乙女ゲーに転生したら本編前の主人公と仲良くなった。   作:4kibou

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Ex09/辿り着いてしまった

 

 

 

 

 去り際、彼女は言った。

 

 

『ありがとう。私はずっと、倖せだったよ――』

 

 

 その言葉に嘘はない。

 疑うまでもない。

 

 本心からの響きは、本心からの重みを持って彼に届く。

 

 近くも遠い、薄れゆく脳裏に焼き付いた記憶の残滓。

 

 優しく彼女の手を握り返した彼は、それにただ深く頷いた。

 

 ごつごつとした、

 骨張った、ペン胼胝だらけの汚い手で。

 

 でも。

 

 人の感性、価値基準はそれぞれだ。

 

 誰かにとって要らないものが、誰かにとっては大切なものであるように。

 しわがれて絵の具に塗れた彼の手は、彼女にとってなによりも素敵なものだった。

 

 

 

 ……それからどれぐらい経ったろう。

 

 時間はこぼれ落ちる砂のように過ぎていく。

 残された命の期限が刻一刻と迫ってくる。

 

 それは焦るでもないけれど、少しだけ寂しい消費の道だ。

 

 別れを惜しんで十数年。

 

 何かを無くした痛みは馴染んで久しい。

 悲哀の涙はとっくのとうに流し終えていた。

 

 ここまで生きて来れたのはかけられた言葉があったからこそ。

 

 ほんの一度。

 たったの一回。

 

 それでも彼女に満ち足りた命を送れたのなら。

 

 ああ、ならば、そんな誰かは誇らしく。

 胸を張って余生を過ごしても良いものだろうと。

 

 

『だから――――耐えきれなくなって』

 

 

 いつかに聞いた言葉を思い出す。

 

 あのときはため息をつくぐらい呆れたけれど。

 なるほどどうして――いまはそんな気分が分からなくもない。

 

 無論、それはそれとして自分から死にに行くなど馬鹿らしいと彼は思うが。

 

 なにせ見つめ直せば簡単なコト。

 

 気付けば広がるすべてが贅沢で華やかだ。

 特別な要因も人並み外れた要素もいらない。

 

 ただ生きてここに在る。

 

 それだけできっと――毎日は素敵なものだろう。

 

 

 〝………………、〟

 

 

 部屋の窓からぼんやりと外を眺める。

 

 なんだか寒いな、と思った感覚は間違っていなかったらしい。

 

 空は埃をかぶったような煤け具合。

 風に流れてひらひらと光のような雨。

 

 見れば庭には薄く白雪が積もりかけていた。

 

 いまのところ止む気配はない。

 時期的にも寒さは増していく一方だろう。

 

 明日の朝にはきっと真っ白な風景が広がっている。

 

 

 〝…………――――〟

 

 

 雪の日が好きだった。

 

 前期(むかし)より長く過ごした彼女の見事な色彩を思い出すから。

 

 それが見守るように空を舞うものだから、好きにならずにいられない。

 

 風に揺れる銀糸の長髪。

 冬の月みたいに白く美しい肌。

 夜を招くような暗い紫水晶の瞳。

 

 記憶は鮮明に。

 景色は淡くも美しく浮かんでいく。

 

 彼は無言で筆をとった。

 

 命の猶予もなにも関係ない。

 弱りきった身体が、いまだけはどうにもよく動いてくれる。

 

 気分で目の前に置いていたキャンバスは最期の最期に役目を果たしてくれた。

 

 ただただ、無心で筆を走らせる。

 

 なぞるように。

 願うように。

 

 いつまでもどこまでも叶うように。

 

 祈る絵筆は止まらない。

 

 

 

 …………そうして彼は。

 

 いつかの暮れ。

 初雪の夜。

 

 一枚の画の完成と共に深い眠りへついた。

 

 近代芸術に名を刻んだ大天才。

 色彩の魔術師、水桶肇。

 

 彼が亡くなる直前に描いた幻の一枚だけは、いまだ世に公開されていない。

 

 その家族だけが時代を繋いで保管しているという――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ふと、

 

 目が覚めた。

 

 

 なんだか(なが)い夢を見ていたような気分。

 

 とても忙しくて。

 とても満ち足りていて。

 とても楽しくて嬉しいばかりの。

 

 これ以上ない、幸せな夢だった。

 

 短い旅路を歩ききった。

 長い旅路ももうすぐ終わる。

 

 思えばずいぶんと遠回りをしたものだと、彼はちいさく微笑(わら)ってしまった。

 

 

