サアサ、落として魅せますお祭り娘ッ! トレーナーさんの心はお祭り騒ぎですよ!   作:渚 龍騎

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あらすじはウソです。
ドンモ○タロウは一切出てきません。

キタちゃんの育成ストーリーを見て、めちゃめちゃ楽しかったので書きました。息抜きなので続くかは体力次第です。


気付かせて見せますお祭り娘ッ!

 

 

 

 神なるものよ、変化の極みなり。

 万物に妙にして言を為し、形を以って話すべからざる者なり。

 

 

 

 それはかつて970年頃の中国で成立された全1000巻からなる書物──太平御覧(たいへいぎょらん)に記された文である。その意訳は様々だが、彼曰く、それは『神足り得る者は、変化を極めたものである。どんな形であっても言及されることはなく、万物を語ることのできる存在なんじゃないか』とのこと。

 

 だが意訳をされても尚、彼女はその言葉の意味を理解することはできず、結局のところ彼に向けて告げた言葉が────、

 

 

 

「トレーナーさん、大丈夫ですか?」

 

 

 

 その一言だった。

 純真な心から生まれる無垢な一言(いちげき)は、いとも簡単にトレーナーの心を抉った。

 更には隣にいた彼女の親友──サトノダイヤモンドには「宗教に入られたのですか?」と言われてしまう始末だった。

 

 

「泣くよ……?」

 

 

 無論、泣いた。

 伝えたいことが伝わらず、トレーナーはそれ以上なにかを語ることなく諦めた。

 

 

 

 ◆◆◆◆

 

 

 

「え、やめ、てください」

 

 

 

 開口一番、物語の最初を飾った一言は否定だった。

 その声の主は、目の前にいるウマ娘のトレーナー。彼はそのウマ娘から逃げるようにソファーの背凭れに大きく寄り掛かり、明らかに眼前の少女から逃げようとしていた。だが、完全に逃げ場を塞がれ、トレーナーは少女が近寄ってくるのを見つめるしかなかった。

 少女の燃えるような炎の如き瞳が、困惑するマヌケな表情のトレーナーを映して徐々に顔を寄せて来る。その瞳は真っ直ぐで、なによりも真剣な色を滲ませていた。

 

「トレーナーさんには、あたしも一人の女だってことを教えてあげます」

 

 彼女の漆黒の髪が、窓から吹き抜けた風によって揺られ、黄昏に滲んだ表情(カオ)がより一層ちゃんと見える。息を呑み、固唾を飲んで、トレーナーは彼女から逃げられないと察した。

 いつもは天真爛漫に笑い、愚直ながらに真っ直ぐ突き進む素直な性格の彼女が、いままで見せたこともないような表情──否、見せたことはあるもののトレーナー自身が真っ直ぐ見つめたことがない。その表情(カオ)は、女の子らしいというべきか。いや、それでは語弊がある。普段の活発な少女の面影ではなく、それはまるで恋する乙女の色が強く滲んでいた。

 

「ちょ、ちょっと、キタサン近いよ?」

 

 名前を呼ばれた少女。漆黒の短髪が風に揺られ、その炎の如き瞳で見つめるウマ娘──キタサンブラックは、トレーナーの言葉に「そうですね」と肯定しながら更に顔を寄せて来た。

 

 なぜこうなったのか。

 トレーナーは思考を巡らせるが、眼前の状況がそれどころではない。徐々に顔を寄せて来るキタサンブラックに、然るべき対応をしなければならないが、思考が困惑と驚愕で塗り潰されているので、もはや考えを纏めることができない。

 

 トレーナーはキタサンブラックの行動に理解できず、過去を振り返ることができない。一方のキタサンブラックも完全に()()()()()()のでトレーナーと同じである。ここまで来てしまうと、スタミナ切れが近く、キタサンブラックの強みでもあるタフさも意味を成さない。

 

 

 

 故に、此処は────第三者が語るほかない。

 

 

 

 春。全ての始まり。寒暖に一進一退があり、出会いと別れが同時に生まれる季節である。桃色に塗り変わった桜の葉々が、春を運んできたそよ風によって揺れる。それは草原にも似た爽やかさで、新たな始まりを遍く大地に告げていた。

 春風によって吹かれた桜は、辺りの流れによって舞い踊る。なにもかもの始まり、あらゆることの終わりを告げしその季節に、キタサンブラックはサトノダイヤモンドと共に夢への道を踏み出した。

 そして今日もまた、そんな春に起こった。

 

