愛しの人は今日も眠る。僕はとある病院の病室で目の前のベッドに眠る愛しの人を見下ろしながらなぜここまで僕は無力なんだと自分を責めてしまいたくなり、拳を握った。
愛しの人、僕の母さんが倒れてから何日経つのだろう。永琳は自分の所為だと言ってふさぎ込んでしまい、柚希さんは母さんの見舞いに来ようとしていたが僕が永琳の側に居てほしいと頼んだのでこの場にいない。
けれど生まれたときから常に側に永琳がいた僕にとって、母さんと二人だけでいるのが新鮮で気持ちいい。一度だけでも良いから二人っきりでたわいも無い会話をしながら母さんに甘えてみたい、なんて考えた事もあった。でもこんな悲しい形で二人っきりにはなりたくなかった。
僕は日が暮れるまで母さんが目を覚ますのを信じて一緒にいたが、どうやら今日も目を覚ましてはくれないようだ。
「じゃあね母さん。また明日も来るから」
僕は病院を出て家に向かって歩き始めた。病院から家に帰る時に商店街を通らなければいけない。そこは夕方になると人で溢れかえってしまうからあまりこの道を使いたくない。今日も仕方が無いって思いながら人にぶつからないようにうまく避けながら人混みを掻き分けて行く。
あと少しで商店街を抜けると油断した瞬間、横からフラッと出てきた女性と衝突して倒れてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
僕は急いで立ち上がってぶつかった茶髪で黒いベレー帽をかぶった女性に謝った。女性は舌打ちをしてからまるでゴミを見るかのような目で僕を見た。何せ僕は半妖なのだから嫌われていても当然だからこの対応も仕方が無いと思っていた。数秒すると、何かに気がついたのか女性は僕の顔をいきなりジロジロと見始めた。
「ふふ……ふふふふ……あはははは!」
その女性は周りの目を気にしないでお腹を抱えて笑い始めた。なぜいきなり笑い始めたのかさっぱり分からなくて少し恐怖を覚えていた。
「お前が月夜見だったんだ」
女性はニヤニヤしながら僕に言った。月夜見は月の神様と言われて街の人に信仰されている名前だったはず。僕はそんな存在でも無いのにこの女性は何を言っているの?
「堕ちたものだね月夜見」
「痛いからやめて!」
女性は突然僕の尻尾を握る。とても女性とは思えないほどの力で握られたので、僕は反射的に女性の顔を左手で殴ってしまった。殴られた女性は手を離したので僕は戸惑いながらも少し急いで距離を置いた。
「刃向かうんだ……でも」
女性はフラフラと怯える僕に近づくと、いきなり僕の顔に自分の顔を近づけた。
「お前はもう月夜見じゃない。私が月夜見だ。この穢れめ」
そう言い残して女性は高笑いをしながら人混みの中に消えていった。僕は足が震えているのを感じながらも頑張って歩き始めた。
◇
この日も僕は母さんのお見舞いに行こうかな、なんて思いながらリビングで柚希さんと朝ごはんを食べていた。
「今日は私がお見舞いに行くからふーやに永琳の事をお願いしてもいいかしら?」
柚希さんはパンを頬張りながら突然言うので僕は一瞬固まった。僕と母さんの時間をこの女は奪うのか?と思ってしまったけれど、柚希さんと母さんは昔から仲が良い事を思い出した。
「うん。永琳は任せといて」
「それじゃあ後は頼むわね」
僕だけが母さんを独り占めにするのは何処か間違っていると感じたので嫌な顔をせずに答えた。柚希さんは最後の一口を食べて席から立ち上がった。
「あっ食器は帰ってから私が洗うから置きっ放しで大丈夫だからね」
リビングから離れる際に思い出したかの様に言い残す柚希さんに僕はてきとうに手を振って見送った。朝ごはんを食べ終わった僕は食器を机の上に置きっ放しにして永琳の部屋に向かった。部屋の前に着いた僕は扉をノックする。
「文夜だけど入っていいかな?」
声をかけてみたけど中から返事は返ってこなかったけれども、僕は扉を開けて部屋の中に入る。ベッドの上に座ってぼーっと天井を見ている永琳の横に座って声をかけてみたけれど永琳は返事を返してくれなかった。
