやらない……!)

 

 せめてもの抵抗としてそこだけは固く決意しながら渚は歩を進める。

 

 なにはともあれ関係性でいえば変わりなく。

 胸躍るタイミングはあったとしても、それで決定的とまではいかなかった。

 

 得てして意思疎通とは難しいもの。

 

 声にしろ文字にしろ、言葉でのコミュニケーションにだって限界はある。

 人間関係なんて複雑に絡まり合う綾模様そのものだ。

 

 完璧に分かり合うなんて不可能に近い。

 

 どっかの天才(ぶちょう)どもは別として。

 

 

(…………うーん)

 

 

 そんな渚を見つつ、肇はちいさく頬をかいた。

 いまだご機嫌斜めな理由が分からずに、胸中でひっそりとため息をつく。

(……やっぱり伝わってないのかな……いやでも……結構分かりやすい、とは思ったんだけど……)

 春の陽気に照らされてまた新しい一日が始まる。

 学園生活はスタートしてまだ一か月足らず。

 

 道程は遠く、足を向けたばかりだ。

 

(……深く考えたら余計な傷を生む気がする。まさかそれで不機嫌だったら、いや立ち直れない……)

 

 

 

(……でも、そうだとしても、これから分かるコトかな。……うん、だってもう俺たちは――)







一部表現を修正(2022/12/3 1:12)

まあ全体の見える範囲では誤差レベルです。

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