―――ふと、目が覚めた。
洞窟の中だということもあり、光源が無ければ何があるのかがぼんやりとしか分からないほどに薄暗い。もし光源となる道具を持ってきていなければ、この地底湖の空間に限るが月明かり程度の光を発する苔を頼りにするしかない程だ。
私は近くに置いていたライトをゆっくりと上体を起こす。隣を見ると、そこには誰もいなかった。
それもそのはず。希海は力を制御できないなどというイレギュラーが発生してしまったせいで、急遽テントの外で眠ることになったのだ。
今頃、希海のメガトンパンチが湖を割り、湖水を残らず亀裂に飲み込ませていたりしないだろうか、なんて。
(……それは無いか)
過剰に心配をしていても仕方がない。私は半身を起こした状態で、身体の凝りを解すように伸びをする。
昨日の疲れはまだ微妙に残っているが、一日中歩き回っていたにしては疲労感は少ない。魔具様々だ、などと言いたいところではあるがドーピングをしているみたいで素直には喜べそうになかった。
魔巣窟以外でも携帯可能であれば手放せない代物になっていただろう。誠に残念なものだ。
身体に違和感が無いことを確認した後、テントの外へと這い出る。湿度高めのひんやりとした空気が肌を撫でた。ふと腕時計を確認すると、その針は午前4時半過ぎであることを指し示している。
魔巣窟の外であるなら日が昇るまであと数時間といったところだろうか。まだ寝ていても良さそうなものだが、出発の時間が7時前であることを考えると二度寝するには微妙な時間なことは確かである。
「……ん、ん~っ!」
両手を上げて大きく背筋を伸ばす。凝り固まった筋肉が解されていく快感を味わいながら息を大きく吐き出す。
ここが洞窟ではなく大自然の中であれば、もっと開放的な気分に浸れたことだろう。だがここはあくまでも魔巣窟である。いつ魔物に襲われるかもわからないからこそ、十分に気を引き締めなければ。
「さてと……」
今日の探索に向け、体を温めようとしていたところで、視界の端で小さな何かが動いた瞬間を捉える。咄嵯に視線を向けると、そこには何も無かった。
「……?」
一瞬ではあったが確かに見たと思ったのだが、どうやら見間違いだったらしい。私は肩透かしを食らいながらも、首を傾げる。
(まあいいか)
あまり深く考えても仕方がないだろうと私は思考を放棄し、とりあえずストレッチを始めることにした。
―――それから15分ほどの時間が経過した頃合になるだろう。身体を軽くほぐした後に、本日使う予定の魔具の点検をしていたところ、背後より声を掛けられる。
「あら、カナエはもう起きていらしていたのですね」
振り返るとそこに立っていたのは東條タリアであり、彼女は私の手元に目線を向けていた。
私の手にあるのは学園からの借り物であるランタン型の魔具。魔力を込めることで持続的に炎を灯すことが出来る優れものだそうで、その明るさは一般的な懐中電灯のよりもやや暗いものの、火種に出来たりと使い勝手の良いものだ。
「おはようございます、東條先輩。ちょっと早く目が覚めちゃって」
私がそう言って軽く笑うと東條先輩もまた金色の瞳を細めて笑みを浮かべた。
彼女はジャージ姿の私とは違って、とても動きやすそうな戦闘衣に身を包んでいる。この課外活動の間、先輩らの服装についてはあまり気にしないようにしていたが、こうして改めて見るとやはりメインヒロインとしての風格を感じさせるような
洞窟内ということもあって暗く、はっきりと視認こそ出来ないが恐らく黒を基調としていると思われる戦闘衣は、所々に金糸のような装飾があしらわれており、それがまた彼女の金色の髪と非常にマッチしている。
その上で後衛の魔法使いを連想させるようなゆったりとした服の隙間から覗いている白い地肌は、暗闇の中であっても眩しく見える。