「トレーナーさんっ!! 遅れてごめんなさい!!」

 

 トレーナー室の扉を勢い良く開き、飛び込むと同時にキタサンブラックはその謝罪を叫ぶ。深々と頭を下げて、トレーナーからの言葉を待っていたが、その応えは一向に返ってくることがなく、彼女は首を傾げながら顔を上げた。

 

「あれ、トレーナーさん?」

 

 まず最初に視線を向けたのは、トレーナーがいつも座っているはずの机。そこにあるのは開かれたままのパソコン、数え切れないほどの資料の束と、エナジードリンクの空き缶が数本。肝心のトレーナーはそこに座っていなかった。

 不思議に思い、その視線を一望させてトレーナー室を見渡すが、どこを見てもトレーナーの姿はない。机の下や、ソファーの下、棚の中など思い当たる場所を捜してみたが、やはりどこにもいなかった。

 

「トレーナーさんどこに行ったんだろう……」

 

 トレーニングの集合時間をとうに過ぎている。キタサンブラックは数々の困っている人々に、手を差し伸べていたばかりに遅れてしまった。思い返して見ても、トレーナーが集合の時間に遅れて来たことなどない。それ故に、余計困惑が思考を塗り潰していた。

 

「もしかして……トレーナーさんあたしが遅刻ばっかで呆れて怒っちゃった……!?」

 

 殆ど毎回遅刻をして来るキタサンブラック。その誰にでも手を差し伸べる義侠心と真っ直ぐな性格は、明らかに他の者よりも強く表れている。それを分かっているからこそ、トレーナーはなにも言っていなかったが、本当はその度にキタサンブラックが厭になっていたのかもしれない。それでトレーナーが出て行ってしまったのだと──そう考えてしまって、キタサンブラックの顔はみるみる青ざめていった。

 

「あああああああああ!! どうしようどうしよう!! 捜しにいく!? あああでもでもなんて言ったらいいの!?」

 

 頭を抱える。その困惑を声にして叫ぶ。トレーナー室を何度もぐるぐると周り、その思考を全力で巡らせるが、解決方法はなにも思いつかない。

 素直に謝る──逡巡を押し切ってその選択肢は生まれていた。だがしかし、それで許して貰えるのか分からず、更なる不安へと引き摺り込んだ。

 トレーナーがいなくなってしまえば、なにをすればいいのか、どうしたらいいのか、なにより()()()()()大切な人が離れてしまうことへの恐怖心。なにもかもがキタサンブラックの感情(こころ)を埋め尽くしていた。

 

「うぅぅ……どうしよう……」

 

 呟いても、解決策が思いつくわけではない。

 サトノダイヤモンドと同じ程に大切な人。それはもはや家族のようでもあったが、彼の存在には()()とまた違う感情があった。

 大抵の好きなほぼ一目惚れのキタサンブラックだが、トレーナーに対してはなにかが違った。一目惚れのようで、はたまた違う感情。彼のことを考えてしまうと、それ以外のことが考えられなくなり、連鎖の如く漸増する。これが恋愛的な感情であると知ってしまった時の話は、また別の機会に────。

 

 いまはトレーナーが、どこに行ってしまったのかを考えることが先決だった。

 トレーナーがいなければ、どんなトレーニングをしていいのか分からない。レースでの作戦や、授業で分からなかったことを聞くこともできない。なによりトレーナーと話すことも褒めてもらうことも、いままであった普段のことがなにもかも消え去ってしまう。

 

「こんなあたしにここまでしてくれる人、トレーナーさん以外いないのに……まだ、なに一つだってトレーナーさんに返せてないのに……」

 

 うぅ、と心の底から落ち込み、完全に意気消沈してしまったキタサンブラック。お腹を抑えるように蹲りながら、ようやく慌てていた思考が纏まりつつあった。その答えは、至って単純でなによりも当たり前のこと──キタサンブラックは拳を握り締めて、勢い良く立ち上がった。

 

「やっぱり謝らないとダメだ!! たとえ呆れられてたとしても、あたしにとってのトレーナーさんはあの人しかいないから!!」

 

