乙女ゲーに転生したら本編前の主人公と仲良くなった。   作:4kibou

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60/本編時のエピローグ

 

 

 

 

 ――カリカリと、小気味よくペンを走らせる音が響く。

 

 入学してから一か月弱。

 

 渚にとってはすでに通い慣れた第一生徒会室は、今日も依然変わらず稼働していた。

 

 室内に人影はふたつ。

 いつかの日と重ねるように彼女と会長のふたりだけだ。

 

 今日も今日とて手伝いで呼ばれた身としては書類整理が関の山。

 

 外で色々と動き回っている本役員とは違って新参者に出来るコトはまだまだ少ない。

 

「――――――」

「………………」

 

 喧噪から遠く離れた静かな空間。

 人の気配も通り過ぎる足音も極端に少ない場所。

 

 その中でただひたすら手を動かす時間は長く感じる。

 

 これいって会話がないのもそんな要因のひとつだろう。

 

 ……が、今日に限ってはまた違っていたらしい。

 

「会長、ひととおり言われた分は終わりました」

「……早いな、優希之。なにか良いコトでもあったか」

「え、あ……いや、まあ……」

「――成る程。その様子だと姉貴の言っていたコトは本当のようだ」

 

 珍しく生徒会長……陽向がくすりと微笑む。

 

 普段から硬い表情の多い彼の緩んだ顔だ。

 そこには洩れなくとてつもないギャップが溢れている。

 

 きっと少なからず陽向を良く思う女子が見ればドスンと心臓を撃ち抜かれるだろう。

 

 無論、別の攻撃でもはや胸がズタズタな渚にはてんで効かないものでもあったが。

 

「……部長さんの言ってたコト、ですか……?」

「目に見えた結果になったとな。俺から言えるのは、せめて学園生でいる間は羽目を外しすぎないように、というぐらいだが」

「だっ、大丈夫……です……!」

「だと良いんだが。……なに、優希之と水桶のコトだ。そう心配してはいない。どっちも話してみた限りしっかりしてはいるようだからな」

「あ、あはは……っ」

 

 ――そのしっかりした奴等が昼間、周囲のコトも顧みずにテロを起こしたのは記憶に新しい。

 

 星辰奏学園ブラックコーヒー売り切れ事件だ。

 

 規模は購買から学園中そこらに設置されている自販機に至るまで。

 朝の登校中に被害をこうむった生徒と、至近距離の同じ空間(スペース)でバカップルオーラを浴び続けた一年一組による犯行である。

 

 余談だが、この事件を経て後に校内自販機のラインナップに無糖の缶コーヒーがいくつか増えたらしい。

 

「……あの」

「ん、どうした」

「……私、ちょっとだけ分かった気がします。会長の言ってたコト」

「……なにか言っていたか、俺は?」

「はい」

 

 薄く笑いながら渚が頷く。

 

 衝撃的なコトがあって忘れていた些細なやり取り。

 

 そのときは理解はできても納得できなかった。

 偏に考え方の問題ではなく感情の問題で。

 

 それを覆されたのはシンプルな理由からではなく、心持ちに変化があったからこそだ。

 

「みんなに認められるぐらい、私の好きな人は凄いってコトです」

「――ああ……そんな話もしていたか、少し前に」

「……はい」

「……俺がどうこう言えるタチではないが、まあ、なら良かったんだろう」

 

 曖昧な言い方は、同時にどちらも否定するモノではなく正しさだと認める彼の思いそのものだろう。

 

 十人十色、千差万別。

 

 ひとりとして全く同じ人間など居やしない。

 誰にだって違う部分はあって然るべきだ。

 

 人は繋がっていく。

 

 物理的にしろ、思想にしろ、目に見えない命にしろ。

 だからこそ素敵なのだと夢を見るよう陽向は笑う。

 

 そんな彼の心持ちだって、思えば渚はずいぶん昔から知ってはいた。

 

「でも私、彼の絵がどんな風に良いのかちっとも分からないんです」

「……まあ、感覚は人それぞれだからな。そういうものだろう」

「ですね。――けど、彼に安心して絵を描いてもらうコトはできると思うんです」

「……? そうか、それはなによりだ」

「はい、だから……出来るコトはそれぞれで、やっぱり良いんだなと」

 

 それは彼女にとって軽いお礼じみた、

 ほんの少しの後押しを含む鍵のような言葉だった。

 