その衣装の露出に目のやり場に困っている私の心中を知ってか知らずか、彼女は私の方に歩み寄ってくる。今は女であるとはいえガン見して良いものではないと思っているのだが、つい目が行ってしまいそうで困る。しかしそんな邪な気持ちを抱いていることがバレるわけにもいかないと、私は努めて平静を保つ。
「お早いのですね。もう少しゆっくりしていても良いと思いますけれど」
そう言いながら私が点検作業をしている隣にしゃがみ込む東條タリア。その距離感は彼女の吐息が耳に掛かるとまでは言わないが、それでもかなり近い位置だ。
「あー……いや、なんか目が冴えちゃったんですよね。だから早めに準備をしておこうかなって思いまして」
「ふふっ、なるほど。そういうことでしたか」
私が少しだけ緊張しながら口を開くと、彼女はおかしそうに笑い声を上げた。そしてそのまま立ち上がると、「では私は不寝番の仕事に戻りますね」と言って歩き出す。
「あ、はい! お疲れ様です!」
「はい、それじゃあ今日も頑張ってくださいね。カナエ」
話すだけ話して去っていってしまう東條先輩の後ろ姿を見送り、私は思わずため息を漏らしてしまう。
あの人はなんなんだと、私は自分の胸元に手を当てながら思う。
正直なところ、彼女が何を考えているのかよく分からないのだ。
別に嫌われているとか、そういった類の感情は抱かれていないのは多分、間違いないだろう。だが、彼女は風守千々について忠告してくれたりと妙な親近感のようなものを感じてしまう。それが何なのかは上手く説明が出来ないが、少なくとも私を天城総司から引き離してそこで終わりという訳では無いらしい。
そもそも私は女同士の友情というものについて、いまいち理解が出来ていなかったりするのだが。
香苗としての記憶は穴抜けになっている部分が多いものの、香苗は元より友達といった類は少なく他人とのコミュニケーションも苦手としていたようだ。身近なサンプルはスキンシップが過剰な気がするのであまり参考にならないし、前世の記憶は男であったが故に友達付き合いとして露ほども役に立つとは思えない。
故に女同士における適切な距離感というのが分からず、彼女との距離感を掴みかねている。なんだったら最初の邂逅の悪印象も足を引っ張っているのかもしれない。
だがしかし、私が壁を作ってしまうほどには、東條先輩のアレはインパクトが強かった。
「慣れないなぁ……」
洞窟内に響く水滴の音を聞きながら、私は呟いた。
さて、それから数時間もすれば探索再開である。
私たちは第二層から第三層へと足を踏み入れる。この階層は瞬く間に通り抜けてしまった第一層や広く複雑であった第二層とは異なり、洞窟の広い部屋の中に自然が構築されているという感じの作りとなっている。
天井は高く、高さにして10メートル以上はあるだろうか。壁はゴツゴツとした岩肌が剥き出しとなっており、所々には苔のようなものが生えている。地面は土が露出しており、湿っているためか靴越しにでもじっとりと濡れた感触が伝わってくる。
「……空気中の
海馬先輩が呟いた言葉に、私は首を傾げる。確かにこの階層に入ってから妙な息苦しさを感じるのは確かだが、それは私が単にそういう環境に慣れていないだけだと思っていた。
「
「あぁそうだ。呼吸して体内に取り込んでいるな。だが、これが多すぎる空間だと普通の人間は不調を訴える」
「そうなんですか?」
「あぁ。だから藤咲はあまり無理するなよ」
「え、希海や紀々ちゃんは大丈夫なんですか?」
海馬先輩の言葉に、私は希海の方を見る。彼女は普段と変わらない様子であり、平然としていた。
「聖装に覚醒してると魔素の悪影響は受けないんだって」
「そ、そうなんだ……」
「聖装に目覚めてないと、濃い魔素とかには耐えきれず最悪死んじゃったりすることもあるみたいだけどね」
そう言って、希海は笑みを浮かべた。私よりも遥かに余裕があり、頼もしいなと改めて思う。
後ろからひょいと現れた紀々は私の隣に並ぶと、先ほどの会話に補足をしてくれた。