 トレーナー室から飛び出そうと一歩を踏み込んだ瞬間、軽く机にぶつかってしまい、机の上に置かれていた資料が床に投げ出された。

 大きな声を上げながら、床に散らばった資料の束を慌てて拾い上げる。一枚ずつ拾っていくと、その資料に書かれていた内容へ視線が映った。

 数値化されたキタサンブラックのタイム。それに合わせたトレーニングメニューや、重点的に行うべき今後の活動、どれもこれもがキタサンブラックに関する資料ばかりだった──中には演歌に関する事柄もあり、それを見たキタサンブラックはぽかんと口を空けて思考停止してしまう。そして、もう一度見た。内容はなに一つとして変わっていない。当たり前である。

 

「トレーナーさん……こんなに資料を……」

 

 よく見てみると、エナジードリンクは机の上にあるだけでなく、ゴミ箱の中にまで数え切れないほどの量があった。それが意味するのは、ただ一つの至って単純なこと──トレーナーはキタサンブラックに全力を尽くしている。それ故に、トレーナーが彼女を見捨てるはずがないのだ。

 散らばった資料を腕に抱えていくと、なにかが書かれた一枚の小さな紙を見つけた。そこには走り書きで『少しだけ遅れる。ごめん』とだけ記されていた。

 

「よかったあ……トレーナーさん、あたしのこと見捨てちゃったのかと思った……」

 

 心の底から安堵して、キタサンブラックはほっと溜め息を漏らした。恐怖と混乱で塗り潰された思考が、靄と共に晴れていく。その感覚に緊張が解れて、思わずソファーに座り込んでしまった。

 自分の思い違いが過剰のあまり、よくよく考えて見れば、トレーナーがキタサンブラックを見捨てるはずがない。彼がそういう人間なのだと、誰よりもキタサンブラックが一番知っている。思考を巡らせれば簡単に分かることだった。

 ソファーの背凭れに大きく寄り掛かる。見慣れた天井を仰いで、()しかかっていた緊張が解けていき、肩の力が一気に抜ける。極限まで固まっていた意識と身体が、その安堵によって和らいでいき、キタサンブラックを眠気が襲った。

 

 キタサンブラックは、このトレーナー室に来るまでに十人以上の人々に手を差し伸べ、手助けをしてきている。その上、休むことなく駆け抜けてトレーナー室まで来た。長距離を走り抜けられるキタサンブラックといえど、流石に疲弊していた。

 想像以上の疲労感に睡魔が手を伸ばしてキタサンブラックを掴む。瞼が重くなっていき、意識も彼方へと飛んでいこうとしている。トレーナーが戻ってくるまでの間は起きていたいと思っていたが、自分が考えているよりも遥かに限界が近く────、

 

「少しだけ……寝て……そしたら……」

 

 ゆらり、ふらり、頭も身体も揺れる。意識は完全に夢想へ誘われ、キタサンブラックはその中を漂う。初めてトレーナーと出会った日や、サトノダイヤモンドとの楽しい日々、夢見ていた憧れの先輩たちとのレース、夢を描いた小さき頃のあの日────すべてが昨日のことのように思い浮かんでいた。

 そして、悠久の約束を結んだあの瞬間。有マ記念でのあのレースは、決して忘れることはできない。全身全霊で駆け抜けて、勝利を掴んだあの瞬間の彼の顔は、いまも瞼の裏に浮かび上がる。なにもかもが楽しく、嬉しいものばかりだった。

 

 

 

 ────やり遂げるだけ。

 ────みんなを笑顔にする『ウマ娘』になってみせる。

 

 

 

 その夢を眺めていた。

 デビュー戦で負けて、周りのウマ娘よりもなにか決定的なものが欠けていて、それなのに彼はトレーナーとして名乗り出てくれた。彼がいたからこそ、その夢をこの手にすることができた。彼が側にいてくれたから、最後の最後までやり遂げることができたのだ。

 やがて、四肢の感覚と五感のすべてが闇の中に吸い込まれていき────、

 

 

 

 ゆらり、ゆらり、ふわり、ふわり、暗闇の中にある意識が、常闇に呑まれて何度も浮き沈みを繰り返す。

 いつだって此処には、何もない。茫洋と漂う意識の存在だけで、四肢も五感もなにもかもが失われて、その存在は名前だけの意識で虚空を流れた。

 これ以上、この場所にいてはならない。意識だけであっても思索を馳せて、この暗黒から抜け出す。

 道標となる眩い光──遥か先の光が、酷く輝いていて、必死にその光の正体を追い駆け続けて来た。

 その光の意味を探して、その光を掴む為に手を伸ばして、あと少しで手が届くから────、

 

