私のベッドサイドにはお医者さんと、看護師さんが立っている。
「うん、大丈夫。退院できるよ。」
私の診察を終えたお医者さんは微笑みながらそう言った。
「できれば帰ってこないでね。帰ってこないでくれるのが1番僕にとっては嬉しいから。」
そう言って彼はクリアファイルに挟み込んだ申し送り状のようなものを私に手渡した。
「これはリカバリーガールに渡しておいて。」
「はい。頂戴しました。」
受け取って膝の上に置く。
「それから、こんな無茶なオーダー二度と通さないからね。」
「本当にご迷惑おかけしました…。いやぁ本当に間に合っちゃうなんて…すごいですね現代医療。」
拳を握ったり開いたりを繰り返す。
うん、問題ない。
「本当にほいほい来ちゃ駄目だからね。わかってる?」
「さっきも似たようなことおっしゃってませんでした?」
できればもうくるなとつい先ほど言われた気がするのだけど、と首を傾げる。
「月曜夜に退院して火曜夜に帰ってきた子には1回じゃ足りないかなって思ったんだけど?」
「…返す言葉もございません。」
傾げた首をそのまま項垂れさせる。
「それでも、怪我や病気したらちゃんとくること。そして僕に見せること。わかった?」
「先生が主治医ってことになるんですかね?主治医って初めてです私。」
初めてのことはなんでも新鮮で、人生で初めての主治医に向けて笑みを浮かべる。
毒気を抜かれたようにお医者さんは呆れたような顔をする。
「まあ冗談はさておき、よく頑張ったよ。」
「もはや寝てただけですけどね。いろいろとお世話になりました。」
患者はよく寝るのが仕事だよ、とお医者さんは嘯く。
「体育祭、僕も休みがとれたら見に行こうかな。楽しみにしてるよ。」
「是非!」
お医者さんもくるのであれば、張り切らねば。
「それじゃあ今度は病院じゃないところで、いつか。」
「はい、またどこかでお会いしましょう。」
保証のないまた今度をお互いに交わして私はベッドから立ち上がった。
「ありがとうございました。」
「父親というのは悩みが多いでしょうけど、頑張ってくださいね。」
消太さんとお医者さんががっちりと握手しているのを眺める。
ところで消太さんは自分の怪我を治療しなくていいのだろうか?
結局水曜日に搬送されて、月曜日に退院して、火曜日だけ学校に行き今日、日曜日まで入院するというスケジュールを見ると最悪な1週間だったなと遠い目をしつつ、思いを馳せた。
「じゃあ帰るか。」
荷物を全部持ってくれた消太さんに促されて立ち上がる。
そもそもこの足で地面をまともに踏んだのはいつぶりだろう?
…いやお手洗いとかにはちゃんと歩いて行ってたんだけど、なんていうんだろう?