 ――孤独(ひとり)には()れない。

 

 

 傍に在るはずの温かさがいつまで経っても恋しくなる。

 

 寒さは身体の芯まで凍えるようだ。

 ほんのわずかな歩みですら進むのを躊躇させる。

 

 ……ああ、でも。

 

 代わりと言ってはなんだけれど、胸の炎は燃えていた。

 

 魂には火がついている。

 

 なら大丈夫。

 なにも問題はない。

 

 

 さぁ――――あとすこしだ。

 

 ちょっとだけ、頑張ろう。

 

 

 

 〝――――――〟

 

 

 白い光の中を歩く。

 

 いや、光と思ったけれど、踏み心地からしてコレは違う。

 人工物じみた固さや柔らかさを感じない。

 

 コレは――――

 

 

「……雪だ」

 

 

 ざく、と一歩深雪を踏み込む。

 

 不意に顔をあげるとあたり一面は見事な銀世界だった。

 

 足下から地平線の向こうまで。

 空と陸の境界すら分からないぐらい真っ白な世界。

 

 ならそれをどうして光と思ったのか。

 

 簡単なコト。

 

 なにせ積もる雪は溶けないままに。

 中天には目映いばかりの太陽が昇っている。

 

 ……その風景に。

 

 不思議な光景に。

 なにより輝かしい心象に、彼は見覚えがあった。

 

 

「…………、」

 

 

 きゅっと拳を握って歩みを再開する。

 ざくざくと音をたてて雪道を踏破していく。

 

 途中、色んなモノを見た。

 

 笑う顔、怒った表情、悲しむ涙、嬉しそうな泣き顔――

 

 途中、色んなオトを聞いた。

 

 些細な一言、愛情のこもった囁き、恥ずかしそうな声、かわいらしい悲鳴――

 

 途中、色んなニオイを嗅いだ。

 

 花のような、忘れそうになっていた、それでも残っていた、美味しそうな――

 

 

「――――――、」

 

 

 時計の針は朽ち果てた。

 肉体は在りし日まで遡行する。

 

 骨と皮になっていた手も足も、弱々しく拍動するだけだった心臓も力強さを取り戻す。

 

 精神(ココロ)はいつまでも瑞々しいままだ。

 だから巻き戻すコトはない。

 

 彼はすべてを胸のうちに抱えて、真っ直ぐ歩を進める。

 

 見えない道の先には、ひとつの建物があった。

 

 

「――――……、」

 

 

 いつぶりだろう。

 

 深呼吸をしてからそこに足を踏み入れる。

 

 外観がそうなら内装も記憶にあるとおり。

 共通した認識が一時の懐かしさを孕ませた。

 

 彼は革靴(ローファー)からスリッパに履き替える。

 

 

「………………」

 

 

 ペタペタといやに響く足音を鳴らしながら進む。

 

 紙の上ではありふれた話ではあるけれど、彼がこうして在るのは二度目だった。

 

 どこか遠いところで産まれ育って、紆余曲折を得ながら過ごして――病気で死んだのが十九歳。

 それからもう一度意識が起きて、誰とも同じく普通に暮らして――老衰したのが九十七歳。

 

 思えば本当に、遠く長い夢の出来事だった。

 

 ともすればゴールがないようにも見えて。

 あったとしても価値なんてないだろうと簡単に考えていたけれど。

 

 そうではなかったらしい。

 

 

「…………、」

 

 

 ほう、と息を吐きながら歩く。

 

 古い記憶の染みとなった懐かしいばかりの空間。

 彼以外には人影がひとつもない。

 

 しん、と静まり返った廊下はきっちりひとり分……彼のスリッパの音だけを反響させている。

 

 

(――――――……)

 

 

 不意に足を止めた。

 

 目的地はもう目前。

 廊下の先、あとわずかにまで迫った教室。

 

 本来なら誰もいないはずのそこから、薄く光が漏れている。

 

 騒ぐような声はない。

 けれど気配はこれ以上なく感じ取れた。

 

 中に居るのは――――たったひとりだけ。

 

 

(――――、)

 

 

 少しばかり息をおさえて。

 

 できるだけ大人しく。

 

 ゆっくりと――教室の扉を開ける。

 

 待ち人は、

 たしかにそこへ。

 

 

「――――――」

 

 

 少年は思わず目を見開く。

 視線が合えば向こうもわずかに瞠目していた。

 

 が、それも一瞬。

 

 

「……久しぶりだね」

「……うん」

 

 

 ひときわ静かな自習室のなか。

 

