乙女ゲーに転生したら本編前の主人公と仲良くなった。 作:4kibou
大変お待たせしました。
お待たせしすぎたかもしれません(土下座)
「――ただいまー!」
がちゃん、とドアを開いて元気よく声を上げる。
十二月の中旬。
寒さを増した外の空気とは打って変わって、扉一枚隔てた室内はいや温かい。
凍えた指先はともかく、熱を下げていた肌ぐらいには特効薬として機能するぐらいだ。
これが暖房のひとつもつけてない冷気に支配されていれば生きた心地もしなくなるのだが、ここ最近――というかしばらくはそんなコトもなかった。
ほっと一安心しながら彼女は靴を脱いで家に上がる。
(……リビング……に居たら返事あるか。じゃあ――)
とてとてと廊下を真っ直ぐ進んでいく。
居間は電気こそついているものの人の気配はしない。
おそらく家主は休憩がてら一度立ち寄ったぐらいなのだろう。
そこはきちんと消しておいてほしかったなー、という要望は十回を超えたあたりでもう割り切った。
正しいコトと悪いコト。
できるコトとできないコト。
判断すればまあギリギリ、彼女としても許容範囲なところだ。
……むしろそれを徹底されて凍え死ぬとか本当に勘弁してほしいところだし。
(冬場の
薄れてきた記憶の棘に刺されて苦笑する。
つん、と胸の外側を突かれたような微かな感触。
落ち込むような大事ではない。
けれど無視できるほどの些事でもない。
なればこそ、それは彼女にとって大切な何かの名残。
産まれ育って二十三年と経ったいまでもなお持ち続けるかけがえのない色だ。
(…………ん、やっぱり)
一階の廊下の突き当たり。
そこにある扉からはあからさまな光が漏れていた。
彼女の予想は見事的中。
これでも伊達に二度目の家族をやっていない、と息をつきながらドアノブを捻る。
がちゃん、と開く音はどこか印象的に響くように。
視界に広がった景色は胸中の言葉通り、往年の景色を思い浮かばせた。
――部屋中に広がる鼻をつく独特な香り。
――分子の動きすら停まったように思える静けさ。
――その中でたったひとつ、異物のように動き続けるひとつの影。
記憶は重なる。
思い出はかくも見事に鮮明に浮かび上がる。
けれど、肝心要の影の動きだけは違った様相を呈していた。
「……あれ、帰ってたの渚」
先ほどまでの没頭はどこへやら。
彼女が扉を開けるのに反応して、彼はあっさりと手に持った筆を置く。
それがどんな意味を持つか分からない渚でもない。
酷いときは何度か話しかけてようやくこっちに意識を向けるなんてこともザラ。
なんであれ彼女からアクションを仕掛けなければ気付きもしなかったというのに。
部屋に入っただけで手を止めて振り向くのは、そう、間違いなく――――
「……結構大きな声で挨拶したのになー?」
「ごめんごめん。気付かなかった。お疲れさま。ご飯は? まだなら作るけど」
「今日って肇の番だったっけ?」
「だったと思うよー。あ、買い物は行って来たから安心してね!」
「いやそこは心配してないけど……、……まず、やるコトないかなー……?」
「??」
こてん、と首を傾げながら笑顔を浮かべる肇。
それにむっ、と眉根を寄せながら渚は不機嫌そうに彼を睨んだ。
ついでに、
「……んっ」
ふいっとそっぽを向きながら、両手をあげてわずかに広げる。
いかにも
恥じらいかなにか少し顔を赤くしているのもあってご要望は明白だった。
そんな彼女を前に勘違いするほど肇も
ああなるほど、なんて頷きながら穏やかな笑みで立ち上がる。
中学生ぐらいの肇が見れば「なんで分かるんだ……!?」なんて驚愕するかもしれないが、いまの彼にとってはなんてこともないのだ。
これまで色々と――本当に色々とあった時間は大きい。
例えば危うくどこぞの部長に掠め取られそうになったりとか。
どこぞのパネルの君に既成事実をつくられそうになったりとか。
