「香苗ちゃん〜! 久しぶりぃ!」
「おふっ……!? の、のんちゃん……、心臓が止まっちゃうかと思った」
木曜日の朝。登校してきたばかりの私を教室で出迎えたのは、希海ちゃんからの熱烈かつ強烈なハグであった。当然ながら急激な推しの接種によって危うく心停止してしまうところだったが、私は希海のことを思う事でどうにか踏ん張った。
希海ちゃんにぎゅっと抱きしめられながらも呼吸を正常に戻すことが出来たのは、ひとえに僅かに残っていた希海への想いのおかげだ。
希海ちゃんの柔らかい胸が押し付けられる感触は至福なのだけれど、彼女の抱擁の激しさは今に始まったことでは無くて過呼吸で済む程度には慣れている。
とは言え、やはり突然の不意打ちみたいなものは今まで考えていた内容が吹き飛ぶのでやめて貰いたいものだ。
切実に。
何も考えられない……。
「ごめんね。退院したばっかりで香苗ちゃんを見た瞬間、我慢出来なくなって……」
「もう。いつも言ってるけどのんちゃんは私に対してスキンシップが激しいんだから。そういうことは恋人とかにしないと駄目だよ?」
私がそう諭すと、彼女はどこか悲しそうな表情で俯く。
「私、……他の子に興味無いよ」
「へ? 今なんて……?」
故意かそう出ないかは分からないが私に聞こえない程度の声量で希海ちゃんは何かを呟いていた。
思考能力が停滞していた私は思わず首を傾げて聞き返す。
「えっと……、のんちゃん? い、いま、なんか言った?」
「ううん、何でもない! こんなに可愛い香苗ちゃんは手離したくないなーって」
希海は私の返答に対して屈託のない笑みで応えた。しかし 、その瞳の奥では何かが僅かに揺らめいていて、それが本音ではないことを教えてくれる。
いや本音じゃないならそれはそれで悲しいが。
それにしても彼女は腹の底で何を考えているというのだろう。
まぁ、本人が何でもないと言っているし、無理矢理聞き出す必要は無いだろう。……それにしても、柴宮希海ってこんな感じのキャラクターだっただろうか?
そもそもゲームでは主人公である天城総司以外に知り合いと呼べるようなキャラクターもいなかったため、比較できるような対象も無い。
「そ、そっか……?」
私は違和感を感じつつも、ひとまず疑問を飲み込むことにした。きっと、私の知らない所で何かあったのだろう。もしくは、これから始まってしまうのかもしれない。
とにかく今は深く突っ込まない方がいい気がした。
「のんちゃん昨日は行けなかったけど、退院おめでとう。やっぱりのんちゃんとこうして学校で会えるのは何だか嬉しい気分になるよ」
「ありがとー! 私も香苗ちゃんに会えて凄く嬉しい。だって大好きなんだもん」
相変わらずのド直球っぷりである。はいはい、ライクライク。ベリーライク*1。
本当に希海ちゃんらしい。その真っ直ぐな親愛に私も応えるべく彼女を抱き締め返そうとしたその時、後ろの方から声がかけられた。
「香苗さんに希海さん。朝から刺激の強いスキンシップは程々にして下さいね」
……風森さんの呆れた視線が突き刺さる。
「紀々ちゃんが香苗ちゃんの近くにいるの珍しいねぇー」
「細かいことはどうでもいいでしょう」
「そうかなー? ね、香苗ちゃん!」
私は抱きつかれた体勢のまま固まってしまい、そして改めて希海の顔を見ると自分の顔が急速に熱を帯びてくる。きっと私は今の自分の顔を鏡で見たら湯煎された蛸のように真っ赤に茹で上がっているに違いない。
「ご、ごめんなさい……」
恥ずかしさに負けた私は咄嵯に謝罪の言葉を吐き出すと共に身体から離れようとした。しかしその寸前、今度は希海ちゃんがギュッと力強く私を引き寄せ、彼女の胸に顔を埋めさせられる形で拘束される。むぐふぅっ、息が出来なくなるんですが……。
この状態はカップ数が何となくわかりそうだ……、Fは、下らない……! とにかく、デカい……ッ!!!*2
「えぇー? 親友だもん。問題ないよね香苗ちゃん♪」
