始まりは記憶の彼方に
「あ、これ死――――」
男の口からふと漏れた言葉。
それはまさしく言葉の意味通りであり、最後の一言であった。
男が目を瞬いた直後には強い衝撃とともに目紛しく視界が踊った。
幸いなことに痛くはない。だが、このままだと間違いなく死ぬことは確かであった。
死とは何か。
男が今まで触ったことのあるテレビゲームやらパソコンゲームやらでは救済なり救われないものなり、わけのわからないものであった。
だが、いざ死を強く感じる立場になってしまえば虚しさしか感じられないものなのだと分かった。
今まで買うだけ買って積み上げてきたゲームのパッケージやらプラモデルの箱やらを思えば、散々と仕事に追われた人生だったのではないかと後悔の念さえ浮かび上がる。
友人とのつながりさえも仕事が優先と切り離し、気がつけば周りには誰も残らず独り孤立していたものだ。
男は思う。
つまらない人生だった。
もし、来世があるというならもっと楽しいゲームみたいな人生がいいものだ。
まだその方がまだ刺激的な生を謳歌できそうなものだ。
"死者に救済を、迷える魂に新たなる機会を"
一体これは何なのだろうか。
やがて薄れゆく意識に聞こえる心地よいと思えるような美しい声。
しかしてその内容を理解することもなく男はついに息絶えることとなる。
そう、確かに男は命を散らしたはずだった。しかし、次に意識を取り戻した時には不思議な空間にいたのだ。
「ここは……?」
見渡す限り一面に広がる白い世界。
まるで雲の上にいるかのような浮遊感に困惑しながらも辺りを見回す。すると、目の前に現れたのは先程の声の主であろう人物。
「ようこそいらっしゃいました。私はこの世界の管理人のようなものです」
男よりもかなり年下に見える少女。透き通るような青い髪に、青を基調としたドレスのような服装に身を包んだ彼女はどこか神秘的に見えた。
しかし、1度見たら忘れないはずの姿は見た瞬間から忘れていく。まるで記憶から抜け落ちているかのように。
「あなたは……」
「はい。私の名前はアーケインと言います。お好きなように呼んでくださいね」
「あぁ、よろしく頼むよ」
差し出された手を握る。
見た目に反してしっかりとした握手を交わしながら、男は考える。
「……俺は死んだのか?」
男は率直な疑問を口にする。
「はい。あなたは残念ながらお亡くなりになりました」
男は本当に死んでしまった、という事実を瞑目して受け入れようとする。しかし、不思議と悲しみといったネガティブな感情が思い浮かんでくるようなことがなかったのは幸いだった。
「そうか……。それであんたが俺を生き返らせてくれるとかそういう話なのか? それとも天国に連れて行ってくれるのか?」
「いえ、私ができるのはただあなたの次の人生を案内することだけです」
少女の言葉に男は少し驚く。まさか自分のような人間でも転生ができるとは思ってもいなかった。輪廻転生といった概念を信じていなかったわけではないのだが、実際に自分が体験してしまうと驚かざるを得ないというものだろう。
しかし、それでもやはり気になることがあった。自分は一体どんな世界に転生できるのかということである。
サブカルチャーに疎い男としては、剣と魔法のファンタジー世界に行きたいと願っても上手く立ち回れるか怪しいものだ。せめて現代社会に近い文明であればいいと思った。
そして男は口を開く。
「俺は……次はもっと楽しく過ごせるような人生がいい。もうあんな辛いだけの日々を過ごすのは嫌だ」
男は思わず本音を漏らしてしまったことにハッとする。
しかし、そんな様子を知ってか知らずか、目の前の少女は一瞬驚いたように目を丸くしたものの、すぐに笑顔となってこう答えた。
「わかりました。あなたの願い承りましょう」
こうして男は新たな人生を始めることとなる。
