乙女ゲーに転生したら本編前の主人公と仲良くなった。   作:4kibou

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57/はじめのコトバ

 

 

 

 

「ずっと、嘘……ついてんだ。私」

「……どんな?」

 

 素朴な疑問を呟くような肇の問いかけ。

 

 渚はきゅっと唇を噛み締めた。

 構えるように全身へ力を込める。

 

 どんな返しがやって来ても耐えられるように。

 逃げるコトだけはないように。

 

「絵の、こと。……売れないワケじゃ、なかったの」

「そうなの?」

「……うん」

 

 へぇ、そっか、なんて明るく応える肇。

 

 けれども彼女の告白はそれだけではない。

 そんな事実の一欠片を話したところで、渚の表情は厳しいものから変わっていないのだから。

 

「ちなみに幾らぐらいになったの?」

「……売ってないの」

「? でもさっき、売れないワケじゃないって」

「…………一度だけ、オークションに出したんだよ。でも……やっぱ、出来なくて。大事な家族の絵を、他人に、渡すのが……嫌で」

「……そうだったんだ」

 

 驚きよりもどこか穏やかさの際立つ声音で彼は頷いた。

 

 謝らなきゃいけない、と言われて一瞬身構えたがなんてことはない。

 

 肇にとってそれは過ぎた日々の些細な問題。

 加えていうなら実際大したものでもないコトだ。

 

「まあ、あの時はなにか返したいって俺も思ってばっかりだったから、仕方ないのかな。うん。今だから聞けることかも」

「……ごめん……でもっ」

「別に良いって。もう終わったことだもん。……あ、オークションの話は気になる。いちおう出したってことは、値段がついたんだよね?」

「っ、ぇ、ぁ……たしか……四千八百万……」

「え? なんて?」

 

 耳を澄ませて肇が渚のほうを向く。

 

 笑顔のまま固まりつつ。

 もしかして聞き間違いだろうか? なんて。

 

「四千八百万円……だったと思う」

「よんせんはっぴゃくまん」

 

 聞き間違いじゃなかった。

 

 アホみたいなオウム返しをしながら肇は両手で指折り数えてみる。

 

 右手の親指から順に、一、十、百、千、万。

 十万、百万、千万――と、カウントは左手の中指を折ったところで止まった。

 

 

「――――四千八百万ッ!?」

「うん……」

 

 〝――――――――まじか〟

 

 

 まさかの八桁。

 八桁万円である。

 

 肇はシンプルに愕然とした。

 

 よもや一枚も売れない、世間からの一般評価では駄作と思っていた作品群にそんな価値がついていようとは彼自身も思うまい。

 

「……もしかして俺って結構凄い?」

「そうだよ。あなたは凄いの。……ほんとに、凄すぎたんだよ」

「わー……どうりで周りのみんなと認識のズレがあるわけだ……そうだったのかー」

「…………うん」

 

 天才画家、ここに自覚と気付きを得る。

 

 値段以外に大して驚きも動揺もしていないのは他人からの評価がそこまで肇にとって大部分を占めるものではなかったからだろう。

 結局のところ、彼は売れようが売れまいが、評価されようがされまいが、己の感性に従って自由に筆を走らせるだけなのだ。

 

 その在り方は過去に()かれたちょっとの嘘ぐらいでは揺るぎない。

 

「でもそこまでだと色々声とかかからなかったの? 譲ってとか見せてとか」

「かかったよ、もちろん。……絵を狙って、うちに泥棒が入ったときだってあった」

「え、大丈夫だったのそれ。父さんとふたりだけだよね? 怪我とか……」

「ううん、してない、大丈夫。絵も傷ひとつなくて……」

「おぉ、それなら良かった」

 

「――――――でも」

 

 

 繋げる言葉は空気ごと沈めていくように。

 

 なんでもない発声がいまは酷く重たかった。

 いつもぽやっとした肇ですら敏感に感じ取れるほどの変化。

 

 ……だとするなら。

 

 きっと、そこに続くコトこそが彼女の言いたかった一番大きな事情だと彼は察した。

 

 ひとつ静かに生唾を嚥下して、渚の台詞に耳を傾ける。

 

「私……それで、怖くなっちゃって……」

「……泥棒に入られたのが?」

「それもある、けど……なにより、他人に絵を持って行かれる、っていうのが……」

「…………うん」

「だから……私」

 

 罪状は少女の口からハッキリと。

 緊張で震えてはいても、こと此処に至って怯える真似はせず。

 

 彼女は真っ直ぐ肇のほうを向いてたしかに告げた。

 

 

 

「――――ぜんぶ、燃やしたの」

 

 