悪戯っぽく囁かれる言葉と楽しげな声色にと幸せな感触のカーニバル。私の頭はパニックに陥ってしまわざるを得ない。そんな私達を見て風森紀々が苦笑いしている。さもありなん。
「希海さん、知っていますか? お二人のツーショットを写したブロマイドが男子生徒間で高値で取引されていること。それが嫌でしたら……」
風森さんが淡々とした表情で語る内容は恐ろしいものだった。こうやって仲良くするのは構わないが周りに見せつけるのは控えてくれと暗に言っているのだ。
希海のブロマイドがどうして高く取引されるのか、理由は何となく想像がつく。この
まぁだからと言って私の写真を売り買いされても困るわけで……。
「えー、でも香苗ちゃん可愛いんだから良いじゃん! ……むしろどこで売ってる?」
「あの、そういった写真は恥ずかしいから勘弁して欲しいかなぁ……? それにブロマイドが人気なのも、私と言うよりはのんちゃんの方が可愛いからだろうし」
風森さんは呆れたようにため息を吐いてジト目を向ける。
「はぁ、香苗さんは自分の見た目についてもう少し自覚を持った方が良いですよ」
「え、なんで?」
「……へ?」「……はぁ」
呆れた風に風森さんが呟いた一言に私が素っ頓狂な声で問い返すと、何故か希海と風森さんはそれぞれ違った反応を見せる。そして変なことに二人して顔を見合わせている。……何か変なことでも言っただろうか。しかしそれはどうやら私には関係ないことらしく、風森紀々は気を取り直すかのように口を開いた。
「いえ、何でもありません。それより香苗さん、そろそろHRなので解散しますか」
「あ、そうだね」
「もうこんな時間なんだ〜。早いね〜」
風森さんの言う通り既に教室内には多くの生徒が登校してきており、その視線は全て私達に注がれていた。そりゃそうか。朝っぱらからゲームのキービジュアルを飾れるような顔面偏差値上位の美少女と抱き合っていたのだ。注目するなと言う方が無理な話だ。
希海ちゃんとは一旦離れることにしたのだが……、やっぱりまだドキドキが収まらない。私は顔を赤くしたまま自分の席に腰掛けるとそのまま机の上に顔を突っ伏す。そんな私の様子を見て風森さんが苦笑しているのが視界の隅っこの方にちらと映った気がしたが無視だ。
しばらくすると予鈴が鳴り響き、クラスメイト達は慌ただしく着席していった。程なくして担任の教師が教室内に入って来て出席確認を始め、その後に本日の連絡事項などを簡単に伝えてから早々にホームルームは終了していた。
教師が出て行った後、すぐに希海の周りには人が集まり始める。
「柴宮さん、あの時は助けてくれてありがとうー!」
「大丈夫? 病み上がりだし、疲れたりとかしてない?」
そんな具合に集まってきたのは希海に救ってもらったと言う生徒たちだった。彼女達が感謝の言葉を希海に向けて次々と口にしていく。それを彼女は照れくさそうな笑顔を浮かべながら受け答えをしている。最初こそ、入学前から聖装持ちであるということで近寄り難かったのかもしれないが*3、先日の救助活動のおかげでもあってかクラスのみんなに受け入れられたのだ。
うん、実に微笑ましい。
それにしても人気者過ぎないだろうか。まぁ、良いんだけど……。
しかし、ゲームの中盤から登場するキャラクターだとしても希海の容姿はかなり整っている。故に、私が女子だとしても朝からいちゃついていれば男子達から嫉妬の目線を一身に浴びてしまうのも事実だった。
美少女を独占して悪いね。カノジョ、私の推しなんだ。
そんな光景をしたり顔で眺めていながら優越感に耽っていたのだが、不意に肩がちょんちょんと突かれた。誰だろうと思って振り返るとそこには何か可哀想なものを見る目で私を見下ろす風森さんの姿がそこにあった。
「ど、どうしたの?」
……一体どうしたのだろうか。
何とも言えない表情をした風森さんはそのまま小声でこう言った。
「……いえ、香苗さんは自己評価が苦手なのだなと思っていただけです」
それはどういう意味だ?