男が転生したのは地球とは似て非なる世界であった。大まかには元々過ごしていた世界と相違ない文化水準ではあったが、魔法や魔物といった存在が科学と同等の存在として人々を支えていたのである。
「
教師の大声によって意識が覚醒する。柴宮と呼ばれた少女は慌てて立ち上がり謝罪をする。
「す、すみません……」
「まったく、授業中に居眠りなどたるんどるぞ。罰として明日までに反省文を書いてこい。いいな」
「はい……」
しゅんとした表情のまま席に着く。
教室からはクスクスという密やかな笑い声が聞こえてくる。
柴宮はその光景を見て聞いてますます憂鬱さを加速させる。
「大丈夫だよ、のんちゃん。気にしないでね」
隣の席に座っていた女子生徒が慰めるように声を掛ける。彼女もまた同じクラスメートであり、唯一の友人と呼べる存在であった。
「ありがとう、
「いいよ、いいよ。それよりもさぁ……」
香苗ちゃんと呼ばれる少女が何かを言いかけたその時、突如大きな音が鳴り響いて室内がざわつく。
「なんだ!?」
「警報音よねこれ!?」
「皆、落ち着いて避難してください!!」
何らかの警戒を呼びかけるけたたましい音に慌ただしくなる生徒たち。そんな中、生徒の一人が窓の外を指差して叫ぶ。
「あれって……ドラゴンじゃないのか!?」
その言葉通り、空を見上げれば翼を広げた巨大な生物が校庭に降り立つところであった。
『近隣にて魔巣の出現が確認されました、生徒の皆さんは速やかに校舎内に避難してください!』
校内放送を通して流れるアナウンスを聞きながら希海たちは窓から外を見る。そこには見慣れぬ魔物の姿があった。
全身を硬い鱗で覆われており、長い首と尻尾を持った爬虫類を思わせる姿。しかし、その姿は紛れもなく空想上に存在していたであろう竜そのものの姿をしていた。
「のんちゃん!? なにぼーっとしてるの! はやく逃げないと!」
「あ、うん」
「ほら、早く行くよ」
希海は香苗に手を引かれて走り出す。
この世界ではこのようにして時折
、魔巣と呼ばれるゲートを通じて異世界からの侵略者とされる魔物が現れることがあった。それらを倒すために人々は魔力と呼ばれる力を駆使する術を身に付け、やがては魔巣を攻略する英雄としての役割を担うようになっていった。
「きゃあああっ!」
突然響く悲鳴に二人は足を止めた。振り返ると先程まで一緒にいたはずのクラスメイトたちが、今まさに人よりも二回りは大きい四足歩行の獣に襲われようとしている瞬間だった。
香苗はそれを目に入れるだけでも脚がすくんで動けなくなる。
「まずい……助けなきゃ」
「ダメだよのんちゃん!! 私達じゃどうにもできないよ!」
「でもこのままだとあの子達が死んじゃうかもしれないんだよ!?」
「力のない私達が向かったところで犠牲が増えるだけなんだよ!!」
「でも……でも……」
「お願いだから言うことを聞いて……。私はあなたを失いたくないの」
「…………わかった」
「わかってくれてよかった。それじゃ、いこ……」
「だったら私があの人達を助ける」
「……え?」
そう言って希海は香苗の手を振りほどく。そして一目散に駆け出した。
「のんちゃん!!!」
背後から聞こえる友人の制止の声も聞かず、彼女は一直線に向かっていく。
「やめてぇええ!!!」
叫び声を上げながらも希海は走る。そして、あと数歩という距離にまで近づいた時、彼女に気付いた獣が鋭い牙を見せ付けてきた。
「ひっ……」
思わず恐怖のあまり立ち止まってしいそうになる。しかし、それでも彼女は諦めずに魔物と生徒との間に割って入った。
「やめろぉおおお!!!」
「グガァアアッ!?」
次の瞬間、希海の身体が光に包まれたかと思うと、その手にはいつの間にか剣が握られていた。それは彼女の人を守りたいという意志の具現化したものであった。
「な、なに……これ……!?」
