バスの中は不本意にもゼラニウムの香りが立ち込めた。
「あの、消太さん。かなり配ったんですけどなんだかんだで減らないので職員室で花配りしてきていいですか?」
「誤解しか招かないその言い方をやめてくれ…。」
たしかになにとはなしによくない響きだ。
「ええと、臨時開店お花屋さんとかどうでしょうか。」
「それはそれで駄目だろ。」
消太さんは頭を抱えた。
「あ、13号先生はゼラニウムいります?」
「いいんですか?」
13号先生はうきうきしながら私の腕からゼラニウムを数本抜き取った。
それでもいまだに随分と残っている。
「校長先生の部屋にでも生け込みます…?」
「校長がネズミだってこと忘れてねえか。」
「あぁ…。だめですね。」
ネズミという生物は元来香りの強い植物を嫌う傾向にある。
ゼラニウムもその嫌われる植物に含まれていたはずだ。
そうなると職員室に持っていくのもよろしくない気がする。
「どうしようかなぁ。これ。」
他のクラスに持っていくのもなぁ…。知らない人しかいないし。
「消せねえのかそれ。」
「これはルーンが作用した
例えば先程のアルギスのように盾を意味するルーンなら文字を消せば消える。
でもインガスの意味は豊穣なのだ。
意味を叶えた結果のゼラニウムは消えない。
「というかもっと嵩張らない花とかにできなかったのか。」
「どれだけ生やしてもゼラニウムしか出てこなくてですね…。土壌の問題でしょうか?」
私と消太さんは咲き誇るゼラニウムを困惑の目で見つめた。
「…病院ってゼラニウムどうなんだ?」
「効能としては妊婦さんに望ましくないんですよね…。」
確かあそこには産婦人科があったんじゃなかっただろうか。
うーんゼラニウム。扱いが難しい。
「うちにこの量持って帰るわけにもいかないですしね。」
「というより、あの家に花瓶なんてもんはねえ。」
ないのか。
私が最初にあの家に行った日のことを思い出した。
タッパーすらなかったのだから花瓶なんてあるわけないと納得した。
「あ、保健室はどうだ。」
「確かに妊婦さんはいないかもしれませんね。」
あまり校長先生が足繁く通っているイメージもないし、ありかもしれない。
「相談だけしてみます。駄目だったら大人しく花瓶買いましょう。」
「じゃあ予定通り教室で待ってろ。」
結局、私は1人で登下校もできていないのだ。
いつの間にかなし崩しに体育祭までは消太さんの送迎がつくことになっていた。
「そういえば、私がいない間ってご飯ちゃんと食べてましたか?」
「粥作る練習したって言ったろ。」
そう言えば今朝は食パンとハムだった。
そして消太さんが焼いてくれていたから私は家に帰ってから冷蔵庫を開けていない。
まさか。
まさかこの人。
「…お粥しか食べてないとか言います?」
私の言葉を聞いた消太さんは目を逸らした。
私が言うのもどうかと思うけど、流石にお粥しか食べないのは治る怪我も治らないのではないか。
「消太さん?」
「…昼はランチラッシュの飯を食ってた。」
すぅとゼラニウムの香りを吸い込む。
「今日の帰りに食材を買いましょうそれはもう大量に。」
「…あぁ。」
ゼラニウムの香りのおかげか平静を保った声を出せたはずだ。
ふ、と息を吐いて背もたれに寄りかかった。
…今日の山場はまだまだありそうだ。
ホームルームも終わって、廊下をひとり歩く。
こつこつと保健室の扉をノックして、横にスライドした。
「お疲れ様です。リカバリーガール。」
「あんたまた怪我かい…なんだいそれは。」
私の声でまた怪我したと思ったのだろう。
嫌そうに振り返ったリカバリーガールはぱちぱちと目を瞬かせた。
「魔法の練習をしてたんですけど、その過程で生やし過ぎてしまって。飾りません?」
「…ゼラニウムかい。」
リカバリーガールはすんと鼻を鳴らして香りの大元を言い当てた。
「はい。なので病院に持っていくわけにも、校長室に置かせていただくわけにもいかずで。」
