緊張するとついアラームが鳴る前に目が覚めてしまうのはもう性分みたいなものなのかもしれない。
とりあえず軽く身支度を整えて、少しだけストレッチをする。
血行が良くなるのを感じる。
今日は、1人で登校することになっている。
消太さんは、新学期でやることがあるから、先に出るつもりだと言っていた。
「お前も、登校初日から教師に送られるの気まずいだろ。」
と、眉根を寄せた消太さんに確かにそうかもと思ったのは昨日の話だ。
がちゃりと扉を開けた。
「おはようございます。」
「おはよう。」
今日はスーツじゃないらしくいつも通りの格好に身を包む消太さんと挨拶を交わす。
「飯、よそっとくから顔洗ってこい。」
「ありがとうございます。」
洗面台に向かって顔を洗って歯を磨く。
鏡に映る今日の私もいつもと変わらない顔をしていた。
「お待たせしました。」
「今ちょうど運んだところだよ。」
いただきます。とふたりで手を合わせて、ご飯に手をつける。
「今日、初登校だな。」
「すごく緊張してます。」
緊張するタマかよ。と笑う消太さんに笑い返す。
「近い年代の子に囲まれるの、ここに来てから初めてなので。」
「あぁ、受験の時も似たこと言ってたよな。」
これ、と消太さんが紙を差し出す。
「なんですかこれ?」
お行儀が悪いことは承知の上で一旦箸を置いて紙を開く。
「お前、1人で外行くの初めてだろ。道のり書いておいたから、迷わないで来いよ。」
想像以上に詳細に書いてある。
ここまで細かく書いてあったらどうしたって迷わなさそう。
「ありがとうございます。ここまで書いてもらったら迷わなさそうですね。」
「でも迷いそうになったら連絡入れろ。」
消太さんはスマホを示すように指先でコツコツと叩く。
「もし迷いそうになったら連絡します。」
最近気がついたけど、消太さんって父親としては随分過保護な部類なんじゃないだろうか。
高校に入ったら親離れ子離れになるのだろうか。
経験したことのない親子関係がこれからどう転ぶのか、私にはわからない。
ふたりでごちそうさまを言って洗い物をした。
消太さんは私の分の珈琲だけ入れて、慌ただしく出ていった。
「鍵、ちゃんとかけろよ。忘れ物しないように気をつけろ。わかったか?」
この台詞を聞くのは今朝だけで3回目だ。苦笑する。
「私は大丈夫ですよ。いってらっしゃい消太さん。」
「…行ってくる。楽しめよ。」
心配性な消太さんを送り出して、珈琲を飲んで、流し台で洗う。
そろそろ着替えなければと、寝巻きから制服に着替える。
事前に買った4分丈のレギンスをスカートの下に履いた。
アクセサリーは自由だと聞いたので、消太さんからもらったピアスを耳に嵌めた。
髪をいつもより丁寧に梳かす。
少しだけ手が乾燥している気がして、ミッドナイトさんが買ってくれた少し甘い香りのハンドクリームを塗った。
「忘れ物、忘れ物ないかなぁ。」
と1人で呟きながら荷物を確認する。
そもそも今日は入学式なのでそこまで持ち物がないことに気がついた。
キーケースと財布、入校証をカバンの取り出しやすいポケットに入れる。
筆箱にシャープペンシル、替え芯、ボールペン、消しゴムが入っていることを確認して、カバンの奥に仕舞う。
ミッドナイトさんからもらったお守りはなんだかご利益がある気がして今日もカバンの内ポケットに入れた。
ハンカチとティッシュも入っていることを確認して、カバンを閉めた。
スマホと、消太さんが書いてくれた道のりの紙はブレザーのポケットに滑り込ませる。
…流石にマイクさんからもらったサングラスかけていくのはなぁ。いかついかなと思ってケースに戻す。
……ミッドナイトさんにもらった香水も初日にはつけられないなぁと思い、指をかけたノズルから指を離す。
まだ革の硬いローファーに足を入れて、馴染ませるようにつま先をトントンと地面に当てる。
「いってきます。」
誰もいない部屋に向かって、いつもは言わない挨拶を呟いて、玄関の扉を閉めた。
鍵をかけ忘れてエレベーターの前まで辿り着いてから、慌てて鍵をかけに戻ったことは消太さんには内緒にしようと思っている。
いつもは消太さんとふたりで出かけていたから、どうにもひとりだと落ち着かない。
ヒーロー科に合格したからと言ってここまでいきなり監視ゆるゆるになっちゃっていいの?ヒーロー社会。突然すぎて私が落ち着きません。
…後に、消太さんがあちこちのお歴々にせめて普通の高校生活を送らせてやりたい。とお願いしてくれていたことが判明するが、今の私はそのことを知らずに、心の中でヒーロー社会の性善説に異議を唱え続けていた。
とりあえず、消太さんが作ってくれた道のりを見ながら歩く。
何回か曲がり角を通り過ぎかけて、やっぱり作ってもらって良かったなぁと思いつつ、ようやく見覚えのある町並みに出られて、ほっと胸を撫で下ろした。
ここからなら多分もう雄英高校までたどり着ける。
ちらほらと同じカラーリングの制服を身に纏う少年少女を見かけた。彼らの後ろを着いていくことにした。
無事に雄英高校の校門をくぐった。
半年間同級生のみんなより長く通ったこの学び舎で、ようやく学生になれたのが嬉しい。
勝手知ったるとはこのことだよねと思いながら、教室の前まで歩を進めた。
同年代の子がいっぱいいるところなんて受験の時以来で、緊張のあまり教室の扉の前で立ち止まった。
「ふ、ぅ。」
深呼吸をする。
芦戸三奈ちゃんは、瀬呂範太くんはいるんだろうか?