 ――聿咲陽向は優秀な人間だ。

 

 成績は堂々の学年トップ。

 

 身体能力にしても去年の星辰競祭――他でいう体育祭――では出場した殆どの種目でぶっちぎりの一位だったという。

 

 性格だって真面目で人となりも悪いワケじゃない。

 多少固いところもあるが、概ね酷くできた人間というのが周囲からの彼の評価。

 

 文武両道、容姿端麗、質実剛健。

 

「――――そうか。そうだな。いや、まったくその通りだ。本当に」

 

 傍から見れば完璧な人間であっても綻びはある。

 

 それは渚の記憶に残っていた過去(ぜんせ)の引き出しから。

 

 彼の家系で大事なのは学力でも真面目さでもなく、芸術方面での才能だったというコト。

 聿咲の家とはそういうものなのだとずっと教えられて生きていたコト。

 

 ……そして彼にはまったく、そっちの素質がひとつも無かったコト。

 

「得意不得意、得手不得手は違うからな。それはそうだ。なんとも頷ける」

「…………、」

「良い考え方だ、優希之。見誤っていたのを謝罪する。……ああ、誰にするか悩んでいたが、おまえを推すのも面白いかもしれない」

「…………、……え? 推すって……」

会長(オレ)の席をだ」

「…………!?」

 

 藪をつついて蛇を出す。

 

 まさしく要らぬ世話を焼かなければ舞い込まなかった面倒事に渚は一瞬固まった。

 

 悲しいかな、これでも彼女は主役級美少女(メインヒロイン)

 

 中身はともかく素体だけでいえば相性が悪くないのは前例の示すとおり。

 ましてや迂闊になぞるような真似をすれば変に成功するのだって過去に例がある。

 

 もっと言えばそういう類いの災難は浮かれているときこそ起こるものなので。

 

 おそらくは遠からず同じ結果になっただろうコトは言うまでもない。

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

「――ってコトがあって」

「良いじゃない、生徒会長優希之渚。似合ってるよ」

「……他人事だからってふざけてるでしょ」

「そんなことないって」

 

 昨日同様遅くなった学園からの帰り道。

 

 渚から件の話を聞いた肇は口元に手を当ててくすくすと笑った。

 

 本人にとっては厄介な申し出かもしれないが、なんにせよ彼女が他人から評価されるのは良いコトだ。

 学園の生徒、その代表ともなれば彼自身も誇らしい。

 

 きっと色々楽しい日々になるだろう。

 

「もしそうなったら応援するよ。なんなら副会長でもしようか?」

「……え、ほんと?」

「ほんとほんと。俺で良いならぜんぜんやるからね」

「――――どうしよっかな……」

 

(あ、本気で悩み始めた)

 

 むむむ、と顎に手を当てて渚が考え込む。

 

 彼女の脳内では大きな天秤がぎこぎこと動いていた。

 

 片方には責任とか、重圧とか、大変さとか、自由な時間が減るコトとか。

 もう片方には彼と過ごす時間が増えるコトとか、彼と一緒に動けるコトとか、彼が自分の補佐に回ってくれるコトとか、彼と共同作業できるコトとか。

 

 現状はやや後者のほうに傾きつつある。

 

「あ、でも絵が描きたくなったら行けないかも。流石にそれはダメかな?」

「? そのときはその分私が頑張るし。別に大丈夫だと思うけど」

「…………おー……」

「……え、その反応はなに……?」

「いまの、すっごく()()()()。うん、惚れ直せるね。これは」

「――――なっ、なに……!? なんなの急に……!?」

 

 渚としてはまったく無意識の言動だったのだろう。

 その証拠に彼女本人はなにが引き金(トリガー)だったか気付いてもいない。

 

 自然と吐かれた言葉は補い支え合うという意味そのもの。

 

 足りない部分はなんとかする、と当たり前みたいに言われたようなものだ。

 

 そんな彼女に溢れる自信に満ちた台詞を。

 手を差し伸べるなんて、つい一年前までは出来そうもなかったコトをさらっと出来るようになっている少女の気持ちに喜ばなくてどうするのか。

 

 

「うん。ならありかもね。会長に渚、副会長に俺でも」

「……ちゃんと私が困ったら助けてね」

「そのときは自分の絵を放り出してでもいくから」

「や、別にそこまではしなくても……」

「そこまでするぐらい渚が大事なんだよ」

「ぴゃっ!?」

 