 

 ……瞬間。

 

 ピタリと、それまで止まらなかった彼の足が止まった。

 

 振り向いた顔にさっきまでの軽妙さは消えている。

 よりいっそう驚いたように見開かれる瞳。

 

 ひとときの静寂が支配する夜の沈黙。

 

「……え、さっきの八桁万円も?」

「…………、」

 

 こくん、と力強く首を縦に振る渚。

 

 対する肇は呆然とそんな彼女の様子を見詰めたあと、ひっそりと天を仰いだ。

 依然として綺麗な夜空を眺めて、「Oh……」とでも言いたげにぱしんと目元を手で覆う。

 

 なんたる衝撃。

 なんたる真実。

 

 ――――なんというとんでもなさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「も、勿体なぁあぁあぁあ…………っ」

 

「……え、あ……そっち……?」

 

「いやいや! だってそうでしょ! 燃やすぐらいなら売ってお金にすれば良いのに! 俺いっぱい描いてたんだから絶対老後に苦労しないぐらいにはなったでしょ!? うわーっ、うわぁーっ!」

「……取られたく、なかったの。持っておきたかったの。……灰に、なっても」

「――――……そうだよね。出来たらもっと早く素直に売ってるかぁ……」

「……ごめん、なさい」

 

 はあ、とため息をつきながら肇は渚に向き直った。

 

 彼女の考えは理解できなくもない。

 一緒に過ごした人物のコトを思えばわりと想像もつく。

 

 そのあたりは彼だって間違いなく心を繋いだ家族のひとりだ。

 

 姉がそんなコトをするかどうかで言えば、まあ、いま目の前に居る少女の落ち込みようを考えればしてもおかしくないだろう。

 

「――油絵具だからよく燃えたでしょ」

「っ、ぁ、ぅ……」

「冗談だよ。……いけない子なんだね、渚さんってば」

「っ…………」

「俺、描き終わった作品はあんまり気にかけないけど、それでも俺から生まれたモノだから。燃やしたり壊されたりしたら悲しいし怒るよ」

「ご、ごめん。本当に、ごめん、なさい――」

「……まったくもう……」

 

 俯いて謝罪を繰り返す渚はどこか怒られる子供みたいだった。

 

 精神の積み重ねも経験の有無も関係ない。

 ただ悪いコトをしたと分かっているから叱られるのを待っている。

 

 肇だって腐っても芸術家だ。

 

 自分の作品が燃やされたと知って思うところがないワケではない。

 

 けれどそれは涙を流すほどでもなければ、我を忘れるぐらいの激情に身を任せるようなものでもなかった。

 

 実行したのが姉だというのなら尚更。

 彼にとっては本当に些細な、どうでもいい問題。

 

 ……でもまあ、それはそれとして。

 

 創作に身を置く者としてやっぱりいけないとは思うので。

 

「渚さん。こっち向いて」

「っ……ぇ……」

「――えいっ」

「はうっ」

 

 ぺしーん、と小気味好く弾かれた指先が渚のおでこを叩く。

 

「お仕置き。もうそんなコトしちゃ駄目だよ」

「……ぇ、なっ」

「初犯だし()()()()これで許してあげる。次はもっと酷いことするからね」

「ひ、酷いこと……って……?」

「さぁ、なんでしょう?」

 

 ニコニコと笑う肇。

 

 その笑顔はいつもと違ってちょっとなにか含んでいそうだった。

 渚にはてんでさっぱり見当もつかない。

 

 酷いコトとは言うけれど。

 彼のする酷いコトなんて一体どんなものだろう、と。

 

「それで?」

「……? それで、って……?」

「謝りたいのはそれだけかな」

「それだけ……っていうか、えっと……、……思って、たのは……うん」

「じゃあ全部問題ナシだ」

 

 うん、とひとつ頷いて肇はそう言った。

 

 なんでもないコトのように。

 昨日にあった用事を済ませたみたいに。

 

 なにひとつ変わらぬ様子で。

 

「絵を売らなかったのも、そのことを隠してたのも、燃やしたのも。たしかに初耳で驚いたけど、どうってコトない。……うん、そのぐらいで心底良かった」

「そ、そのぐらいって……わ、私はっ」

()()()()()だよ。だってそれらは全部俺の描いたものだ。だったら俺にとってはそのぐらいで良い。もう一度言うけど、()()()()ね」

 

「――――――――」

 

 

 特別ではない。

 飾られてはいない。

 

 でも、けれど。

 

 それは間違いなく、彼女にかけられた魔法の呪文だった。

 

 ……どのあたりが魔法なのかは言うまでもないだろう。

 

