―――あれから1時間が経過しようとしていた。私たちは魔巣窟内の草原に設けられたキャンプに動きは一切なく、魔巣窟外での時刻は既に18時を回っている。
なぜ私たちが魔巣窟から出られなくなっているのか、どうして私たちだけが取り残されているのかはこのテント内に居る生徒には「安全性の確保」と暈して伝えられている。だが、そういった理由には心当たりがあった。
ワンダリングはその名前だけでは分かりづらいが、魔巣窟の一つの階層にのみ影響を及ぼす
徘徊と言うだけあって通常は特定の部屋にて待機しているはずの
もちろん、ランダムと言ってもその確率は低いはずなのだが、今回ばかりは運がなかったということなのだろう。恐らく教師陣はこの現象について把握しているはずだろうし、一年生にこのことを伝えないのは余計な混乱を広げたくないのだろう。先生方が対処できる範囲内ならば放っておいても良い問題なのだろうが、待機時間がこうして長時間に及んでいることから只事では無いのだろう。それにしても厄介なことに巻き込まれてしまった。
「藤咲さん!」
そんな折、重苦しい空気の流れるテント内に風森さんの声が響いた。制服はボロボロであり、身体にも傷跡が見られ、疲労感も色濃く残っているのが分かる。
しかし、風森さんの表情からはどこか強い意志が感じられた。
「風森さん、大丈夫?」
「はい、私は平気です。それより、藤咲さんこそ怪我はありませんか?」
そう言いながら彼女はこちらに駆け寄って来た。そして私の体を見つめて心配そうに眉根を寄せていた。
「うん。私の方はなんともないよ」
「そうですか。良かった……」
私が適当なポーズでアピールしていると風森さんの顔に安堵の色が広がって行くのが分かった。
サブヒロインの彼女がここまで私を心配してくれるのは正直言って嬉しい。愉悦。だが、それと同時に申し訳なく思う。
風森紀々は真面目な性格をしている子だ。クラス委員長を務めていることもあり責任感が強い。だから、きっと自分が逃がしたせいで危険な目に合わせてしまっているのではないかと思ってしまったのかもしれない。*2
風森さんの責任じゃないのに。
「のんちゃんは? 今どこにいるの?」
「しば……、希海さんはいま別のテントで休んでいます」
そう言う彼女の顔色は悪い。無理もない。命からがら逃げてきたのだ。精神的なダメージは大きいだろう。
「そっか。じゃあ、ちょっと様子を見れるか先生に聞いてくる」
「いえ、今はやめた方が良いと思います」
立ち上がろうとする私を風森さんが止める。彼女の瞳は真剣そのものだった。
「……どうして?」
「彼女は、今は救助活動で疲れて休んでいますので」
「……わかった。ありがとう。教えてくれて」
そう言って私は再び腰を下ろした。
「ええと……、今から時間もかからず、魔巣窟から出られると思います。だから安心してください」
風森さんは多分私に向けて言ったつもりだったのだろうが、その言葉に周囲の同級生がざわつき出す。
まぁ、当然だろう。彼らにとっては不本意ながらも、ここは初めての実戦の場なのだ。私だって怖かったのだ。みんな怖かったに決まっている。風森さんの言葉にクラスメイト達が沸き立つ。中には喜びのあまり泣き出している者もいた程だ。
風森さんはというとその様子を苦笑いを浮かべて眺めていた。さすがに周囲がここまで反応するとは思ってもいなかったのだろう。
そんなことを考えていると、間もなくテントに教師の一人が入ってきて言う。
「皆さんのいる場所のすぐ正面にある巨大な門が出入口です。そこから帰還できますので落ち着いて外に出てください」
放送が終わると同時に生徒達の間から歓声が上がる。
無理もない。みんな不安だったのだ。助かると分かった途端に気が抜けてしまうのも仕方のない話だろう。そんな様子に思わず苦笑してしまう。
その後は正に瞬く間としか表現できないような速さで準備が行われ、あっと言う間に全員分のテントが撤収される。