その様に尋ねようとするよりも先に彼女の方が再び口を開き、こう言葉を続けた。
「その、明日の作戦会議。基、訓練なのですけれど、先程金曜日に予定が入ってしまいまして。本日の放課後に開いても良いですか?」
「うん、いいよ」
その提案に対して私はこくりと首肯する。風森さんはホッとした様子を見せながらも「助かります。それじゃあ……」と言ってその場を後にした。去り際にこちらを振り向いた際に見せた彼女の柔らかな笑顔には彼女をサブヒロインたらしめる魅力が溢れているような気がした。
ちなみに今のやりとりに対して周囲の人達が注目していたことは言うまでもない。特に希海がこちらにふくれっ面を向けていることにも気が付いた。いや、希海がそういう反応を見せる必要は特に無いだろうに……。
ともあれ、もうすぐ一時間目の始業を告げるチャイムが鳴る頃だった。
そして時は流れて、放課後になる。
希海は実戦訓練で行動を共にする先輩から相談があるとの事で呼び出しを受けていたらしい。泣きながら私から引き剥がされて行ってしまった。希海を取られてしまったことで少しばかり寂しさを感じていたのだが、今日に限って言えば風森さんの方を優先しなければならない。
残念ながら希海に今日は一緒に帰れないという旨の連絡を残しておきつつ、風森さんと待ち合わせをしている訓練場へと急ぐ。
「ごめん、遅くなった!」
動きやすい体操着に着替えた私は風森さんに謝罪の言葉を口にしながら急いで駆け寄る。それに対して風森さんは気にしないで下さいと手を振ると「時間に余裕があるので大丈夫です」と言ってくれた。
「一年生でも訓練場って借りられるんだね……」
「はい。それでも通常は上級生優先で貸し出されるルールなんだそうですが、この時期は過疎期とのことで施設の使用申請は簡単に通りました」
風森さんに連れられて入ったのは何とも広い屋内ホールといった感じの部屋だ。
授業でも使うことがあり、一年生はここで魔具の習熟などを行った覚えがある。室内にはちらほらと魔具を身に付けた先輩方の姿も見受けられ、各々自主練に励むなどして汗を流していた。
そんな彼らの横を抜けて私たちは奥にある部屋に向かう。
「ここが貸し出し用の魔具が保管されている部屋。ここにあるものは訓練場ないであれば基本的に自由に使って構わないみたいです。先輩方は自前のを手に入れているので、ここにあるものはほとんど使われないみたいですが」
扉を開けた先には棚にズラッと並べられた様々な武器や防具があった。剣とか槍などのメジャーなものは当然あるが、中には用途不明と思しきものも多く、見ているだけでも中々に面白いものがある。
「ひとまず……、この辺りのものを全部持っていくのは難しいので、気になるものをいくつか選んで持っていきましょう」
風森さんのアドバイスを受けて、私が興味を持ったものはないか探していくと一つの物が目に付いた。何となく気になった私はそれに手を伸ばした。
見た目としては金属バットのように見え、大きさ的にもちょうど良さそうな長さだった。
「メイスですね……」
私の手にした得物を見た風森さんは納得するように呟いた。
どうやらこれはメイスというらしい。金属製で打撃部分がやや分厚くなっている。試しに振るうと意外と軽かったもののそれなりに威力がありそうだ。私はこれならいけるかと思い風森さんに聞いてみた。
「風森さん、もし良かったらこれを使ってみても良いかな?」
風森さんはそれを見ると「分かりました。後衛に必要かどうかはさておき、試しに使って見るのがいいですよ」と快い返事をして許可してくれた。
その後、他の魔具を見繕っていく中で気になったのは籠手だろうか? 手の甲の部分に鉄のようなものが付いているので防御力もありそうである。それからしばらく風森さんと一緒に装備を物色していった。そして最終的に選んだ魔具は、風森さんからの助言を受けた上で魔具をいくつか倉庫から持ち出す。
まずは風森さんの薦めもあって身を守る為の盾を数種類。次に攻撃用ではないけれど、何かしらの魔法を発動することが出来そうな杖もいくつか。そして剣に槍、メイス。最後に気になっていた籠手も持って行くことにする。