 奇跡を魔法と尊ぶなら、落ち込んでいたひとりの少女を完膚なきまでに掬い上げるコトのどこが奇跡じゃないというのか。

 

 心なんて、体よりも繊細で脆く崩れやすいというのに。

 

「……どうして」

「ん?」

「なんで、そこまで……あなたは。肇、くんは……」

「まだ分からない?」

 

 彼が覗き込むように渚のほうを見ると、彼女は素直にこくりと応えた。

 

 それがまたどこか迷子になった子供じみていて。

 今日はやけに幼い面が見られるのだな、と肇は少し微笑んでしまう。

 

 おそらく平時ならもっと思考が回せたハズだ。

 

 苦悩の渦中についさっきまで身を置いていれば言葉も記憶も曖昧になる。

 だけど彼女はそうなっても頑張れてしまう人だった。

 

 要はそれだけの、微かな強さの証明でもあって。

 

「ね、渚さん」

「……、なに……?」

「これまで色んなコトがあったじゃない?」

「……まぁ、そう……だね……」

 

 空を見ながら彼は呟く。

 

 欠けはじめた月と淡い星の光。

 水に混ざる群青みたいな闇夜の景色。

 

 すなわち人工の明かりによってくすんだ自然の名残だ。

 都市にあっては日常となってしまった薄味の風景である。

 

 素直に受け取れば、それを綺麗だなんて言えるものでもない。

 

「同じ塾で出会って、勉強を教え合って、悩みを聞いたり相談したりして……夏祭りに行って花火も見て。体育祭も文化祭もあったし」

「……うん」

「パッと思い出せるだけでもこれだけあるんだよ、俺たちの間にあったコト」

「……? そう、だね……?」

 

 こてん、と首を傾げながら渚が顔を上げる。

 言っている意味が分からないワケではなかったが、彼の言いたいとするところがイマイチ分からなくて。

 

「それは誰のものでもない俺たちだけの思い出なんだ」

「あ、うん……」

「……意味、ほんとに分かってる?」

「わ、分かってはいるけど……」

「念のため言っておくと、()()()()()()()のモノってことだよ」

「…………ぇ、あ」

 

 その気付きはとうのとっくに遅かった。

 失念していた、見落としていたなんて言い訳が通じるハズもない。

 

 ――胸の内側が整理できていなければ。

 

 心が不安定であったなら、彼の一言は渚に突き刺さる事実となって機能した。

 彼女が立ち直るための貴重な一手になった。

 

 でも違う。

 

 そうじゃない。

 いまは状況が異なる。

 

 渚はすでに前を向いて歩き出す時間にある。

 

 ならば、それは。

 

 彼にとって。

 あるいは彼女に向けての。

 

 一世一代の宣言だ。

 

「重なる部分はあったよ。でもほんの少しだけ。同じだなんて思えない。だってそうなってるなんて考えられない。ましてや全然違ってるんだから。でも……ううん、だからこそ」

 

 視線が交錯する。

 

 その瞳の奥にある色を読み取れたかどうか。

 

 彼はゆっくりと歩みを止めて振り向いた。

 彼女は動けないまま固まって呆然とそちらを見ている。

 

 互いの距離はわずか一メートルもない。

 

「綺麗で、頭が良くて、ちょっとダウナーで、昔のことを引き摺ってて、些細なことで揺れて、でも少しずつ前に進んで、こうやって話せるようにもなって」

「っ…………」

「あと可愛くて、恥ずかしがり屋で、すぐ照れて赤くなって、焦ったらなんか凄いコトになるし、慌てたらまともにしゃべれないけど」

「は、えっ!? ちょっ、なっ、なに!? なにそれそんな――」

「うん。そんな渚さんだから惚れたんだ」

 

 

 ――――時間が、止まった。

 

 呼吸も続いたかどうかという一瞬。

 心臓が動いたかもわからない刹那。

 

 彼の口から放たれた言葉の衝撃があまりにも大きすぎて、ありえなくて――――とんでもなくて。

 

 ただ只管に、停止する。

 

 

「回りくどい言い方だと伝わらないみたいだから、率直に言うよ」

「…………ぁ……ぇ……」

 

「水桶肇は君のことが好きだ」

 

 

 ――息ができない。

 

 目を離せない。

 瞬きすらできない。

 

 手足のひとつ、指先の一本に至るまでまったく身体は動いてくれない。

 

 

「ひとりの女子(きみ)としての、優希之渚に恋をしたんだ」

 

 

 声が鼓膜を震わせる。

 意味が心を震えさせる。

 

 言葉に(いろ)があったなら、きっとそれは鮮やかだったに違いない。

 