 〝――――すぅうぅうきぃいぃぃいいぃいぃいいいいぃい――――ッ!!!!〟

 

 

 胸中で声高らかに少女は叫ぶ。

 

 趣味、部活より優先する……という時点で彼の言葉は嬉しいものだ。

 それだけのコトだとしても渚は「ぴっ!?」なんてぐらいの(ひめい)はあげたに違いない。

 

 だがそれが眼前の男子の、しかも自発的に描く絵となれば意味は増してくる。

 

 命までをも削るのではという没頭。

 ボロボロだった身体すら動かすほどの熱狂。

 

 ましてや息をすることまで忘れてしまうぐらいの集中力。

 

 肇にとって絵を描くというのは己のすべてを捧げて良いぐらいの特別だ。

 過去(ぜんせ)でも傍に居た彼女だってそんなのは分かりきっている。

 

 だからこその衝撃。

 

 そんなにも夢中になるコトより。

 金額にすれば八桁はくだらない作品をつくるより。

 

 ただ貴女ひとりのほうがずっと大切なのだと。

 

「あ、照れてる」

「っ……て、照れてない……っ」

「恥ずかしがらなくても。俺にとって好きな人はそういうものなのです」

「も、もういいっ……わかった、わかったから……!」

「ふふっ……それなら良いんだっ」

「っ…………」

 

 ふいっ、と顔を真っ赤にしてそっぽを向く渚を、いつものコトだと慣れたように肇がさらっと頭を撫ではじめる。

 

 その表情は柔らかく緩められている。

 

 これ以上はないというぐらい満足げな微笑み。

 手つきは優しく、どこか愛情を込めるみたいに。

 

 ……それが嫌というワケではないけれど、彼女は少しだけ気にかかった。

 

「……肇、すぐ……というか、頭、よく撫でるよね」

「そうかな?」

「そうだよ。……なんで?」

「んー……、たぶんだけど、俺がいっぱいしてもらったからだよ。よしよしーって」

「えっ、誰に」

「さぁ、誰でしょう?」

 

 ニコニコと笑いながら彼は問いかけをそのまま少女に返す。

 分かってるんじゃないの? とでも言わんばかりに。

 

「…………もしかして、それも私……?」

「どうかなー。事あるごとに偉いね、凄いねって言いながら撫でてくれた人なら心当たりもあるんだろうなー」

「わ、私そこまでじゃ……」

「常日頃から暇があれば近くで構ってくれた人だったなー」

「……………………、」

 

 だらだらだら、と渚は撫でられつつ冷や汗を流した。

 

 今まで関係もないと決めつけていなかったし。

 そうだと気付いてからも大して引っ掛かってはいなかったけれど。

 

 もしや自分は、病弱やら天才性やらの他人と隔絶する要素を持たなければとんでもない男子を生みだしてしまったのでは? と。

 

 よもや育て方というか、甘やかし方を間違えたか? と。

 

 急に思い当たって心臓がきゅっとなったのである。

 

 いや、そうではないと信じたい。

 信じたいのだが――――たしかに彼女はもう事あるごとに抱きつくわキスするわ頭は撫でるわ好きだなんだと言うわで途轍もない溺愛をしていたのも事実だ。

 

 さながら過去がえげつない威力を伴うブーメランとなって飛来してきた気分。

 

「は、肇……!」

「ん、なに」

「それ、私以外にしちゃダメだから……!」

「しないしない。渚だけだよ、こんなコトするの」

「な、なら良いけど! うん! それなら、よしっ!」

「ふふっ」

 

 ぐっ、とちいさくガッツポーズする銀髪美少女。

 

 別に他意はない。

 

 これはその気もないのに致命傷を喰らう女子をなくすための注意であって、彼を独占したいとか余所の奴に譲るつもりはないとかそんなコトではない。

 

 あくまで被害者を極力減らすためだ。

 

 たぶん。

 

 

 

「…………ねぇ、肇」

「……どうしたの、渚」

 

 

 ふたり並んで歩きながら口を開く。

 

 視線はどこか遠くの夜空へ。

 

 暗くなりだした帰路は淡い光と薄い闇に染まりだしていた。

 

 伸びていく影はふたつ。

 隣り合うような近さで地面に映る。

 

 

「私、いま幸せ」

「……そっか」

 

 

 ほんの短いやり取りは、けれどもそれまでの全部が詰まっていた。

 