 少女はひとり、机に座って柔らかに微笑んだ。

 どうやらずっと待っていてくれたらしい。

 

 

 〝――――ああ〟

 

 

 胸の熱が勢いを増す。

 

 炉心を回す燃料は迸るように。

 

 それまで寒さで震えていたはずの身体は、一気に温かな色彩を蓄えた。

 

 しわがれた声は若々しく。

 震える指先に傷も歪さもない。

 

 掠れる景色は視力の低下などではなく。

 きっと、嬉しいコトがあったからだ。

 

 

 

「……ごめん。遅くなっちゃって」

「ううん。良いよ。このぐらいなんてコトないってば」

 

「じゃあ許してくれる?」

「許します。だって私と貴方なんだから」

 

 

 

 一歩、彼は近付く。

 一歩、彼女は机から降りる。

 

 ふたりの距離は数字にして十メートルもない。

 

 

 

「少しだけ分かった気がする」

「ん?」

 

「君の気持ち。肯定はしないけどね、絶対」

「……そっか。うん、そうだよね。それが良いよ。私もそう思う」

 

「えー、なにそれ。自分のコトなのに」

「自分のコトだから、だよ」

 

 

 

 言葉を交わしてくすくすと笑い合う。

 

 面白い話ではない。

 特別な会話でもない。

 

 けれど、なにより大事なやり取りだった。

 

 価値がないなんてとんでもない。

 

 ここまで歩いてきたコトは。

 ここまでやってきた時間は。

 

 ここまで生きてきた意味は――たしかにあってくれた。

 

 その事実だけでもう、胸がいっぱいになる。

 

 

 

「……泣いた?」

「たくさん泣いた」

 

「……悲しかった?」

「そりゃあもちろん」

 

「……慰めてあげようか?」

「なにしてくれるの?」

 

「…………は、ハグ……とか……?」

「よしきた」

 

「っ!?」

 

 

 

 途端、離れていた距離はいとも容易く縮まった。

 

 勿体振った空気をそのままぶち壊すような呆気なさ。

 

 教室の机をかき分けるように進んだ彼は、驚いて硬直する彼女をぎゅうっと抱き締めてそのままくるりと回る。

 

 

 

「きゃーーーーーっ!?」

「っ、あははっ! なんて声だしてるのっ」

 

「だ、だだだって急にだし!? 流石に空白(ブランク)があるし!? こう、なんというか! 不意打ちは弱いというか! 慣れてきた耐性も落ちてるというか――!」

「慣れなくていいよっ、だってそのほうが君のかわいい声がたくさん聞ける!」

 

「……………………あう」

 

 

 

 真っ赤になった顔を両手でおさえながら呻き声をあげる美少女。

 そんな彼女を気にもとめずに大回転する元気な少年。

 

 最初(はじまり)の格好はまさしく最後(おわり)に相応しい。

 

 

 

「――――ああ、君だ。ははっ、良かった。ありがとう。大好きだ。愛してる。やっぱり君が一番だ。君じゃなきゃ俺じゃない」

「…………うん、私も。本当良かった。ありがとう。大好き。愛してる。ずっとずっと貴方が一番。貴方じゃなきゃ私じゃない」

 

 

 

 つよく抱き合う。

 唇を重ねる。

 

 世界は遥かに離れて遠い。

 命の形はどこまでもあやふやだった。

 

 だからなんだというのだろう。

 

 関係ない、どうでもいい。

 

 例えなにがどうだとしても、この一瞬が在るのならなにもかもが等しく薄い。

 

 それは夢の終わり。

 旅のはじまり。

 

 長い眠りの目を覚ますとき。

 

 出征と帰還。

 永遠の刹那へ手をかけた瞬間。

 

 ああ、でも。

 

 だからこそ――

 

 今度は彼のほうから。

 間近で恥ずかしがる彼女に向かって。

 

 

 

 

 

「――――ただいま、渚」

 

 

 

 

 

 笑いながらそう呟く。

 抱き上げられた彼女はそれにパッと満面の笑みを咲かせて、

 

 

 

 

 

「――――うんっ! お帰り、肇!」

 

 

 

 

 

 そう言いながら、強く彼を抱き返した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――物語はこれにてお終い。

 

 役者も舞台も揃っているけど、カメラが追えるのは劇中だけ。

 

 きっと道は続いていく。

 紡がれる明日は書き切れないぐらいあるだろう。

 

 けれどもそれは、まだまだ形になるまでもない些細なコト。

 

 なればこそいつかどこかの演目まで。

 

 それまで彼らに、甘いだけの日々があらんことを――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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