乙女ゲーに転生したら本編前の主人公と仲良くなった。   作:4kibou

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9/夏の昼下がり

 

 

 

 

 しばらく行ったところで、肇はゆっくりと渚の手を離した。

 するりと指の隙間を抜けるように少女の腕が落ちていく。

 

 微かに唇の隙間から洩れ出た声は彼に聞こえていたかどうか。

 いまは心臓がうるさすぎて、彼女には確認のしようもない。

 

「――――、……」

 

 だらんと力の抜けきった右手。

 それをなんとか持ち上げて、渚はぼうっと視線を向ける。

 

 細く白い手指はいつも通り見慣れているもの。

 痕みたいに残るナニカなんてなにもない。

 けれど、浮ついたような熱がまだそこに残っている気がした。

 

 目にも見えない、感覚も覚束ない、掴めないそれを握るように手を閉じる。

 

「――――」

「……優希之さん?」

「っ!」

 

 名前を呼ばれて、反射的に顔を上げる。

 

 見れば目と鼻の先にまで彼は迫っていた。

 

 突然の景色の切り替わり。

 渚自身を映した濁りのない黒瞳が、じっと覗き込むよう向けられる。

 

「どうしたの? ……あ、まさか手、強く握りすぎた? 痛かった?」

「ぇ、あ、や……そんなこと、ない……けど……」

「そう? ……なら良いんだけど。ごめん、付き合ってくれてありがとうね」

「う、ううん。……その、全然、大丈夫……、うん……」

「……?」

 

 妙に歯切れの悪い返事に首をかしげる肇。

 

 出会った頃から大人しめで気にしていなかったが、ここ最近……というよりはひと月ほど前から彼女にこういった態度を取られるコトが多くなっていた。

 

 何故なのかはまったくさっぱり分からない。

 

 機嫌を損ねるようなコトをしたのだろうか、と思い返してみても自分では心当たりなんてあるはずもなく。

 本人にそれとなく訊いてみても「大丈夫だから……なんでもない……」とだけ返されて結局原因は分からずじまい。

 

 はたしてこれはどういうコトなのだろう、と目下悩みの種になりかけている。

 

「……あ、クッキー食べる?」

「……え?」

「?」

「?」

 

 困惑したような表情を向け合うふたり。

 文字通り彼の甘い考えは正解ではなかったらしい。

 胸中でぽん、と手を叩く。

 

(――成る程。甘いものが欲しいワケじゃない……)

 

 予想を外して大人しく鞄の中にそれを仕舞おうとする。

 と、

 

「いちおう、もらう……けど……」

「あ、うん。じゃあ、はい。どうぞ」

「……ありがと」

「…………、」

 

 人付き合いは難しい、と唸りながら肇は空を仰いだ。

 

 本日は気持ちの良い晴天。

 雲ひとつない青空はすでに梅雨時の面影もない。

 

 太陽はじりじりと照りつけていて、歩いているだけなのに汗が浮かんでくるほど。

 

 夏はまだまだ始まったばかりだけれど、暑さはすでに立派なものだった。

 

「――そういえば、珍しいね」

「?」

 

 もぐもぐとクッキーをかじりながら渚が不思議そうな顔をする。

 

「北中と西中(うち)、結構離れてるから。帰り道も一緒にならないぐらいなのに」

 

「んぐっ!?」

 

「…………、大丈夫……?」

「だ、だい、だいじょ……けほっ、えほっ……っ」

「どうしたのそんな急に……」

 

 咽せる渚の背中をさすさすと擦りながら、そこまで驚くようなコトがあったんだろうか……なんてぼんやり考える水桶某。

 

 彼としては質問に他意なんてない。

 微塵もない。

 

 ただ気になって会話に出しただけなのだが、よもやまさかそれがお隣の美少女に刺さるとは思わなかったのだろう。

 

 多分というかおそらくというか、ちょっと天然入っている弊害だ。

 

「ご、ごめん、平気、ちょっと……変なトコ入っただけ……で……」

「そ、そう?」

「うん……、あの、いや、本当に偶々……こっちに、用事があって……」

「へぇ、どんな?」

「それは……、」

 

 びたっ、と口を開いた渚が答えに詰まる。

 だらだらと顔を伝う汗は果たして気温からかそれとも冷や汗か。

 

 ――――言えない。

 

 まさか終業式の日で学校が早く終わったからといって、気まぐれに彼の中学まで足を運んでみたところ、ちょうどまだ帰っていなかったから待っていた――――

 

 なんて、どう考えても言えるワケがない。

 

「……ちょっと、服を……見に、来てて……」

「そうなんだ。……でも、服なら駅前のモールのほうが近くて良いんじゃ――」

「こ、こっちにもその、良いお店が……あって……ね? うん……そこに……はい……」

「――そうだったんだ。いいね、そういうの。凄いおしゃれさんだ」

「そう……かな……」

 