高校時代のファンガールにデンジャーゾーンへ誘い込まれたりとか。
あと渚にでろんでろんにされた妹が「お
もうとんでもなく色々あったのだが――なにはともあれこうして過ごしているワケである。
「――おかえりなさい」
「ただいまっ」
ぎゅうーっ、と抱き合ってぐるぐる回るバカップル――もといおしどり夫婦。
そう、夫婦。
紛うことなき夫と妻。
よもや学生時代のおふざけ半分なあだ名ではない。
届けも出して式をあげたふたりは晴れて家族と相成った。
大学卒業後即入籍、即同居、半年を得て挙式――という流れである。
結婚二年目に差しかかるかという時期はまだまだ彼にとっても彼女にとってもお熱い時期だ。
「――八時間ぶりのハジメニウム……!」
「なにそれ?」
「肇から出てるなんか肇的なエネルギー?」
「俺の身体どうなってるの。どんな効果? 癒し?」
「私が幸せになる成分が多量に含まれています」
「じゃあいっか!」
「うん、いいのっ」
にこにこ笑いながら抱き合ってバカみたいなコトを話すバカップルバカ夫婦。
ふたりだけの世界に入った水桶夫妻の幸福感は凄まじい。
学生時代の
ここに第三者がいないコトだけが救いだろう。
こんなものは傍目から見ていればきっと身体中の穴という穴からブドウ糖が噴射される。
たぶん。
「それでどうする? まずご飯にする? お風呂にする? それとも――」
「肇っ!」
「まだ俺なにも言ってないけど」
「肇にするー!」
「はいはい、それはまた後でねー」
「後ならいいのっ!?」
「いいよ、渚なら俺のなんでもあげちゃいます」
「――――――ふひひ」
「美人さんが出しちゃいけないような声だしてる……」
にへら、と表情を崩す渚を抱き上げて肇がくすりと微笑む。
十五ですでに隔絶した美少女だった彼女は歳を重ねて見事に成長。
その美貌は弱まるどころか綺麗系の容姿としてより磨きがかかっていた。
大人の女性としての魅力に溢れているといってもいい。
まあ、とはいえ中身はやっぱり渚なのだが。
「冗談は置いといてどうするの?」
「冗談じゃないけど」
「え?」
「え?」
「…………、」
「…………、」
じっ、と見つめ合う夫婦。
姓を同じくしたと言えど気持ちが完璧に繋がり合うワケではない。
それは仲良しこよしな彼らだって例外なく同じである。
いくら帰宅して数分足らずで
「……とりあえずご飯とお風呂どっちで?」
「お風呂かなー……。あっ、肇も一緒に入る!?」
「うちのお風呂じゃ狭いってば」
「広かったら一緒に入ってくれるんだ!?」
「あ、待って。ストップ。違うから落ち着いて。いま渚からとてつもなく危険な予感がした。こう、身に覚えのある感じの!」
「なるほど、なるほどね……!」
ふんふむ、と頷くお嫁さんは姫抱きのまま肇の手におさまっている。
その彼女から感じ取れるものは遠い
具体的にいうと「家で絵が描きたいなー」なんて軽い気持ちで言ったら専用のアトリエが出来上がっていたときのようなモノ。
すなわち突発的な行動力。
有無を言わさない金銭の暴力。
お互いにそれなりの稼ぎがある新生水桶家はわりと財布に余裕がある。
なんなら肇が大学在学中に得た収入だけでも一般的な会社員の生涯賃金を上回るかというレベル。
新築のお風呂をちょっと大きくするぐらいならそれこそ出来なくもない範囲だ。
「……ご飯つくっておくから今日はひとりでゆっくりしてきて」
「えー」
「可愛くだだこねてもダメ。……後で俺にするんでしょ?」
「…………肇――――」
「なに」
「――――いまの言い方、すっごくえっち!」
「ヘンタイさんは煩悩もすっきり洗い流そうねー!」
「きゃー!」
とん、と優しく脱衣所に着地させられてふたりはようやく離れる。
去り際、肇は「今日の夕飯は麻婆豆腐です。ひき肉が余ってたからね」とだけ言って静かに廊下と繋がる扉を閉めていった。
実はもっと引っ付いていたかった渚だがこればかりは致し方なし。
