尾白くんと一緒に火災エリアからセントラル広場まで突っ切るように走る間に、ことは私の中で起きた。
広場が遠くに見えたとき、逸る心に呼応するみたいに
「見ろ」
ズームインでもするようにこの距離では見えるはずのない遠くに焦点が当たった。
見えてしまったのは、地面に叩きつけられる消太さんとそれに噴き上がる空気の奔流だった。
ひゅと息を呑む。
「…ッお父さん!」
無意識のうちに、
「相澤さん!待って!」
尾白くんが何か言ってるけど、気が動転していて意味をなした言葉として認識できなかった。
咄嗟に駆け出した足が瓦礫と縺れて体が地面に転がる、息が詰まった。右腕が灼けた鉄に当てられたように熱い。転げた勢いのまま、地面に手をついて立ち上がって走り出す。消太さんまでの距離がとてつもなく遠く感じる。急げ。急げ。急げ。
たかだか学校の施設だというのにどうしてこう無駄に広く作ったんだよと、無意味に誰かを責め立てたくなった。
万が一のためにとずっと首にかけていた五芒星のペンダントのチェーンがちゃりちゃりと揺れて煩わしい。
燃えるように熱い瞳と対照的に冷えきって震える手でチェーンをちぎり捨てて、ペンダントトップを左の手に握り込む。右手にはホルスターから引っ張り出した壺を握る。
縦に巻かれた金髪を翻す彼女を脳裏に思い浮かべた。
全力疾走のまま、口は覚えのある呪文を紡いだ。
「
視界の下半分が赤く染まって煩わしい。
「来たれ、グラーシャ・ボラス。36の軍団を制する力強き侯爵!」
呼び出した
ペンダントトップと壺は走るのに邪魔でホルスターに乱雑に押し込んだ。
走る勢いのまま崩れ落ちるように消太さんと怪物の間に割って入る。慌てて駆け込んだから
「…ッ」
殴られた衝撃で私の体が軽々と吹き飛ぶ。
吹き飛ばされたとき、梅雨ちゃん、緑谷くん、峰田くんが立ち尽くすのを視界に収めた。
きっと彼女たちなら、私と一緒に乱入したこの生き物を無碍にはしないはずだ。
かひゅ、と咳が漏れた。
呼吸音からして肋が折れたかもしれない、とどこか他人事のように思いながら、眼窩から流れ出た血が邪魔だと、殴られた衝撃でごぼりと口から漏れ出す血が美味しくないなと思う。胃液でも混ざっているのだろうか、汚いな。
集中の邪魔だと口に溜まる血を集めて吐き出す。
私の力の都合上、あまり血を流しすぎると長く持たない。
優先順位は、撃退、それが無理なら時間稼ぎ。
捕縛、拘束は消太さんが倒されたことを考えると私の技量では心許ない。
止血を試みるよりも短期決戦に賭ける方が勝ちの目があるかもしれないと血に逸る頭で短絡的に結論を出す。
全員で掛かれば混乱を誘えるか?
個性把握テストの際の楽しそう!というクラスメイトの言葉を思い出す。
戦いなんて知らない筈のクラスメイトたちに今すぐ
自分自身の活動限界と、優先順位を考慮しろ。
今の状況で、できることをできる限り。
怪物がこちらにゆっくり歩いてくるのを視界に収めつつ、消太さんが生徒たちのいるところに運ばれていくのを確認した。
カッとなってしまってつい反射的に
奴の興味が削がれないように早く攻撃を仕掛けなければと、思い直して、吹っ飛ばされた地点へ戻るべく駆け出す。
力の入らない右腕は折れているのかもしれない。
止まるなよ私。止まったら許さない。
見えない手をイメージ、怪物を握り込む。
殴られた感触は鮮明だった。実体はしっかりとある。
加減なんてする余裕はなくて、怪物からみりみりめしめしと音が鳴る。
ぱき。と怪物の骨の折れる音がした。
ぶち。と怪物の肉が切れる音がした。
肩から先を力技で切断したあの怪物は、片腕を拘束の外で回復させることで私の拘束から抜け出そうとしていた。
「…は?」
あっけに取られた。自らの怪我の痛みさえ一時忘れた。
なんだあれ。痛覚飛んでるのか?