この扉の先にいなくても他のクラスにいたりとか、しないだろうか。
会えたら嬉しい。他愛もないお話をして、3年間を平和に幸せに暮らしたい。
会えなかったら、私ここで友達作れるのかな?と少し不安がよぎる。
あのふたりと一緒だと嬉しいな、と思いながら意を決してからからと扉を開ける。
この学校の扉はやたらと大きい割に軽い力で開く。
大きいものにも小さいものにも配慮しているのかもしれない。
「おはようございます。」
とりあえず、挨拶をすると、すでに結構揃っているクラスの人たちからの目線が刺さる。
「あ!相澤ちゃんだ!お互い受かってたんだね!やったー!」
芦戸三奈ちゃんだ。とりあえず独りぼっちを回避出来て胸をなでおろした。
「芦戸ちゃん!おんなじクラスなんだね、よかった!正直私は落ちたと思ってたけど…」
お姫様抱っこ案件を思い出してしゅんとしたところで後ろから肩を叩かれて、振り返る。
「よ。久々。」
私を凹ませる事件を巻き起こした張本人だった。
「瀬呂くんも受かってたんだね。良かったぁ。」
とりあえず、お話しした2人が合格していてしかも同じクラスだったことに安堵した。
「というか相澤、落ちたと思ったって筆記でも悪かったのか?」
瀬呂くんの疑問に答える。
「いやほら実技試験終わったあとの無様さで減点かなって。瀬呂くん下ろしてくれなかったし。」
不服を伝えるべく唇を尖らせる。
「むしろあそこで下ろす方が男が廃ると思わねぇ?」
廃らないし、結構本気で目立ってたからやめて欲しかった。
「女子更衣室でひそひそとされた私の身にもなって欲しいです。」
自分の更衣室での奇行を棚上げして恨み節を呟く。
「俺もめちゃめちゃ声かけられたわ。あの子誰?って」
「やっぱり目立つべきじゃなかった…!」
わっと頭をかかえた。
「相澤ちゃんお姫様抱っこされてるのすっごい絵になってたよ!」
と、芦戸ちゃんの無邪気なフォローによろけて、瀬呂くんに背中を支えられた。
「おいおい大丈夫?」
心配顔の瀬呂くんを少し睨む。
「あれ、人生初お姫様抱っこだったんです…!」
と、顔を両手で覆った。
クラスがどよめいた。というか話したことない人たちなんでどよめいてるのかな?
もしかしてだけど普通の人はお姫様抱っこを履修している…?
自分で言ってて悲しいけれど平和的な世の中から見ると浮世離れしている自覚がある。
するりと私の膝が人の腕に掬われて声が漏れる。
「え?!?」
「じゃあ相澤ちゃんのお姫様抱っこ2番目は私ってことで!」
と芦戸ちゃんがにっこり笑って言う。可愛い。
「や、まって、重い、重いから!」
「いやお前まじ重くなかったって。」
瀬呂くんが余計なことを言う。
「うん、相澤ちゃん全然軽いよ。」
芦戸ちゃんも余計なことを言う。可愛い…
「…瀬呂くん黙って。」
「俺だけ?」
2人揃ってにやにやしないで!
「芦戸ちゃん、下ろして?」
「しょうがないなぁー」
ぷくと頬をふくらませながら下ろしてくれる。いい子だ。
「瀬呂くんと違って芦戸ちゃん優しい。」
「俺だけなの?」
「瀬呂くんだけです!」
べーと舌を出してやりたい気持ちを抑えて芦戸ちゃんの後ろに逃げる。
「あんまり、相澤ちゃんいじめちゃだめだよー!あ、わたし芦戸三奈!よろしくね。」
「いじめてないんだけどなぁ。俺、瀬呂範太。よろしくー。」
ほのぼのした空気が満ちていて、嬉しいなと思った。
ようやく学生として校舎に入ることに成功しました。
瀬呂くんと芦戸ちゃんならこのこんがらがってしまった弓月ちゃんをからかいつつも年相応に戻してくれるんじゃないかな。と思っています。
全員と挨拶を交わすようになるまで何話くらいかかるのか、私にも良くわかりません。