帰り道。
私と希海は肩を並べて歩いていた。
いつもなら他愛のない会話をしながら歩いているのだが、今日に限っては互いに言葉を発することはなかった。それはきっと気まずいとかそういうわけではなくて、私が意識しているからだ。そしてそんな緊張が希海にも伝わっているのかもしれない。私はチラリと隣を見る。
すると、視線を感じたのか、希海もこちらを見つめていた。
目が合った。推しのご尊顔……!
しかし、何を考えてしまったのか私は慌てて目を逸らす。
心臓の鼓動が加速する。
身体中の血液が全て顔に集まっているのではないかと錯覚するほどに熱くなっていく。短時間目を合わせただけでこれなのに、真正面から見つめ合うなんて無理だ。
恥ずかしくて死んでしまう。
いや、でも、ここでまた黙っているのは不自然すぎる。
何か言わないと……。
「その……」
「ね、香苗ちゃん」
意を決して口を開こうとしたとき、不意に希海が口を開いた。
「へ、なに?」
「あのさ、香苗ちゃんって……、好きな人とか……いる?」
唐突にそんなことを聞かれたものだから、私は思わず息を呑んだ。
まさか、私が
「そ、そそそ、それって? どどど、どういう意味で、聞いてる???」
私は動揺を悟られないように聞き返す。
「え? 恋愛的な意味だよ? だって、今日の香苗ちゃんちょっとおかしいじゃん」
「ファッ!? なな、なんのことかな〜??」
私は必死になって誤魔化そうとするが、どう考えても私の持つ推しへの情熱がバレている。推しへの愛が認知されることは嬉しいが、これは藤咲香苗本人の持っていた考えではなく前世の記憶の影響だ。
そういうことをあまり表に出すのもおかしい話だと思うのだよ。
ほら、こう……ね? ゆっくりじんわり仲を深めたいと言いますか。
「ねぇ、教えてくれても良くない? 親友でしょ?」
「うっ……」
親友という言葉に思わず反応してしまう私。推し云々問わず、そう言われると弱い。
いや、別に隠してるわけじゃないんだけどね? ただ言うタイミングが無かったというか……。
「ほらぁ、やっぱりいるんじゃん!」
希海はそう言って詰め寄ってくる。私のこの熱い気持ちに気がついている訳ではなさそうなので少し安心してしまったが……。
推しが近い……。
それに女の子特有のいい匂いが……。
私は推しのご尊顔を至近距離で拝めていることに興奮しすぎて鼻血が出そうになるが、さすがにそれは堪えてみせる。これは神が与えたもう試練なのだろう。
「えっと……、うん。実は……います。はい……」
嘘をつくのはよくないことだとわかっていても、どうしても言い出せるものでは無い。推しへのこの熱い気持ち、触れるくらいならええやろ?
「そうなんだー……。あの香苗ちゃんもおっきくなったんだねー。好きな人かぁ。教えてくれたりは……」
そりゃ目の前にいる
気付いて欲しいけど気付かないで!
「で、出来ない……」
「どうして?」
食い気味に尋ねられる。
「あ、あぅ……」
目の前に寄せられる推しの尊顔。私を宝石みたいに美しいブラックダイアモンドのような双眸で殺す気なの? 『死因:尊死』なんて、もう少し後に取っておかせてくれ!
私の脳内では天使と悪魔が戦っていた。
天使は言った。
『この機会に想いを伝えよう! お前は勇気を出して告白したんだぞ! 今ならいける! 今しかない! 行け! 逝け! 死ね! 今すぐ! さっさと爆発しながら告れやゴラァ!!』
対して、悪魔の方はと言うと、
『待て! 早まるな! 爆発するにはまだ時期尚早だ。今はもっと親密になってお互いのことをよく知ってからにしよう! そうすれば向こうも脈アリかもと思ってくれるかもしれない。あわよくば……ふふふっ……』
いや、何お前ら。怖いわ! どちらも完全に推しに告る気マンマンじゃないか。推しとファンのスタンス崩壊させようとするのやめてくれぇ!
そもそも告白する気は無い。
私はあくまで少なくとも推しとして希海を愛したいだけだ。それ以上は望んでいない……!
いや、でも、もし仮に、万が一、億が一でも奇跡的に、本当に付き合えることになったとしたら? 私はその瞬間に死んでもいい。いや、死ぬね。間違いなく。
しかし、そうならなかったときに私は果たして藤咲香苗と柴宮希海は親友という関係のままでいられるのだろうか。それはわからない。
だから、今の私にはこう答えることしかできない。
「しっかりと吟味したいんだ」
私は絞り出すようにしてそれだけを口にした。
「……そっかぁ。なんか、ごめんね」
また推しを謝らせてしまった。うごご。
「詰め寄って、変なこと聞いちゃった。答えてくれなくていいんだけど、その代わりに一つお願いがあるんだけど……、いいかな?」
「え? なに?」
私は恐る恐る尋ねる。
一体何を要求されるのだろう。
推しからのお願いだ。出来る限り叶え てあげたい。しかし、それがもしも無茶振りだったりしたとしても身体を張ろう。
対価? 要らねぇよ!