 それほどまでに明るく、眩しく、爽やかな――――

 

 

「だから、()()()

 

 

 素直にすぎる、受け取り方の間違いようもない。

 

 

「俺の恋人になってくれ」

 

 

 唯々想いの込められた、彼らしい告白。

 

 

 

 〝――――――――――〟

 

 

 

 ……渚は言葉を返せない。

 

 口を開くにもなにも、先ずは慎重にやらなくては止まった時から抜け出せない。

 

 そっと指先を起こして。

 その震えを認識して。

 

 腕を動かして。

 力の抜けように驚愕して。

 

 足に意識を向けて。

 倒れそうな状況に困惑して。

 

 全身に神経を張り巡らせて。

 

 ――やっと、心臓がとてつもないスピードで脈動しているコトに気付く。

 

 

「ぁ……あ……っ」

 

 

 喉が震えた。

 

 声が出せてしまう。

 

 思考がまとまらない。

 

 感情が跳ねるようでバラバラだ。

 

 それは決して悪い方向に沈んでいるのではなく。

 あまりにも予期せぬ事態に空へ飛んでしまったみたいで。

 

 

「わ……っ、で……ぁ……そ……っ、な……」

 

 

 言葉にならない声が洩れる。

 

 ……駄目だ、違う、そうじゃない。

 

 そんなコトを言うために自分を起こしたワケじゃない。

 そんな返しをするために口を開いたのではない。

 

 ――――なら、一体、なんのため。

 

 

「わ……私、はっ」

 

 

 記憶が混濁する。

 思考は混ざり合って答えを出すのにも一苦労。

 

 そこにあるものを掴めば良いだけなのに、攪拌されすぎて上手くできない。

 

 

「い、いっぱい、迷惑かける、かも、しれなくて」

「良いよそんなの」

 

「あ、あなたの、絵を、燃やしちゃったような人でっ」

「さっき許すって言った」

 

「重い、しっ、面倒になるかも、だし、すぐ、落ち込む、し」

「ぜんぜん構わない」

 

 

 

「――――彩斗の、お姉ちゃん、で」

「君はそうじゃないだろう?」

 

 

 折れる。

 砕ける。

 散っていく。

 

 溶け落ちて流れていく。

 雪に日射しが差すように。

 

 

「御託はいらない。俺は君のコトが好きだ。じゃあ次はそっちの番でしょ」

 

 

 暖かな視線は渚に向けられた。

 

 手札はなく。

 逃げ場もなく。

 

 答える以外に進む道は存在しない。

 

 

 

優希之渚(いまのキミ)はどうなの」

 

「――――――――」

 

 

 どくんと、心臓が跳ねる。

 

 さながら文字通り飛び出しそうな勢い。

 それを手でぎゅっと押さえ込んで、掴むように彼女は握りしめた。

 

 思考の渦に突っ込んで引き抜いた感触は淡雪のように。

 

 熱の温度で消えてしまいそうなぐらい繊細な感情と、純粋であるが故に透き通るほど綺麗な心の在処。

 

 震える唇を必死で動かして、少女が言葉を紡ぐ。

 

 

「――――私、は」

 

 

 ひと息。

 

 彼を見る。

 

 少年は笑っていた。

 

 いつものように、太陽のように。

 

 

 

 〝っ――――――〟

 

 

 

 …………ああ。

 

 そんなのは、とてもずるい。

 卑怯なぐらいの、目の前にした真実だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――すき、です」

 

 

 

 

 

 

 

 返す音は空気に沁みこむみたいに。

 春の暖かさと夜の暗さに交じって、彼のもとへと届けられる。

 

 

 

「私は……、……私、も」

 

 

 

 ぎゅっと、潰れんばかりに胸元を握った。

 想いよ届けと喉を震わせる。

 

 どんなに小さくてもいい。

 

 今だけは。

 これだけは。

 

 なによりこれまでだってそうだ。

 

 彼は――――(わたし)の言葉を、聞き逃さなかったから。

 

 

 

「――――優希之渚(わたし)も、あなたのことが大好き、です……」

 

 

 

 一度口にしてしまえばそれで終わりだ。

 もう歯止めなど効くワケもない。

 

 

「恋、してます。愛して、ますっ、惚れてます、好きです、ほんとのほんとにっ、大好き、です……っ!」

 

「うん」

 

 

 満足げに彼が待つ。

 

 だから。

 彼女は。

 

 

 

 

 

「私を、肇くんの恋人にしてください……っ!」

 

「――――喜んでっ」

 

 

 

 

 









…………………。
(私は肝心な場面で更新を落とした作者です、と書かれた粘土板を背に土下座している)
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