ゲームでは魔具に魔石と呼ばれるカスタマイズ要素があったものだが、学園で貸し出されている魔具にはそういった機能はないようでちょっと残念である。無いものは仕方がない。
「風森さん。準備完了だよ」
「こっちも大丈夫」
風森さんも自身の荷物を抱えて戻ってきた。私の場合はとりあえず武器になりそうなものは何でも持ってきておいたが、風森さんの場合は特にしっかりと吟味して使うものを決めていたようだ。
彼女の場合は姉が弓の聖装を持っているからなのか、主に弓関係の魔具である。確かに彼女の姉はゲームの仕様で前衛シューターを余儀なくされていたが……。
そういえば、冒険家の両親がいるなら家にも魔具が沢山置いてあったりするのだろうか。私、少しだけ気になります。
「えっと、訓練場ではどんなことをするの? まずは基礎の動作確認をしてから戦闘用の動きを覚える感じなのかな?」
「そうですね。まずは基本動作の確認をしてから、動くダミー相手に実戦を想定した動きの練習をすると思います」
風森さんの説明を聞いて私はなるほどと思う。
「では、早速始めましょうか」
「はい!よろしくお願いします!!」
「なんですか、それ」
私はビシッとした敬礼と共に答えると風森さんと軽く笑い合う。こうして始まった私たちの訓練は順調そのものだったのだが……。
途中で私はふいに思ったことを口にする。
「ねぇ風森さん。どうして急に私の事を名前で呼ぶようになったの?」
今まではずっと藤咲さんと呼んでいた筈だ。気がつけば変わっていた呼び方の変化について不思議に思った私は一旦の区切りを見て風森さんに疑問をぶつける。
すると彼女は、私が問いかけると恥ずかしそうに頬を染めながら口を開いた。
「その、チームメイト、ですから……」
そう言った後に、私の視線から逃れるように揺れる緑の瞳はそっぽを向いてしまう。しかし耳元まで真っ赤に染まった顔を見て私に指摘されたことがそこまで恥ずかしかったのだろうか、と思ってしまった。
まぁでも確かに私の名前を呼んだりするのは勇気が必要だっただろう。
それでも本人なりに仲良くなろうと頑張っていたのだと思うといじらしく思えてつい笑みを浮かべてしまう。可愛い奴めと思いつつ私は彼女に優しく声を掛けた。
「紀々ちゃん、ね」
私の言葉を聞いた風森さんがピタリと硬直してしまった。それからすぐに慌てた様子を見せてくる。
「私、下の名前で呼んで欲しいとか言ってませんけど!それにちゃん付けで呼ばなくても良いですよっ!?」
風森さんはどうやら呼び捨ての方が良かったみたいだが、私としてはやっぱり紀々ちゃんと呼ぶ方がしっくりくるのだ。だから呼び方を変えるつもりはないと伝えることにした。
「それは無理かな、だって紀々ちゃんって呼ぶ方がハマる感じがするし。嫌だったとしても、もう決定なので変えません!」
「うぅ~、……わ、分かりました。好きに、呼んで下さい」
そんなこんなで私が呼び方を決めたところで私たちは訓練を再開した。
そして数時間程経過した頃だろうか。
私達はクールダウンの時間を少し取る為に休憩をしていた。
といっても訓練場に併設された休憩所の中に用意されているテーブルセットの椅子に座って休んでいるだけだ。私は汗を拭き一息ついている紀々に近くの自動販売機で買ってきた飲み物を差し出す。
差し出したものはミネラルウォーターがボトルに入ったものだ。ちなみに私が自分用に買ってきたのはスポーツドリンクである。
「お疲れ様、紀々ちゃん。はいこれ。スポドリじゃなくて良かったよね」
「はい、ありがとうございます。香苗さん」
「なんかミネラルウォーター飲んでる人ってガチな感じがする」
「ガチ……、実際のところ冒険家を目指してこの学園に来ているのですから、あながち間違ってはいないんでしょうが」
私は自分の分のペットボトルを開封して中身を飲む。
すると隣にいる紀々ちゃんも黒い髪をかき上げ、ペットボトルを傾け始めた。
水を一口飲む度に上下する喉元を見つめながら、私は彼女のことを改めて眺めた。