そんなことを考えながら待っていると、希海がゆっくりと口を開いた。
「恋人ができても、ずっと、私と仲良くしてね」
「へ?」
予想外の言葉に拍子抜けしてしまう。
「いや、まぁ、その、何ていうか……、さ。香苗ちゃんは大切な親友だから……、さ」
「…………ッッ〜〜〜!」
私は心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。希海の口から発せられた『大切な親友』という言葉。そして、少し恥ずかしそうにしている表情。全てが私の心に突き刺さった。
こんなにも嬉しいことがあるのか。
いや、無いね。
私が再び転生したとして、ここまで可愛い推しと友達どころか知り合い以上になれる可能性すらなんて宇宙が何遍回帰したとしてもありえないだろう。
つまり、この状況は奇跡か神の気まぐれがもたらした祝福に等しいのだ。だからこそ、絶対に失敗はできない。
推しとの関係を壊さないためにも、慎重に行動しなければならないのだ。
そして守りたい、この笑顔。
「も、もも、もちろん! これからもよろしくね!」
私は満面の笑みで答えた。
「うん、ありがと」
希海も笑顔でそう返してくれる。
ああ、尊い。可愛すぎる。
ご尊顔の供給過多やめてくれ。
「あー! 今の香苗ちゃん、変な顔してる。ふふっ、面白いね。写真撮っちゃおーっと」
パシャリと音が鳴った。
「あ、ちょっ!? それは恥ずい、消してよ……!」
「やだね〜♪ 待ち受けにしちゃお〜」
希海はスマホを操作して、撮った写真を自分の携帯の待ち受け画面へと設定したようだ。
「うぅ……。絶対他の人に見られたくないんだけど……」
「大丈夫だって。誰にも見せないし、見せたくもないから安心していいよ」
「え? それどういう意味……?」
「さてさて、また明日学校でねー」
そう言って彼女は小悪魔的な微笑みを浮かべて私から距離をとる。
ちょうど私の家と希海の家への分かれ道に差しかかっていたようだ。
「のんちゃん、また明日……ね」
私は小さく手を振って彼女に別れを告げる。すると、希海も手を振り返してくれた。
「うん、ばいばーい」
私は彼女が見えなくなるまで見送った後、少しの余韻を経て家路につく。
「はぁ……」
大きなため息が漏れる。
どうして今世は男ではなく女に生まれてしまったんだろうか。
逆だったら、きっと希海へのこの熱い思いを伝えることが出来たのかもしれないのに。
いや、男だったら余計無理だったはずだ。推しと合法的に触れ合える女でよかった。
でも、それでも、やっぱり、
「女の子同士ってどうなんだろうな……」
つい、独り言が出てしまう。
そう、私には前世の記憶というものが存在している。
男として生きた28年間の人生。その記憶を持っているのだ。
そんな私が女の真似事などといった唾棄したくなることをできるはずもなく、私は私なりに藤咲香苗として生きるべきだと思い至る。
私は藤咲香苗として生きていく。
藤咲香苗として、柴宮希海の親友であり続ける。
柴宮希海は私の推しであり、私の友人だ。
それだけは、変わらない。
変わるわけがないんだ。
だから、これは決して恋ではない。
そう自分に言い聞かせているのに、何故か心がざわつく。
「……推しになっちゃったから、かな」
今朝、柴宮希海に抱きつかれたときのことを思い出して、胸の奥がきゅっと締め付けられるような感覚に陥る。
あのときの彼女の温もりをまだ容易に思い出せる。
それに、抱きしめられたときに鼻腔をくすぐる果実のような甘い香り。あれはとても心地よいものだった。
……また、あんな風に抱きしめてもらえたりしないかな。
「いやいやいやいや、何考えてるんだ私は……!」
私はぶんぶんと頭を横に振る。
そんなの駄目だ。そんなことを望んでしまうのは、なにか人として間違っている気がするのだが! 私は自分の考えを、煩悩を振り払うように全力で走り出す。
そして家にたどり着くと、制服のままソファーに倒れ込むようにして横になった。
そのままぼーっと天井を見つめながら、今日あった出来事を振り返る。
肉体的にも精神的にも、色々と消耗してしまった。想定外の事態ばかりで本当に濃い一日だったと思う。
私は深く呼吸をして、ゆっくりと目を閉じる。
瞼の裏に映るのは、もちろんの事ながら我が推し、柴宮希海の姿だ。
まだ夢見心地なところはあるが動いて喋る推しを見られるとは、感無量である。そして、やはり彼女は私の想像通り、いやそれ以上に可愛かった。もし私が男子高校生なら間違いなく惚れていただろう。
いや、女子高校生の身でも普通に惚れてるけどね? もう、可愛いの化身だよ。でも、私はあくまで親友として彼女と接さなければならない。節度あるファンとしてのスタンスを崩す事は許されないのだ。
何故かって? そりゃあもちろん嫌われたくないし、私の欲望が暴発しかねないからだ。いわば、この推しへの態度は私の安全装置だと言い表せるだろう。
まぁ、そもそもの話。実物となった推しが目の前にいるという事実だけで幸せすぎて既に自爆しそうなんですがね!
柴宮希海、君ってやつは罪な女だよ……!