「聖装を持っていなくとも訓練していて魔力量や魔力制御の上手い人なら、魔素の影響は受けませんよ。逆に聖装を持っていても極端に魔力量が足りなければ魔素の影響を受けることもありますけど」
そんなことほとんどありませんが、と紀々ちゃんは付け加える。
「なるほどね。じゃあ、紀々ちゃんは影響受けたりしないってこと?」
「私の場合は訓練や慣れの問題ですね。元々魔力量が多い方なので。この魔素の量だと、そこに居るだけでもかなりの量だと感じますので、香苗さんの方こそ心配です」
言われて、私は周囲を見渡すように呼吸をしてみる。確かに息苦しいような気はする。しかし、これくらいならば問題ないだろう。
私たちは第三層へと降りて、そのまま森林の様相を呈した洞窟の中を歩いていく。木々の隙間からは弱い光が差し込んでおり、薄暗いものの視界が確保できない程ではない。
洞窟内は静寂に包まれており、時折聞こえてくる鳥らしき何かの声が反響するばかりである。しばらく歩いていると、不意に紀々が立ち止まった。
「希海さん!」
「おおっと危ない」
「ひゃっ!?」
紀々が大きく声を上げると希海によって突然手を掴まれ、そしてそのまま私を近くへと引き寄せた。すると、私達の目の前を巨大な蛇のような生物が高速で通過していったのだ。
全長4メートルはありそうなその大蛇は不満げにこちらを振り向き、舌なめずりをした。どうやら、獲物を仕留めきれなかったことが気に食わなかったらしい。
「……紀々ちゃん、これって何?」
「フォレストジャイアントスネーク、濃い魔素の影響で巨大化した蛇型のモンスターです」
「なるほどねぇ」
私は希海に抱き寄せられたまま、黙って彼女の解説を聞いている。私の頬は熱く、希海の顔が近く、私は視線を合わせられずにいた。
「柴宮、風守妹、前衛は任せるぞ! こっちは余裕があったらメインの連中を呼ぶ!」
少し離れた地点から海馬先輩から指示が出る。希海と紀々ちゃんは同時に返事を返すと、すぐに行動を開始した。
「希海さん、香苗さんは任せます」
「おっけー。香苗ちゃん、少し我慢しててね」
「う、うん……」
私は希海の腕の中で身を縮こませて、彼女に身を任せる。
そして次の瞬間、私は希海に抱き抱えられて跳躍していた。先ほどまで私達が立っていた場所に、大きな地響きと共に大蛇の頭が叩きつけられる。地面に激突した衝撃によって、辺りの砂埃が舞い上がる。視界が塞がれてしまい、私は思わず目を閉じた。
「バックアップだけを狙った奇襲とは……、第三層は一筋縄じゃ行かないね」
希海の声が聞こえる。しかし、私は目を開けることが出来ない。情けない話だが、恐怖心が身体を支配しており思うように力が入らないのだ。それにしても、一体何が起こっているのか。今の状況が分からないことが一番怖い。私の耳に、何かがぶつかる音と液体が飛び散るような音が聞こえてきた。恐らく、紀々があの蛇と戦っているのだろう。
「ほら、もう大丈夫だよ」
「ごめんね……」
「謝ることじゃないって」
ようやく動けるようになった私はゆっくりと瞼を開くと、希海は微笑みながら私を見つめていた。至近距離でその美形を見つめた私は思わず顔の温度が高まっていくのを感じる。役得と言えば役得なのだが……、どうにも希海の顔を見ていられない。
「立てる?怪我はない?」
「う、うん、平気だよ……。ありがとう、のんちゃん」
「どういたしまして。それじゃ紀々ちゃんのお手伝いに行くから!」
私が立ち上がると、希海はすぐに私から離れて紀々が大蛇と戦闘している場所へと駆け出した。私はそれを見送ることしか出来ない。彼女は強いなぁと感心しながら私はその後ろ姿を眺めているばかりだった。
私は自らの唇に指をあてて、無意識のうちにそっとなぞるように触れていた。何か柔らかかった記憶が……。
思い出そうとすると再び顔が赤くなってしまいそうで―――。
「藤咲、どうした? 様子がおかしいぞ」
「あ、……いえ! な、何でもありません!」
「そ、そうか?」