そして教師達の先導の元、私達は学園まで帰ることが出来た*3。
本日の件についての事後処理については後日、学園を通して行われるらしい*4。
「本日は一旦解散となります。帰ってゆっくり休むように。明日は念の為一年生全員が休みになりますが、明後日からはいつも通りの時制となります」
そう言って担任の教師が教室から出て行くと同時にクラスの中は喧騒に包まれる。やはり今回の出来事は彼らにもかなりの衝撃を与えたようだ。早くも学園を辞めたいだとかそういった話がチラホラと出始めているようだ。
私も席を立ちあがり、荷物を持って帰ろうとする。
希海の姿が最後まで見えなかったのは気になるが、担任も全員帰還したことを伝えていたし、大事に至っていることは無いはずだ。
「あ、あの、藤咲さん!」
突然声をかけられ振り返るとそこには風森さんの姿があった。ボロボロだった制服からは学園支給のジャージに着替えており、心做しか顔色もよくなっているように見える。
「どうしたの?」
「えっと……、その……、良かったら一緒に帰りませんか?」
「うん。いいよ」
私は二つ返事で承諾する。断る理由もなかったからだ。こうして私と風森さんの二人は仲良く帰路につくことになった。
道中ではお互いに気を遣って当たり障りのない会話をするに留まったのだが、それも長くは続かなかった。というのも風森さんが住んでいるアパートの近くに差し掛かった辺りで彼女はふと足を止めて言う。
「あの、ちょっと寄っていきませんか?」
彼女の指差す先には小さな公園があり、そこにはベンチが設置されていた。特に予定もなかった私は彼女の提案に首を縦に振る。
ベンチに腰掛けると少しだけ彼女との距離が縮まった気がした。何とも言えない緊張感が二人の間に漂っているのを感じる。何か言わなければと思って口を開こうとすると彼女の方が口を開いた。
「……あの、藤咲さんは転科か転学されたりするんですか? もし、そうなら申し訳ないなと……」
風森さんは心配そうな表情を浮かべて言う。
あのような出来事に巻き込まれ、命の危機にさらされたのだ。冒険家の家系である風森さんはまだしも、確かに今の状況を考えれば私がそのどちらかを選ぶ可能性が高いと思われても仕方ないだろう。
だが、私はどちらも選ぶつもりもなかった。
「……そんなつもりは無いよ。風森さんは考えすぎじゃないかな」
私は苦笑しながら答える。
実際、ここを卒業したとして冒険家を本業にするつもりなど微塵もない。そもそも私に戦う力など無い。今日の実地演習では戦闘のセンスは人並みかそれ以下しか無いということを嫌という程思い知らされたのだ。
それに冒険家として活動するにはそれなりに危険を伴う仕事である。今日だっていつ死んでいてもおかしくはなかった。
だからって希海を助けたいという気持ちは変わっていない。
「ねえ、風森さん。希海ちゃんについて聞いてもいいかな? 無事、なんだよね?」
私がそう問いかけると風森さんは小さく首肯した。
「……はい。希海さんは大怪我こそ負いましたが、東條先輩の治癒もあって問題はないはず、です」
「そっか。ありがとう、教えてくれて」
彼女が嘘を言っているようには見えない。少なくとも希海ちゃんは生きているということだろう。
ほっとしたのも束の間、風森さんはどこか気まずげに言った。
「私のせいで、希海さんは怪我を……。本当にごめんなさい!」
それはきっと謝罪の言葉だったのだと思う。けれど、私にとってそれは理解不能なものにしか聞こえなかった。
どうして謝るのかが分からないのでその言葉を受け入れるにも受け入れられない。
「なんで、風森さんが謝る必要があるの?」
私の発した言葉に風森さんはビクリと肩を震わせる。
「えっ……?」
「話を聞かせて?」
私が優しく諭すようにそう口にすると風森さんは困惑した様子を見せた。どうやら私の意図が伝わっていないようだ。