 それを最後に、意識が眠りという海から浮上する。覚醒の水面に浮かび上がって、瞼を開いた。

 意識がぼんやりと虚ろいでいて、視界はぼやけている。思考は霧が掛かったように鮮明さを失い、キタサンブラックは朦朧とする中で目を覚ました。

 

「ん、んん……」

 

 どれだけの時間を寝てしまったのか──深い眠りについてしまっていたようで、座っていた態勢がいつの間にか横になっている。そのまま窓の外に視線を移して見たが、陽はまだ青空をくっきりと映していて、それほど時間は経っていないように思えた。

 昼寝とは、二度寝と同じような感覚に陥る。朝のように直ぐさま意識が鮮明になる訳ではない。そのために、いま現在の状況がまるで分からず、不可思議な状況にあるのだと気付くのに遅れてしまった。

 眉を寄せて、この状況を再確認する。

 

 ────違和感、一つ目。

 

 寝転がった態勢で、頭の下になにかある。温かくて、柔らかい。そして稀に上下していた。

 

 ────違和感、二つ目。

 

 いつの間にかスーツの上着が掛けられていた。見覚えのある見慣れた黒いスーツ。

 

 ────違和感、三つ目。

 

 頭上で妙に唸る声が聞こえる。何度も聞いて、聞き慣れた優しい声音。

 

 複数の違和感が、同時に訪れる。それを認識した時、キタサンブラックは「え?」と声を漏らしながら、視線を上げる。下から見上げるように、そこにはトレーナーの姿があった。それはそれとして、どうもトレーナーと自分の位置関係が妙に角度的におかしいと気が付いた。

 

「あれ、え、え?」

「あ、おはようキタサン。目が覚めた?」

 

 トレーナーは目覚めに気が付き、キタサンブラックの頭上で広げていた小説を閉じる。柔らかい眼差しで彼女を見下ろしながら、トレーナーは唇を開いた。

 

「疲れてたみたいだね。今日も沢山の人をお助けしてたんでしょ?」

 

 その投げられた声色は、訝しみや憤りの色は微塵も含まれておらず、慈しむような優しい声音が強く滲んでいた。トレーナーは声色を変えることなく、爽やかに笑みを浮かべながら──、

 

「誰かをお助けし続けるのも良いけど、自分の身体も大切にしないと。キタちゃんは頑張り過ぎて、自分のことを後回しにしちゃうんだよ」

 

 だから────と、トレーナーは言葉を繋ぐ。

 

「今日はゆっくりと休んで。その人を助けるのはその時でしかできないけど、トレーニングは明日(いつ)でもできるからね」

 

 優しい声色が、鼓膜を叩く。その音色がとても心地よくて、キタサンブラックは思わず聴き入ってしまう。トレーナーが柔らかい声色を保ちながら、その表情(カオ)にも欺瞞の色はない。これだけ真剣に語ってくれているのも、彼の誠実さが表れている証拠だった。

 キタサンブラックを思ってくれているのも、彼女にとっては本当に嬉しいことではあったが、それよりも遥かに、彼女の思考を埋め尽くしていることが一つだけあった──それは、先程からずっと気になっていた現在の状況である。

 

「トレーナーさん……一つだけ、いいですか?」

 

 どうしたの、と優しい声が疑問を受けた。

 現在の状況──自分は横たわっていて、照明を背中に受けるトレーナーの顔を見上げている。頭の下には枕とは違った別の感覚。それは彼の呼吸に合わせて微かに上下しながら動いていた。

 それがどんな意味をしているのか、想像するのは容易かった──否、考えがその方向に至るのは自然な流れであった。キタサンブラックは特にその思考に至りやすかった。

 

「いま、これってあたしどうなってるんですか?」

「どうって、膝枕だね」

「ひざまくら……」

 

 膝枕。

 それは人の膝に頭を乗せて横になる態勢のこと。男性も女性も、人によっては夢見るシチュエーションの一つ。膝枕自体は最古の和歌集としても有名な『万葉集』にも記述されており、人々はその態勢が何より落ち着く事なのだと、遥かなる昔から語り継いでいた。

 いまもまた、キタサンブラックはトレーナーに膝枕をされている。それが現在の状況だった。

 トレーナーに言われた言葉を口の中で呟き、思考回路が冷静な判断を施して、ようやくすべてを理解した途端、頭頂部からつま先まで熱が駆け抜けた。

 飛び上がるように慌てて起き上がり、彼女は顔を真っ赤に染め上げてトレーナーから離れた。

 

「ご、ごめんなさい!!」

 