私は海馬先輩に呼ばれ、そちらの方へと向き直る。彼は腕を組み、難しい顔をして考え事をしているようだった。
助かったと言えるだろうか……。いや、助かった。間違いない。
結局、大蛇はメイングループの到着を待つことなく希海によって倒され、塵となって崩落していく。その様子を確認すると、希海は振り返り私の元へと戻ってくる。
「お疲れ様、のんちゃん」
「香苗ちゃんこそ、お疲れさま。でも、本当に怪我とか無い?」
「う、うん。大丈夫」
希海は私を心配してくれているようだ。私は笑顔で応えると、希海は安堵した表情を浮かべて笑った。
「良かったぁ〜。香苗ちゃんが大怪我でもしたら私、泣いちゃうかも」
「大袈裟だなぁ」
「そんな事無いよ……。だって、大切なヒトなんだもん」
「そこまで言われてもなぁ……」
私は照れ臭さを感じながらも、何とか言葉を絞り出す。希海は満足そうに笑うと、そのまま会話を続けた。
それからしばらく歩くと、今回の目的であるカラドウルフの痕跡のある地点へと辿り着いた。その場所には複数の足跡が残されており、まだ新しいものだと判断することが出来る。
恐らくここにカラドウルフの群れが待機している。
「今回の目的って、この痕跡の主の素材なんだっけ」
「はい。目的の魔物、カラドウルフの毛皮を持ち帰ることが今回の目的です」
「そっかー。でも、どうしてそのモンスターが必要なの?」
「カラドウルフは毛皮が高級品として扱われています。ですが、それだけではありません。彼らは魔力を帯びた攻撃に耐性があるのです。その性質を利用して、魔法防御の高い防具型の魔具を作ることが出来るんです」
「へぇ~、凄いんだねぇ」
紀々ちゃんの説明に希海は関心した様子を見せる。
「注意として、カラドウルフは単独ではそれほど強くありません。ですが、群れを成して行動する習性があるので油断すると餌になります。主立って戦闘するのはメイングループですが、バックアップの役割のひとつであるバックアタックの防止、退路の確保のことを忘れないように」
「代わりの説明助かる」
紀々は真剣な面持ちで言うが、本来は海馬先輩の役割だったらしい。彼は少し離れた場所から、紀々ちゃんの言葉を聞いて小さく相槌を打っている。
私は彼女の言葉を聞き、改めて気を引き締めた。
「よし、メインから突入の指示を待つぞ」
「分かりました」
「はーい」
「分かった」
海馬先輩の言葉に従い、私たちは待機する。希海は緊張感の無い返事を返したが、私もそれに合わせて返事をした。しかし、内心は緊張していた。
これから戦うことになるのは、今まで戦ってきたような雑魚ではない。それなりにレベルを上げた冒険家ですら苦戦を強いられる相手なのだ。私は自分の手を見る。震えてはいないが、心臓がバクバクと高鳴っていることは自覚出来た。
「大丈夫ですか?香苗さん」
「え?ああ、うん……。大丈夫だよ」
紀々は心配そうな表情を浮かべながら、私に声をかけてくる。私はそれに対して苦笑いをしながら応えると、彼女は私が杖の魔具を持つ右手を両手で包み込んだ。
「私と希海さんが貴女を守ります。だから、安心して下さい」
「紀々ちゃん……」
「あー、紀々ちゃん、ずるい!」
希海は私と紀々の間に割って入ると、紀々はくすりと笑みを溢した。
「ごめんなさい、希海さん。香苗さんのことが可愛くてつい」
「むぅ……、仕方がないなぁ。私は理解のある親友なので」
「ありがとうございます」
紀々ちゃんは私から手を離すと、希海に向き直って微笑んだ。希海は不満げな顔をしていたが、希海は紀々に負けじと私の手を両手で握り締めてきた。
「私と紀々ちゃんに任せておいて!」
「ありがと、のんちゃん」
私は希海と紀々ちゃんに笑顔を向ける。二人は嬉しそうに笑った。
それからしばらく待つと、メイングループのメンバーが待機している地点から淡い青色の信号弾が上がった。
それは突入の合図であり、私達は飛び出すように駆け出した。