 耐えきれずに壊れてしまったひとりの人間。

 過去を引き摺り続けて俯いていた少女。

 弱気なままに後ろ暗いコトばかりに囚われていた誰か。

 

 そんな誰かが、こうして。

 

 なんの淀みもなく。

 

 憂いもなく。

 閊えもなく。

 

 ありふれたように過ごせている。

 

 

「お返し、してあげようか?」

「? なんの?」

 

「――私、死んでもいいわ」

 

「…………縁起でもないよ、もう」

「そうだね、ふふっ……、でも、だからだよ」

「……?」

「これを冗談で言えるから、良いんだってこと」

 

「……たしかに、そうだね」

「うんっ」

 

 

 はじけるように渚は笑った。

 

 銀色の(かみ)を靡かせて。

 夜の暗さも吹き飛ばしていくように。

 

 

 

「――――――」

 

 

 

 彼はそれをわずかに瞠目しながら見る。

 瞬きもひとつもせずにただ視認する。

 

 日の落ちてきた時間帯。

 

 気温はまだまだ昼の名残があるものの、明るさはすでに大分なくなっていた。

 

 ぽつぽつと点きだした街灯。

 行き交う車やバイクのヘッドライト。

 

 建物の傍に橋の下、入り組んだ道はすでに影が濃い。

 

 その中で。

 

 ほんの一瞬。

 ただの瞬間。

 

 彼の視界に閃いたのは、なにも変わらない――どころか過去(むかし)を超える――目映いばかりの暖かな輝きで。

 

 

「……ははっ……」

「? な、なに。どうしたの急に……」

「いや……あぁ、うん。なんか……嬉しくって」

「…………?」

「――本当に、もう大丈夫なんだって」

 

 

 重なるというのはそういうコトだ。

 必ずしも悪いモノではない。

 

 かつては強く、いつかに翳り、これまでずっと沈んでいたもの。

 

 それがいま一度昇ったのなら最早なんの心配もないだろう。

 

 実証はされてしまったワケだ。

 

 止まない雨はないように。

 西の空に消えた日も、東からまた昇る。

 

 

 

「――――お帰り、()

 

 

 

 笑みを浮かべて彼が言う。

 

 こてんと首を傾げていた少女は、しばし考え込んだ後にはっとしてなにかに気付いた。

 

 そして、

 

 

 

「――――ただいま、()っ!」

 

 

 

 ぎゅっと、抱きつくように飛びかかっていく。

 

 笑い合う。

 触れ合う。

 

 温度を感じて、包まれて、なにもかもに満たされて。

 

 穏やかで暖かなひとときは続いていく。

 

 

 

 

 

 ふたりの時間はまだ始まったばかり。

 

 それは人としても関係としてもそうだ。

 

 この先なにが起こるかなんて神様でもないのに分かるハズもなし。

 ちょっとやそっとじゃない困難も壁もあって然るべき。

 

 けれど、そんな未来の話なんて関係ないのだろう。

 

 不安に囚われていた心はもうない。

 怯えて怖がっていたときはもう過ぎた。

 

 前を向いて歩き出したなら、きっと今より沢山の幸福が待っている。

 

 いつまでも、どこまでも。

 

 隣り合って歩いていくように――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――それは酷く、幻想的な(イロ)だった。

 

 澄み渡るほど青い空。

 飲み込まれるほど深い海。

 

 地平線は曖昧に。

 

 遠く立ち上る雲は薄くぼやけて広がっている。

 

 その中でひとり、海には少女が立っていた。

 

 煌めくような銀色の長髪。

 暗く輝く紫水晶じみた瞳。

 

 肌は目映いばかりに白く、踊るような姿は鮮やかで美しい。

 

 それは誰かを映した心の模様。

 最大限に高まった想いの結晶。

 

 いつまで経っても薄れるコトはない無二の証明。

 

 

 値段にして三億七千万円。

 

 近代を代表する画家、水桶肇によって描かれたその絵はとある地方の博物館にひっそりと飾られている。

 

 その題名はただひとつ。

 ほんの一文字。

 

 

 

 〝渚〟――――――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







これにてメインの話は終了となるのですが、お付き合いいただける方は残り十話だけお付き合いください。

一話ごとの話にはなりますが、本筋とはあまり関係ないところと軽い本編後を書いて全話完結となります。



大きい物語としてはここでシメですね。ご愛読ありがとうございました! 4kibou先生の次回作にご期待ください!

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