「あぁ、そういうことかい。」
私の言葉の意図が伝わったのだろう。
リカバリーガールは頷いて、ちょっと待ってなと言ったまま保健室から出ていった。
「ほら、これに生けられる分なら置いていっていいよ。」
随分大きな花器をリカバリーガールが持って病室に入ってきた。
慌ててその花器を受け取る。
「随分大きいですね。」
「来客時のエントランス用さ。」
全体的に大きなこの校舎のことを考えると小さく感じるこの器に私が生けるのだろうか。
「リカバリーガールが生けるんですよね?」
「あんたの花だろ。あんたが1番綺麗に生けられる。」
確認のつもりで発した質問にあっけらかんと返された言葉を聞いて咽せた。
「大丈夫かい?」
「はい、びっくりしただけです。私お花なんて、生けたことないんですよ。」
そうだろうねとリカバリーガールは笑う。
「ただ、思うように生ければいいんだよ。」
私より身長の小さな彼女はそう言った。
「じゃあ、教えてくださいよ。」
私は口を尖らせてそう返した。
ふたりぶんの含み笑いが保健室に木霊した。
──Side 相澤
職員室での残務が大分終わって、充血した目を瞬きで潤す。
あとひとつ。そう思って手を伸ばした書類は、白い指に攫われた。
「さっさと帰りなイレイザー。弓月ちゃん待たせるんじゃないわよ。」
「…ミッドナイト。」
ヒーロースーツに身を包んだミッドナイトが、俺の後ろに立っていた。
「悪い。甘えさせてもらう。」
カバンを引っ掴んでA組まで早足で向かう。
辿り着いた扉を一息に開けた。
「あれ、相澤先生。相澤なら保健室行ったきり帰ってきてませんよ。これ、弓月の荷物。」
「そうか。悪いな。お前らも早く帰れよ。」
芦戸が弓月が帰ってきていないと言いながら荷物を俺に渡す。
礼を言ってそのまま踵を返した。
保健室に持っていくと言っていたあの花。
なんと言っただろうか。
花なんて薔薇とチューリップと向日葵くらいしかわからねえが、大量の枝を抱え込んで困ったように笑う弓月を見て、似合いの花だなと思った。
似合わねえことを考えながら保健室の扉を開く。
「…ノックくらいしたらどうだい。」
「弓月は?」
静かに、と小さく怒鳴ってリカバリーガールは1番奥のベッドを指差した。
すやすやと眠っている。
「寝ちまったよ。久しぶりに動いて疲れたんだろうよ。」
まだ体力は戻ってないね。とリカバリーガールは言う。
ふと窓際に目をやって息を呑んだ。
「それ、この子が生けたんだよ。」
「…綺麗だな。」
口をついて、性に合わない言葉が転げた。
華やかな花の集合が窓際にはあった。
ただ1種類の、たった1色の花が咲き乱れていた。
暫く、眠っている自分の娘をぼんやりと眺める。
こいつ、こんなこともできるのか。
「花を生けるのは初めてだって言ってたよ。」
「初めてでここまでできるもんなんだな。」
時計の秒針が時を刻む音だけが響く。
「ん、寝ちゃいました…。」
疲れが取れたのだろうか。
目を覚ました弓月は伸びをひとつしてからはにかんだ。
「ほら、帰るぞ。」
余りの花なのだろう。3本ほどの枝を抱えて保健室を出た。
「…夜ご飯どうしましょう。」
「今日はもう疲れたろ。出前取るぞ。」
でまえ。と弓月は目を丸くして呟く。
嫌なのか。
「初めてです!出前!ピザにしますか?お寿司?それともチキンですか?」
「…どれでもいいよ。好きなのにしろ。」
嫌なわけではなかったようではしゃぎ出す娘を眺める。
こうして見ると年相応に見えるんだがな。
「じゃあ、ピザにしましょう!ジャンクなフードが食べたい気分です。」
「あぁ、頼んでおく。」
携帯で注文を飛ばして足取りの軽い娘を追いかける。
こいつといると飽きねえな、と笑いが漏れた。
幸せな1日をただ過ごしたい、そんな1日でした。
突然気が変わらなければ、明日から体育祭に入るはずです。多分。