「ほら永琳が悪いわけじゃ無いんだから元気出してよ!」
僕はそう言って永琳の肩を軽く叩くと永琳は涙が貯まった瞳を僕に向けた。
「なんで?なんで文夜は私を怒ってくれないの……?」
永琳は瞳から涙を零しながら言う姿を見て、僕は何も言えなくなってしまった。
「私が悪いんだから怒ってよ!あなたのその優しさが私には辛いのよ!」
永琳は僕に抱き付いて声をあげて泣き始めた。僕は今の永琳を見て生まれた時から何時もそばにいた人はこんなにも脆かったんだと初めて感じた。僕は優しく永琳を抱きしめて左手で頭を撫でる。
「なら怒ってあげる。もうそれ以上自分を責めないで」
「もうやめてよ!私を無理に励まそうとしないで!全部私が悪いのよ!」
永琳は僕を振り払って怒りの表情を見せてどんどんヒートアップしていく。そんな彼女の前で僕はどうやったら永琳を落ち着かせられるかを考えていた。
「そうよ……私が死ねば良いのよ!そうすればまた不思議な力が起こって菊花さんは助かるわ!さあ文夜!親の仇の私を殺しなさい!」
永琳はベッドの上に立ち上がって両腕を広げた。一か八か、ふと思いついたことをやってみるしかない。
「分かったよ永琳」
僕はそう言ってベッドの上に立ち上がって永琳を見下ろす。永琳はそれを見て満足そうな顔をしていた。
「さあ、一思いにやりなさい」
「そうさせてもらう!」
永琳は涙がたくさん溜まった瞳を閉じる。僕は永琳の腰に手を回し……唇にキスをした。
◇
「久しぶり菊花」
ふーやの許可を得て私は目を覚まさない親友の元にやってきて、静かに語りかける。
「永琳も参っちゃってるみたいだし……早く目を覚ましてあなたは悪くないって言って頂戴。それにふーやも永琳も貴女が目を覚ますのを待っているのよ?もちろん私もだけど」
ニヤニヤしながら言ってみたが特に反応は無かった。それでも私は親友の手をそっと握る。すると菊花の腕がピクリと動いたような気がした。私は彼女の名前を呼ぶと菊花はゆっくりと目を開けた。
「ゆず……き…?」
「そう私よ。柚希よ」
弱々しく私の名前を呼ぶ菊花を私は抱きしめたいと言う衝動を涙と一緒に必死に抑えながら言葉を綴る。
「柚希の……泣きそうな顔って初めて見たかも……」
菊花は弱々しく笑っていた。私はそんな親友の姿を見ているとこれ以上何と言えば良いのか分からなかった。
「私ね……夢を見ていたの。柚希と初めて会った時のこと。初めて街の外に行ったこと。そして……あの人と出会ったこと」
菊花の懐かしいと思っているのか微笑みながら夢の内容を語る姿を見ていると私は涙が止まらなかった。
「あの人と過ごしたこと。あの人の死を受け入れてしまったこと。全部はっきり夢で見た気がする……」
菊花はゆっくりと天井に向けて右腕を伸ばしていた。私はそんな菊花を見ていると彼女に死が近づいている風に見えてとても怖かった。
「何言ってるのよ……これからも楽しい思い出を作っていきましょうよ……そんなもう死んじゃいそうな感じで言わないでよ!」
私の叫びはどうやら菊花には届かなかった様だ。何故なら菊花は天井を見ながらにっこり笑っているだけだから。
「ねえ慶……私は文夜を守ることができたかな?見本になれるような素敵な母親でいられたかな……?」
「もちろんよ……貴女はとっても素晴らしい母親よ!」
私には慶と言う人物が誰かも分からない。そして私に向けて言っていることでは無いと知りながらも私は答える。
「柚希……今までありがとうね。最後に……私のワガママ……文夜に伝えて欲しいことがあるの」
「自分で伝えなさいよ!なんで生きようとしないのよ!貴女は良いかもしれないけど残された人の事を!」
私は抑えていた感情が弾けて怒鳴ってしまったけれども、私はあることを悟った。もう菊花には何も聞こえていないのでは無いんだって。現に菊花は目覚めてから一度も私の言葉に反応していないのだ。
「貴方のそばにいる人は……とっても寂しがり屋さん……だから……だから……絶対に……」
「生きてよ菊花!ここで死んだら呪うわよ!」
「離さないで…あげてって……」