戸惑いつつも希海は剣を構える。
無論、希海には剣技や剣への理解もない。ただ本能的にそれが自分の手に馴染むものであると感じていた。
一方で、魔物は突如現れた年端も行かない少女の姿に戸惑っている様子だった。
「グルルルルッ」
魔物は低く喉を鳴らして威嚇する。
だが、希海はここで引き下がるわけにはいかない。自分が戦わなければ目の前にいる人々が死んでしまうのだと己を奮い立たせ、獣の牙をその刃で受け止める。
「ぐぅ……」
希海がいくら勇気を出して魔物と対峙しているとはいえ、所詮は13歳の少女に過ぎない。大人が全力で振り回しても折れてしまいそうな剣を細腕で必死に支え、どうにか魔物を押し返そうと試みる。
しかし、力の差は歴然であり、じりじりと押し込まれていく。
「だ、だめ……押されちゃう」
次第に体勢が崩れていき、ついには膝をつく。
「グギャオオオオッ!」
絶好の機会を得た魔物が一気に飛び掛ってくる。この時、きっと希海は自身の死を覚悟したことだろう。
迫る死に抗うことを諦めたその時、一瞬の剣戟が魔物を襲った。
「ギュルゥウウッ!?」
「……えっ!?」
突如として視界に映り込んだ黒い影に驚く希海。
そこに立っていたのは赤髪の青年だった。彼は腰に下げていた鞘から刀身を抜き放つと、そのまま流れるような動作で一閃する。
「グォオオオンッ!?」
その一撃は魔物の胴体を捉え、魔物は悲鳴を上げて後退った。否、それだけではない。
魔物が退いた先にある地面には大きな鈍色の輝きを放つ円状の紋様がいくつも存在していた。
攻撃による衝撃で誘い込まれた魔物はそこから脱出することもできず、やがて眩い閃光と共に消え去った。
「ふぅ……」
「す、すごい……」
呆気に取られる希海。そんな彼女を尻目に、青年は再び刀身を鞘に納めると何事もなかったかのようにその場から立ち去ろうとした。
「ま、待ってください!」
「……」
呼び止められた青年は面倒臭そうに振り返ると、一言だけ告げる。
「お前も早く避難しろ」
「は、はい……」
青年の素っ気ない態度に希海はそれ以上は言う事もできずに黙ってしまう。だが、それでも去り際に見せた彼の横顔がどこか悲しげに見えた気がして、希海は不思議と心がざわつくのを感じていた。
「のんちゃん! 大丈夫!?」
「あ、うん。平気だよ」
折り合いを見た香苗が駆け寄ってきて、希海は我に返るとその場で立ち上がり制服の裾に着いた埃を払う。
先程の感情を誤魔化すための苦し紛れの行動だったが、幸いにも香苗はそれに気付かなかったようだ。
「希海ちゃん、
「そうなのかな……。みんなを守りたいって思ったらいつの間にか……」
「その力は二度と使わないで」
「え?」
香苗の口から出てきた思い掛けぬ言葉に、希海は自分の耳を疑う。そして、その表情には明らかな怒りの色が滲んでいた。
それは彼女が希海に抱いていた友情や信頼が根底から崩れてしまうほどのものであり、希海はその瞳の奥に宿る強い意志に気圧されてしまう。
「どうして……? だってあれは……」
「わからない。……でも、お願い。お願いだからもうあの力を使うのはやめて。あの力はあなた自身を蝕む危険なものだから」
「香苗ちゃん……?」
希海は親友の豹変ぶりに戸惑いを隠せない。
普段の彼女であればこんなことは言わないだろうし、言うにしてももっと砕けた口調だったはずだ。しかし、今の彼女はまるで別人のように思えた。
それは彼女の中に眠る別の人格が表に出てきているかのような錯覚さえしていた。
しかし、その考えはすぐに打ち消される。なぜなら、希海の目には今にも泣き出しそうな彼女の姿が映っていたからだ。
その香苗を見て、希海は先程の感覚を気のせいだったと断ずる。そうだ、あんなのはただの幻に違いない。私はいつも通りの優しい友達を信じているんだ。
そう自分に言い聞かせて。