 なにかを考えるよりも先に、直ぐさま勢い良く頭を下げる。胸が早鐘を打ち、その鼓動は音が聞こえそうになるほど激しく脈打っていた。

 火が出そうなほどに顔が熱い。鏡を見ずとも自分の顔が真っ赤になっていることはよく理解できていた。頭を下げたままトレーナーの言葉を待っていると、優しく名前を呼ばれた。

 

「別に謝ることはないよ。キタサンは頑張り過ぎなんだから、今日ぐらい休めばいいよ」

「うぅ……」

 

 年頃の少女にとって、油断をして見せてしまった寝顔ほど、大切な人には見られたくないもの。だらしのない姿をトレーナーに見られて、キタサンブラックの心は騒々しさを増していた。

 羞恥や万感の想いが駆け巡るキタサンブラックを他所に、トレーナーはそんなこと知る由もなく、不思議と首を傾げながら微かに笑みを浮かべた。その優しさは、いままで数え切れないほどに何度も味わってきたもの。二人の始まりともいえる邂逅から、これまでに駆け抜けてきた栄光の数々。トレーナー室に居並び、いまもなお輝き続けるトロフィーがなにもかもを物語っていた。

 

「トレーナーさんは、なんであたしにそこまで優しくしてくれるんですか?」

 

 当然ともいえる疑問だった──トレーナーは、いつだってその微笑みを向けてくれる。手を差し伸べてくれるのではなく、背中を押して支えてくれている。なぜそこまで優しくしてくれる理由が、キタサンブラックはわからなかった。

 トレーナーだから、そんな単純な理由には思えず、なにか別の理由があるのではないかと、漠然とした感覚がそう訴えていた。

 だが、トレーナーは頭を掻くと────、

 

「じゃあ、キタサンはなにか理由があってみんなを助けてる?」

 

 突然の問い掛けに、キタサンブラックは困惑した。直ぐにその思考を巡らせて、いままでお助けをしてきたことを思い出す。誰かが困っていると、お節介だと分かっていても結局やってしまう。理由という理由は、ただみんなを笑顔にしたい──結局のところ、ただそれだけなのだ。

 

「あたしは、みんなを笑顔にしたいんです。助ければ、その方が後悔しないと思って──」

「──それだよ、それ」

 

 キタサンブラックの言葉を遮り、トレーナーが指を指しながら答えた。その言葉の意味を理解できず、彼女は首を傾げる。トレーナーはそんな彼女を見つめながら、持っていた本を机に置いた。

 

「俺もキタサンと同じ理由だよ。俺の場合は、キタサンの夢を叶えてあげたいっていうべきかな。俺は君の笑顔を見たいから、いま俺にしかできないことを全力でやる。それだけだよ」

 

 その方が後悔しないからね、と彼は笑った。

 

「誰かを笑顔にしたい──その気持ちは素晴らしいけど、君のことは誰が笑顔にするの? 君をお助けする人は誰? 君が誰かをお助けして笑顔にするように、俺が君をお助けして、君を笑顔にするんだ」

 

 言って、トレーナーは立ち上がった。

 散らばった机の上の資料を見下ろして「汚いな……」とぼんやり呟きながら、揃えて纏め始める。それを眺めていることなく、キタサンブラックも手伝い始め、彼女に「ありがとう」と感謝を告げると、二人で資料の束を机の隅に置いた。

 

「あたしをお助け、ですか……えへへ」

 

 微かに笑みを溢しながら、キタサンブラックはその嬉しさを表情にも滲ませていた。

 

「やっぱり、トレーナーさんは優しいですね」

 

 君ほどじゃないさ、と謙遜するトレーナーだったが、その優しさは誰よりもずっと一緒に駆け抜けてきたキタサンブラックが一番よく知っている。こうして来れたのも彼がいたおかげであり、今の自分がいるのも彼がずっと側にいてくれたからこそなのだ。

 最後の有マ記念──至高の親友との対決。ようやく叶った夢と希望を胸に抱いて、今までのことを背中に受け、一時を全力で走った(駆けた)

 

 ────『最後まで諦めちゃダメだよ』

 

 あの言葉も。

 

 ────『君の笑顔(はしり)が、皆を笑顔にするんだ』

 

 この言葉も。

 

 ────『それじゃあ始めようか』

 

 何気ない一言でさえも。

 

 ────『君をスカウトできて良かったよ』

 