菊花はゆっくり瞼を閉じていく。私は聞こえていないとしても菊花の右手を両手で握って叫ぶ。そして菊花の右腕から力が抜けるのを私は感じた。
「菊花?ねえ菊花!」
私は必死で菊花の身体を揺らす。もう菊花はこの世界にはいない事を私は分かっているけれども、ただ単に悪あがきをしたかった。
◇
「な、な、何をしているの!?」
永琳は顔を真っ赤にして手で自分の口を隠していた。どうやら僕がキスをしてくるとは全く想像していなかったらしい。
「ふふふ……さっきの一撃で僕は自分を責める永琳を殺したのさ!」
「だからって好きでもない人にキスするって何を考えてるの!」
今だに顔を真っ赤にしている永琳は僕がどう思っているか理解していない様なので、分かってもらう為に僕は口で伝える。
「……僕は永琳のことを愛しているけど?」
僕の突然の告白に永琳はさらに顔を真っ赤にさせた。
あんなにも脆い永琳を見た瞬間に僕は二つの感情が芽生えていた。一つは守ってあげたいと言う感情。もう一つはそんな永琳が愛おしいと言うものだった。なぜそう感じたかは分からない。だけどもう今までの様に兄妹に近い感じの人としては見ることができなくなっていた。
「私も……貴方の事が好き」
「大人の恋愛の真似事はここまで」
永琳は僕にキスをしようとしたけれど、僕は永琳の唇に人差し指を縦に添えてそれを止め、もう片方の人差し指を自分の口に添えながら言う。
「じゃあ大人になったら続きしてくれるの……?」
「大人になったら結婚だってしてあげるよ!」
「本当!?」
「だけど、どうか待ってて欲しい事があるんだ」
ぴょんぴょん跳ねながら喜ぶ永琳に僕は首を横に振ると、永琳は首を傾げて僕の話を待っている。
「僕が……この街に受け入れられるような存在になるまで待っていて欲しいんだ」
僕は永琳の肩を力強く掴んで言った。こう思ったのにも理由がある。僕がこの街に受け入れられていないから永琳はどうすればいいのか分からない状況になったから。目を覚まさない母さんを目の前にして自分の無力さを痛感したから。そして何より永琳を守りたいから。
「何年……もしかしたら何百年もかかるかもしれない。それでも待っててくれるかな?」
「これが私の答えよ」
僕の質問を聞いた永琳はにっこりと笑って僕にキスをした。
「我慢できなくなっちゃった」
永琳はえへへと笑ながら頭をかいていたので僕はため息をついてから永琳にデコピンをした。
「いたっ」
「さっき続きは大人になってからって言ったでしょ?全く……」
口ではこう言っているけれども、内心だと飛び跳ねたくなるくらい嬉しかった。
すると不意に家の電話から着信音がなった。
「私が出るわね」
そう言って永琳はベッドから降りて電話の方へ向かったので僕は永琳の後を追いかける。
「はい八意ですけど……あっお母さん?……え?文夜と来て欲しい?どうして?……うん分かった。とりあえず行くね」
僕は電話に出た永琳の言葉を聞く限り電話をしてきた相手は柚希さんだと分かった。永琳は電話を切ると不思議そうな顔をしていた。
「柚希さんはなんだって?」
「なんか病院に急いで来てくれって。何故かしら?」
「とりあえず病院に行ってみようよ」
僕は嫌な予感を感じながらもそう言い残して自分の部屋に行き、外出するための準備を始めた。
◇
あれから数時間後、僕は火葬場に来ていた。柚希さんの電話を受けて僕と永琳はすぐに病院に向かうと、僕の嫌な予感は的中していて、母さんは既に亡き者となっていた。不思議と母さんの亡骸を見ても僕は涙を流さなかった。僕は泣いていた柚希さんに頼んですぐに火葬をしてもらう事にした。
永琳に葬式をしなくても良いの?と聞かれたけれど葬式はしない。あんな事をしたって残された人の自己満足でしかないと思ったから。そして「八意」にお金を使わせたくないと思ったから。
「バイバイ母さん。もしも天国があるなら……僕のやることが上手くいくように祈ってくれると嬉しいな」
「文夜。はいどうぞ」
亡骸に手を振って見送ると永琳は僕にハンカチを渡した。僕は一体これを何に使えば良いのだろう?