 露骨に語尾を下げながら、ギギギ……と油の切れた機械みたいに顔を背ける。

 

 得心がいったのか、そもそも質問の最初から懐疑心ゼロだった為か。

 肇の浮かべた笑顔は邪気の一切ない百パーセント純粋な表情だ。

 子供みたいにキラッキラな「いいね!」という輝かんばかりの眩しいスマイルだ。

 

 それを下手な嘘で騙してしまった身としては後ろめたくてしょうがない。

 

 ……こう、なんというか、心が痛む。

 

「今度俺も行ってみようかな。それ、どこに――」

「お、女物しかないよ!?」

「? そっか。それなら俺が知っても仕方ないね」

「う、うん、うん……」

 

 ちょっと残念、と眉尻を下げる肇に渚が一段と他所を向いた。

 

 彼に悪意はない。

 断じてない。

 

 話題にするのも繋げるのも、偏に彼自身の好奇心故だろう。

 わざわざ渚を追い詰めるために言っているのとは違う。

 そこまで鋭いならば彼女の心持ちなどとうのとっくに看破されているハズだ。

 

 ……それが分かっているから、余計にちょっと、目を合わせづらいというか、なんというか。

 

「…………、」

「…………、」

 

 ふたり並んで塾までの道を歩いて行く。

 

 いつもとは違って向かうときの、さらには日の高い昼間のコト。

 通り抜ける車もすれ違う人もそれなりに多い。

 渚にとっては滅多に見ない景色でわりと新鮮だ。

 

 おまけに気持ち、注目されている感じだってする。

 どう見られているかは……精神衛生上、あまり深く考えない方が良いだろう。

 

 主に冷静を保つという意味で。

 

 

 

 

「――ねえ、優希之さん」

「っ……あ、うん。どう、したの……?」

 

 肩を跳ねさせながら肇の呼びかけに応える。

 

 周囲の景色は依然として見慣れないまま。

 塾までは多分まだまだ先。

 

 それなのにピタリと足を止めて、彼はふと真剣な面持ちで少女を見据えた。

 

「やっぱり今日、なにかあった? 悩み事とか……」

「え、いや……特には……ない、けど……」

「じゃあ、体の調子が悪いとか……?」

「も……大丈夫だけど……変な感じは、しないし……?」

 

 嘘はついていない。

 

 なにかあったワケではない。

 悩み事だってそうそう大した問題でもない程度。

 体調に関しては頗る万全だ。

 

 まあ、自発的になにかをしたワケではあるのだが。

 

「……俺、ほんと、優希之さんになにもしてない……?」

「な、なにって、なにが……?」

「嫌なところがあったら遠慮せず言ってくれて良いからね……怒らないから……」

「ち、違っ、そういうんじゃ――……そういうんじゃ、ないよ、うん……」

「なら良いんだけど……大丈夫だからね……」

「……本当、違うから。気にしないで。水桶くんが嫌だったら、そもそもこうやって話してないと思うし……」

 

 頬をかきながらなんとか言葉にして吐き出す。

 

 彼の不安はなんとなく渚も読み取れた。

 最近の挙動不審を疑われているのだろう。

 

 でも、それこそ真相なんて言えるハズもない。

 

 彼女の解答欄はまだ白紙のまま。

 胸にあるのは馴染みのないものだ。

 

 ()のコトを含めても、初めて覚えたモノが分からなくて混乱している真っ最中。

 

 自分にすら分からないのに、他人に向けて説明するなんて無理に過ぎる。

 

「あ、あの……さ」

「……? うん」

「私、その……上手く言えないけど、水桶くんは……結構、良いと思う、から。その……だから……っ」

「うん」

「……だから、そういうことで……っ」

 

(どういうことなんだろう……)

 

 あやふやな結論に苦笑いを浮かべながら悩む肇。

 

 彼女の言いたいことはちょっと分からない。

 推測するにも難しい。

 

 けれど、悪い意味でないコトぐらいは理解できた。

 きっと渚なりに励まそうと思ってかけてくれた言葉なのだろう。

 

 なら、返すものは決まっている。

 

「――ありがとう。とりあえず、それなら良いんだ」

「…………うん」

 

 小さく笑って彼は歩みを再開した。

 渚もそれに遅れないよう足を踏み出す。

 

 ふたりは並んで塾の方へ。

 

 ……それで一度落ち着いたからか、時間を置いて冷静になったからか。

 細かな部分に気付けたのは、それこそ偶々だ。

 

 ありきたりなものだけれど。

 

 身長が違えば歩幅も違うのに、彼女が隣を歩いていて疲れないのはそういうことなのだろうと。

 

 

 

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