 どの言葉も、思い返せば鮮明に記憶に蘇る。なにもかもが、昨日のことのようで。その全てが、挫けそうな時でさえも支えてくれて、いつだって背中を押してくれたのだから。それでいつの間にか、彼に惹かれるようになっていた。それなのに彼は────、

 

「もうキタちゃんは俺の()みたいなもんだよね」

「────」

 

 喜色に溢れていた表情が、トレーナーのその一言によって怪訝な表情へと変わる。呆れたような、それでいて軽蔑するような眼差しは、こちらの様子に気付いていないトレーナーへと向けられていた。

 彼は、キタサンブラックを子供扱いしている。恋愛的な感情によるものではなく家族として──それも妹のように感じている。一人の女性、一人の少女ではない。だからこそ質が悪い。

 どれだけアピールを施そうと、彼はなにも感じない。鈍い、にぶい、ニブイ。

 

「トレーナーさんのそういうところは嫌いです」

「は、え? 俺なんか気に障るようなこと言った?」

 

 はい、と片頬を膨らませながらキタサンブラックは答える。不満気な表情を見つめて、トレーナーが困惑を隠し切れずに戸惑っていた。

 キタサンブラックの意思を理解できず困惑していると、彼女は固唾を呑んでから決意を固める。そしてトレーナーの両肩を掴み、無理やりソファーに座り込ませた。

 

「え、キタサンどうしたの?」

 

 無視。問い掛けには無言で応える。そのままトレーナーの真っ黒な瞳を見つめながら、距離を徐々に詰めていく。大きく見開かれた漆黒の瞳に、固くなった表情の自分が映り込んでいた。

 トレーナーを軽く押すと、ソファーの背凭れに大きく寄り掛かり、彼は困惑の色を更に滲ませながら逃げようとしている。それでも関係なしに、キタサンブラックは顔を寄せていった。

 妹ではなく、一人の女としてトレーナーに見てもらうため──そのためにはこうするしか方法が考えられない。キタサンブラックは、恋愛模様になると途端に掛かるウマ娘だった。

 

 恋愛は根性じゃどうにもならないよ。

 ────ワッショイだぜ。

 

 顔を寄せる。それだけでなく、身体すらも近付けていき、キタサンブラックはトレーナーの腕を抑えた。

 

「え、やめ、てください」

 

 最早なにが起こっているのか理解できないトレーナーは、思考停止で敬語にすらなり、キタサンブラックを拒もうとしている。たがしかし、人間の力でウマ娘を凌駕することは有り得ない。

 つまりは、詰み。チェックメイト──いったいなんの勝負をしているのか分からないが、それは逃げられないという意味である。キタサンブラックがこうして近付いているのも、一人の女としてトレーナーに意識させる魂胆だった。こうでもすれば、嫌でも彼はキタサンブラックを女性として認識するはず。

 

 

 

「トレーナーさんには、あたしも一人の女だってことを教えてあげます」

 

 

 

 ────こうして、現在(いま)に至る。

 トレーナーに「近いよ?」と困惑の色を強く見せられても、なにかを否定するわけでもなく「そうですね」と肯定して、更にもう一歩を寄せていった。

 ヒカリトオク。窓から差し込む輝きが、黄昏へと移り変わる頃。紅に染め上げられつつあったトレーナー室では、不可思議な空気が席巻している。圧迫された世界で、二人の影が揺らめいて重なり合った。

 春の爽やかな風が吹き抜けて、トレーナー室のカーテンが木々のざわめきと共に彷徨する。それと同時に二人の漆黒の髪が僅かに靡いていった。

 最早その距離は息が掛かるほどに近く、影が更に重なり合って、キタサンブラックがその身を寄せていった直後──トレーナー室の扉が勢い良く開かれた。

 

「ねえトレーナー、やっぱりキタちゃんどこにもいないよー?」

 

 瞬間、トレーナーとキタサンブラックの視線が扉の方へと向けられる。そこにいた人物と視線が交わり、三人は同時に「あ」とたった一文字を口から漏らしてしまった。

 赤みの掛かった茶色の髪を一つに結び、三日月の如き白い前髪が特徴的なウマ娘──トウカイテイオーは、ソファーの上で異常なほど近付きあっていたトレーナーとキタサンブラックの姿に、徐々に驚愕を表して顔を引き攣らせていき、

 

 

 

「ちょっと二人共っ!! なにしてんのさ!!」

 

 

 

 トウカイテイオーの驚愕が、トレーナー室を超えてトレセン学園に響き渡った。

 

 

 




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