「ふーやは涙をそれで拭きなさい」
柚希さんにそう言われて僕は初めて僕の頬に一筋の涙が伝っていた事に気がついた。
「何でだろ……涙が止まらないや……」
「思う存分泣いちゃいなさい。私が全部受け止めてあげるから」
幾らハンカチで涙を拭いても次々と涙が零れ落ちる。そんな僕を永琳は優しく抱き締めてくれた。その瞬間に僕は我慢するのをやめた。
「母さん……母さん……!!」
僕は永琳の胸の中で子供の様に泣きはじめた。僕が今まで泣かなかった理由は無意識のうちに母さんに泣いてる姿を見せたくないって思っていたからなのかもしれない。
数十分後、落ち着いた僕は母さんの灰だけを受け取って永琳と柚希さんと共に家に帰った。
「ねえ柚希さん。僕の住民票ってある?」
「あるけど……何に使うの?」
家に着いた僕は早速柚希さんに尋ねた。どうやら柚希さんには僕がやりたいことをしっかり伝えないといけないみたいだ。
「僕は……力が欲しい。永琳を守るための。だからこの街から出ていきます」
柚希さんは目を丸くして驚いており、永琳は恥ずかしそうに顔を伏せていた。そう言えば柚希さんは僕と永琳がどんな話をしていたのか知らないんだと言うことを思い出した。
「力が欲しいって……だからってなんで外の世界に?」
柚希さんの疑問は正しい。身体を鍛えるだけならこの街でもできる。けれど……
「僕は人間として、だけではなく妖怪としても強くなりたい。その為にいろんな妖怪に触れ合って妖怪を知ってみたいのです」
僕は自分の考えを柚希さんに伝えると、柚希さんは考える間もなく優しい笑顔で口を開いた。
「それがふーやの進みたい道なら私は止めはしないわよ。私はふーやの母親の一人として応援してあげるだけよ」
「でもなんで住民票が必要なの?」
柚希さんの笑顔を見てまた泣きそうになってしまったから何とか堪えていると永琳は僕に質問する。
「またこの街に戻ってくる為だよ。ほら僕って半妖でしょ?警備している人に妖怪が攻めてきたって思われたくないしね。そして街に戻ってきたら軍に入ろうと思うんだ」
永琳は納得するように首を縦に振る。
軍。それはこの街を危険から守る組織だ。正式名称は覚えていないから僕は軍と読んでいる。軍では犯罪者を鎮圧するだけでなく、街の外の妖怪退治も行なっているのだ。
「ねえふーや。ふーやは何として生きたいの?」
柚希さんは突然僕の顔を両手で抑えて瞳をしっかり見ながら質問する。でも、僕はその質問の意味が分からなかったから答えることができなかった。
「まだ若いんだしゆっくり考えなさい。ただ中途半端な考えだとその身を滅ぼすわよ」
柚希さんはそう言い残してリビングへと向かってしまった。僕は先ほどの質問の意味を考えながら自分の部屋に戻る。
「私も出発の準備手伝おうか?」
「いや、自分でやるから大丈夫だよ」
「分かった……」
自分の部屋に戻ってクローゼットから肩下げのバッグを探していると、一緒についてきていた永琳が僕の肩を叩く。しかしこれは自分の事なので断ると、永琳はすごく残念そうな顔をして自分の部屋に戻っていった。1時間後、準備が終わった僕は八意邸の玄関にいた。
「これが住民票よ」
「じゃあ……行ってくるね」
僕は柚希さんから一枚の書類をもらい、それを肩下げのバッグの中に入れた後、永琳の額のキスをしてから歩き始める。
「ずーっと待ってるから早く私のところに戻ってきなさいよ!」
背中から永琳の声が聞こえる。僕は振り返らない。ただまっすぐ前を向くだけ。
この時の僕は生をうけてから15年目で自分の新たな物語が始まるようですごくワクワクしていた。
〜蓮子の部屋〜
蓮「はろーメリー」
メ「おはよう蓮子」
蓮「なんか身近の人の死って体験した事が無いから自分だったらどんな事を思うのか想像できないのよね」
メ「当事者にならないとわからないわよそんな事。過去だけを見て腐るかそれを糧にして進化するかはその人次第よ」
蓮「メリーなんか厳しいわね」
メ「ま、私も経験したこと無いからこんな事言えるのよ。実際は腐ると思うわよ」
蓮「腐りそうになったら私が元気付けてあげるから!」
メ「キスだけはやめてね?」
蓮「それだけはしないわよ!」
メ「そう言えば……最初の方に出てきた女の人の特徴って蓮子に全部当てはまるわよね」
蓮「あっそれ思った」
メ「私が月夜見だ……ぷっ」
蓮「笑うな!それにきっと私のそっくりさんよ!」
メ「冗談よ冗談」
蓮「全く……今度チュッチュしてあげるから覚悟なさい」
メ「え……それやったら縁切るからね?」
蓮「冗談だから!本当に嫌そうな顔をしないで!」
メ「本当蓮子ってからかい甲斐があるわね」
蓮「いつか私がからかってあげるんだから……!」
メ「そのいつかは一生来ないわよ」