私はさらに言葉を続けてゆっくりと話してみる。
「きっと、のんちゃんが風森さんを助けたんでしょ?」
「はい……」
「それなら私に謝る必要なんてないよ」
「いえ、でも、希海さんは藤咲さんの友人ですし、その怪我は私が引き起こしたことで……」
「違うよ。のんちゃんが自分の意思で助けに行ったんだよ。風森さんが責められる謂れはないと思う。のんちゃんが自分で決めたことなんだよ」
「でも! 私は、それを知っていて何も言わずに見て見ぬふりをして、嫉妬なんかして、私は……、最低な人間で……」
俯く彼女の顔から涙が流れ落ちる。
彼女は自分を許すことができないのかもしれない。だからこうして涙を流しているのだろうか。しかし私はそんな彼女を見てとても腹立たしく感じていた。
なんだか、届かないものに手を伸ばすような姿勢が数時間前の私に重なって見えた気がしたのだ。
風森さんは泣いている。
だからこそ、私は心を落ち着けて口を開く。
「風森さん、そんな風に泣かないで。君は何も悪くない。むしろ、私は嬉しいんだ。のんちゃんが友達のために行動できたことがね」
のんちゃんは風森さんを救うために怪我をした。けれど、風森さんはそのことに責任を感じている。自分が悪いと思っているのだ。
風森さんが何かしらの原因を作りそれをのんちゃんが庇ったというのであれば確かにそうなのだろう。でも、そんなことではのんちゃんが報われない。のんちゃんが救おうとした人は自分のせいだと悔いて苦しんだなんて知ったら悲しむに決まっている。
ならば、ここで私がすることは一つしかないだろう。
「ねぇ、風森さん。私からもお願いがあるんだけどいいかな?」
「……はい。なんでしょうか?」
「もし、良かったらだけどさ。ありがとうって言ってみない? それこそ、希海ちゃんにありがとうって」
「…………ありがとう、ですか? 私を助けてくれて、ありがとうって」
「うん。それだけできっと、のんちゃんも喜んでくれるはずだよ。きっと怪我の痛みを気にしないくらい元気になる。だって、のんちゃんは誰かが傷つくことを何よりも嫌う優しい子だから」
自分でも予想していない程に口が動く、滑る、流れる。
まるで予め台詞が用意されていてそれを読み上げるように口から言葉が出てくる。
これは、本当に私の言葉なのだろうか。でも、言っていて嫌な気分では無かった。
「だから、のんちゃんにありがとうって伝えてあげて。それが、きっと一番の恩返しだよ」
私はそう締め括るとニッコリと微笑んで見せた。すると、目の前にいる風森さんの顔からは憑き物が落ちたかのようにすっきりとした表情になった。
と、思う。
「はい。分かりました。次に会えたら希海さんにきちんとお礼を言おうと思います」
「うん。じゃあ、私はこれで失礼するね」
風森さんとの会話を終えた私は立ち上がる。キャンプで休んだとはいえ、まだ体が少しばかり怠く感じる。
「か、香苗さん!」
風森さんから呼び止められたので足を止めて振り返る。
「なあに?」
「話を聞いてくれて、ありがとうございました」
「どういたしまして。これからも仲良くしてくれると嬉しいな。それじゃあ、また明後日学校で」
「はい!」
そうして私は風森さんと別れて公園を後にする。
自分の発言を思い返してみたのだが我ながら随分なことを言ったように思える。まぁ、後悔は無い。私は私なりの最善の道を選べたのではないかと思っている。
「柄にもないことやっちゃったかなー……」
公園を出ると途端に恥ずかしさが込み上げてきた。
しかし、それも今更の話だ。推しの為ならこのくらい。
「私もお礼、言わないとな」
冷静になって思えばどの口で言ってるんだというような話だった。これを踏まえて見ればちょっと思い出すだけでも恥ずかしさがぶり返してくる。
そういえばあのモヤモヤした気持ちは、どこ行ったんだろうか。
私は妙なスッキリ感を胸に、家への帰り道を歩いた。