外の地面を踏み締めることに対して僅かに緊張が走る。
「消太さん。」
「なんだ?」
外に出る前に、目の前を歩く消太さんに声をかける。
「ご心配おかけしました。」
「…心配は、正直すごくした。」
すみません、と頭を下げる。
「それでもお前がそうしたいならお前にとってそれが大切なことだったんだろう。謝らなくていい。」
「消太さんってやっぱり先生なんですね。」
自分勝手に
「それ褒めてるのか?」
「すごく褒めてますよ。」
訝しげな声に朗らかに答える。
「私のお父さんが消太さんでよかったです。」
「そうか。俺もおまえが娘でよかったよ。」
ふふ、と笑みが溢れた。
「ほら、早く帰るぞ。」
振り返る消太さんは包帯の隙間から優しい瞳が覗く。
そうして消太さんと私は自動扉の境目を踏み越えた。
ふう、とため息が漏れた。
「大丈夫か?」
「久しぶりに外の地面を踏んだなと思って、感無量です。」
私のため息を疲労だと思ったのだろうか、消太さんが私を覗き込む。
「そうか、実際に外を自分の足で歩くのは先週の水曜日ぶりか。」
「そうですね。1週間以上って考えるとびっくりしちゃいます。」
USJの襲撃があった先週の水曜日ぶりと考えると1週間と半分が経過してしまっている。
体育祭に間に合わないかも、と若干のマイナス思考がよぎる。
いやいやここまでしてもらったんだから間に合わせなきゃ。
頑張るんだ私。
消太さんの車に揺られて、自宅にたどり着いた。
火曜日ぶりだろうか。
すごく懐かしく感じる。
「弓月、おかえり。」
「ただいま、お父さん。」
荷物を玄関先に置いた消太さんが笑みを乗せた声で言う。
私も満面の笑みで返した。
「ところでお前、体育祭までどうするつもりだ。」
「今まさに
ぽそりと呟いた言葉に消太さんはどういうことだと呟いた。
「今は右足だけ
「…気がつかないもんだな。」
できる限り差を出さないように、というより出ないように操作を施している。
これが例えば指先とかだと難しいだろうけど、歩行については
ただ、力加減については難しくて、つい今までの癖で力を強めてしまう。
「今、
「それどんな意味があるんだ…?」
強化を行わないで外から動かすという意味がわからなかったのだろう、訝しげに聞かれる。
「0ができればそこからパーセンテージの調整ができるかなぁと思いまして。」
「…あぁ。なるほど。」
いままで使っていた
それと、日常生活を
「ちょっとこのまま動いてみたりしたいんですけど、明日の放課後居残りしていいですか?できればルーンの調整もしたくて。」
「校長に演習室の使用申請しておくよ。俺も付き添う。」
呪力の効率を突き詰めなければこの世界での魔法の有用性がなくなってしまう。
とりあえず、馴染みの深いルーンからだ。
そこから効率の上げ方の理論を組んでから、そこから他の魔法に転用するのが最大の近道だ。
「ついでにひとつ、使用制限の確認がしたいです。」
「なんだ。」
ぴしりと人差し指を立てる。
消太さんの声がこわばったのを鼓膜が感じ取った。
「ルーン以外の魔法についても、時間があるときに調整したいんです。学内なら許可いただけますか。」
「申請ついでに校長に確認するが、その場合教師数名の立ち会いが必要になるだろうな…。」
そこは別に気にならない。
というか未知の力だ、監視もつかないとか言われちゃうと逆に不安になる。
うっかり失敗したら危ないからできるだけ遠くで見ててほしいけど。
「飯食うか?」
「はい。」
ちょっと待ってろ、と言われてのんびりとソファに座っていた。
30分ほどして、ダイニングにことりと置かれた小さな土鍋にはお粥が入っていた。
…もしかして誤解しているのだろうか。
「ちなみに私もう普通のご飯食べれますよ。」
「悪い。練習したんだ。」
おそらくランチラッシュさんから教わったのだろう。
失敗したお粥を食む消太さんが簡単に想像できてつい笑ってしまった。
「なに笑ってんだ。」
笑い出す私を見て消太さんが声のトーンを落とす。
「ランチラッシュさんに教えてもらったんですか?」
「いや、ネットで調べて色々試してた。というか土鍋も買った。」
「買ったんですか?これをわざわざ私のために?!」
想像以上のやり込みように驚きの声が飛び出した。
というか自分で調べたんだ…試したんだ色々………
「冷めねえうちに食えよ。味はそこまで悪くないと思う。」
「いただきます。」
土鍋と共に置かれた匙にお粥を掬い取る。
この匙も土鍋と合わせて買ったんだろうか。
まだ冷めていなくて、湯気を吐息で数回揺るがせてから、口に運ぶ。
梅の風味がお粥の味わいを一変させている。
「…うまいか?」
「美味しいです。」
不安げに私の表情を伺う消太さんに言葉を返す。
お世辞抜きにちゃんと美味しい。
ほっとする味だった。
相澤先生料理に頓着のない男だと信じてるんですけど、娘のためにわざわざ自分で調べて作り方色々試してたらいいなと思っています。