現実的に。
ともすれば物理的に、ずっと傍に居てはろくに動けもしないのだから。
ちなみに、引き留める暇すらなかった別離はなんら怒っているのでもなんでもない。
これが結婚してからの彼らの日常。
ある種の習慣。
ルーティーンみたいなものだ。
――――そう、驚くコトに。
今までの一連の流れを。
同居しはじめてからの約一年間。
渚に仕事があるときは毎日のように繰り返しているのである。
げに恐ろしきは完全無欠の
誰にも見られない家の中だからこそ成される平和がここにはたしかに存在した。
……なお、余談ではあるが。
時折街中へ買い出しやデートに出掛けたふたりが周囲へわりと甚大な被害をばらまいているのは言うまでもない。
◇◆◇
入浴と食事はコレといって変わったコトもなく終わった。
そのあとにふたりで軽く晩酌なんてすれば直ぐに時間も過ぎていく。
時計の針は曖昧に。
景色で言えば夜の闇も揺れ動かなくなってきた頃。
ぽすん、とふたりで寝室のベッドに横たわる。
自然と指を交差させて手を繋ぐ。
いつからか、たぶんクセになっているようなもの。
心のどこかで強く、離したくないと思っていた彼女の名残だ。
「……ね、肇」
「ん?」
どこか芝居がかった渚の呼びかけに、彼は短くあっけらかんと応える。
問い返すような軽い一音。
ささやかに向けられた視線がなんともこそばゆく面映ゆい。
それでなおさら、ぎゅっと彼女は肇の手を握りしめた。
「……指、硬くなってきたね」
「そうかな」
「そうだよ。昔はぜんぜんだったのに」
「そりゃあ、ずうっと描いてたらね……」
「……そっか。そうだよね……」
思い出す感触はふたつ。
遥かに遠く霞靄じみた細い手指と、
いつかに覚えた綺麗で色を知らない男子の手。
けれど、硬く結んだ好きな人の手はそのどちらとも違うものだ。
どれが良いかなんてわざわざ言葉にするのも勿体ない。
言うまでもなく。
語るまでもなく。
その答えは彼女にとって未来永劫ただひとつ。
「……それに、油クサい」
「うん。やっぱり取れないよね、これ」
「私この匂いあんまり好きじゃないんだよ?」
「知ってる。でも嫌いじゃないのも分かってる」
「…………よくご存じで」
「渚のコトだからね」
ぱっと笑う肇から渚がさっと顔を逸らす。
いずれにせよ人間は慣れる生き物だ。
認めるコトは難しい。
けれど受け入れるだけなら案外簡単にできる。
一度受け入れてしまえば馴染むのも、溶けこむのもそう苦労はしない。
だが、根本的に慣れるものと慣れないものはどうしてもあって然るべき。
渚にとってそれが彼の攻撃力だったのかどうか。
隙をつかれて顔を真っ赤にしたお嫁さんは「そこで照れるのか……」と言われても仕方ないぐらい時たま
「どうしたのいきなり」
「や……なんでも、ない……けど……」
「誰かさんの手でも思い出した?」
「……それは、そう」
「……ん」
「…………でも、肇は肇、だから」
「そっか」
「そう、だよ……そうなの、うん……」
再度、たしかめるように握り直す。
触れ合う肌は温かく柔らかい。
ごつごつとした指も手のひらも心地良くて素敵だ。
冷たい冬にあってなお、その温度を実感できる。
その喜びをなにも忘れたワケではない。
……ああ、だというなら。
そうであるのなら、なんてコトはない話。
「……肇」
「なに」
「幸せ。大好き」
「……俺もだよ、渚」
「ふふっ、そっか……っ」
特別なコトがなくても。
ただ傍に居るだけでも。
これ以上ないぐらい、この人生に価値はあったのだ。
「――――ね」
「…………ん?」
……きゅっ、と。
細く淡く。
ほんのり甘く。
渚は彼の手を撫でるように指を動かした。
肇に投げた視線に色がついたならきっとそれらしく。
ちいさな声はそれでも耳朶を震わせて微かに届いた。
向い合った瞳が重なる。
ゆっくりと距離が詰まる。
――――そうして、
ふたりは――――