綺麗な髪色をしていると思う。今は座っているからあまり目立って見えないが背丈は平均よりか高い方だし私よりスタイルも良い。
そんなことを考えていると視線に気づいた彼女が私に声をかけてきた。
「どうかしましたか?」
「役得だな、と」
「……はあ。まったく、本当に変なことばっかり言いますね」
そう言い、紀々は「今言うことですか」と呆れた表情を隠そうともせずに溜息を吐く。
私は彼女の反応を気にせずそのまま言葉を続けた。
「紀々ちゃんの髪は凄い綺麗だなって思って見てたんだよ」
「褒めてくれてるなら素直に受け取っておきます。香苗さんの髪こそ凄い艶があって明るい雰囲気で羨ましいです。手入れ大変でしょう?」
「そうかなぁ? まぁでも髪は女の命って言うし、気を使うように心掛けてるよ」
言われてみて栗色の髪を撫でつけてみるが普段と変わらない手触りだった。特別ケアしているわけでもないのだが、私の髪質が特別なんだろうか。ふむ、謎だ。
ただ髪に関しては特に何も考えてないので多分単純に遺伝だろう。
私の父さんと母さんのどちらか、もしくは両方が髪に関することで苦労したことが無かったに違いない。なんにせよ、お手入れが楽なことはいいことだと思っている。
なんて思いながら、紀々との会話を続けていると突然に横合いから声をかけられた。
「やあ、紀々。精が出ているな」
「おつかれ、きぃちゃん。ここで頑張ってるってタリアちゃんから聞いてきちゃった」
「
紀々は声をかけてきた人物に驚いて、つい反射的に呼び捨てにしてしまいそうになったところをなんとか堪えたようだ。しかし驚きを隠すこともできず彼女は立ち上がっていた。
驚きのあまり勢いが余ったのか、手に持っていたペットボトルを握り潰してしまい中の水が溢れてしまっている。
声の主はそんな様子を面白げに見つつ笑みを浮かべていた。
それは風森紀々の姉であり、私たちにとっての先輩にもあたる少女、――風森
「香苗ちゃん! 奇遇だね~!」
天城総司と風森千々の間をぬって希海が飛び出してくる。一瞬、風森千々がそんな希海を見て紀々と同じ緑色の瞳を不服そうな形にしたが私は気にしない事にした。飛び抜けた希海はそのまま私に勢いよく抱き着いて頬ずりを始めた。
やめておくれ、顔がくすぐったい。このままでは誰かに主人を見つけた犬かと突っ込まれてしまうだろうに……。
「ちょ、っと。のんちゃ、んっ!?」
「えへへー。やっぱり良い匂い」
うっとりとした声を上げながら私の肩口に鼻を近づける。そしてスンスンと何度か嗅いだ後、「うん、良い感じの良い匂いだ」と満足げな声を出した。いや、何の匂いだ。
というか思いのほか動き回って汗とか沢山流してるから嗅がないで貰いたいのだが。
「希海さん、貴女は盛りのついた犬ですか……!」
「話にあった親友ちゃんの前だと、こうなるのね」
風森姉妹それぞれが引き気味にぼそりと呟きを漏らした。私は希海を押し返しながら「ちょっと、希海ちゃん。離れて」と言うと彼女は素直に従った。少し不満そうだ。だが、ここで甘くすると調子に乗ってまた同じことを繰り返しかねない。だからここは私の心の平穏のためにぐっと我慢をして頂かなければ。そうして一息ついたところで改めて目の前に立つ風森千々を見上げた。
すらりと背が高くてモデルのような容姿。紀々とよく似た整った面持ちに後ろをポニーテールにまとめた黒髪。やや切れ長でエメラルドの様に煌めく眼差しは強い意思を感じさせる。しかし、それが決してキツさを印象づけているわけではなく、彼女の柔らかな表情をより魅力あるものへと変えている。
紀々がクール系美少女であるのに対してこちらは元気で活発さのある美少女というべきだろう。どちらも聡明さを併せ持つような美人であることに変わりはないのだが、両者は方向性が決定的に違うのだ。
これが來素水波、東條タリアに続く、三人目のメインヒロイン。
聖陵学園高等学校2-E1所属の風森千々。
主人公を含め主要キャラクター殺害エンドを幾つも持っているセレヘブ屈指の―――。
「希海ちゃんが香苗ちゃんにくっつき虫なのって。とても、いい事だと思うわ?」
―――地雷持ちだ。