蜥蜴の尻尾切りとは違うんだぞ。
目の前でちぎられた腕が、ぼこぼこと音を立てて再生した。いくらなんでも回復が早すぎる。
唖然として、つい拘束が緩んだ。や、ばい。
「脳無!あいつらからだ!!やれ!!」
死柄木弔とかなんとかという男が脳無とかいう名前らしい怪物に怒号を飛ばす。
怪物はその言葉に従って緩んだ拘束を締め直す前に抜け出した。
男が指を指した方向を釣られるように見る。
そこには13号先生が、倒れ伏していた。
ばち、と頭の中で何かが爆ぜた。
宇宙服越しのくぐもった声の優しさを私はここにいる誰よりも知っている。
ぎゅるりと焦点がずれる。
周りにいるクラスメイトを優しくて心配性の彼女は守り通したのだろうと、その場を目の当たりにしただけで理解した。
「なんで…っ」
歯噛みして、
その間隙を縫って気を失っている13号先生を
もうすでにダメージの蓄積した体では勢いを殺し切れずにたたらを踏む。
「…っ緑谷くん!」
こっちを振り向いた緑谷くんに向けて、13号先生を投げ込む。ごめんなさい13号先生。今度謝ります。ゆるして。
す、と息を吸ってかつてないくらいの声を張った。
「皆さん、その子の背中!乗ってください!」
他の生徒を
一塊になってくれていた方が、まもりやすい。
怪物からの追撃を受けて
「…っそでしょ!」
もう少ししっかり準備しておけばよかったと歯噛みした。
魔法なんて、使うことはないと高を括っていた。
怪我はなさそうだし、彼らが投げ出された先は梅雨ちゃんたちに程近い位置だった。
ありがとうと心の中で還っていった
梅雨ちゃんの舌が投げ出された彼らに順次巻き付いてみんなを回収してくれる。ありがたいな、と思いつつ怪物を視野の中央に置く。
怪物の注意が13号先生から緑谷くんたちの方に向かう。
みんなを集めたのは悪手だったか。ダメだ。行くな。
そっちには消太さんもいる。
触れたら、ただじゃおかない。
塊となったクラスメイトたちと怪物の一直線上に躍り出る。
怪物を睨め付ける。
「お前達の相手は私でしょうが…!」
瞳が私の意思に従って奥から鈍く光る。
錫の指輪が五芒星を描いて煌めいた。
「
青色をイメージ。呼び起こされるは木星の6の護符。
あらゆる地上の危機から主人の身を守る不可視の天蓋が脳無の拳から皆を守った。
みしりと本来聞こえないはずの音が聞こえた。
だめだ、保たない。
わたしは天蓋の前に躍り出た。
鉄の指輪を嵌めた指が煌めく。
「
火星4の護符。血の赤色を脳裏に浮かべた。
振り下ろされた拳を両腕で受け止めて、骨が軋む。
ずし、と衝撃で地面に足がめり込む。
外に出せ。と目が疼いた。
振りかぶる怪物を睨みつける。
お前のことを後ろには通さないぞと決意を固める。
正面から拳が飛んでくるのを真正面から受ける。
「あ、ぁああ!」
勢いのあまり、後ろにずるりと押し負けそうになり、慌てて背後に
攻撃の余波の一片とて後ろに漏らすな。
後ろには顔を砕かれた消太さんがいる。
気を失った13号先生がいる。
助けなければならないクラスメイトたちがいる。
たったひとつの防ぎ逃しで誰が死ぬかわからない。
それでも、それでもだ。
このままでは削り殺される、と予感がする。
圧倒的な攻撃力を誇る怪物に対して、私には決定打がない。
私は殴られれば殴られるほど消耗するというのに、目の前の怪物はどんなに殴ったところですぐに回復する。
守り続けるのにも限界がある。ジリ貧だ。
私は
私が彼らを守りつづけたいと思う限り、
ぽきりと枝でも折れるように体を支える足の骨が折れた。
悟らせるものかと
「ぐ…。」
小さく出た呻き声を噛み殺した。
右拳で横に薙ぐように殴打されて、防御は間に合わない。
飛ばされるわけにはいかないと左側にも壁を作る。
ばきばきと骨の折れる音が体に響く。折れる端から
頭部から流血したのを、目の前に飛ぶ赤い飛沫で認識した。
勿体無い。
「弓月…!」
消太さんが手を伸ばしているのが、殴られて頭がブレた時に視界に入った。
名前で呼んでくれたの、初めてだね。と場違いに心が暖かくなる。
お父さん。お父さん
「だいじょうぶ、です。」
口角をすこし釣り上げた。
オールマイト先生みたいに上手くできないなぁ。
教師としては若干文句も浮かぶ彼はそれでもやはりヒーローとしてはナンバーワンなのだろう。
そんな考えごとをしながら私の体は怪物に殴打され続ける。
殴られる。受ける。
殴られる。避ける。
殴られる。殴り返す。
殴られる。殴られる。殴られる。
殴られる。殴られる。殴られる。
火星4の護符の力を借りているとはいえ、重すぎる殴打にいちいち体が軋む。
これだけ攻撃されれば怪物のターゲットは私に切り替わったはずだ。
横に張った壁を緩めて、自分の体を殴られるままに飛ばす。どしゃりと体が地面に落ちてもその勢いは死に切らず体が再度浮き上がる。
目論見通り、脳無は私を追いかけてきた。それでいい。
こいつらがひとりでも殺したいのであれば、それならいちばん弱ってる私に来るはずだ。
脳無の指先が私を追いかける。
もう一度私の体が地面にぶつかったとき、
今この場にある力の奔流が脳内にダイレクトに流れ込む。
吐き気がした。
どぶりと義眼の裏に溜まっていた血液が涙のようにだくだくと流れた。
体温をまとった血液が出て行ったせいか頭が少し冷えた。
「見て!見て!見て!!」
就寝時以外となると半年以上ぶりに解放されたことで嬉しそうに騒ぐ私の目玉に、うるさいなぁ。とぼやいた。
危険人物だと思われたくないから、自分の汚点を晒したくなかったから、このまま居心地のいい場所にいたかったから
こいつらさえ来なければ、きっと私は嘘を突き通せたのに、と八つ当たりじみたことを先程より冷えた頭で考える。
こんな秘め事ひとつ、私には守れない。
こんな幸せな日常ひとつ、私には守れない。
自分の父親ひとり、私には守れなかった。
それって、わたしができそこないだから?
ちいさいわたしが私の袖を引く幻覚を見た。
ぎょっと目を見開いて下を見たせいで義眼の裏で堰き止められていた血が頬を伝ってすでにかなり擦り切れてしまったコスチュームを黒ずんだ赤に汚す。
あぁ、ごめんなさい。ミッドナイトさん。
きっと驚愕と嫌悪に歪んだであろうみんなの顔が、見られなくて、慌てて怪物の方を見る素振りでみんなに背中を向けた。
だくだくと流れ落ちる血の奥から、血よりも赤い
最悪な気分だ。
弓月ちゃんの妖精眼は伊庭いつきのものととフィン・クルーダのものとも違う力が宿っています。
どんなものなのかは近いうちに、どうしてそうなってしまったのかはしばらく後にお話しすることになると思います。